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エホバに近づきなさい
近 第26章 260–269ページ
男性が祈っている。

第26章

神かみは「快こころよく許ゆるしてくださいます」

1-3. (ア)ダビデが苦くるしんでいたのはどうしてですか。どんなことを理り解かいして気き持もちが楽らくになりましたか。(イ)私わたしたちも罪つみを犯おかすとどんな気き持もちになるかもしれませんか。でも聖せい書しょによると,エホバは何なにをしてくれますか。

ダビデはかつてこう書かきました。「私わたしの過あやまちは頭あたまの上うえに高たかく積つみ重かさなる。負おい切きれない重おもい荷に物もつのように。私わたしは感かん覚かくを失うしない,完かん全ぜんに打うちのめされ[た]」。(詩し編へん 38:4,8)ダビデは,罪つみの意い識しきが心こころに重おもくのしかかり,とても苦くるしんでいました。でも,あることを理り解かいして気き持もちが楽らくになりました。エホバは罪つみを憎にくんでいるものの,罪つみを犯おかした人ひとが本ほん当とうに悔くい改あらためて罪つみ深ぶかい生いき方かたをやめるなら,その人ひとを憎にくんだりはしない,ということです。ダビデは,悔くい改あらためた人ひとにエホバが憐あわれみを示しめしてくれることを確かく信しんし,「エホバ,あなたは……快こころよく許ゆるしてくださいます」と言いいました。(詩し編へん 86:5)

2 私わたしたちも,罪つみを犯おかしてしまって良りょう心しんが痛いたみ,とてもつらい気き持もちになることがあるかもしれません。後こう悔かいし反はん省せいするのは良よいことです。何なんとかして自じ分ぶんの過あやまちを正ただそうという気き持もちになるからです。でも,罪つみの意い識しきに押おしつぶされてしまう危き険けんもあります。自じ分ぶんは駄だ目めだ,どんなに悔くい改あらためてもエホバは許ゆるしてくれない,と思おもい込こんでしまうかもしれません。もし「あまりの悲かなしみに打うちのめされて」,自じ分ぶんにはエホバに仕つかえる資し格かくなんてないと考かんがえて諦あきらめてしまうなら,サタンの思おもうつぼです。(コリント第だい二に 2:5-11)

3 エホバは,罪つみを犯おかした人ひとを見み限かぎったりするでしょうか。決けっしてそんなことはありません。エホバは私わたしたちを深ふかく愛あいしているので,許ゆるしてくれます。聖せい書しょに書かかれている通とおり,私わたしたちが心こころから悔くい改あらためるなら,快こころよく許ゆるしてくれるのです。(格かく言げん 28:13)では,自じ分ぶんはエホバから許ゆるしてもらえないなどと考かんがえてしまうことがないように,エホバがなぜ,どのように許ゆるすのかを調しらべてみましょう。

エホバが「快こころよく許ゆるして」くれるのはなぜか

4. エホバは私わたしたちについてどんなことを分わかっていますか。そのため私わたしたちをどのように扱あつかってくれますか。

4 エホバは私わたしたちに限げん界かいがあることをよく分わかっています。詩し編へん 103編ぺん14節せつにはこう書かかれています。「神かみは私わたしたちの造つくりをよく知しっている。私わたしたちが土つちでできているにすぎないことを覚おぼえている」。私わたしたちが土つちでできていて,不ふ完かん全ぜんでいろいろな欠けっ点てんや弱じゃく点てんがあることを,神かみは思おもいやってくれます。「私わたしたちの造つくり」を知しっているという表ひょう現げんから,聖せい書しょの中なかでエホバが陶とう芸げい家かに例たとえられていることが思おもい出だされます。私わたしたちは,エホバが粘ねん土どで作つくる器うつわのようです。(エレミヤ 18:2-6)素す晴ばらしい陶とう芸げい家かであるエホバは,私わたしたちが罪つみ深ぶかくて弱よわいことや,神かみの導みちびきにうまく応こたえられないときもあることを理り解かいしていて,優やさしく扱あつかってくれます。

