良 よ い知 し らせを聞 き こうとしない人 ひと たちにパウロはどう対 たい 応 おう したか
1,2. バルナバとサウロの任 にん 務 む は,どんな意 い 味 み で新 あたら しかったといえますか。使 し 徒 と 1章 しょう 8節 せつ の言 こと 葉 ば とどう関 かん 係 けい していましたか。
アンティオキアの会 かい 衆 しゅう は喜 よろこ びに湧 わ いています。会 かい 衆 しゅう の預 よ 言 げん 者 しゃ や教 おし える人 ひと たちの中 なか から,バルナバとサウロが聖 せい なる力 ちから によって選 えら ばれ,良 よ い知 し らせを遠 とお くに伝 つた えることになりました。 (使 し 徒 と 13:1,2 )以 い 前 ぜん にも宣 せん 教 きょう 者 しゃ として遣 つか わされた人 ひと たちがいましたが,派 は 遣 けん 先 さき はキリスト教 きょう がすでに広 ひろ まっていた地 ち 域 いき でした。(使 し 徒 と 8:14; 11:22 )今 こん 回 かい バルナバとサウロは,付 つ き添 そ いのヨハネ・マルコと一 いっ 緒 しょ に,良 よ い知 し らせがほとんど伝 つた わっていない地 ち 方 ほう に遣 つか わされます。
2 14年 ねん ほど前 まえ ,イエスは弟 で 子 し たちにこう言 い いました。「あなたたちは……エルサレムで,ユダヤとサマリアの全 ぜん 土 ど で,また地 ち 上 じょう の最 もっと も遠 とお い所 ところ にまで,私 わたし の証 しょう 人 にん となります」。(使 し 徒 と 1:8 )バルナバとサウロが宣 せん 教 きょう 者 しゃ として任 にん 命 めい されたことにより,ますますこの言 こと 葉 ば の通 とお りになっていくのが期 き 待 たい されます。
「ある 活 かつ 動 どう を 行 おこな わせるために…… 選 えら びました」( 使 し 徒 と 13:1-12 )
3. 1世 せい 紀 き の旅 たび にはどんな苦 く 労 ろう がありましたか。
3 今 いま は自 じ 動 どう 車 しゃ や飛 ひ 行 こう 機 き などのおかげで,1,2時 じ 間 かん でかなりの距 きょ 離 り を移 い 動 どう できます。でも,1世 せい 紀 き はそうではありませんでした。当 とう 時 じ ,陸 りく 路 ろ の旅 たび は主 おも に徒 と 歩 ほ で,たいていは,起 き 伏 ふく の多 おお い土 と 地 ち を越 こ えていきました。1日 にち 歩 ある いても,進 すす める距 きょ 離 り は30㌔ほどで,体 たい 力 りょく を相 そう 当 とう 消 しょう 耗 もう しました。 バルナバとサウロは新 あたら しい任 にん 務 む をとても楽 たの しみにしていたと思 おも われますが,大 たい 変 へん な旅 たび になることを覚 かく 悟 ご していたはずです。(マタ 16:24 )
陸 りく 路 ろ の 旅 たび
1世 せい 紀 き 当 とう 時 じ ,陸 りく 路 ろ の旅 たび は船 ふな 旅 たび よりも時 じ 間 かん がかかって,かなりの体 たい 力 りょく を要 よう し,おそらく費 ひ 用 よう もかかりました。しかし,徒 と 歩 ほ でしか行 い けない場 ば 所 しょ も多 おお くありました。
徒 と 歩 ほ の場 ば 合 あい ,1日 にち に進 すす めるのは30㌔ほどでした。雨 あめ や強 つよ い日 ひ 差 ざ し,暑 あつ さや寒 さむ さに耐 た えなければならず,盗 とう 賊 ぞく に襲 おそ われる危 き 険 けん もありました。使 し 徒 と パウロは,「何 なん 度 ど も旅 たび をし,川 かわ での危 き 険 けん ,強 ごう 盗 とう の危 き 険 けん 」に遭 あ ったことを書 か いています。(コリ二 に 11:26 )
