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  • イエス 道,真理,命
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イエス 道,真理,命
イ道 98章 228ページ–229ページ 5節
サロメがイエスの所に行って,息子たちのために特別な頼み事をしているところ

98章

使し徒とたちは再ふたたび目め立だった立たち場ばを求もとめる

マタイ 20:17-28 マルコ 10:32-45 ルカ 18:31-34

  • イエスは再ふたたび自じ分ぶんの死しを予よ告こくする

  • 目め立だった立たち場ばを求もとめる使し徒とたちを教おしえる

イエスと弟で子したちは南みなみのエルサレムを目め指ざしてペレアを旅たびしてきました。その旅たびの終おわりごろ,エリコ近きん辺ぺんのヨルダン川がわを渡わたります。西せい暦れき33年ねんの過すぎ越こしを祝いわうため彼かれらと一いっ緒しょに旅りょ行こうする人ひとたちもいます。

イエスは過すぎ越こしの日ひまでにエルサレムに着つけるよう,しっかりした足あし取どりで弟で子したちの先せん頭とうを歩あるいています。しかし,弟で子したちは不ふ安あんです。少すこし前まえ,ラザロが死しんでイエスがペレアからユダヤに入はいろうとした時とき,トマスは仲なか間まの弟で子したちに,「私わたしたちも行いこう。共ともに死しぬのだ」と言いいました。(ヨハネ 11:16,47-53)エルサレムに行いくのは危き険けんです。弟で子したちの気き持もちはよく分わかります。

イエスはこれから起おこる事こと柄がらに備そなえさせるため,使し徒とたちを脇わきに連つれていき,こう言いいます。「私わたしたちはエルサレムに上のぼっていきます。人ひとの子こは祭さい司し長ちょうと律りっ法ぽう学がく者しゃたちに引ひき渡わたされ,死しに値あたいすると断だん罪ざいされて異い国こくの人ひと々びとに引ひき渡わたされます。人ひとの子こはあざけられ,むち打うたれ,杭くいに掛かけられて死しにます。そして3日か目めに生いき返かえります」。(マタイ 20:18,19)

イエスが自じ分ぶんの死しと復ふっ活かつについて弟で子したちに語かたるのはこれが3度ど目めです。(マタイ 16:21; 17:22,23)でもこの時ときイエスは,自じ分ぶんは杭くいに掛かけられて死しぬ,と言いいました。弟で子したちは聞きいても意い味みが分わかりません。恐おそらく,イスラエルの王おう国こくが地ち上じょうに回かい復ふくされるのを期き待たいしていたのでしょう。キリストと共ともに地ち上じょうの王おう国こくで栄えい光こうと栄えい誉よを受うけたいのです。

ヤコブとヨハネ

使し徒とであるヤコブとヨハネの母はは親おや(サロメと思おもわれる)も一いっ緒しょに旅りょ行こうしていました。イエスはそれら2人ふたりの使し徒とたちに「雷かみなりの子こたち」を意い味みする名な前まえを与あたえました。2人ふたりの気き性しょうが激はげしかったからでしょう。(マルコ 3:17。ルカ 9:54)この使し徒とたちは以い前ぜんから,キリストの王おう国こくで目め立だった立たち場ばを得えたいという野や心しんを抱いだいていました。母はは親おやはそのことを知しり,息子むすこたちの代かわりにイエスに近ちかづき,身みをかがめてイエスに頼たのみ事ごとをします。イエスが「願ねがいは何なんですか」と聞きくと,母はは親おやは,「この息子むすこたちがあなたの王おう国こくで1人ひとりはあなたの右みぎに,1人ひとりは左ひだりに座すわれるようにしてください」と答こたえます。(マタイ 20:20,21)

実じっ際さいのところ,これはヤコブとヨハネの願ねがいでした。イエスはすでに,自じ分ぶんがこれから恥はじをかかされつらい経けい験けんをすると語かたっていました。それで2人ふたりに,「あなたたちは,自じ分ぶんが何なにを求もとめているか分わかっていません。私わたしが飲のもうとしている杯さかずきから飲のむことができますか」と質しつ問もんします。2人ふたりは,「できます」と答こたえます。(マタイ 20:22)まだ自じ分ぶんの言いっていることの意い味みが分わかっていないようです。

それでも,イエスはこう言いいます。「確たしかに,あなたたちは私わたしの杯さかずきから飲のむでしょう。しかし,私わたしの右みぎまた左ひだりに座すわることは,私わたしが決きめることではありません。その場ば所しょは,そこに座すわる者ものたちのために,天てんにいる私わたしの父ちちによって用よう意いされています」。(マタイ 20:23)

ヤコブとヨハネの願ねがいを聞きいて,他たの10人にんの使し徒とたちは怒おこります。以い前ぜんに使し徒とたちの間あいだで誰だれが一いち番ばん偉えらいのかという口こう論ろんがあった時とき,思おもったことをずばずば言いったのはヤコブとヨハネだったのかもしれません。(ルカ 9:46-48)それはともかく,この出で来き事ごとから,より小ちいさな者ものとして行こう動どうするようにというイエスの教おしえを12使し徒とが当あてはめていなかったことが明あきらかになりました。目め立だった立たち場ばを得えたいという欲よっ求きゅうは根ね深ぶかいものでした。

イエスは弟で子したちの口こう論ろんとその結けっ果か生しょうじた険けん悪あくな雰ふん囲い気きを解かい決けつするために行こう動どうします。12人にんを呼よび集あつめ,愛あいを込こめてこう助じょ言げんします。「あなたたちは,諸しょ国こくの支し配はい者しゃと見みなされている人ひとたちが威い張ばり,偉えらい人ひとたちが権けん威いを振ふるうことを知しっています。あなたたちの間あいだではそうであってはなりません。偉えらくなりたい人ひとは奉ほう仕し者しゃでなければならず,1番ばんでありたい人ひとは皆みなの奴ど隷れいでなければなりません」。(マルコ 10:42-44)

イエスは素す晴ばらしい手て本ほんを残のこしました。それでこう言いいます。「ちょうど人ひとの子こが,仕つかえてもらうためではなく,仕つかえるため,また自じ分ぶんの命いのちを,多おおくの人ひとと引ひき換かえる贖あがないとして与あたえるために来きたのと同おなじです」。(マタイ 20:28)3年ねん以い上じょうにわたり,イエスは他たの人ひとに仕つかえてきました。そして人じん類るい全ぜん体たいのために死しぬことまでするのです。弟で子したちもキリストに倣ならい,仕つかえてもらうよりも仕つかえたい,目め立だった立たち場ばを求もとめるのではなく,より小ちいさな者ものになりたいという気き持もちを持もたなければならないのです。

  • イエスはこれから生しょうじる出で来き事ごとに弟で子したちを備そなえさせるため,どんなことをしましたか。

  • 2人ふたりの弟で子しはイエスにどんな頼たのみ事ごとをしましたか。他たの弟で子したちはどんな反はん応のうをしましたか。

  • 弟で子したちが目め立だった立たち場ばを得えたいという欲よっ求きゅうを示しめした時とき,イエスはどうしましたか。

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