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  • 塔研18 06月号 8–12ページ
  • エホバとイエスのように,わたしたちも一つになる

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  • エホバとイエスのように,わたしたちも一つになる
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2018
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2018
塔研18 06月号 8–12ページ
親切なサマリア人がけがをしたユダヤ人の旅人を助けようとしている。イエスが井戸のそばでサマリア人の女性に話している。ペテロがコルネリオの家に入っている。

エホバとイエスのように,わたしたちも一ひとつになる

「わたしは……お願ねがいいたします。それは,彼かれらがみな一ひとつにな[ることです。] あなたがわたしと結むすびついて……いるように」。ヨハネ 17:20,21

歌うた: 107,122

どのように答こたえますか

  • イエスの弟で子したちはどんな偏へん見けんを克こく服ふくしなければなりませんでしたか。

  • 1世せい紀きのクリスチャンはどのように偏へん見けんを克こく服ふくしましたか。

  • クリスチャンの一いっ致ちを強つよめるために,どんなことができますか。

1,2. (イ)イエスは,使し徒とたちと共ともにささげた最さい後ごの祈いのりの中なかで,どんなことを神かみに求もとめましたか。(ロ)イエスが一いっ致ちを気きにかけていたのはなぜだと考かんがえられますか。

イエスは使し徒とたちとの最さい後ごの夕ゆう食しょくの際さい,一いっ致ちを気きにかけていました。使し徒とたちと共ともに祈いのった時とき,自じ分ぶんと父ちちエホバが一ひとつであるように,弟で子したちすべても一ひとつにしてほしいと述のべました。(ヨハネ 17:20,21を読よむ。)弟で子したちの一いっ致ちは,エホバがイエスを地ちに遣つかわしたことの強きょう力りょくな証しょう拠ことなります。愛あいはイエスの本ほん当とうの弟で子しを見み分わけるしるしとなり,彼かれらの一いっ致ちを強つよめます。(ヨハ 13:34,35)

2 イエスが一いっ致ちの大たい切せつさを強きょう調ちょうしたのは適てき切せつなことでした。イエスは使し徒とたちの間あいだに一いっ致ちや調ちょう和わが欠かけていることに気きづいていました。最さい後ごの食しょく事じの時ときにも,「自じ分ぶんたちのうちでだれが一いち番ばん偉えらいのだろうか」という論ろん争そうが起おきました。そのようなことは以い前ぜんにもありました。(ルカ 22:24-27。マル 9:33,34)ヤコブとヨハネはイエスに,王おう国こくでイエスのそばの目め立だつ立たち場ばを与あたえてほしいと求もとめました。(マル 10:35-40)

3. 弟で子したちの間あいだに一いっ致ちが欠かけていたのはなぜですか。これからどんな点てんを考かんがえますか。

3 弟で子したちの一いっ致ちを妨さまたげたのは,第だい一いちになりたいという願ねがいだけではありませんでした。当とう時じの人ひと々びとは,敵てき意いや偏へん見けんのせいで分ぶん裂れつしていました。イエスの弟で子したちもそうした感かん情じょうを克こく服ふくする必ひつ要ようがありました。この記き事じでは,次つぎの点てんを考かんがえます。人ひと々びとが偏へん見けんを示しめす中なか,イエスはどのように行こう動どうしましたか。イエスは,弟で子したちが人ひと々びとに公こう平へいに接せっし,本ほん当とうの意い味みで一いっ致ちできるよう,どのように助たすけましたか。イエスの教おしえはわたしたちが一いっ致ちを保たもつうえでどのように役やく立だちますか。

