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  • 塔研20 01月号 26–31ページ
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2020
塔研20 01月号 26–31ページ

研究記事5

「あなたたちと一いっ緒しょに行いかせてほしい」

「あなたたちと一いっ緒しょに行いかせてほしい。神かみがあなたたちと共ともにいる,と聞きいたからだ」。ゼカリヤ 8:23

26番ばんの歌うた 私わたしにしたのです

何なにを学まなぶかa

いろいろな国から来た10人の人が,1人のユダヤ人の長い服をつかもうとしている。

ほかの羊ひつじ(「10人にんの人ひと」)は天てんに行いく人ひとたち(「1人ひとりのユダヤ人じん」)と一いっ緒しょにエホバを崇すう拝はいできることを栄えい誉よと見みている。(1-2節せつを参さん照しょう。)

1. エホバは今いまの時じ代だいについてどんなことを予よ告こくしましたか。

エホバは今いまの時じ代だいについてこう予よ告こくしました。「あらゆる言げん語ごの国くに々ぐにから来きた10人にんの人ひとが,1人ひとりのユダヤ人じんの長ながい服ふくをつかむ。しっかりつかんで,『あなたたちと一いっ緒しょに行いかせてほしい。神かみがあなたたちと共ともにいる,と聞きいたからだ』と言いう」。(ゼカ 8:23)「1人ひとりのユダヤ人じん」は,神かみから聖せいなる力ちからによって選えらばれた人ひとを指さしています。「神かみのイスラエル」とも呼よばれています。(ガラ 6:16)「10人にんの人ひと」は,地ち上じょうで永えい遠えんに生いきる希き望ぼうを持もつ人ひとたちを指さしています。聖せいなる力ちからによって選えらばれた人ひとたちをエホバが祝しゅく福ふくしていることを知しっており,一いっ緒しょにエホバを崇すう拝はいできることを栄えい誉よと見みています。

2. 「10人にんの人ひと」はどのようにして,聖せいなる力ちからによって選えらばれた人ひとと「一いっ緒しょに行い[き]」ますか。

2 天てんに行いくよう選えらばれた人ひとのうち,今いま地ち上じょうにいる一人ひとり一人ひとりの名な前まえを知しることはできません。b それでも,地ち上じょうで生いきる希き望ぼうを持もつ人ひとが,聖せいなる力ちからによって選えらばれた人ひとと「一いっ緒しょに行い[く]」ことはできます。なぜですか。聖せい書しょによれば,「10人にんの人ひと」は「1人ひとりのユダヤ人じんの長ながい服ふくを……しっかりつかんで,『あなたたちと一いっ緒しょに行いかせてほしい。神かみがあなたたちと共ともにいる,と聞きいたからだ』と言い[い]」ます。ユダヤ人じんは1人ひとりですが,「あなたたち」と表ひょう現げんされています。ですから,ユダヤ人じんは一いち個こ人じんを指さすのではなく,天てんに行いくよう選えらばれた人ひとのグループを指さしています。天てんに行いくよう選えらばれていない人ひとは,選えらばれた人ひとたちと共ともにエホバに仕つかえます。それでも,選えらばれた人ひとたちを指し導どう者しゃとは見みません。指し導どう者しゃはイエスだからです。(マタ 23:10)

3. この記き事じではどんな点てんを考かんがえますか。

3 今こん日にちエホバに仕つかえる人ひとの中なかには,天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひともいます。次つぎの疑ぎ問もんが生しょうじるかもしれません。(1)天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとは自じ分ぶんのことをどう見みるべきか。(2)記き念ねん式しきでパンを食たべぶどう酒しゅを飲のむ人ひとにどう接せっするべきか。(3)そうする人ひとの数かずが増ふえていることを心しん配ぱいする必ひつ要ようがあるか。このような点てんを考かんがえましょう。

天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとは自じ分ぶんのことをどう見みるべきか

4. 天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとは,コリント第だい一いち 11章しょう27-29節せつのどんな警けい告こくを真しん剣けんに受うけ止とめますか。なぜですか。

