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  • ユダヤ人は神の声を聞いて信仰を示すか

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  • ユダヤ人は神の声を聞いて信仰を示すか
  • イエス 道,真理,命
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イエス 道,真理,命
イ道 104章 242ページ–243ページ 2節
イエスが「父よ,お名前を栄光あるものとしてください」と祈った後,そばに立っているユダヤ人たちが神の声を聞いているところ

104章

ユダヤ人じんは神かみの声こえを聞きいて信しん仰こうを示しめすか

ヨハネ 12:28-50

  • 多おおくの人ひとが神かみの声こえを聞きく

  • 裁さばきの根こん拠きょ

ニサン10日かの月げつ曜よう日び,イエスは自じ分ぶんの死しが迫せまっていることについて話はなします。神かみの評ひょう判ばんに傷きずが付つくことを心しん配ぱいしたイエスは,「父ちちよ,お名な前まえを栄えい光こうあるものとしてください」とお願ねがいします。すると天てんから大おおきな声こえがして,「私わたしはすでにそれを栄えい光こうあるものとし,再ふたたび栄えい光こうあるものとする」と言いいます。(ヨハネ 12:27,28)

そばにいた人ひと々びとは動どう揺ようします。雷かみなりの音おとだと考かんがえた人ひとも,「天てん使しが彼かれに話はなし掛かけたのだ」と言いう人ひともいます。(ヨハネ 12:29)しかし,人ひと々びとが聞きいたのはエホバの声こえでした。イエスに関かんして話はなす神かみの声こえを人にん間げんが聞きいたのは,これが最さい初しょではありません。

その3年ねん半はん前まえ,バプテストのヨハネも神かみの声こえを聞きいています。イエスがバプテスマを受うけた時ときに,「これは私わたしの愛あいする子こ,私わたしはこの子このことを喜よろこんでいる」という声こえがしたのです。また,西せい暦れき32年ねんの過すぎ越こしの後あと,ヤコブとヨハネとペテロも,目めの前まえでイエスの姿すがたが変かわった時ときに,神かみがこう言いうのを聞ききました。「これは私わたしの愛あいする子こ,私わたしはこの子このことを喜よろこんでいる。彼かれの言いうことを聞ききなさい」。(マタイ 3:17; 17:5)しかし3度ど目めの今こん回かい,エホバは大おお勢ぜいの人ひとが聞きけるように語かたっています。

イエスは,「この声こえがしたのは,私わたしのためではなく,皆みなさんのためです」と言いいます。(ヨハネ 12:30)この神かみの声こえは,イエスがまさしく神かみの子こ,予よ告こくされたメシアであることの証しょう拠こです。

イエスの忠ちゅう実じつな生いき方かたにより,人ひとはどう生いきるべきかが示しめされました。また,世よの支し配はい者しゃサタンは滅ほろぼされるべきであることもはっきりしました。イエスは言いいます。「今いま,この世よの裁さばきがなされています。もうこの世よの支し配はい者しゃは追おい出だされます」。イエスの死しは敗はい北ぼくではなく勝しょう利りです。その理り由ゆうは,「私わたしの方ほうは,地ちから上あげられたなら,あらゆる人ひとを私わたしに引ひき寄よせます」というイエスの言こと葉ばから分わかります。(ヨハネ 12:31,32)イエスは杭くいに掛かけられて死しぬことにより,人ひと々びとを自じ分ぶんに引ひき寄よせ,永えい遠えんの命いのちへの道みちを開ひらきます。

人ひと々びとは,「上あげられ[る]」という言こと葉ばを聞きいてこう尋たずねます。「私わたしたちは,キリストが永えい久きゅうにとどまると律りっ法ぽうにあるのを聞ききました。人ひとの子こが上あげられなければならないと言いうのはなぜですか。人ひとの子ことは誰だれですか」。(ヨハネ 12:34)イエスが本ほん当とうに神かみの子こであり,約やく束そくされたメシアである証しょう拠こはたくさんあります。神かみの声こえがしたのもその1つです。でも,ほとんどの人ひとは信しんじません。