5. ローマのクリスチャンへの手て紙がみの中なかで,罪つみの強つよい影えい響きょう力りょくがどのように表ひょう現げんされていますか。

5 エホバは罪つみの影えい響きょう力りょくの強つよさもよく分わかっています。聖せい書しょによれば,罪つみはいわば人にん間げんをがっちりとつかんで死しへと引ひきずり込こみます。その力ちからはどれほど強つよいのでしょうか。ローマのクリスチャンへの手て紙がみの中なかで,使し徒とパウロはこのように説せつ明めいしています。私わたしたちは,司し令れい官かんへの絶ぜっ対たい服ふく従じゅうを要よう求きゅうされる兵へい士しのように,「罪つみの支し配はい下かに」あります。(ローマ 3:9)罪つみは王おうのように人じん類るいを「支し配はい」してきました。(ローマ 5:21)罪つみは私わたしたちの「内うちに」宿やどっています。(ローマ 7:17,20)罪つみの「律りっ法ぽう」は常つねに私わたしたちの生いき方かたをコントロールしようとしています。(ローマ 7:23,25)確たしかに不ふ完かん全ぜんな人にん間げんは,罪つみの大おおきな力ちからに束そく縛ばくされています。(ローマ 7:21,24)

6-7. (ア)心こころから悔くい改あらためて許ゆるしを求もとめる人ひとのことをエホバはどう思おもいますか。(イ)何なにをしても神かみに許ゆるされると考かんがえるべきでないのはどうしてですか。

6 私わたしたちは,エホバに従したがいたいとどれほど強つよく願ねがっていても,完かん全ぜんに従じゅう順じゅんであることはできません。エホバはそのことをよく理り解かいしていて,心こころから悔くい改あらためるなら許ゆるすと優やさしく言いってくれています。詩し編へん 51編ぺん17節せつにはこう書かかれています。「神かみに喜よろこばれる犠ぎ牲せいは,悔くいる気き持もち。後こう悔かいし,打うちのめされた心こころを,神かみよ,あなたは退しりぞけません」。罪つみの意い識しきに苦くるしみ,「後こう悔かいし,打うちのめされた」人ひとに,エホバは決けっして背せを向むけたりしません。

7 だからといって私わたしたちは,自じ分ぶんは罪つみ深ぶかいのだから仕し方かたない,何なにをしても神かみは許ゆるしてくれる,と考かんがえるべきではありません。エホバは憐あわれみ深ぶかいとはいえ,情じょうに流ながされて罪つみを大おお目めに見みたりはしません。悪わるいことだと分わかっていながら罪つみを犯おかし続つづけ,悔くい改あらためようとしない人ひとは,決けっしてエホバに許ゆるされません。(ヘブライ 10:26)一いっ方ぽう,心こころから悔くい改あらためる人ひとは,快こころよく許ゆるしてもらえます。聖せい書しょには,エホバの愛あいの素す晴ばらしい一いち面めんである許ゆるしについての美うつくしい表ひょう現げんがちりばめられています。その幾いくつかに注ちゅう目もくしてみましょう。

エホバの許ゆるしはどれほどのものか

8. エホバは私わたしたちの罪つみを許ゆるす時とき,いわばどんなことをしてくれますか。私わたしたちは何なにを確かく信しんできますか。

8 罪つみを悔くい改あらためたダビデはこう言いいました。「私わたしはついに自じ分ぶんの罪つみをあなたに告こく白はくした。過あやまちを隠かくさなかった。……すると,あなたは過あやまちと罪つみを許ゆるしてくださった」。(詩し編へん 32:5)ここで「許ゆるし[た]」と訳やくされているヘブライ語ごには,「持もち上あげる」とか「運はこぶ」という意い味みがあります。この聖せい句くでは,罪つみや違い反はんを取とり去さるという意い味みで使つかわれています。ですからエホバは,ダビデの罪つみをいわば持もち上あげて運はこび去さったのです。そのおかげで,ダビデにとって重おも荷にのようだった罪ざい悪あく感かんが和やわらいだことでしょう。(詩し編へん 32:3)私わたしたちも,イエスの贖あがないの犠ぎ牲せいに信しん仰こうを持もって許ゆるしを求もとめるなら神かみが罪つみを運はこび去さってくれる,と確かく信しんできます。(マタイ 20:28)