4 天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとは,コリント第だい一いち 11章しょう27-29節せつの警けい告こくを真しん剣けんに受うけ止とめます。(読よむ。)記き念ねん式しきで「不ふ適てき切せつな態たい度どで」パンを食たべたりぶどう酒しゅを飲のんだりするとは,どういうことですか。パンを食たべぶどう酒しゅを飲のみながら,エホバの基き準じゅんに従したがわない生せい活かつをするなら,「不ふ適てき切せつな態たい度ど」を取とっていることになります。(ヘブ 6:4-6; 10:26-29)天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとは,「神かみからキリスト・イエスを通とおして天てんに招まねかれるという賞しょう」を得えるには,神かみに忠ちゅう実じつでなければならないことを理り解かいしています。(フィリ 3:13-16)

5. 天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとは,自じ分ぶんのことをどう見みますか。

5 エホバに仕つかえる人ひとは,聖せいなる力ちからが働はたらくと,高こう慢まんになるのではなく,謙けん遜そんになります。(エフェ 4:1-3。コロ 3:10,12)ですから,天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとは,自じ分ぶんが兄きょう弟だい姉し妹まいよりも優すぐれているとは考かんがえません。天てんに行いく希き望ぼうを持もたない人ひとよりも多おおくの聖せいなる力ちからをエホバから与あたえられるわけではない,ということを知しっています。ほかの誰だれよりも聖せい書しょの真しん理りを深ふかく理り解かいしている,と考かんがえることもありません。誰だれかに,「あなたも神かみから選えらばれていますから,記き念ねん式しきでパンを食たべぶどう酒しゅを飲のむといいですよ」と勧すすめたりもしません。人ひとを天てんに招まねくのはエホバだけであることを謙けん遜そんに認みとめます。

6. コリント第だい一いち 4章しょう7,8節せつによれば,天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとはどのように行こう動どうしますか。

6 エホバから選えらばれた人ひとたちは,天てんに招まねかれたことを栄えい誉よと考かんがえますが,特とく別べつ扱あつかいされることを求もとめたりはしません。(フィリ 2:2,3)天てんに行いくよう選えらばれた時とき,エホバがそのことを皆みなに知しらせたりはしなかったことを認にん識しきしています。ですから,自じ分ぶんが選えらばれたことをすぐに信しんじてもらえないとしても,意い外がいに思おもうことはありません。聖せい書しょにも,自じ分ぶんは神かみから特とく別べつな責せき務むを委ゆだねられたと誰だれかが唱となえても,すぐに信しんじてはいけない,という警けい告こくが記しるされています。(啓けい 2:2)天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとは,自じ分ぶんが注ちゅう目もくされることを望のぞみません。それで,エホバから選えらばれたことを自じ己こ紹しょう介かいの時ときに知しらせたりはしません。まして,自じ慢まんすることもしません。(コリント第だい一いち 4:7,8を読よむ。)

7. 天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとは,どんな行こう動どうを避さけますか。なぜですか。

7 天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとは,会かい員いん制せいのグループのように仲なか間ま同どう士しだけで交こう流りゅうすべきだ,とは考かんがえません。選えらばれた他たの人ひとたちを探さがし,選えらばれたいきさつについて語かたり合あったり,聖せい書しょ研けん究きゅうの同どう好こう会かいを立たち上あげたりもしません。(ガラ 1:15-17)そのようなことをすれば,会かい衆しゅうは分ぶん裂れつしてしまいます。聖せいなる力ちからに逆さからっていることになります。聖せいなる力ちからは,エホバに仕つかえる人ひとたちが平へい和わを保たもち一いっ致ちするよう助たすけます。(ロマ 16:17,18)

天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとにどのように接せっするべきか

本部代表の夫婦の所に兄弟姉妹が押し掛けて写真を撮ろうとしている。

天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとや教おしえ導みちびく人ひとたちを有ゆう名めい人じんのように扱あつかうべきではない。(8節せつを参さん照しょう。)f

