ルデアは,マケドニアの大きな町フィリピに住んでいました。出身は小アジア西部のリュディア地方の町テアテラで,紫布の商売をするためにエーゲ海を渡ってきました。敷物,タペストリー,布地,染料など,紫のさまざまな品物を扱っていたようです。フィリピで見つかった碑文によれば,フィリピには紫布を売る人たちの組合があったようです。
ルデアは「神を崇拝」していたと書かれていますが,これはユダヤ教に改宗していたことを意味しているようです。(使徒 16:14)ルデアは,故郷の町でエホバについて知ったのかもしれません。フィリピとは異なり,そこにはユダヤ人の集会場がありました。ルデアという名前は,フィリピで彼女に付けられたあだ名(「リュディアの女性」という意味)だと考える人もいます。でも,ある文献によれば,ルデアは実名としても使われていたようです。
リュディア地方と周辺の地域は,ホメロスの時代(紀元前9世紀か8世紀)以来,紫の染色技術で有名でした。テアテラの水を使うと「最も鮮やかであせにくい色」が生まれるという評判までありました。
紫の品物はぜいたく品で,裕福な人にしか買えませんでした。紫の染料はいろいろな物から採れましたが,地中海の貝を原料とするものが最も上質で高価で,上等の亜麻布に使われました。1個の貝から採れる染料はごくわずかで,1㌘採るのに8000個もの貝を処理しなければなりませんでした。そのため,紫色の布はとても高価でした。
ルデアの商売にはかなりの資金が必要でした。それに,パウロ,シラス,テモテ,ルカの4人を泊められるだけの家を持っていました。そのことからすると,ルデアは商売で成功した裕福な人だったと思われます。「家の人たち」のことが出てくるので,親族と一緒に住んでいたか,奴隷や召し使いがいたのかもしれません。(使徒 16:15)パウロとシラスはフィリピを出る前に,ルデアの家で兄弟たちと会いました。ルデアの家は,フィリピで新しくクリスチャンになった人たちが集まる場所になっていたようです。ルデアは人をよくもてなす女性でした。(使徒 16:40)
パウロが10年ほど後に書いたフィリピ会衆への手紙には,ルデアのことが出てきません。ルデアについて分かるのは,使徒 16章に書かれていることだけです。