9. エホバは私わたしたちの罪つみを私わたしたちからどれほど遠とおくに離はなしてくれますか。

9 ダビデはイメージしやすい言こと葉ばを使つかって,エホバによる許ゆるしを次つぎのようにも表ひょう現げんしています。「日ひの出では日ひの入いりから遠とおく離はなれている。同おなじように,神かみは私わたしたちの違い反はんを私わたしたちから遠とおくに離はなしてくださった」。(詩し編へん 103:12)日ひが昇のぼる東ひがしと,日ひが沈しずむ西にしは,どれほど遠とおく離はなれているでしょうか。東ひがしと西にしは対たい極きょくにあり,決けっして交まじわることがないので,限かぎりなく遠とおく離はなれていると言いえます。ある学がく者しゃによると,この聖せい句くの表ひょう現げんは「最さい大だい限げん遠とおく離はなれている」とか「想そう像ぞうし得うる最もっとも遠とおい所ところにある」という意い味みです。ダビデが聖せいなる力ちからに導みちびかれて書かいた言こと葉ばから分わかる通とおり,エホバは私わたしたちを許ゆるす時とき,罪つみを私わたしたちから限かぎりなく遠とおくに離はなしてくれるのです。

山が雪に覆われている。

「あなたたちの罪つみは……雪ゆきのように白しろくされる」

10. エホバに罪つみを許ゆるしてもらうと,罪つみという染しみが消きえずにずっと残のこるということはありません。どうしてそう言いえますか。

10 あなたは,白しろい服ふくから染しみを抜ぬこうとしたことがありますか。いくらやっても染しみが完かん全ぜんには消きえなかったかもしれません。では,エホバは私わたしたちを許ゆるす時とき,罪つみという染しみをどれほどきれいに抜ぬいてくれるのでしょうか。聖せい書しょにこう書かかれています。「あなたたちの罪つみは緋ひのようだが,雪ゆきのように白しろくされる。紅くれないの布ぬののように赤あかいが,羊よう毛もうのようになる」。(イザヤ 1:18)「緋ひ」は明あかるい赤あかでa,「紅くれない」はよく布ぬのを染そめるのに使つかわれた濃こい赤あかです。(ナホム 2:3)私わたしたちはどんなに頑がん張ばっても,自じ分ぶんの力ちからで罪つみという染しみを抜ぬくことはできません。しかしエホバは,緋ひや紅くれないのような罪つみを,雪ゆきや染そめていない羊よう毛もうのように白しろくすることができます。エホバに罪つみを許ゆるしてもらうと,罪つみという染しみが消きえずにずっと残のこるということはないのです。

11. エホバが私わたしたちの罪つみを自じ分ぶんの後うしろに投なげ捨すてるとは,どういうことですか。

11 ヒゼキヤは,致ち命めい的てきな病びょう気きを癒いやしてもらった後あとに作つくった感かん謝しゃの歌うたの中なかで,エホバにこう言いいました。「あなたは……私わたしの全すべての罪つみをご自じ分ぶんの後うしろに投なげ捨すててくださいました」。(イザヤ 38:17)この言こと葉ばから分わかるように,エホバは悔くい改あらためた人ひとの罪つみをいわば自じ分ぶんの後うしろに投なげ捨すて,もうそれを見みることも思おもい出だすこともしません。ある聖せい書しょ辞じ典てんによると,この聖せい句くの表ひょう現げんは「あなたは[私わたしの罪つみを]まるで生しょうじなかったかのようにされた」と言いい換かえられます。エホバがそのようにしてくれると思おもうと,ほっとするのではないでしょうか。

12. 預よ言げん者しゃミカの言こと葉ばから,エホバの許ゆるしについてどんなことが分わかりますか。

12 預よ言げん者しゃミカは,悔くい改あらためた民たみをエホバが許ゆるしてくれるという確かく信しんを次つぎのような言こと葉ばで表ひょう現げんしました。「あなたのような神かみがいるでしょうか。あなたはご自じ分ぶんの財ざい産さんである民たみの残のこりの者ものの……違い反はんを見み過すごす方かた。……全すべての罪つみを深ふかい海うみの中なかに投なげ込こんでくださる」。(ミカ 7:18,19)当とう時じの人ひとたちがこの言こと葉ばを聞きいてどう思おもったか,想そう像ぞうしてみてください。「深ふかい海うみの中なかに」投なげ込こまれたものは,もう二に度どと戻もどってこなかったことでしょう。ですからミカの言こと葉ばは,エホバは許ゆるす時ときに私わたしたちの罪つみを永えい久きゅうに捨すて去さってくれるということを示しめしています。

