ヤイロは,出血に悩まされていた女性をイエスが癒やすのを見ました。「今ごろはもう,私の娘は死んでしまったに違い[ない]」という気持ちもありますが,イエスなら絶対に助けてくれると思います。(マタイ 9:18)少女に助かる見込みはあるのでしょうか。
癒やされた女性とイエスがまだ話しているうちに,ヤイロの家から何人かの人が来てこう報告します。「娘さんは亡くなりました。もう先生を煩わさなくてもいいのではありませんか」。(マルコ 5:35)
何と悲しい知らせでしょう。この地域で大変尊敬されているヤイロですが,どうすることもできません。一人娘が亡くなったのです。しかし,この報告を聞いたイエスはヤイロの方を向き,こう励まします。「心配は要りません。ただ信仰を抱きなさい」。(マルコ 5:36)
イエスはヤイロに付き添って家に向かいます。到着すると,たくさんの人たちが騒ぎ立てています。泣いて大声を上げたり,胸をたたいて悲しんだりしていたのです。そこでイエスは中に入り,「子供は死んだのではなく,眠っているのです」という驚くようなことを言います。(マルコ 5:39)これを聞いた人たちはイエスをばかにして笑い始めます。少女が実際に死んだことを知っているからです。しかしイエスは,神から与えられた力で人を復活させられることを示します。それは,ぐっすり眠っている人を起こすかのようなものです。
イエスは,ペテロ,ヤコブ,ヨハネ,そして少女の両親以外の全員を家の外に出します。それから皆で亡くなった少女が横たわっている所に行きます。イエスは少女の手を取り,「タリタ クミ」と言います。これは訳すと,「少女よ,さあ,起きなさい!」という意味です。(マルコ 5:41)すると,少女はすぐに起き上がり,立って歩き始めます。ヤイロと妻がどれほど喜んだか想像できますか。少女が本当に生きていることを示すため,イエスは何か食べ物を少女に与えるようにと言います。
これまでもイエスは癒やした人たちに,何が起きたかを大勢の人に話さないよう命じていましたが,今回も少女の両親にそう命じます。それでも,このニュースは「その地方全体に」広まります。(マタイ 9:26)死んでいた人が生き返るのを見たなら興奮して話したくなるのも当然かもしれません。これは,イエスが死んだ人を復活させた2番目の例です。