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  • イ道 81章 188ページ–189ページ 2節
  • 父と一つであっても神ではない

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  • イエス 道,真理,命
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イエス 道,真理,命
イ道 81章 188ページ–189ページ 2節
ユダヤ人たちは石を拾ってイエスを殺そうとするが,イエスは自分を捕まえようとする彼らから逃げる

81章

父ちちと一ひとつであっても神かみではない

ヨハネ 10:22-42

  • 「私わたしと父ちちとは一ひとつです」

  • 自じ分ぶんを神かみとしたという非ひ難なんの間ま違ちがいを証しょう明めいする

イエスはエルサレムでの献けん納のうの祭まつり(またはハヌッカ)に来きています。これは神しん殿でんの再さい献けん納のうを記き念ねんする行ぎょう事じです。100年ねん以い上じょう前まえ,シリアの王おうアンティオコス4世せいエピファネスは,神しん殿でんの大だい祭さい壇だんの上うえに別べつの祭さい壇だんを築きずきました。後のちに,ユダヤ人じんの祭さい司しの子し孫そんがエルサレムを奪うばい返かえし,エホバに神しん殿でんを再さい献けん納のうします。それ以い来らい毎まい年とし,キスレウの25日にちから祭まつりが開ひらかれているのです。キスレウの月つきは現げん在ざいの11月がつ後こう半はんから12月がつ前ぜん半はんの時じ期きに相そう当とうします。

それは寒さむい冬ふゆの時じ期きです。イエスが神しん殿でんにあるソロモンの柱ちゅう廊ろうを歩あるいていると,ユダヤ人じんがイエスを取とり囲かこみ,「いつまで私わたしたちを迷まよわせるのですか。あなたがキリストなら,はっきりそう言いってください」と言いいます。(ヨハネ 10:22-24)イエスは,「私わたしは言いいましたが,あなた方がたは信しんじません」と答こたえます。井い戸どの所ところでサマリア人じんの女じょ性せいに,イエスは自じ分ぶんがキリストであると言いいましたが,ユダヤ人じんたちに直ちょく接せつそう言いったことはありません。(ヨハネ 4:25,26)しかし以い前ぜん,イエスは自じ分ぶんがどんな者ものかを明あきらかにし,「アブラハムが存そん在ざいする前まえから私わたしはいます」と話はなしたことがあります。(ヨハネ 8:58)

イエスの願ねがいは,自じ分ぶんの活かつ動どうと,キリストが行おこなうと予よ告こくされていた事こと柄がらとを比ひ較かくし,イエスこそキリストであるという結けつ論ろんを各かく自じが下くだすことです。そのため,自じ分ぶんがメシアであることを誰だれにも話はなさないよう弟で子したちに命めいじてきたのです。でもイエスはここで,自じ分ぶんに敵てき意いを抱いだいている相あい手てにはっきりこう言いいます。「父ちちの名なにおいて私わたしが行おこなっている事こと柄がらを見みれば,私わたしが誰だれかは明あきらかです。しかしあなた方がたは信しんじません」。(ヨハネ 10:25,26)

イエスがキリストであることを彼かれらが信しんじないのはなぜでしょうか。イエスはこう説せつ明めいします。「あなた方がたは信しんじません。私わたしの羊ひつじではないからです。私わたしの羊ひつじは私わたしの声こえを聞ききます。私わたしは彼かれらを知しっており,彼かれらは私わたしに付ついてきます。私わたしは彼かれらに永えい遠えんの命いのちを与あたえ,彼かれらは決けっして滅ほろぼされません。誰だれも私わたしの手てから彼かれらを奪うばうことはありません。天てんの父ちちが私わたしに与あたえてくださった羊ひつじは,ほかの全すべてのものより大たい切せつで[す]」。そして,自じ分ぶんと父ちちの絆きずながどれほど強つよいかを示しめし,「私わたしと父ちちとは一ひとつです」と言いいます。(ヨハネ 10:26-30)イエスは地ち上じょうにおり,父ちちは天てんにいますが,同おなじ目もく的てきを持もって一いっ致ちして行こう動どうしているのです。

