イエスはエリコを出てベタニヤに向かいます。途中,険しい山道を20㌔も歩いて登らなければなりません。エリコは海面より250㍍ほど低い所,ベタニヤは海面より600㍍以上高い所にあります。ラザロは2人の姉妹たちとベタニヤの小さな村で暮らしています。エルサレムから約3㌔離れた,オリーブ山の東斜面にある村です。
過ぎ越しを祝うため,多くのユダヤ人がすでにエルサレムに到着しています。死体に触ったりすると汚れてしまうので,「儀式上の清めをするために」早く来るのです。(ヨハネ 11:55。民数記 9:6-10)早く着いて神殿に集まっている人たちは,イエスが過ぎ越しの祭りに来るかどうか予想し合っています。(ヨハネ 11:56)
いろいろな意見が飛び交います。宗教指導者の中には,イエスを捕まえて殺したいと思っている人もいます。実際彼らは,イエスの居場所が分かったなら通報するよう命令していました。「イエスを捕まえるため」です。(ヨハネ 11:57)彼らは以前にも,ラザロを復活させた後にイエスを殺そうとしたことがあります。(ヨハネ 11:49-53)それで,そもそもイエスが人の大勢いる所に現れるかどうか分からない,と考える人もいます。
イエスは「過ぎ越しの6日前」の金曜日に,ベタニヤに到着します。(ヨハネ 12:1)日没と同時に新しい日(ニサン8日,安息日)が始まるので,イエスは金曜の夕方までにこの旅を終えていました。金曜の日没から土曜の日没までは安息日であり,安息日の旅行はユダヤ人の律法で禁じられていました。ですから,イエスがその間にエリコからベタニヤまで旅をしたとは考えられません。ベタニヤでは,以前と同じようにラザロの家に行ったものと思われます。
ベタニヤに住むシモンがイエスと友人たちを土曜の夕食に招待します。ラザロも招かれています。シモンは「重い皮膚病だった」とされています。きっとイエスに癒やしてもらったのでしょう。働き者のマルタは,彼女らしく客たちにこまやかな心配りをしています。マリアはというと,イエスに特別の気遣いを示します。しかし,今回はそれがきっかけで,ある議論を引き起こします。
マリアは,「香油,純粋のナルド[が]1ポンド」入っている雪花石こうの容器,つまり小さなつぼのふたを開けます。(ヨハネ 12:3)この香油は大変高価なもので,値段は1年分の給料(300デナリ)に相当します。その香油をマリアはイエスの頭と足に注ぎ,髪の毛で拭きます。すると家中に良い香りが広がります。
ところが弟子たちは腹を立てて,「この香油をどうして無駄遣いするのか」と言います。(マルコ 14:4)ユダ・イスカリオテも,「どうしてこの香油を300デナリで売って,貧しい人たちに施しをしなかったのか」と批判します。(ヨハネ 12:5)ユダがそう言ったのは,貧しい人たちのことを本当に気に掛けていたからではなく,自分が管理していた弟子たちの金箱からお金を盗んでいたからです。
イエスはマリアをかばい,こう言います。「なぜこの女性を困らせようとするのですか。私に立派なことをしてくれたのです。貧しい人たちはずっといますが,私はずっといるわけではありません。この女性がこの香油を私の体に付けたのは,私が葬られる時のための準備です。はっきり言いますが,世界中どこでもこの良い知らせが伝えられる所では,この女性がしたことも語られ,思い起こされます」。(マタイ 26:10-13)
イエスはベタニヤに1日以上滞在しているので,そのことが知れ渡り,大勢の人がイエスや「生き返らされたラザロ」を見るためにシモンの家にやって来ます。(ヨハネ 12:9)それを知ると祭司長たちは,イエスもラザロも殺そうと相談します。ラザロが生きていると,たくさんの人がイエスに信仰を抱いてしまうと考えているのです。本当に邪悪な人たちです。