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イエス 道,真理,命
イ道 80章 186ページ–187ページ 1節
羊飼いが戸を開けて,たくさんの羊が囲いに入っていくところ

80章

立りっ派ぱな羊ひつじ飼かいと羊ひつじの囲かこい

ヨハネ 10:1-21

  • 立りっ派ぱな羊ひつじ飼かいと羊ひつじの囲かこいの話はなし

今いまもユダヤで教おしえているイエスは,人ひと々びとがイメージしやすい羊ひつじと羊ひつじの囲かこいの話はなしをします。話はなしを聞きいたユダヤ人じんたちは,ダビデが語かたった,「エホバは私わたしの牧ぼく者しゃ。私わたしは何なにも不ふ足そくしない。導みちびかれて青あお々あおとした牧ぼく草そう地ちに寝ねそべ[る]」という言こと葉ばを思おもい出だしたでしょう。(詩し編へん 23:1,2)ダビデは「詩し編へん」の別べつの編へんでも国こく民みん全ぜん体たいに対たいし,こう呼よび掛かけています。「さあ,崇すう拝はいし,ひれ伏ふそう。私わたしたちを造つくったエホバの前まえでひざまずこう。この方かたは私わたしたちの神かみ。私わたしたちは神かみの牧ぼく草そう地ちの民たみ」。(詩し編へん 95:6,7)これらの聖せい句くから分わかる通とおり,律りっ法ぽう下かのイスラエル人じんはこれまでずっと羊ひつじの群むれに例たとえられてきました。

“羊ひつじ”であるイスラエル人じんはモーセの律りっ法ぽう契けい約やくという“羊ひつじの囲かこい”の中なかで生うまれました。律りっ法ぽうは柵さくのようになり,律りっ法ぽう契けい約やくの下もとにいない人ひと々びとの汚けがれた慣かん行こうからイスラエル人じんを保ほ護ごしました。しかし,彼かれらの中なかには神かみの羊ひつじの群むれを優やさしく扱あつかわない人ひとたちもいました。それでイエスはこう言いいます。「はっきり言いっておきます。羊ひつじの囲かこいに,戸と口ぐちを通とおってではなくほかの所ところを乗のり越こえて入はいる人ひとは,泥どろ棒ぼうや強ごう盗とうです。一いっ方ぽう,羊ひつじ飼かいは戸と口ぐちを通とおって入はいります」。(ヨハネ 10:1,2)

人ひと々びとは,メシアつまりキリストを自じ称しょうする人ひとたちのことを思おもい浮うかべたでしょう。そうした人ひとたちは泥どろ棒ぼうや強ごう盗とうのようです。人ひと々びとはそのようなペテン師しにではなく,イエスが語かたる次つぎのような「羊ひつじ飼かい」に付ついていくべきです。

「戸と口ぐち番ばんは羊ひつじ飼かいに対たいして戸と口ぐちを開あけ,羊ひつじは彼かれの声こえを聞ききます。羊ひつじ飼かいは自じ分ぶんの羊ひつじの名な前まえを呼よんで連つれ出だします。自じ分ぶんの羊ひつじを皆みな外そとに出だすと,その先せん頭とうを行いきます。羊ひつじは後あとに付ついていきます。羊ひつじ飼かいの声こえを知しっているからです。よその人ひとには決けっして付ついていかず,むしろ逃にげます。その人ひとたちの声こえを知しらないからです」。(ヨハネ 10:3-5)

バプテストのヨハネは戸と口ぐち番ばんのような役やく割わりを果はたし,「羊ひつじ」が付ついていくべきなのはイエスであることを明あきらかにしました。また,ガリラヤでもここユダヤでも,ある人ひと々びとはイエスの声こえを聞きき分わけました。では,イエスは彼かれらをどこに「連つれ出だ」しますか。イエスに付ついていくとどんな結けっ果かになりますか。例たとえを聞きいていたある人ひとたちはそうした点てんを疑ぎ問もんに思おもったようです。「イエスが言いっている事ことを理り解かいできなかった」からです。(ヨハネ 10:6)