人ひと々びとがイエスや弟で子したちに抱いだいていた偏へん見けん

4. 人ひと々びとはイエスにどんな偏へん見けんを持もっていましたか。

4 イエスは人ひと々びとから偏へん見けんを持もたれていました。フィリポがナタナエルにメシアを見みつけたと言いった時とき,ナタナエルは「何なにか良よいものがナザレから出でることがあるだろうか」と述のべました。(ヨハ 1:46)ナタナエルはミカ 5章しょう2節せつの預よ言げんを知しっていたと思おもわれます。それで,メシアがナザレのような辺へんぴな場ば所しょから出でるはずはない,と考かんがえたのでしょう。ユダヤの著ちょ名めいな人ひとたちも,イエスをガリラヤ出しゅっ身しんという理り由ゆうでさげすみました。(ヨハ 7:52)ユダヤの人ひとたちの多おおくは,ガリラヤの人ひとたちを見み下くだしていました。イエスをサマリア人じんと呼よんで侮ぶ辱じょくしたユダヤ人じんもいます。(ヨハ 8:48)サマリア人じんはユダヤ人じんと民みん族ぞくも宗しゅう教きょうも異ことなっていました。ユダヤの人ひとたちもガリラヤの人ひとたちもサマリア人じんに敬けい意いを持もたず,交こう渉しょうを避さけていました。(ヨハ 4:9)

5. 人ひと々びとはイエスの弟で子したちにどんな偏へん見けんを持もっていましたか。

5 ユダヤ人じんの宗しゅう教きょう指し導どう者しゃたちもイエスの弟で子したちを見み下くだしていました。パリサイ人びとは彼かれらを「のろわれた者ものたち」と呼よびました。(ヨハ 7:47-49)ラビの学がっ校こうで学まなんだことがなく,パリサイ人びとの伝でん統とうを守まもらない人ひとは「無む学がくな普ふ通つうの人ひと」だと考かんがえていました。(使し徒と 4:13)このように,当とう時じの人ひと々びとは宗しゅう教きょうや社しゃ会かい的てき立たち場ばや民みん族ぞくの違ちがいのために分ぶん裂れつしていました。イエスや弟で子したちに偏へん見けんを抱いだいた人ひとたちがいたのもそのためです。弟で子したちも幾いくらか偏へん見けんを抱いだいていました。弟で子したちは一いっ致ちを保たもつため,正ただしい見み方かたを持もつ必ひつ要ようがありました。

6. 偏へん見けんはわたしたちにもどのように影えい響きょうを及およぼすことがありますか。

6 今こん日にち,世せ界かいの至いたる所ところで偏へん見けんが見みられます。わたしたちが他たの人ひとから偏へん見けんを持もたれることもあれば,わたしたちが他たの人ひとに偏へん見けんを持もつこともあります。オーストラリアのある開かい拓たく者しゃの姉し妹まいはこう言いいます。「アボリジニーが昔むかしも今いまも経けい験けんしている不ふ公こう正せいについて考かんがえ,白はく人じんを憎にくむようになりました。わたし自じ身しんもひどい目めに遭あい,白はく人じんに対たいする憎にくしみはさらに強つよまりました」。カナダ人じんの兄きょう弟だいは,自じ分ぶんの抱いだいていた偏へん見けんについてこう述のべています。「フランス語ごを話はなす人ひとが優すぐれていると考かんがえ,英えい語ごを話はなす人ひとを嫌きらっていました」。

7. 人ひと々びとが偏へん見けんを示しめす中なか,イエスはどのように行こう動どうしましたか。

7 偏へん見けんを捨すてるのは簡かん単たんではありません。イエスの時じ代だいもそうでした。しかし,イエスは偏へん見けんを全まったく抱いだくことなく,人ひと々びとに公こう平へいに接せっしました。富とんだ人ひとにも貧まずしい人ひとにも,パリサイ人びとにもサマリア人じんにも,収しゅう税ぜい人にんにも罪つみ人びとにも良よい知しらせを伝つたえました。また,言こと葉ばと手て本ほんにより,先せん入にゅう観かんや偏へん見けんを持もたずに他たの人ひとに接せっするよう弟で子したちを教おしえました。