ローマ帝 てい 国 こく には舗 ほ 装 そう 道 どう 路 ろ が張 は り巡 めぐ らされており,主 しゅ 要 よう な街 かい 道 どう 沿 ぞ いには,1日 にち で歩 ある ける距 きょ 離 り ごとに宿 やど 屋 や がありました。そうした宿 やど 屋 や と宿 やど 屋 や の間 あいだ には,基 き 本 ほん 的 てき な物 ぶっ 品 ぴん が手 て に入 はい る休 きゅう 憩 けい 所 じょ がありました。当 とう 時 じ の著 ちょ 述 じゅつ 家 か によれば,宿 やど 屋 や や休 きゅう 憩 けい 所 じょ は汚 きたな くて人 ひと で混 こ み合 あ い,じめじめしていてノミだらけでした。不 ふ 快 かい な場 ば 所 しょ で,ならず者 もの のたまり場 ば になっていました。宿 やど 屋 や の主 しゅ 人 じん が旅 たび 人 びと の物 もの を盗 ぬす んだり,売 ばい 春 しゅん をあっせんしたりすることも少 すく なくありませんでした。
クリスチャンは,そのような場 ば 所 しょ をできるだけ避 さ けたに違 ちが いありません。とはいえ,親 しん 族 ぞく や友 ゆう 人 じん のいない地 ち 方 ほう を旅 たび するときは,選 せん 択 たく の余 よ 地 ち がなかったでしょう。
4. (ア)バルナバとサウロが選 えら ばれたことには,何 なに が関 かか わっていましたか。ほかの兄 きょう 弟 だい たちは,その任 にん 命 めい をどう受 う け止 と めましたか。(イ)会 かい 衆 しゅう で誰 だれ かが責 せき 任 にん を担 にな うことになったとき,どのようにサポートできますか。
4 神 かみ が聖 せい なる力 ちから によって,バルナバとサウロを「ある活 かつ 動 どう を行 おこな わせるために……選 えら び」なさいと指 し 示 じ したのはどうしてでしょうか。(使 し 徒 と 13:2 )詳 くわ しいことは書 か かれていません。でも,2人 ふたり が選 えら ばれたことに聖 せい なる力 ちから が関 かか わっていたのは確 たし かです。アンティオキアの預 よ 言 げん 者 しゃ や教 おし える人 ひと たちは反 はん 対 たい せず,この任 にん 命 めい を心 こころ から支 し 持 じ しました。兄 きょう 弟 だい たちはねたむことなく,「断 だん 食 じき をして祈 いの ってから,2人 ふたり に手 て を置 お き,送 おく り出 だ し」ました。(使 し 徒 と 13:3 )兄 きょう 弟 だい たちがそうしてくれたので,バルナバとサウロは温 あたた かい気 き 持 も ちになったことでしょう。私 わたし たちもアンティオキアの兄 きょう 弟 だい たちのようでありたいと思 おも います。会 かい 衆 しゅう の長 ちょう 老 ろう に任 にん 命 めい されるなど,誰 だれ かが責 せき 任 にん を担 にな うことになったとき,ねたむのではなく,「よく働 はたら いているその人 ひと たちに愛 あい と深 ふか い思 おも いやりを示 しめ し」ましょう。(テサ一 いち 5:13 )
5. バルナバとサウロはキプロス島 とう でどのように伝 でん 道 どう しましたか。
5 バルナバとサウロはアンティオキアから近 ちか くの港 みなと セレウキアまで歩 ある いて行 い き,そこからキプロス島 とう まで200㌔ほど船 ふね で旅 たび をします。 キプロス島 とう 生 う まれのバルナバは,故 こ 郷 きょう の人 ひと たちに良 よ い知 し らせをぜひ伝 つた えたいと思 おも っているはずです。キプロス島 とう の東 とう 岸 がん の町 まち サラミスに着 つ くと,2人 ふたり はすぐに「ユダヤ人 じん の会 かい 堂 どう で神 かみ の言 こと 葉 ば を広 ひろ め始 はじ め」ます。 (使 し 徒 と 13:5 )2人 ふたり はキプロス島 とう の西 せい 岸 がん まで旅 たび をしながら,おそらく主 おも な町 まち で伝 でん 道 どう したことでしょう。通 とお ったルートによっては,160㌔も歩 ある いた可 か 能 のう 性 せい があります。