イエスは再ふたたび,自じ分ぶんは「光ひかり」であると言いいます。(ヨハネ 8:12; 9:5)そして人ひと々びとにこう勧すすめます。「光ひかりはもうしばらく皆みなさんの間あいだにあります。光ひかりがあるうちに歩あるきなさい。闇やみに征せい服ふくされないためです。……光ひかりがあるうちに光ひかりに信しん仰こうを抱いだきなさい。光ひかりの子ことなるためです」。(ヨハネ 12:35,36)そう言いってから,身みを隠かくします。ニサン10日かは死しぬべき日ひではないからです。「上あげられ[る]」,つまり杭くいにくぎ付づけにされるのは,ニサン14日かの過すぎ越こしの日ひでなければなりません。(ガラテア 3:13)

イエスの伝でん道どう活かつ動どうを振ふり返かえると分わかりますが,ユダヤ人じんがイエスに信しん仰こうを示しめさないことによって,預よ言げんが実じつ現げんしています。イザヤの預よ言げんによると,人ひと々びとは目めを見みえなくされ,心こころを固かたくされるので,生いき方かたを変かえて癒いやされるということがありません。(イザヤ 6:10。ヨハネ 12:40)ほとんどのユダヤ人じんは頑がん固こで,イエスが約やく束そくされた救きゅう出しゅつ者しゃであり命いのちの道みちである証しょう拠こを認みとめないのです。

しかし,ニコデモ,アリマタヤのヨセフ,そして多おおくの支し配はい者しゃたちがイエスに「信しん仰こうを持も」ちます。では,その信しん仰こうを行こう動どうに表あらわしますか。それとも,会かい堂どうから追つい放ほうされることを恐おそれて,あるいは「人ひとからの称しょう賛さんを愛あいし」て,ためらうでしょうか。(ヨハネ 12:42,43)

イエスに信しん仰こうを持もつとはどういうことか,イエス自じ身しんが説せつ明めいしています。「私わたしに信しん仰こうを持もつ人ひとは,私わたしだけでなく,私わたしを遣つかわした方かたにも信しん仰こうを持もちます。また,私わたしを見みる人ひとは,私わたしを遣つかわした方かたをも見みます」。イエスが神かみから教おしえられ,人ひと々びとに伝つたえている真しん理りは,非ひ常じょうに大たい切せつなものです。ですからイエスはこう語かたります。「私わたしを無む視しして私わたしの言こと葉ばを受うけ入いれない人ひとには,その人ひとを断だん罪ざいするものがあります。私わたしが話はなした言こと葉ばです。それが終おわりの日ひに断だん罪ざいするのです」。(ヨハネ 12:44,45,48)

それから,こう締しめくくります。「私わたしは自じ分ぶんの考かんがえで話はなしたのではなく,私わたしを遣つかわした天てんの父ちちが,何なにを言いい何なにを教おしえるべきかを命めいじました。私わたしは,永えい遠えんの命いのちを得えるには父ちちのおきてに従したがう必ひつ要ようがあることを知しっています」。(ヨハネ 12:49,50)イエスは,自じ分ぶんに信しん仰こうを抱いだく人ひとのために,間まもなく自じ分ぶんの血ちを犠ぎ牲せいとして注そそぎ出だすことを知しっているのです。(ローマ 5:8,9)

  • イエスに関かんして話はなす神かみの声こえが聞きこえたことは3回かいありました。どんな時ときですか。

  • どんな支し配はい者しゃたちがイエスに信しん仰こうを持もちましたか。彼かれらが信しん仰こうを行こう動どうに表あらわさなかったのはなぜですか。

  • 人ひと々びとは,何なにに基もとづいて「終おわりの日ひ」に断だん罪ざいされますか。

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