愛あいと謙けん遜そんさによって偏へん見けんを克こく服ふくする

8. クリスチャンの一いっ致ちの根こん底ていにある原げん則そくは何なんですか。説せつ明めいしてください。

8 イエスは一いっ致ちの根こん底ていにある原げん則そくを教おしえ,「あなた方がたはみな兄きょう弟だい……です」と述のべました。(マタイ 23:8,9を読よむ。)わたしたちすべてはアダムの子し孫そんであるという意い味みで「兄きょう弟だい」です。(使し徒と 17:26)でもそれだけではありません。イエスが述のべたように,イエスの弟で子したちはエホバを天てんの父ちちと認みとめていたので兄きょう弟だい姉し妹まいでした。(マタ 12:50)神かみの家か族ぞくの一いち部ぶになり,愛あいと信しん仰こうによって結むすび合あわされました。それで,使し徒とたちは手て紙がみの中なかで,仲なか間まの弟で子したちのことをよく「兄きょう弟だいたち」と呼よんでいます。(ロマ 1:13。ヨハ一いち 3:13。ペテ一いち 2:17)a

9,10. (イ)ユダヤ人じんが民みん族ぞく的てきな誇ほこりを持もつべきでなかったのはなぜですか。(ロ)イエスは,民みん族ぞく的てきな偏へん見けんを克こく服ふくするうえで役やく立だつどんなことを教おしえましたか。(冒ぼう頭とうの挿さし絵えを参さん照しょう。)

9 イエスは互たがいを兄きょう弟だい姉し妹まいと見みるべきであると述のべた後のち,謙けん遜そんさの大たい切せつさを教おしえました。(マタイ 23:11,12を読よむ。)先さきほど考かんがえたとおり,使し徒とたちは誇ほこりのために一いっ致ちを保たもてなくなることがありました。民みん族ぞく的てきな誇ほこりという問もん題だいもあったでしょう。多おおくのユダヤ人じんは,自じ分ぶんたちがアブラハムの子し孫そんであることに強つよい誇ほこりを抱いだいていました。しかし,バプテストのヨハネは彼かれらにこう言いいました。「神かみはこれらの石いしからアブラハムに子こ供どもたちを起おこす力ちからをお持もちになるのです」。(ルカ 3:8)

親切なサマリア人がけがをしたユダヤ人の旅人を助けようとしている。

10 イエスは民みん族ぞく的てきな誇ほこりを持もつべきではないことを教おしえました。律りっ法ぽうに通つうじた男だん性せいが「わたしの隣りん人じんとはいったいだれでしょうか」と尋たずねた時ときのことです。イエスは1つの例たとえを話はなしました。あるユダヤ人じんが旅たびの途と中ちゅうで強ごう盗とうに襲おそわれ,道みちに倒たおれていました。ユダヤ人じんたちは無む視しして通とおり過すぎましたが,サマリア人じんはその人ひとをかわいそうに思おもい,親しん切せつに世せ話わしました。イエスは最さい後ごに,このサマリア人じんのようになりなさいと言いいました。(ルカ 10:25-37)本ほん当とうの隣りん人じん愛あいについてサマリア人じんから学まなぶよう勧すすめたのです。

11. (イ)キリストの弟で子したちが外がい国こく人じんに対たいして公こう平へいな見み方かたをする必ひつ要ようがあったのはなぜですか。(ロ)イエスは弟で子したちが公こう平へいな見み方かたを持もてるようどのように助たすけましたか。