ユダヤ 人 じん の 会 かい 堂 どう
「会 かい 堂 どう 」と訳 やく される原 げん 語 ご には,「集 あつ めること」という意 い 味 み があります。この語 ご はユダヤ人 じん の集 しゅう 会 かい や会 かい 衆 しゅう を指 さ し,やがて,集 しゅう 会 かい が開 ひら かれる場 ば 所 しょ や建 たて 物 もの を意 い 味 み するようになりました。
会 かい 堂 どう が設 もう けられるようになったのは,ユダヤ人 じん の70年 ねん 間 かん のバビロン捕 ほ 囚 しゅう の期 き 間 かん 中 ちゅう か,そのすぐ後 あと だと考 かんが えられています。会 かい 堂 どう は,教 きょう 育 いく ,崇 すう 拝 はい ,聖 せい 書 しょ の朗 ろう 読 どく ,講 こう 話 わ のための場 ば 所 しょ でした。1世 せい 紀 き のパレスチナでは,町 まち ごとに会 かい 堂 どう がありました。大 おお きな町 まち には2つ以 い 上 じょう あり,エルサレムにはたくさんありました。
バビロン捕 ほ 囚 しゅう の後 あと ,全 すべ てのユダヤ人 じん がパレスチナに戻 もど ったわけではありません。仕 し 事 ごと のために異 い 国 こく に移 うつ り住 す む人 ひと も多 おお くいました。紀 き 元 げん 前 ぜん 5世 せい 紀 き には,ペルシャ帝 てい 国 こく の127の管 かん 轄 かつ 地 ち 域 いき 全 ぜん 体 たい にユダヤ人 じん コミュニティーがありました。(エス 1:1; 3:8 )時 とき たつうちに,地 ち 中 ちゅう 海 かい 周 しゅう 辺 へん の町 まち 々 まち にもユダヤ人 じん 地 ち 区 く ができました。各 かく 地 ち に散 ち っていたユダヤ人 じん は,ディアスポラつまり離 り 散 さん している人 ひと たちとして知 し られるようになり,定 てい 住 じゅう した先 さき で会 かい 堂 どう を設 もう けました。
会 かい 堂 どう では,安 あん 息 そく 日 び ごとに律 りっ 法 ぽう が朗 ろう 読 どく され,説 せつ 明 めい されました。朗 ろう 読 どく は1段 だん 高 たか くなった演 えん 壇 だん から行 おこな われ,その周 まわ りの3方 ほう 向 こう に座 ざ 席 せき がありました。神 かみ を畏 おそ れるユダヤ人 じん 男 だん 性 せい は誰 だれ でも,朗 ろう 読 どく ,説 せっ 教 きょう ,講 こう 話 わ に参 さん 加 か できました。
6,7. (ア)セルギオ・パウロはどんな人 ひと でしたか。セルギオ・パウロが信 しん 仰 こう を持 も つのを,バルイエスが邪 じゃ 魔 ま したのはどうしてですか。(イ)バルイエスに妨 ぼう 害 がい されたサウロはどうしましたか。
6 1世 せい 紀 き のキプロス島 とう は,間 ま 違 ちが った崇 すう 拝 はい にすっかり染 そ まっていました。バルナバとサウロが着 つ いた西 せい 岸 がん の町 まち パフォスもそうでした。2人 ふたり はそこで「呪 じゅ 術 じゅつ 師 し で偽 にせ 預 よ 言 げん 者 しゃ 」のバルイエスに会 あ います。バルイエスは,「執 しっ 政 せい 官 かん 代 だい 理 り で知 ち 的 てき な人 ひと セルギオ・パウロと一 いっ 緒 しょ に」いました。 1世 せい 紀 き 当 とう 時 じ ,教 きょう 養 よう のあるローマ人 じん は(セルギオ・パウロのような「知 ち 的 てき な人 ひと 」も),重 じゅう 要 よう な決 けっ 定 てい をするときに呪 じゅ 術 じゅつ 師 し や占 せん 星 せい 術 じゅつ 師 し に相 そう 談 だん することがよくありました。