イエスはこう説せつ明めいします。「はっきり言いっておきますが,私わたしは羊ひつじが通とおる戸と口ぐちです。私わたしのふりをして来きた人ひとは皆みな,泥どろ棒ぼうや強ごう盗とうです。しかし羊ひつじは彼かれらの言いうことを聞ききませんでした。私わたしは戸と口ぐちです。私わたしを通とおって入はいるなら救すくわれ,出で入いりして牧ぼく草そう地ちを見みつけます」。(ヨハネ 10:7-9)

この時とき,イエスは新あたらしいことを教おしえていました。人ひと々びとはイエスが律りっ法ぽう契けい約やくへの戸と口ぐちでないことを知しっています。その契けい約やくは何なん世せい紀きも存そん在ざいしてきたからです。イエスは,自じ分ぶんが「連つれ出だ」す羊ひつじは別べつの囲かこいに入はいることになると話はなしていたのです。では,その羊ひつじたちはどうなりますか。

イエスは自じ分ぶんの役やく割わりをさらに説せつ明めいします。「私わたしは,羊ひつじが命いのちを得えて生いき続つづけるために来きました。私わたしは立りっ派ぱな羊ひつじ飼かいです。立りっ派ぱな羊ひつじ飼かいは羊ひつじのために命いのちをなげうちます」。(ヨハネ 10:10,11)「羊ひつじ飼かい」であるイエスは少すこし前まえに弟で子したちに,「恐おそれることはありません,小ちいさな群むれよ。天てんの父ちちは,あなたたちに王おう国こくを与あたえることをよしとしました」と言いって励はげましていました。(ルカ 12:32)ですから,「小ちいさな群むれ」を構こう成せいする人ひとたちとは,イエスが新あたらしい囲かこいに連つれていく人ひとたちのことです。そして,彼かれらは「命いのちを得えて生いき続つづける」ことになります。その群むれの一いち員いんとなるのは何なんという祝しゅく福ふくなのでしょう。

イエスの話はなしには続つづきがあります。「私わたしにはほかの羊ひつじがいますが,この囲かこいのものではありません。私わたしはその羊ひつじたちも連つれてこなければならず,それらも私わたしの声こえを聞ききます。こうして,1つの群むれ,1人ひとりの羊ひつじ飼かいとなります」。(ヨハネ 10:16)「ほかの羊ひつじ」は「この囲かこいのものではありません」。王おう国こくを受うけ継つぐ「小ちいさな群むれ」とは別べつの囲かこいにいます。これら2つの囲かこいの羊ひつじに約やく束そくされている将しょう来らいは違ちがっているのです。しかし,どちらの囲かこいの羊ひつじにとってもイエスの役やく割わりは重じゅう要ようです。イエスはこう言いいます。「父ちちは私わたしを愛あいしてくださいます。私わたしが命いのちをなげうつからです」。(ヨハネ 10:17)

群ぐん衆しゅうの多おおくは,「彼かれは邪じゃ悪あくな天てん使しに取とりつかれ,頭あたまがおかしくなっている」と言いいます。しかし,イエスの話はなしに引ひき付つけられ,立りっ派ぱな羊ひつじ飼かいに付ついていきたいと考かんがえる人ひとたちもいます。そして,「あのような話はなしは邪じゃ悪あくな天てん使しに取とりつかれた人ひとにはできない。邪じゃ悪あくな天てん使しが盲もう人じんの目めを開あけられるはずがない」と話はなします。(ヨハネ 10:20,21)生うまれつき盲もう目もくだった男だん性せいをイエスが癒いやした時ときのことを言いっているのでしょう。

  • イエスが羊ひつじと羊ひつじの囲かこいについて話はなした時とき,ユダヤ人じんたちがイメージしやすかったのはなぜですか。

  • 立りっ派ぱな羊ひつじ飼かいとは誰だれのことですか。その羊ひつじ飼かいによって羊ひつじはどんな祝しゅく福ふくを受うけますか。

  • イエスに付ついていく2つの囲かこいの羊ひつじには違ちがいがあります。どんな違ちがいですか。

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