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イエス 道,真理,命
イ道 103章 240ページ–241ページ 1節
イエスが両替屋の台を倒しているところ

103章

神しん殿でんを再ふたたび清きよめる

マタイ 21:12,13,18,19 マルコ 11:12-18 ルカ 19:45-48 ヨハネ 12:20-27

  • イエスはイチジクの木きに災わざわいを宣せん告こくし,神しん殿でんを清きよめる

  • 多おおくの人ひとに命いのちを与あたえるために,イエスは死しななければならない

イエスと弟で子したちはエリコを出でてベタニヤに着つき,そこに3泊ぱくします。そして,ニサン10日かの月げつ曜よう日びの早そう朝ちょうにエルサレムに向むかいます。イエスは空くう腹ふくだったので,イチジクの木きを見みつけて近ちか寄よります。実みはあったでしょうか。

今いまは3月がつの終おわりごろで,イチジクが実みを付つけるのは6月がつ以い降こうです。でも,この木きは普ふ通つうよりも早はやく葉はを付つけています。ですからイエスは,季き節せつ外はずれの食たべ頃ごろの実みがなっているのではないかと思おもいます。しかし,期き待たいは外はずれました。葉はが出でていたので実みはあるはずなのに,一ひとつもなかったのです。それでイエスは,「もう二に度どと実みがならないように」と言いいます。(マルコ 11:14)すると,イチジクの木きはすぐに枯かれ始はじめます。その意い味みは次つぎの日ひの朝あさに明あきらかになります。

しばらくして,イエスと弟で子したちはエルサレムに到とう着ちゃくします。イエスは前まえの日ひの午ご後ご,神しん殿でんをあちこち見みて回まわりましたが,今こん度どはそれだけでは終おわりません。3年ねん前まえの西せい暦れき30年ねんの過すぎ越こしの時ときと同おなじような行こう動どうを取とったのです。(ヨハネ 2:14-16)「神しん殿でんで売うり買かいしている人ひとたち」を追おい出だし,「両りょう替がえ屋やの台だいと,ハトを売うる人ひとの腰こし掛かけを倒たお」します。(マルコ 11:15)物ものを運はこぶために近ちか道みちして神しん殿でんの中なか庭にわを通とおることも,許ゆるしません。

神しん殿でんで両りょう替がえしたり売うり買かいしたりしている人ひとたちにイエスがこれほどの行こう動どうを取とったのはなぜですか。イエスは言いいます。「『私わたしの家いえは全すべての国くにの人ひと々びとのための祈いのりの家いえと呼よばれる』と書かいてあるではありませんか。それなのに,あなた方がたはそれを強ごう盗とうの洞どう窟くつとしました」。(マルコ 11:17)イエスは彼かれらを強ごう盗とうと呼よびました。彼かれらが,犠ぎ牲せい用ようの動どう物ぶつを買かう必ひつ要ようのある人ひとたちに途と方ほうもなく高こう額がくの料りょう金きんを請せい求きゅうしていたからです。イエスはそういうやり方かたを,ゆすりや強ごう盗とうと考かんがえています。

祭さい司し長ちょう,律りっ法ぽう学がく者しゃ,民たみの主おも立だった人ひとたちは,イエスが行おこなったことを聞きいて,イエスを殺ころす決けつ意いをますます固かためます。しかし,1つ問もん題だいがありました。どうしたらイエスを殺ころせるか,その方ほう法ほうが分わかりません。イエスの周まわりには,話はなしを聞きこうとして人ひとだかりができているからです。

過すぎ越こしの祭まつりには,ユダヤ人じんだけでなく改かい宗しゅう者しゃ,つまりユダヤ教きょうの信しん者じゃになった人ひとたちもやって来きます。その中なかにはギリシャ人じんたちもいて,フィリポを通とおしてイエスに面めん会かいを申もうし込こみます。フィリポというギリシャ名めいが気きに入いったのかもしれません。しかしフィリポは,彼かれらをイエスに会あわせてよいかどうか判はん断だんがつかなかったようです。それでアンデレに相そう談だんし,2人ふたりでイエスに知しらせに行いきます。イエスはまだ神しん殿でんにいるはずです。

イエスは自じ分ぶんが数すう日じつ後ごに死しぬことを知しっています。ですから,今いまは人ひと々びとの好こう奇き心しんを満まん足ぞくさせたり人にん気き集あつめをしたりする時ときではありません。それでフィリポとアンデレに例たとえを使つかって,こう答こたえます。「人ひとの子こが栄えい光こうを受うける時ときが来きました。はっきり言いっておきます。1粒つぶの小こ麦むぎは地じ面めんに落おちて死しなない限かぎり,ただ1粒つぶのままです。しかし,死しぬなら,多おおくの実みを結むすびます」。(ヨハネ 12:23,24)

1粒つぶの小こ麦むぎはわずかな価か値ちしかないように見みえます。それでも,種たねが土つちに落おちて「死しぬ」なら,芽めを出だして成せい長ちょうし,やがて多おおくの実みを結むすびます。完かん全ぜんであったイエスも1人ひとりの人にん間げんですが,神かみに忠ちゅう実じつを保たもって死しぬなら,多おおくの人ひとに命いのちを与あたえる経けい路ろとなります。イエスのように進すすんで自じ分ぶんを差さし出だす人ひとたちに,永えい遠えんの命いのちを与あたえることができるのです。それでイエスはこう語かたります。「自じ分ぶんの命いのちに執しゅう着ちゃくする人ひとはそれを失うしないますが,この世よで自じ分ぶんの命いのちを惜おしまない人ひとは,それを保たもって永えい遠えんの命いのちを得えます」。(ヨハネ 12:25)

イエスは自じ分ぶんのことだけを考かんがえて話はなしていたのではありません。こう言いったからです。「私わたしに仕つかえようと思おもう人ひとは,私わたしの後あとに従したがいなさい。私わたしがいる所ところにその人ひともいることになります。私わたしに仕つかえようと思おもう人ひとは,天てんの父ちちに尊とうとばれます」。(ヨハネ 12:26)素す晴ばらしい報むくいです。天てんの父ちちに尊とうとばれる人ひとは,王おう国こくでキリストの仲なか間まとなるのです。

イエスは,間まもなく経けい験けんする大おおきな苦くるしみと死しについて考かんがえ,「今いま私わたしの心こころは騒さわぎます。何なんと言いえばよいのでしょう。父ちちよ,私わたしをこの事じ態たいから救すくい出だしてください」と祈いのります。でもイエスは,逃にげたがっているのではありません。それで,「しかしやはり,私わたしはまさにこのために来きたのです」と言いいます。(ヨハネ 12:27)イエスは,神かみの目もく的てき全すべてに同どう意いしており,自じ分ぶんが犠ぎ牲せいの死しを遂とげることも受うけ入いれています。

  • まだイチジクの実みがなる季き節せつではなかったのに,イエスが実みを期き待たいしたのはなぜですか。

  • イエスが神しん殿でんで商しょう売ばいをしていた人ひとを「強ごう盗とう」と呼よんだのは,なぜ正ただしいことですか。

  • イエスはどのような意い味みで1粒つぶの小こ麦むぎのようですか。イエスは間まもなく経けい験けんする自じ分ぶんの苦くるしみと死しについて,どう感かんじていましたか。

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