それでもセルギオ・パウロは,神 かみ の王 おう 国 こく の良 よ い知 し らせに興 きょう 味 み を引 ひ かれ,「神 かみ の言 こと 葉 ば を聞 き きたが」りました。バルイエスはそのことが面 おも 白 しろ くありません。バルイエスには,エルマ(「呪 じゅ 術 じゅつ 師 し 」という意 い 味 み )という別 べつ 名 めい もありました。(使 し 徒 と 13:6-8 )
7 バルイエスは,神 かみ の王 おう 国 こく の良 よ い知 し らせを聞 き こうとせず,妨 ぼう 害 がい します。セルギオ・パウロの顧 こ 問 もん という地 ち 位 い を守 まも るため,「執 しっ 政 せい 官 かん 代 だい 理 り が信 しん 仰 こう を持 も つのを邪 じゃ 魔 ま しようとし」ます。(使 し 徒 と 13:8 )サウロは黙 だま っていません。呪 じゅ 術 じゅつ 師 し のせいで誠 せい 実 じつ な人 ひと の関 かん 心 しん が失 うしな われるのは許 ゆる せません。どうするでしょうか。こう書 か かれています。「パウロとも呼 よ ばれるサウロは聖 せい なる力 ちから に満 み たされ,エルマをじっと見 み て,こう言 い った。『ああ,あらゆる詐 さ 欺 ぎ と罪 ざい 悪 あく に満 み ちた者 もの ,悪 あく 魔 ま の子 こ ,あらゆる正 ただ しいことの敵 てき よ,エホバの正 ただ しい道 みち をゆがめるのをやめないの ですか。さあ,エホバの手 て があなたの上 うえ にあります。あなたは目 め が見 み えなくなり,しばらく日 ひ の光 ひかり を見 み ません』。たちまちエルマは濃 こ い霧 きり と闇 やみ で目 め が見 み えなくなり,手 て を引 ひ いてくれる人 ひと を探 さが し回 まわ った」。 セルギオ・パウロはどうしたでしょうか。「起 お きたことを見 み た執 しっ 政 せい 官 かん 代 だい 理 り は,エホバの教 おし えにすっかり驚 おどろ いて信 しん 者 じゃ となった」とあります。(使 し 徒 と 13:9-12 )
パウロのように,反 はん 対 たい に遭 あ っても信 しん じていることを勇 ゆう 敢 かん に語 かた る。
8. パウロの勇 ゆう 敢 かん さにどう倣 なら えますか。
8 パウロはバルイエスを恐 おそ れたりしませんでした。私 わたし たちも同 おな じです。誰 だれ かが誠 せい 実 じつ な人 ひと の関 かん 心 しん を台 だい 無 な しにしようとしても,おじけづいたりしません。もちろん,「塩 しお で味 あじ 付 つ けされた快 こころよ い言 こと 葉 ば を語 かた るように心 こころ 掛 が け」ます。(コロ 4:6 )でも,ただ対 たい 立 りつ を避 さ けようとして,関 かん 心 しん のある人 ひと を助 たす けずに終 お わってしまう,ということがないようにしましょう。また,間 ま 違 ちが っているものは間 ま 違 ちが っていると恐 おそ れずに言 い えるようでありたいと思 おも います。バルイエスのように「エホバの正 ただ しい道 みち をゆがめ」ている宗 しゅう 教 きょう があるからです。(使 し 徒 と 13:10 )パウロのように真 しん 実 じつ を勇 ゆう 敢 かん に語 かた り,学 まな ぶ意 い 欲 よく のある人 ひと を助 たす けましょう。パウロの時 とき のような奇 き 跡 せき は起 お こらないとはいえ,良 よ い人 ひと がクリスチャンになれるよう,エホバは聖 せい なる力 ちから で必 かなら ず助 たす けてくれます。(ヨハ 6:44 )
9. 会 かい 衆 しゅう で責 せき 任 にん を担 にな う兄 きょう 弟 だい たちは,パウロとバルナバにどのように倣 なら えますか。