ユダヤ人じんたちはその返へん事じを聞きいて激げき怒どし,またもや石いしを拾ひろって殺ころそうとします。でもイエスは恐おそれることなく,「私わたしは,天てんの父ちちが命めいじた立りっ派ぱな行おこないをあなた方がたの前まえで数かず多おおくしました。そのうちどの行おこないのために,私わたしを石いし打うちにするのですか」と質しつ問もんします。すると彼かれらは,「石いし打うちにするのは,立りっ派ぱな行おこないのためではなく,冒ぼう瀆とくのためだ。……自じ分ぶんを神かみとするからだ」と答こたえます。(ヨハネ 10:31-33)イエスは自じ分ぶんのことを神かみだとは一いち度ども言いっていないのに,なぜこのように非ひ難なんされるのでしょうか。

それはイエスが,ユダヤ人じんが神かみにしかないと信しんじていた力ちからを持もっていることを話はなしたからです。例たとえば,「羊ひつじ」について話はなした際さい,「私わたしは彼かれらに永えい遠えんの命いのちを与あたえ」ると言いいました。それは人にん間げんにはできないことです。(ヨハネ 10:28)でもユダヤ人じんたちは,イエスが父ちちから権けん威いを与あたえられているとはっきり述のべていることを真しん剣けんに受うけ止とめていませんでした。

イエスは彼かれらの非ひ難なんが間ま違ちがいであることを示しめし,こう言いいます。「律りっ法ぽう[詩し編へん 82編へん6節せつ]の中なかに,『私わたしは言いった。「あなた方がたは神かみだ」』と書かかれていませんか。神かみにとがめられた人ひとたちが『神かみ』と呼よばれ,……父ちちが神しん聖せいなものとして世よに遣つかわした私わたしが,自じ分ぶんは神かみの子こだと言いうと,『神かみを冒ぼう瀆とくしている』と言いうのですか」。(ヨハネ 10:34-36)

聖せい書しょは,不ふ公こう平へいな裁さい判ばん人にんのことをさえ「神かみ」と呼よんでいます。ですから,イエスが「自じ分ぶんは神かみの子こだ」と言いっても罪つみを問とわれる理り由ゆうにはなりません。イエスは彼かれらをこう論ろん破ぱします。「私わたしが,父ちちが望のぞむことを行おこなっていないなら,私わたしを信しんじてはなりません。しかし行おこなっているなら,たとえ私わたしを信しんじないとしても,その行おこないを信しんじなさい。そうすれば,父ちちと私わたしが結むすび付ついていることが分わかり,さらによく分わかるようになります」。(ヨハネ 10:37,38)

するとユダヤ人じんたちはイエスを捕つかまえようとしますが,イエスは逃にげます。そしてエルサレムを去さってヨルダン川がわを渡わたり,4年ねん近ちかく前まえにヨハネがバプテスマを施ほどこし始はじめた地ち域いきに行いきます。そこはガリラヤの海うみの南なん端たんからそれほど遠とおくない場ば所しょのようです。

そこでも大おお勢ぜいの人ひとたちがイエスの所ところにやって来きて,「ヨハネはしるしを一ひとつも行おこなわなかったが,ヨハネがこの人ひとについて言いったことは全すべて本ほん当とうだった」と言いいます。(ヨハネ 10:41)そして,たくさんのユダヤ人じんがイエスに信しん仰こうを抱いだくようになります。

  • イエスが自じ分ぶんの活かつ動どうに人ひと々びとの注ちゅう意いを向むけたのはなぜですか。

  • イエスと父ちちはどのような意い味みで一ひとつですか。

  • 自じ分ぶんを神かみとしたというユダヤ人じんからの非ひ難なんに対たいし,イエスは詩し編へんを引いん用ようしてその間ま違ちがいをどのように証しょう明めいしましたか。

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