13. イエスによると,エホバはどのように罪つみを許ゆるしてくれますか。

13 イエスは,「私わたしたちの罪つみをお許ゆるしください」と祈いのるよう教おしえました。「罪つみ」と訳やくされているギリシャ語ごには「負ふ債さい」という意い味みがあります。(マタイ 6:12,脚きゃく注ちゅう)イエスは罪つみを負ふ債さいになぞらえていたのです。(ルカ 11:4,脚きゃく注ちゅう)私わたしたちは罪つみを犯おかすと,いわばエホバに対たいして負ふ債さいを負おいます。ある聖せい書しょ辞じ典てんによると,「許ゆるす」と訳やくされているギリシャ語ご動どう詞しには「返へん済さいを請せい求きゅうせずに債さい権けんを手て放ばなす」という意い味みがあります。エホバは許ゆるす時ときに,いわば私わたしたちの負ふ債さいを帳ちょう消けしにしてくれます。そして,一いち度ど帳ちょう消けしにした負ふ債さいを蒸むし返かえしたりはしないので,罪つみを悔くい改あらためた人ひとは安あん心しんできます。(詩し編へん 32:1,2)

14. エホバが「罪つみを消けし去さって」くれるというのはどういうことですか。

14 使し徒と 3章しょう19節せつには,エホバの許ゆるしについてこう書かかれています。「罪つみを消けし去さっていただくために,悔くい改あらためて生いき方かたを変かえなさい」。「消けし去さって」と訳やくされているギリシャ語ご動どう詞しには,拭ぬぐい去さるとか抹まっ消しょうするという意い味みがあります。手て書がきの文も字じを消けすというイメージだと説せつ明めいする学がく者しゃたちもいます。聖せい書しょ時じ代だい,文も字じはどのように消けしたのでしょうか。当とう時じよく使つかわれていたインクは,すすと樹じゅ脂しと水みずを混まぜて作つくられました。そのようなインクで書かいた後あと,水みずを含ふくんだ海かい綿めんで拭ぬぐえば,文も字じを消けすことができました。エホバは私わたしたちの罪つみを許ゆるす時とき,いわば海かい綿めんで罪つみを拭ぬぐい去さってくれるのです。エホバの憐あわれみの深ふかさがよく分わかる,素す晴ばらしい表ひょう現げんです。

15. エホバは私わたしたちにどんなことを知しってほしいと思おもっていますか。

15 聖せい書しょに出でてくるこうしたいろいろな美うつくしい表ひょう現げんについて考かんがえると,どんなことがはっきり分わかるでしょうか。私わたしたちが誠せい実じつに悔くい改あらためるならエホバは快こころよく許ゆるしてくれる,ということです。エホバはそのことを私わたしたちに知しってほしいと思おもっているのです。私わたしたちは一いち度ど許ゆるされたなら,過か去この過あやまちのことで再ふたたびとがめられる心しん配ぱいはありません。聖せい書しょによれば,エホバは大おおきな憐あわれみにより,罪つみを許ゆるすだけでなく忘わすれてくれるからです。そのことについても考かんがえましょう。

エホバは自じ分ぶんが「快こころよく許ゆる[す]」ことを私わたしたちに知しってほしいと思おもっている

「彼かれらの罪つみをもはや思おもい出ださない」

16-17. エホバが私わたしたちの罪つみを忘わすれるとはどういう意い味みですか。どうしてそう言いえますか。

16 エホバは,新あたらしい契けい約やくの当とう事じ者しゃたちについてこう約やく束そくしました。「私わたしは彼かれらの過あやまちを許ゆるし,彼かれらの罪つみをもはや思おもい出ださない」。(エレミヤ 31:34)これは,エホバが許ゆるした人ひとたちの罪つみを思おもい出だせなくなるということではありません。聖せい書しょには,ダビデなどエホバに許ゆるされた大おお勢ぜいの人ひとの罪つみについて書かかれています。(サムエル第だい二に 11:1-17; 12:13)エホバがその人ひとたちの罪つみを覚おぼえていることは明あきらかです。エホバは私わたしたちを教おしえるために,その人ひとたちがどんな罪つみを犯おかし,どのように悔くい改あらためて許ゆるされたかを記き録ろくさせました。(ローマ 15:4)では,エホバが許ゆるした人ひとたちの罪つみを「思おもい出ださない」とはどういうことでしょうか。