9 パフォスを出 で る頃 ころ ,ちょっとした変 へん 化 か があったようです。次 つぎ は,小 しょう アジアの沿 えん 岸 がん 部 ぶ にあるペルガに向 む かって,250㌔ほど船 ふね で旅 たび をします。使 し 徒 と 13章 しょう 13節 せつ には,「パウロの一 いっ 行 こう は……船 ふね に乗 の っ[た]」とあり,この頃 ころ パウロが中 ちゅう 心 しん 的 てき な存 そん 在 ざい になったことがうかがえます。それでも,バルナバが張 は り合 あ おうとしたという記 き 録 ろく はありません。2人 ふたり は一 いっ 緒 しょ に協 きょう 力 りょく しながら,奉 ほう 仕 し を続 つづ けました。会 かい 衆 しゅう で責 せき 任 にん を担 にな う兄 きょう 弟 だい たちにとって,とても良 よ い手 て 本 ほん です。ライバル心 しん を持 も たず,「あなたたちは皆 みな ,兄 きょう 弟 だい ……です」というイエスの言 こと 葉 ば を忘 わす れないようにしましょう。「高 こう 慢 まん になる人 ひと は低 ひく く評 ひょう 価 か され,謙 けん 遜 そん になる人 ひと は高 たか く評 ひょう 価 か され」ます。(マタ 23:8, 12 )
10. ペルガからピシデアのアンティオキアへの旅 たび は,どんな旅 たび でしたか。
10 ペルガに着 つ いた時 とき ,ヨハネ・マルコはパウロとバルナバから離 はな れてエルサレムに帰 かえ りました。どうして突 とつ 然 ぜん 帰 かえ ったかは書 か かれていません。パウロとバルナバは旅 たび を続 つづ け,ペルガからピシデアのアンティオキア(ガラテア州 しゅう の町 まち )に向 む かいます。楽 らく な旅 たび ではありませんでした。ピシデアのアンティオキアは海 かい 抜 ばつ 1100㍍ほどの所 ところ にあるからです。道 どう 中 ちゅう の険 けわ しい山 やま 道 みち は,盗 とう 賊 ぞく が出 で ることでも知 し られていました。しかもこの時 とき ,パウロは健 けん 康 こう の問 もん 題 だい を抱 かか えていたようです。
11,12. ピシデアのアンティオキアの会 かい 堂 どう で,パウロはどのように聞 き き手 て の興 きょう 味 み を引 ひ こうとしましたか。
11 ピシデアのアンティオキアで,パウロとバルナバは安 あん 息 そく 日 び に会 かい 堂 どう に入 はい ります。こう書 か かれています。「律 りっ 法 ぽう と預 よ 言 げん 者 しゃ の言 こと 葉 ば が朗 ろう 読 どく された後 あと ,会 かい 堂 どう の役 やく 員 いん たちからこう頼 たの まれた。『兄 きょう 弟 だい たち,皆 みな に何 なに か励 はげ ましの言 こと 葉 ば があれば,話 はな してください』」。(使 し 徒 と 13:15 )パウロは立 た ち上 あ がって話 はな します。
12 パウロは,「皆 みな さん,イスラエルの方 かた も神 かみ を畏 おそ れるほかの方 かた も」と言 い って話 はな し始 はじ めます。(使 し 徒 と 13:16 )話 はなし を聞 き いていたのはユダヤ人 じん とユダヤ教 きょう に改 かい 宗 しゅう した人 ひと たちでした。彼 かれ らは,イエスには神 かみ から与 あた えられた大 たい 切 せつ な役 やく 目 め があることをまだ知 し りません。パウロはどのように教 おし えるでしょうか。まず,ユダヤ国 こく 民 みん の歴 れき 史 し を簡 かん 単 たん に振 ふ り返 かえ りました。エホバが「エジプトで外 がい 国 こく 人 じん として生 せい 活 かつ する民 たみ を強 きょう 大 だい にし……そこから連 つ れ出 だ し」たこと,その後 ご の40年 ねん 間 かん 「荒 こう 野 や でその民 たみ のことを辛 しん 抱 ぼう し」たことを話 はな します。