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  • イ道 70章 166ページ–167ページ 2節
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  • イエス 道,真理,命
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イエス 道,真理,命
イ道 70章 166ページ–167ページ 2節
盲目の物乞いの男性がシロアムの池で目を洗った後,見えるようになったところ

70章

生うまれつき盲もう目もくの男だん性せいを癒いやす

ヨハネ 9:1-18

  • 生うまれつき盲もう目もくの物もの乞ごいが癒いやされる

イエスはまだエルサレムにいます。安あん息そく日びに町まちの中なかを歩あるいていたイエスと弟で子したちは,生うまれつき盲もう目もくの物もの乞ごいに会あいます。弟で子したちは,「ラビ,この人ひとが生うまれつき目めが見みえないのは,誰だれが罪つみを犯おかしたからですか。本ほん人にんですか,それとも親おやですか」と尋たずねます。(ヨハネ 9:2)

弟で子したちは,その男だん性せいが前ぜん世せに罪つみを犯おかしたとは信しんじていませんが,母はは親おやのおなかの中なかで罪つみを犯おかしたと思おもっているのかもしれません。イエスは答こたえます。「この人ひとや親おやが罪つみを犯おかしたからではありません。この件けんで,神かみの力ちからが明あきらかにされます」。(ヨハネ 9:3)この男だん性せいが盲もう目もくになったのは,本ほん人にんや親おやが何なにかの間ま違ちがいをしたり罪つみを犯おかしたりしたからではありません。人にん間げんは全すべて,アダムが罪つみを犯おかしたために生うまれつき不ふ完かん全ぜんで,欠けっ陥かんがあります。盲もう目もくのような障しょう害がいもその1つです。しかしこの人ひとが盲もう目もくだったことがきっかけで,素す晴ばらしいことが起おこります。イエスが神かみの力ちからを明あきらかにするのです。これまでにたくさんの病びょう気きを癒いやした時ときと同おなじです。

イエスは神かみの力ちからを表あらわすことを遅おくらせてはいけないことを強きょう調ちょうし,こう言いいます。「私わたしたちは昼ひるのうちに,私わたしを遣つかわした方かたの意い志しを行おこなわなければなりません。誰だれも働はたらくことができない夜よるが来こようとしています。私わたしは世よにいる間あいだ,世よの光ひかりです」。(ヨハネ 9:4,5)イエスの死しは迫せまっており,墓はかに入はいればイエスは何なにもできなくなります。その時ときまで,イエスは世よに光ひかりを輝かがやかせ続つづけます。

イエスが盲目の男性の両目に泥を塗っているところ

では,どのようにこの人ひとを癒いやすのでしょうか。イエスは地じ面めんに唾つばを吐はいて泥どろを作つくり,その男だん性せいの両りょう目めに塗ぬって,「シロアムの池いけに行いって洗あらいなさい」と言いいます。(ヨハネ 9:7)男だん性せいがその通とおりにすると,何なんと見みえるようになります。生うまれて初はじめて目めが見みえるようになったのです。その喜よろこびを想そう像ぞうできますか。

近きん所じょの人ひとたちと,この男だん性せいの障しょう害がいを知しっていた他たの人ひとたちは驚おどろき,「これは,座すわって物もの乞ごいをしていた男おとこではないか」と言いいます。それに対たいして,「その人ひとだ」と言いう人ひともいれば,起おきたことが信しんじられず,「違ちがう,でも似にている」と言いう人ひともいます。すると本ほん人にんは,「私わたしがその人ひとです」と言いいます。(ヨハネ 9:8,9)

それで人ひと々びとは,「では,どうして目めが見みえるようになったのか」と尋たずねます。男だん性せいはこう答こたえます。「イエスという人ひとが泥どろを作つくって私わたしの両りょう目めに塗ぬり,『シロアムに行いって洗あらいなさい』と言いいました。それで,行いって洗あらったら,見みえるようになりました」。彼かれらが「その人ひとはどこにいるのか」と聞きくと,男だん性せいは,「知しりません」と言いいます。(ヨハネ 9:10-12)

その人ひとはパリサイ派はの人ひとたちの所ところに連つれていかれます。どのようにして見みえるようになったのか,彼かれらも知しりたいのです。それで男だん性せいはこう説せつ明めいします。「その人ひとが私わたしの両りょう目めに泥どろを付つけ,私わたしは洗あらいました。今いまは見みえます」。パリサイ派はの人ひとたちも喜よろこんでいいはずですが,彼かれらのうちの何なん人にんかはイエスを非ひ難なんし,「この人ひとは神かみの所ところから来きたのではない。安あん息そく日びを守まもっていない」と言いいます。一いっ方ぽう,「罪つみ人びとだったら,どうしてこんなしるしを行おこなえるだろうか」と言いう人ひともいます。(ヨハネ 9:15,16)彼かれらの意い見けんは分わかれてしまいました。

彼かれらはその人ひとに尋たずねることにし,「あなたの目めを開あけた人ひとだが,何なに者ものだと思おもうか」と聞ききます。男だん性せいは,「あの人ひとは預よ言げん者しゃです」と断だん言げんします。(ヨハネ 9:17)

パリサイ派はの人ひとたちは信しんじようとしません。皆みなをだますためイエスとその男だん性せいは何なにかをたくらんでいる,と思おもったのかもしれません。それで,この男だん性せいが本ほん当とうに目めが見みえなかったかどうか親おやに尋たずねることにします。

  • 物もの乞ごいの男だん性せいが盲もう目もくだったのはなぜですか。

  • 盲もう目もくだった男だん性せいを知しる人ひとたちは,その男だん性せいが癒いやされたことにどう反はん応のうしましたか。

  • 男だん性せいが癒いやされたことについてパリサイ派はの人ひとたちの意い見けんはどう分わかれましたか。

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