8. 記き念ねん式しきでパンを食たべぶどう酒しゅを飲のむ人ひとにどのように接せっするべきですか。なぜ注ちゅう意いが必ひつ要ようですか。(脚きゃく注ちゅうを参さん照しょう。)

8 天てんに行いく希き望ぼうを持もつ兄きょう弟だい姉し妹まいにどのように接せっするべきですか。人ひとを過か度どに称しょう賛さんするのは正ただしくありません。キリストの兄きょう弟だいとして選えらばれた人ひとを過か度どに称しょう賛さんするのも間ま違ちがっています。(マタ 23:8-12)聖せい書しょは長ちょう老ろうたちの「信しん仰こうに倣なら[う]」ことを勧すすめてはいますが,人ひとを指し導どう者しゃとするようにとは教おしえていません。(ヘブ 13:7)聖せい書しょは,「深ふかい敬けい意いを受うけるに値あたい[する]」人ひとがいると述のべています。その人ひとたちが「立りっ派ぱに監かん督とくし」,「一いっ生しょう懸けん命めいに話はなしたり教おしえたりしている」からであり,天てんに行いくよう選えらばれているからではありません。(テモ一いち 5:17)選えらばれた人ひとを過か度どに称しょう賛さんするなら,気きまずく思おもわせることになります。c もしかしたら,うぬぼれさせてしまうかもしれません。(ロマ 12:3)キリストの兄きょう弟だいとなるよう選えらばれた人ひとに,そのような大おおきな間ま違ちがいをさせたくはありません。(ルカ 17:2)

9. 天てんに行いくよう選えらばれている人ひとにどのように敬けい意いを示しめすことができますか。

9 天てんに行いくよう選えらばれた人ひとにどのように敬けい意いを示しめすことができますか。選えらばれたいきさつについて尋たずねたりしないことによってです。この点てんは,他たの人ひとが知しる必ひつ要ようのないプライベートな事こと柄がらです。(テサ一いち 4:11。テサ二に 3:11)その人ひとの夫おっとや妻つま,親おやなどの家か族ぞくも天てんに行いくよう選えらばれている,と決きめてかかるべきでもありません。天てんに行いく希き望ぼうは,家か族ぞくから受うけ継つぐものではなく,神かみから与あたえられます。(テサ一いち 2:12)傷きずつけるような質しつ問もんをすることも避さけましょう。例たとえば,天てんに行いく兄きょう弟だいの妻つまに,「地ち上じょうの楽らく園えんで兄きょう弟だいと一いっ緒しょに生せい活かつできないことについてどう思おもいますか」と尋たずねたりはしません。はっきり言いえることとして,エホバは新あたらしい世せ界かいで「生いきている全すべてのものの願ねがいをかなえ[て]」くださいます。(詩し 145:16)

10. 「人ひとを称しょう賛さん」しないことが私わたしたちのためになる,といえるのはなぜですか。

10 選えらばれた人ひとたちをほかの人ひとよりも持もち上あげないことは,私わたしたちのためになります。聖せい書しょが示しめす通とおり,天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとでも忠ちゅう実じつを保たもつとは限かぎりません。(マタ 25:10-12。ペテ二に 2:20,21)「人ひとを称しょう賛さん」しないなら,誰だれかの弟で子しにならないで済すみます。(ユダ 16,脚きゃく注ちゅう)選えらばれた人ひとや,名なの知しれた人ひとや,長ながくエホバに仕つかえてきた人ひとの弟で子しになってしまうことを避さけられます。そのような人ひとがエホバに仕つかえるのをやめたり会かい衆しゅうを離はなれたりしても,私わたしたちは信しん仰こうを失うしなったり,エホバへの奉ほう仕しをやめたりはしません。

パンを食たべぶどう酒しゅを飲のむ人ひとの数かずが増ふえていることを心しん配ぱいすべきか

11. 記き念ねん式しきでパンを食たべぶどう酒しゅを飲のむ人ひとの数かずについて,どんな状じょう況きょうが見みられますか。

11 多た年ねんにわたり,記き念ねん式しきでパンを食たべぶどう酒しゅを飲のむ人ひとは減へり続つづけてきました。しかしここ数すう年ねん,その人にん数ずうは毎まい年とし増ふえています。このことを心しん配ぱいする必ひつ要ようがありますか。ありません。そういえる理り由ゆうを考かんがえましょう。