また,イスラエル人 じん が約 やく 束 そく の地 ち を征 せい 服 ふく し,エホバから「その土 と 地 ち を……授 さず け」られたことも話 はな しました。(使 し 徒 と 13:17-19 )パウロは,つい先 さき ほど安 あん 息 そく 日 び の習 しゅう 慣 かん で朗 ろう 読 どく された聖 せい 句 く に触 ふ れていたのかもしれない,と言 い われています。もしそうだとすれば,パウロはこの時 とき も,「あらゆる人 ひと に対 たい してあらゆるものにな」ろうとしていたことになります。(コリ一 いち 9:22 )
13. 伝 でん 道 どう する時 とき ,パウロにどのように倣 なら えますか。
13 私 わたし たちも伝 でん 道 どう する時 とき ,興 きょう 味 み を持 も ってもらえるような話 はなし をしたいと思 おも います。相 あい 手 て に宗 しゅう 教 きょう 心 しん があるか,どういう考 かんが えを持 も っているかを知 し るようにし,ぴったりの話 わ 題 だい を選 えら びましょう。なるほどと思 おも ってもらえるような聖 せい 書 しょ のフレーズに触 ふ れることもできます。聖 せい 書 しょ を開 ひら いて見 み せ,読 よ んでもらうことが良 よ い場 ば 合 あい もあります。何 なに が相 あい 手 て の心 こころ に響 ひび くかをいつも考 かんが えましょう。
14. (ア)パウロは,イエスについての良 よ い知 し らせをどのように伝 つた えましたか。どんなことを警 けい 告 こく しましたか。(イ)聞 き いていた人 ひと たちはどうしましたか。
14 パウロは次 つぎ に,イスラエルの王 おう の家 か 系 けい から「救 すく い主 ぬし イエス」が生 う まれた経 けい 緯 い を話 はな し,イエスが登 とう 場 じょう する前 まえ に,バプテスマを施 ほどこ す人 ひと ヨハネが活 かつ 躍 やく したことに触 ふ れます。さらに,イエスが処 しょ 刑 けい され,復 ふっ 活 かつ したことも説 せつ 明 めい します。(使 し 徒 と 13:20-37 )そしてこう言 い います。「ですから……このことを知 し ってください。この方 かた の死 し による罪 つみ の許 ゆる しが皆 みな さんに広 ひろ められており,……信 しん じる人 ひと は皆 みな ,この方 かた によって無 む 罪 ざい とされるのです」。それからこう警 けい 告 こく します。「預 よ 言 げん 書 しょ で述 の べられている次 つぎ のことが皆 みな さんに起 お きないように注 ちゅう 意 い してください。『あざける者 もの たち,見 み て,驚 おどろ き,滅 ほろ びてしまいなさい。私 わたし はあなたたちの時 じ 代 だい に1つのことをする。そのことを誰 だれ かが詳 くわ しく話 はな したとしても,あなたたちは決 けっ して信 しん じない』」。聞 き いていた人 ひと たちはどうしたでしょうか。うれしいことに,「人 ひと 々 びと は,こうしたことを次 つぎ の安 あん 息 そく 日 び にもぜひ話 はな してほしいと頼 たの んだ」とあります。しかも,会 かい 堂 どう の集 しゅう 会 かい が終 お わると,「多 おお くのユダヤ人 じん や神 かみ を崇 すう 拝 はい する改 かい 宗 しゅう 者 しゃ がパウロとバルナバに付 つ いて」いきました。(使 し 徒 と 13:38-43 )
「 私 わたし たちは 異 い 国 こく の 人 ひと 々 びと の 方 ほう に 向 む かいます」( 使 し 徒 と 13:44-52 )
15. 次 つぎ の安 あん 息 そく 日 び にどんなことがありましたか。