11 イエスは昇しょう天てんする前まえ,弟で子したちに「ユダヤとサマリアの全ぜん土どでも,また地ちの最もっとも遠とおい所ところにまで」伝でん道どうする務つとめを与あたえました。(使し徒と 1:8)弟で子したちはこの務つとめを果はたすために,誇ほこりや偏へん見けんを克こく服ふくする必ひつ要ようがありました。イエスは以い前ぜんから外がい国こく人じんの良よい特とく質しつに弟で子したちの注ちゅう意いを向むけ,この務つとめを果はたせるよう備そなえさせていました。例たとえば,外がい国こく人じんの士し官かんの際きわ立だった信しん仰こうを褒ほめました。(マタ 8:5-10)故こ郷きょうのナザレでは,エホバが外がい国こく人じんに親しん切せつを示しめしたことを話はなしました。ザレパテに住すむフェニキア人じんのやもめや,重おもい皮ひ膚ふ病びょうにかかったシリア人じんのナアマンについてです。(ルカ 4:25-27)イエスご自じ身しん,サマリア人じんの女じょ性せいに伝でん道どうしました。サマリア人じんがイエスの話はなしに関かん心しんを示しめしたため,サマリア人じんの町まちに2日か間かん滞たい在ざいすることさえしました。(ヨハ 4:21-24,40)

1世せい紀きのクリスチャンは偏へん見けんを克こく服ふくするよう努ど力りょくした

イエスが井戸のそばでサマリア人の女性に話している。

12,13. (イ)イエスがサマリア人じんの女じょ性せいを教おしえた時とき,使し徒とたちはどんな反はん応のうを示しめしましたか。(冒ぼう頭とうの挿さし絵えを参さん照しょう。)(ロ)ヤコブとヨハネは十じゅう分ぶんに教きょう訓くんを学まなんでいませんでした。なぜそう言いえますか。

12 使し徒とたちにとって,偏へん見けんを克こく服ふくするのは簡かん単たんではありませんでした。彼かれらはイエスがサマリア人じんの女じょ性せいを教おしえているのを見みて驚おどろきました。(ヨハ 4:9,27)ユダヤ人じんの宗しゅう教きょう指し導どう者しゃたちは,公おおやけの場ば所しょで女じょ性せいと話はなしたりしませんでした。道どう徳とく的てきに良よくない評ひょう判ばんのあるサマリア人じんの女じょ性せいならなおさらです。使し徒とたちはイエスに食しょく事じをするようしきりに勧すすめました。でもイエスは空くう腹ふくを忘わすれるほどその女じょ性せいとの話はなし合あいを楽たのしんでいました。サマリア人じんの女じょ性せいを含ふくめ,人ひと々びとに伝でん道どうすることは神かみのご意い志しであり,イエスにとって食しょく物もつのようなものだったのです。(ヨハ 4:31-34)

13 ヤコブとヨハネはこの出で来き事ごとから教きょう訓くんを学まなんでいませんでした。イエスと共ともにサマリアを旅たびしていた時とき,弟で子したちはサマリア人じんの村むらで宿やどを探さがしました。サマリア人じんが宿やどを提てい供きょうしてくれなかったので,ヤコブとヨハネは腹はらを立たて,天てんから火ひを下くだらせて村むらを滅ほろぼすのはどうかとイエスに述のべました。イエスは2人ふたりを強つよくしかりました。(ルカ 9:51-56)もし2人ふたりが故こ郷きょうのガリラヤ地ち方ほうの村むらで同おなじ経けい験けんをしたら,そのような反はん応のうをしたでしょうか。そこまで憤ふん慨がいしなかったかもしれません。怒いかりに燃もえたのはサマリア人じんに対たいする偏へん見けんのせいだったのでしょう。使し徒とヨハネは,後のちにサマリア人じんへの伝でん道どうで良よい反はん応のうが見みられた時とき,自じ分ぶんがかつて怒いかりを表あらわしたことを恥はずかしく思おもったかもしれません。(使し徒と 8:14,25)

