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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2020
塔研20 12月号 14ページ

読者からの質問

コリント第だい一いち 15章しょう29節せつの使し徒とパウロの言こと葉ばは,当とう時じのクリスチャンの中なかに死し者しゃのためにバプテスマを受うける人ひとがいたことを意い味みしていますか。

いいえ。聖せい書しょにも歴れき史し書しょにも,そのようなバプテスマが行おこなわれたことを示しめす記き録ろくはありません。

パウロの時じ代だいに死し者しゃのための水みずのバプテスマが行おこなわれていたと考かんがえる人ひとがいるのは,多おおくの翻ほん訳やく聖せい書しょの中なかにそう読よめる表ひょう現げんがあるからです。例たとえば,このような訳やくがあります。「そうでないとすれば,死し者しゃのためにバプテスマを受うける人ひと々びとは,なぜそれをするのだろうか」。(「口こう語ご訳やく」,日に本ほん聖せい書しょ協きょう会かい)

しかし,この点てんについて,2人ふたりの聖せい書しょ学がく者しゃは次つぎのように述のべています。グレゴリー・ロックウッド博はか士せは,「死しんだ人ひとのために」受うけるバプテスマは,「今いまのところ歴れき史し書しょにも聖せい書しょにも記き録ろくがないようなバプテスマ」だ,と言いっています。ゴードン・D・フィー教きょう授じゅもこう書かいています。「歴れき史し書しょにも聖せい書しょにも,そのようなバプテスマが行おこなわれたという記き録ろくはない。新しん約やく聖せい書しょにはその点てんについて何なに一ひとつ書かかれていない。また,その後ごの数すう百ひゃく年ねんにおいて,教きょう会かいやクリスチャンの間あいだでそのようなことが行おこなわれていた,という証しょう拠こもない」。

聖せい書しょによると,イエスは弟で子したちに,「全すべての国くにの人ひと々びとを弟で子しとしなさい。……バプテスマを施ほどこし,私わたしが命めい令れいした事こと柄がら全すべてを守まもるように教おしえなさい」と命めいじました。(マタ 28:19,20)人ひとがバプテスマを受うけた弟で子しになるためには,エホバとイエスについて学まなび,信しん仰こうを持もち,エホバとイエスに従したがう必ひつ要ようがあります。すでに死しんだ人ひとにはそうしたことはできませんし,生いきているクリスチャンが死しんだ人ひとのためにそうすることもできません。(伝でん 9:5,10。ヨハ 4:1。コリ一いち 1:14-16)

では,パウロは何なにを言いおうとしていたのでしょうか。

コリントのクリスチャンの中なかには,死し者しゃの復ふっ活かつなどない,と言いう人ひとたちがいました。(コリ一いち 15:12)パウロはその人ひとたちの考かんがえ方かたが間ま違ちがっていることを示しめしました。パウロの説せつ明めいによると,パウロは「日ひ々び,死しに面めんして」いました。いろいろと危き険けんな目めに遭あっていたのです。それでも,死しんだ後あと,イエスのように天てんでの命いのちに復ふっ活かつさせられるということを確かく信しんしていました。(コリ一いち 15:30-32,42-44)

コリントのクリスチャンが理り解かいする必ひつ要ようがあったのは,天てんに行いくよう選えらばれたクリスチャンは日ひ々び試し練れんに直ちょく面めんして死しに,その後あと復ふっ活かつさせられる,ということでした。「キリスト・イエスへのバプテスマ」を受うけることは,「キリストの死しへのバプテスマ」を受うけることを意い味みしていました。(ロマ 6:3)ですから,このバプテスマを受うけた人ひとは,文も字じ通どおり死しに,天てんに復ふっ活かつさせられることになります。

イエスは,水みずのバプテスマを受うけた数すう年ねん後ご,2人ふたりの使し徒とたちにこう言いいました。「あなたたちは……私わたしが受うけているバプテスマを受うけるでしょう」。(マル 10:38,39)イエスはこの時とき,水みずのバプテスマではなく「死しへのバプテスマ」のことを言いっていました。自じ分ぶんは神かみへの忠ちゅう実じつを保たもって死しぬことになる,と言いっていたのです。パウロは,天てんに行いく人ひとたちが「共ともに栄えい光こうを受うけるため,共ともに苦くるしむ」ことになる,と書かきました。(ロマ 8:16,17。コリ二に 4:17)ですから,そうした人ひとたちも天てんに復ふっ活かつさせられるためには死しななければならないのです。

それで,パウロの言こと葉ばを正せい確かくに伝つたえようとすると,こうなります。「そうでなければ,死しんだ者ものとなるためにバプテスマを受うけている人ひとたちは,どうなるでしょうか。死し者しゃが生いき返かえらされないのであれば,どうしてそのような者ものとなるためにバプテスマを受うけているのでしょうか」。

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