12. パンを食たべぶどう酒しゅを飲のむ人ひとの数かずのことで心しん配ぱいする必ひつ要ようがないのはなぜですか。

12 「エホバはご自じ分ぶんのものである人ひとたちを知しっている」。(テモ二に 2:19)パンを食たべぶどう酒しゅを飲のむ人ひとの数かずを数かぞえる兄きょう弟だいは,エホバとは違ちがい,誰だれが本ほん当とうに選えらばれているかを知しりません。集しゅう計けいには,選えらばれていると思おもい込こんでいる人ひとの数かずも含ふくまれています。実じっ際さい,以い前ぜんはパンを食たべぶどう酒しゅを飲のんでいたものの,そうしなくなった人ひともいます。精せい神しん的てきまたは感かん情じょう的てきな疾しっ患かんのために,自じ分ぶんは天てんでキリストと治おさめることになると信しんじている人ひともいるでしょう。天てんに行いく人ひとのうち地ち上じょうに残のこっている人ひとの正せい確かくな数かずは,知しりようがありません。

13. 大だい患かん難なんが始はじまる時ときに残のこっている選えらばれた人ひとの数かずは,聖せい書しょに述のべられていますか。

13 選えらばれた人ひとたちは,イエスによって天てんに集あつめられる時とき,世せ界かいのいろいろな場ば所しょにいる。(マタ 24:31)聖せい書しょによれば,終おわりの時じ代だいには少しょう数すうの選えらばれた人ひとが地ち上じょうに残のこっています。(啓けい 12:17)しかし,大だい患かん難なんが始はじまる時ときに残のこっている人ひとの数かずは述のべられていません。

記念式でパンを食べている兄弟のことを姉妹がじっと見ている。

記き念ねん式しきでパンを食たべぶどう酒しゅを飲のむ人ひとがいるなら,どのように考かんがえるとよいか。(14節せつを参さん照しょう。)

14. ローマ 9章しょう11,16節せつに述のべられている通とおり,天てんに行いく人ひとをどう選えらぶかは誰だれが決きめますか。

14 天てんに行いく人ひとをいつ選えらぶかはエホバが決きめる。(ロマ 8:28-30)イエスが復ふっ活かつした後あと,エホバは天てんに行いく人ひとを選えらび始はじめました。1世せい紀きの本ほん当とうのクリスチャンは全ぜん員いん,天てんに行いくよう選えらばれたと思おもわれます。2世せい紀き以い降こう,クリスチャンととなえる人ひとの大だい部ぶ分ぶんは,キリストの本ほん当とうの弟で子しではありませんでした。しかしその期き間かん中ちゅうずっと,エホバは少しょう数すうの本ほん当とうのクリスチャンを天てんに行いくよう選えらんできました。イエスが話はなした,雑ざっ草そうに交まじって成せい長ちょうする小こ麦むぎのような人ひとたちです。(マタ 13:24-30)終おわりの時じ代だいに入はいり,エホバは引ひき続つづき14万まん4000人にんの1人ひとりになる人ひとたちを選えらんできました。d ですから,終おわりが来くる直ちょく前ぜんにエホバが天てんに行いく人ひとを選えらんだとしても,その判はん断だんに誰だれも異い議ぎを唱となえることはできません。(ローマ 9:11,16を読よむ。)e イエスの例たとえに出でてくる労ろう働どう者しゃのようにならないよう,気きを付つけましょう。それらの労ろう働どう者しゃは,最さい後ごの1時じ間かんだけ働はたらいた人ひとに主しゅ人じんが与あたえた賃ちん金ぎんは多おお過すぎると,文もん句くを言いいました。(マタ 20:8-15)

15. 天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひと全ぜん員いんがマタイ 24章しょう45-47節せつの「忠ちゅう実じつで思し慮りょ深ぶかい奴ど隷れい」を構こう成せいしていますか。説せつ明めいしてください。

