エルサレムから3㌔ほど離れたオリーブ山の東斜面に,ベタニヤという村があります。(ヨハネ 11:18)イエスはその村に住む友人,マルタとマリアという2人の姉妹またその兄弟ラザロを訪ね,温かく歓迎されます。
メシアを客として迎えるのは大変名誉なことです。マルタはイエスをもてなすため,手の込んだ食事を準備しています。一方,マリアはイエスの足元に座り,話を聞いています。やがて,マルタがイエスにこう言います。「主よ,マリアが私だけに用事をさせていることを何とも思わないのですか。手伝うよう言ってください」。(ルカ 10:40)
イエスはマリアを叱らず,食事の準備に注意を奪われているマルタにこう言います。「マルタ,マルタ,あなたは多くのことに気を遣ってかき乱されています。でも,必要なのはわずかなもの,というより1つだけです。マリアは良いものを選びました。それが彼女から取り上げられることはありません」。(ルカ 10:41,42)イエスは,たくさんの料理を出すために多くの時間をかける必要はないと教えていました。簡単な食事で十分でした。
マルタの動機は良いものです。イエスをもてなしたかったのです。でも,食事のことに気を取られ過ぎて,神の子から貴重な教えを学ぶチャンスを逃しています。イエスはマリアが賢い選択をしたと強調しました。その選択はマリアの人生にとって大きな祝福となります。私たちもマリアから大切な教訓を学べます。
別の時にもイエスは,弟子たちに重要なことを教えます。ある弟子が,「主よ,私たちに祈り方を教えてください。ヨハネも弟子たちに教えました」と頼んだ時のことです。(ルカ 11:1)イエスは約1年半前に山上の垂訓で祈り方を教えました。(マタイ 6:9-13)この弟子はその場にいなかったのかもしれません。それでイエスは同じ内容をもう一度教えます。そして例えを使い,粘り強く祈らなければならないということを強調します。
「あなたたちの1人が真夜中に友人の所に行って,こう言ったとしましょう。『友よ,パンを3つ貸してください。友人が旅の途中で今うちに来たのですが,出す物が何もありません』。しかし,その人は中からこう答えます。『無理なことを言わないでください。もう戸には鍵を掛け,幼い子供たちが私と一緒に寝ています。起きて行って何かをあげることはできません』。あなたたちに言いますが,その人は,友人だという理由で起きて来て何かを与えることはないとしても,執拗に頼むなら,必ず起きて来て何でも必要とする物を与えてくれます」。(ルカ 11:5-8)
エホバは私たちの願いになかなか応じない方ではありません。友人が,気が進まないとしても粘り強く頼まれた時に願いを聞くのであれば,愛ある天の父はなおのこと忠実な人の誠実な願いを聞いて行動してくださるのです。イエスはさらにこう言います。「求め続けなさい。そうすれば与えられます。探し続けなさい。そうすれば見つかります。たたき続けなさい。そうすれば開かれます。求めている人は受け,探している人は見つけ,たたいている人には開かれるのです」。(ルカ 11:9,10)
イエスは人間の父親と神を比較することで要点を強調します。「あなたたちのうちどの父親が,自分の子から魚を求められて,魚ではなく蛇を渡すでしょうか。また,卵を求められて,サソリを渡すでしょうか。それで,あなたたちが邪悪な人間でありながら,子供に良い贈り物を与えることを心得ているのであれば,まして天の父は,ご自分に求めている人に聖霊を与えてくださるのです」。(ルカ 11:11-13)ですから私たちは,神が願いを喜んで聞き,私たちのために行動してくださることを確信できます。