14. 使し徒とたちは言げん語ごに関かん係けいしたと思おもわれる問もん題だいをどのように解かい決けつしましたか。

14 西せい暦れき33年ねんのペンテコステの後のち間まもなく,会かい衆しゅう内ないで差さ別べつの関かん係けいした問もん題だいが生しょうじました。貧まずしいやもめたちに食しょく物もつを分ぶん配ぱいする際さい,ギリシャ語ごを話はなすやもめたちが見み過すごされていたのです。(使し徒と 6:1)言げん語ごに関かん係けいした偏へん見けんが一いち因いんだったのかもしれません。使し徒とたちはすぐに問もん題だいを正ただしました。資し格かくのある兄きょう弟だいたちを任にん命めいして食しょく物もつを分ぶん配ぱいさせたのです。彼かれらは皆みな,ギリシャ語ご名めいを持もっていました。気き分ぶんを害がいしていたやもめたちは,そのような兄きょう弟だいたちが援えん助じょしてくれることを知しって安あん心しんしたでしょう。

ペテロがコルネリオの家に入っている。

15. ペテロはすべての人ひとに公こう平へいに接せっする点てんで,どのように進しん歩ぽしましたか。(冒ぼう頭とうの挿さし絵えを参さん照しょう。)

15 西せい暦れき36年ねん以い降こう,様さま々ざまな国くにの人ひと々びとに伝でん道どうが行おこなわれるようになりました。使し徒とペテロはそれまでユダヤ人じんとだけ交こう友ゆうを持もっていました。しかし,クリスチャンが公こう平へいであるべきことを神かみから知しらされた後のち,ローマ人じんの兵へい士しコルネリオに伝でん道どうしました。(使し徒と 10:28,34,35を読よむ。)ペテロは,ユダヤ人じんではない信しん者じゃとの食しょく事じや交こう友ゆうを楽たのしむようになりました。ところが後のちにアンティオキアでは,ユダヤ人じんではないクリスチャンと食しょく事じをするのをやめてしまいました。(ガラ 2:11-14)ペテロはそのことでパウロから戒いましめられました。ペテロはその戒いましめを受うけ入いれたようです。小しょうアジアのユダヤ人じんと異い邦ほう人じんのクリスチャンに宛あてた最さい初しょの手て紙がみの中なかで,仲なか間まの兄きょう弟だい全ぜん体たいを愛あいするよう勧すすめているからです。(ペテ一いち 1:1; 2:17)

16. 初しょ期きクリスチャンはどのような評ひょう判ばんを得えていましたか。

16 使し徒とたちはイエスの手て本ほんに倣ならい,「あらゆる人ひと」を愛あいするようになりました。(ヨハ 12:32。テモ一いち 4:10)時じ間かんはかかりましたが,考かんがえ方かたを変かえることができました。初しょ期きクリスチャンは,互たがいを愛あいする人ひと々びとという評ひょう判ばんを得えていました。西せい暦れき2世せい紀きの著ちょ述じゅつ家かテルトゥリアヌスは,クリスチャンではない人ひとが次つぎのように述のべたと書かいています。「彼かれら[は]愛あいし合あ[い],互たがいのためなら死しをも辞じさぬことを……固かたく覚かく悟ごしている」。「新あたらしい人じん格かく」を身みに着つけた初しょ期きクリスチャンは,すべての人ひとが神かみの前まえで平びょう等どうであると考かんがえるようになりました。(コロ 3:10,11)

17. どうすれば自じ分ぶんの心こころから偏へん見けんを取とり除のぞくことができますか。例れいを挙あげてください。

17 わたしたちも,自じ分ぶんの心こころから偏へん見けんを取とり除のぞくには時じ間かんがかかるかもしれません。フランスの姉し妹まいはこう述のべています。「愛あいとは何なにか,与あたえるとはどういうことか,あらゆる人ひとを愛あいするとはどういうことかをエホバは教おしえてくださいました。他たの人ひとに対たいする偏へん見けんを克こく服ふくするため,今いまも努ど力りょくしています。難むずかしいと感かんじる時ときもあります。ですから,いつも神かみの助たすけを祈いのり求もとめています」。スペインの姉し妹まいもこう述のべています。「ある民みん族ぞくの人ひとたちに対たいする悪あく感かん情じょうがわき起おこってくることがあります。大たい抵ていはそのような感かん情じょうを抑おさえることができますが,闘たたかいは続つづいています。でも,エホバのおかげで,一いっ致ちしたクリスチャンの家か族ぞくの中なかで交こう友ゆうを楽たのしんでいます」。わたしたちも自じ分ぶんを正しょう直じきに分ぶん析せきしましょう。この姉し妹まいたちのように,偏へん見けんを取とり除のぞくために闘たたかう必ひつ要ようがありますか。