15 天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひと全ぜん員いんが「忠ちゅう実じつで思し慮りょ深ぶかい奴ど隷れい」を構こう成せいしているのではない。(マタイ 24:45-47を読よむ。)エホバとイエスは今こん日にち,1世せい紀きと同おなじように,少しょう数すうの兄きょう弟だいたちが多おおくの人ひとを養やしない,教おしえるようにしています。1世せい紀きでもギリシャ語ご聖せい書しょを筆ひっ記きしたのは,天てんに行いくよう選えらばれた人ひとのうち少しょう数すうの人ひとだけでした。今こん日にちでも,エホバに仕つかえる人ひとたちに「適てき切せつな時ときに食しょく物もつを与あたえる」責せき任にんを担になっているのは,天てんに行いくよう選えらばれた人ひとのうち少しょう数すうの人ひとだけです。

16. この記き事じからあなたはどんなことを学まなびましたか。

16 この記き事じからどんなことを学まなびましたか。エホバは,ご自じ分ぶんに仕つかえる人ひとの大だい多た数すうに,地ち上じょうでの永えい遠えんの命いのちを与あたえることにしました。イエスと共ともに治おさめる少しょう数すうの人ひとには,天てんでの命いのちを与あたえることにしました。ご自じ分ぶんに仕つかえる人ひと全ぜん員いんに,「1人ひとりのユダヤ人じん」にも「10人にんの人ひと」にも報むくいを与あたえます。全ぜん員いんが同おなじ律りっ法ぽうに従したがい,神かみに忠ちゅう実じつであり続つづけることを求もとめています。皆みなが謙けん遜そんであり,一いっ致ちして共ともに神かみに仕つかえなければなりません。会かい衆しゅうの平へい和わを保たもつために努ど力りょくしなければなりません。終おわりが近ちかづく今いま,エホバに仕つかえ続つづけ,「1つの群むれ」としてキリストに従したがっていきましょう。(ヨハ 10:16)

a 今こ年とし,キリストの死しの記き念ねん式しきは4月がつ7日か,火か曜よう日びに行おこなわれます。記き念ねん式しきでパンを食たべぶどう酒しゅを飲のむ人ひとのことをどう見みるべきですか。そうする人ひとの数かずが増ふえていることを心しん配ぱいする必ひつ要ようがありますか。このような点てんを考かんがえましょう。この記き事じは,「ものみの塔とう」2016年ねん1月がつ号ごうの記き事じから取とられています。

b 詩し編へん 87編へん5,6節せつによれば,神かみは将しょう来らい,イエスと共ともに天てんで治おさめている人ひと全ぜん員いんの名な前まえを明あきらかにするかもしれません。(ロマ 8:19)

c 「ものみの塔とう」2016年ねん1月がつ号ごう27ページの「愛あいは『みだりな振ふる舞まいをせず』」という囲かこみを参さん照しょう。

d 使し徒と 2章しょう33節せつにある通とおり,聖せいなる力ちからはイエスを通とおして注そそがれますが,一人ひとり一人ひとりを招まねくのはエホバです。

e 詳くわしくは,「ものみの塔とう」2007年ねん5月がつ1日ついたち号ごうの「読どく者しゃからの質しつ問もん」を参さん照しょう。

どのように答こたえますか

  • 天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとは,自じ分ぶんのことをどう見みるべきですか。

  • 天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとのことをどう見みるべきですか。

  • 記き念ねん式しきでパンを食たべぶどう酒しゅを飲のむ人ひとの数かずが増ふえていることを心しん配ぱいする必ひつ要ようがないのはなぜですか。

34番ばんの歌うた 高こう潔けつさを捨すてずに歩あゆむ

f 写しゃ真しんや挿さし絵え: 大たい会かいで本ほん部ぶ代だい表ひょうの夫ふう婦ふの所ところに兄きょう弟だい姉し妹まいが押おし掛かけて写しゃ真しんを撮とろうとするなら,不ぶ作さ法ほうに振ふる舞まっていることになる。

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