17 「思おもい出だす」と訳やくされるヘブライ語ごの動どう詞しには,単たんに過か去こを思おもい起おこす以い上じょうの意い味みがあります。「旧きゅう約やく聖せい書しょの神しん学がく用よう語ご集しゅう」(英えい語ご)によると,その言こと葉ばには「適てき切せつな行こう動どうを取とるという付ふ加か的てきな意い味み合あい」が含ふくまれています。ですから,神かみが罪つみを「覚おぼえてい[る]」ことには,罪つみを犯おかした人ひとを処しょ罰ばつすることが伴ともないます。(ホセア 9:9)逆ぎゃくに,神かみが罪つみを「思おもい出ださない」というのは,悔くい改あらためた人ひとを一いち度ど許ゆるしたなら,もうその罪つみのことでその人ひとを処しょ罰ばつしたりはしない,ということです。(エゼキエル 18:21,22)エホバは,何なにかにつけて私わたしたちの過か去この罪つみを持もち出だしたりはしないという意い味みで,罪つみを忘わすれてくれるのです。神かみが私わたしたちの罪つみを許ゆるし,なおかつ忘わすれてくれるということが分わかると,気き持もちが楽らくになるのではないでしょうか。

罪つみの報むくいについてはどうか

18. 罪つみを悔くい改あらためて許ゆるされても,罪つみの報むくいを全まったく受うけずに済すむわけではありません。どうしてそう言いえますか。

18 エホバが快こころよく許ゆるしてくれるということは,悔くい改あらためた人ひとは自じ分ぶんの犯おかした罪つみの報むくいを全まったく受うけずに済すむということでしょうか。そうではありません。パウロは,「人ひとは自じ分ぶんがまいているものを必かならず刈かり取とることになります」と書かきました。(ガラテア 6:7)間ま違ちがった行こう動どうには,何なんらかの代だい償しょうが伴ともなうものです。これは,エホバが私わたしたちを許ゆるしておきながら苦くるしい目めに遭あわせる,ということではありません。クリスチャンは問もん題だいが起おきたとき,「これはエホバからの罰ばつかもしれない」と考かんがえるべきではありません。(ヤコブ 1:13)とはいえエホバは,私わたしたちの間ま違ちがった行おこないのせいで起おきる悪わるい事こと柄がら全すべてから私わたしたちを守まもるわけではありません。罪つみを犯おかした人ひとは,離り婚こんすることになったり,望のぞまない妊にん娠しんをしたり,性せい感かん染せん症しょうにかかったり,信しん頼らいや敬けい意いを失うしなったりするかもしれません。バテ・シバと姦かん淫いんをしてウリヤを殺ころしたダビデは,エホバに許ゆるされましたが,罪つみのせいで悲ひ惨さんな経けい験けんをすることになりました。(サムエル第だい二に 12:9-12)

19-21. (ア)レビ記き 6章しょう1-7節せつに書かかれている規き定ていは,どのように被ひ害がい者しゃと加か害がい者しゃ双そう方ほうのためになりましたか。(イ)罪つみを犯おかして人ひとを傷きずつけてしまった場ば合あい,どうするならエホバに喜よろこばれますか。

19 罪つみを犯おかして人ひとを傷きずつけてしまった場ば合あいには,罪つみを償つぐなう必ひつ要ようもあることでしょう。一いち例れいとして,レビ記き 6章しょうに書かかれていることを考かんがえてみましょう。モーセの律りっ法ぽうのその部ぶ分ぶんでは,人ひとが仲なか間まの物ものを盗ぬすんだり,脅おどし取とったり,だまし取とったりするという重じゅう大だいな過あやまちを犯おかした場ば合あいのことが取とり上あげられています。その人ひとは,何なんの罪つみも犯おかしていないといううその誓ちかいさえします。証しょう拠こ不ふ十じゅう分ぶんで無む罪ざいになりますが,後のちに良りょう心しんの呵か責しゃくを感かんじて罪つみを告こく白はくします。罪つみを神かみに許ゆるしてもらうには,3つのことを行おこなわなければなりません。取とった物ものを返かえし,さらにその物ものの価か値ちの20%分ぶんを支し払はらい,有ゆう罪ざいの捧ささげ物ものとして雄お羊ひつじを差さし出だします。その後ご,「祭さい司しはその人ひとのためにエホバの前まえで贖しょく罪ざいを行おこない,その人ひとは……許ゆるされ」ます。(レビ記き 6:1-7)