愛あいが成せい長ちょうすれば偏へん見けんはなくなる

18,19. (イ)わたしたちが互たがいを迎むかえ入いれるべきなのはなぜですか。(ロ)そのためにどんな努ど力りょくができますか。

18 わたしたちは皆みな,かつては「よそ者もの」つまり外がい国こく人じんであり,神かみから遠とおく離はなれていました。(エフェ 2:12)しかし,エホバはわたしたちを「愛あいの綱つなをもって」引ひき寄よせてくださいました。(ホセ 11:4。ヨハ 6:44)キリストも不ふ完かん全ぜんなわたしたちを親しん切せつに迎むかえ入いれてくださいました。神かみの家か族ぞくの一いち員いんになれるよう,扉とびらを開ひらいてくださったのです。(ローマ 15:7を読よむ。)そのことを考かんがえれば,偏へん見けんを抱いだいてだれかを退しりぞけることなどできないはずです。

人種の違う3人の若い姉妹たち

エホバに仕える人は上からの知恵を表わし,愛によって結び合わされる。(19節を参照。)

19 邪じゃ悪あくな世よの終おわりが近ちかづくにつれ,人ひと々びとの分ぶん裂れつや偏へん見けんや敵てき意いはますます強つよまるでしょう。(ガラ 5:19-21。テモ二に 3:13)しかし,エホバに仕つかえるわたしたちは上うえからの知ち恵えを表あらわすように努ど力りょくします。上うえからの知ち恵えは公こう平へいで,平へい和わを促そく進しんします。(ヤコ 3:17,18)他たの国くにの人ひとたちとの友ゆう情じょうを築きずきましょう。文ぶん化かの違ちがいを受うけ入いれてください。その人ひとたちの言げん語ごを学まなぶこともできます。そのような努ど力りょくを払はらうなら,平へい和わは川かわのように,公こう正せいは海うみの波なみのようになるでしょう。(イザ 48:17,18)

20. 愛あいにはどんな力ちからがありますか。例れいを挙あげてください。

20 「真しんの知ち識しきの水すい門もんがわたしの前まえで開ひらかれました」。先さきほどのオーストラリアの姉し妹まいはそう言いいます。聖せい書しょを学まなぶことで大おおきく変へん化かできました。こう述のべています。「思おもいも心こころも新あたらしくなりました。偏へん見けんや憎にくしみがみるみる消きえていきました」。先さきほどのカナダの兄きょう弟だいはこう述のべています。「ある人ひとたちに偏へん見けんを抱いだくのは,その人ひとたちについてよく知しらないからです。人ひとの性せい質しつは生うまれた場ば所しょで決きまるわけではありません」。兄きょう弟だいは英えい語ごを話はなす姉し妹まいと結けっ婚こんしました。こうした例れいが示しめすように,クリスチャンの愛あいは偏へん見けんを克こく服ふくします。愛あいはわたしたちを強つよい絆きずなで結むすび合あわせるのです。(コロ 3:14)

a 「兄きょう弟だいたち」という表ひょう現げんには会かい衆しゅうの姉し妹まいたちも含ふくまれます。パウロはローマの「兄きょう弟だいたち」に手て紙がみを書かきましたが,その中なかには姉し妹まいたちも含ふくまれていました。幾いく人にんかの姉し妹まいたちの名な前まえも挙あげられています。(ロマ 16:3,6,12)「ものみの塔とう」は長なが年ねん,クリスチャンの信しん者じゃを「兄きょう弟だい姉し妹まい」と呼よんでいます。

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