20 この規き定ていには神かみの憐あわれみが表あらわれていました。被ひ害がい者しゃと加か害がい者しゃ双そう方ほうのためになったからです。被ひ害がい者しゃは持もち物ものを取とり戻もどせましたし,加か害がい者しゃが罪つみを認みとめた時ときにはほっとしたことでしょう。悔くい改あらためて罪つみを告こく白はくした加か害がい者しゃは,自じ分ぶんの罪つみを償つぐなうことができ,神かみに許ゆるしてもらえました。

21 現げん代だいではモーセの律りっ法ぽうは無む効こうですが,私わたしたちはその律りっ法ぽうから,許ゆるすことについてのエホバの考かんがえをよく知しることができます。(コロサイ 2:13,14)罪つみを犯おかして人ひとを傷きずつけてしまった場ば合あい,問もん題だいを解かい決けつするためにできる限かぎりのことをするなら,神かみに喜よろこばれます。(マタイ 5:23,24)自じ分ぶんの罪つみを認みとめ,被ひ害がい者しゃに謝しゃ罪ざいする必ひつ要ようがあるでしょう。そして,イエスの犠ぎ牲せいに基もとづいてエホバに許ゆるしを求もとめます。そうすれば,許ゆるしてもらえたことを確かく信しんし,安あん心しんできます。(ヘブライ 10:21,22)

22. エホバは許ゆるした人ひとにどんなことをする場ば合あいもありますか。

22 子こ供どもを思おもう親おやのように,エホバは許ゆるした人ひとを矯きょう正せいしたり戒いましめたりすることもあります。(格かく言げん 3:11,12)例たとえば,クリスチャンは悔くい改あらためたとしても,長ちょう老ろうや援えん助じょ奉ほう仕し者しゃや開かい拓たく者しゃとして奉ほう仕しできなくなるかもしれません。自じ分ぶんが大たい切せつに思おもっていた奉ほう仕しがしばらくできなくなるのはつらいことでしょう。しかし,そのような形かたちで矯きょう正せいが与あたえられたとしても,エホバに許ゆるしてもらえていないわけではありません。エホバは私わたしたちを愛あいしているからこそ矯きょう正せいしてくれる,ということを覚おぼえておきましょう。矯きょう正せいを受うけ入いれることは,必かならず私わたしたちのためになります。(ヘブライ 12:5-11)

23. エホバが許ゆるしてくれるはずはないと考かんがえるべきでないのはどうしてですか。エホバに倣ならって人ひとを許ゆるすべきなのはどうしてですか。

23 神かみが「快こころよく許ゆるして」くれることが分わかると,とても心こころ強づよく感かんじます。自じ分ぶんはとても悪わるいことをしてしまった,エホバが許ゆるしてくれるはずはない,と考かんがえる必ひつ要ようはありません。私わたしたちが本ほん当とうに悔くい改あらため,できる限かぎりのことをして罪つみを償つぐない,イエスの犠ぎ牲せいに基もとづいて真しん剣けんに許ゆるしを祈いのり求もとめるなら,エホバに許ゆるしてもらえると確かく信しんできます。(ヨハネ第だい一いち 1:9)ぜひエホバに倣ならって,私わたしたちも人ひとを許ゆるしましょう。決けっして罪つみを犯おかすことがないエホバがこれほどまでに愛あい情じょう深ぶかく許ゆるしてくれるのですから,罪つみ深ぶかい私わたしたちはなおのこと許ゆるし合あうべきではないでしょうか。

a ある学がく者しゃは緋ひについてこう述のべています。「緋ひはあせない色いろ,落おちない色いろだった。緋ひ色いろの布ぬのは,露つゆや雨あめにぬれても,洗せん濯たくしても,長ながく使つかっても,色いろが抜ぬけることはなかった」。

じっくり考かんがえたいこと

  • 歴れき代だい第だい二に 33:1-13 エホバがマナセを許ゆるしたのはどうしてですか。そのことから神かみの憐あわれみについてどんなことが分わかりますか。

  • マタイ 6:12,14,15 人ひとを許ゆるせる十じゅう分ぶんな理り由ゆうがある場ば合あい,許ゆるすのはなぜ大たい切せつなことですか。

  • ルカ 15:11-32 この例たとえ話ばなしから,人ひとを許ゆるす時ときのエホバの気き持もちについてどんなことが分わかりますか。そのことを考かんがえると,あなたはどんな気き持もちになりますか。

  • コリント第だい二に 7:8-11 神かみに許ゆるしてもらうにはどんなことをする必ひつ要ようがありますか。

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