15 次 つぎ の安 あん 息 そく 日 び ,「町 まち のほとんどの人 ひと 」がパウロの話 はなし を聞 き きにやって来 き ます。ユダヤ人 じん はそれが気 き に入 い らず,「パウロが語 かた ることを冒 ぼう 瀆 とく して反 はん 論 ろん するように」なります。パウロとバルナバは彼 かれ らに堂 どう 々 どう とこう言 い います。「神 かみ の言 こと 葉 ば はまずあなた方 がた に語 かた られることが必 ひつ 要 よう でした。あなた方 がた がそれを退 しりぞ けて,永 えい 遠 えん の命 いのち に値 あたい しない者 もの であることを示 しめ すのですから,私 わたし たちは異 い 国 こく の人 ひと 々 びと の方 ほう に向 む かいます。エホバは次 つぎ のような言 こと 葉 ば で私 わたし たちに命 めい 令 れい しています。『私 わたし はあなたを国 くに 々 ぐに の光 ひかり に任 にん 命 めい した。あなたは地 ち の果 は てにまで救 すく いをもたらすのである』」。(使 し 徒 と 13:44-47。イザ 49:6 )
「ユダヤ人 じん たちは……パウロとバルナバに対 たい して迫 はく 害 がい を起 お こし[た]。弟 で 子 し たちはその後 ご も喜 よろこ びにあふれ,聖 せい なる力 ちから に満 み たされていた」。使 し 徒 と 13:50-52
16. ユダヤ人 じん たちは,パウロとバルナバの話 はなし を聞 き いてどうしましたか。それに対 たい して,2人 ふたり はどうしましたか。
16 2人 ふたり の話 はなし を聞 き いた異 い 国 こく 人 じん たちは喜 よろこ び,「永 えい 遠 えん の命 いのち を得 え るための正 ただ しい態 たい 度 ど を持 も つ人 ひと は皆 みな ,信 しん 者 じゃ とな」りました。(使 し 徒 と 13:48 )エホバの言 こと 葉 ば はその地 ち 方 ほう 一 いっ 帯 たい に広 ひろ まります。一 いっ 方 ぽう ,ユダヤ人 じん たちはかたくなです。パウロとバルナバが言 い ったように,神 かみ の言 こと 葉 ば はまず彼 かれ らに語 かた られたのに,彼 かれ らはメシアを拒 きょ 絶 ぜつ しました。それで,神 かみ から処 しょ 罰 ばつ されても仕 し 方 かた ありません。ユダヤ人 じん たちは2人 ふたり の話 はなし の後 あと ,「著 ちょ 名 めい な女 じょ 性 せい たちや町 まち の主 おも 立 だ った人 ひと たちをあおり,パウロとバルナバに対 たい して迫 はく 害 がい を起 お こし,境 きょう 界 かい の外 そと に追 お い出 だ し」ます。2人 ふたり はどうするでしょうか。「その人 ひと たちに対 たい して足 あし の土 つち を振 ふ り払 はら い,イコニオムに行 い 」きます。ピシデアのアンティオキアでのキリスト教 きょう の進 しん 展 てん はもう見 み 込 こ めないのでしょうか。そんなことはありません。残 のこ された弟 で 子 し たちは「その後 ご も喜 よろこ びにあふれ,聖 せい なる力 ちから に満 み たされて」いました。(使 し 徒 と 13:50-52 )
17-19. パウロとバルナバからどんなことを学 まな べますか。どうすれば喜 よろこ びながら伝 でん 道 どう を続 つづ けられますか。
17 パウロとバルナバの対 たい 応 おう から大 たい 切 せつ なことを学 まな べます。たとえ権 けん 力 りょく 者 しゃ たちが伝 でん 道 どう をやめさせようとしても,私 わたし たちはやめません。アンティオキアの人 ひと たちからの反 はん 対 たい に遭 あ った時 とき ,パウロとバルナバは「足 あし の土 つち を振 ふ り払 はら い」ました。いら立 だ ってそうしたわけではありません。これは,自 じ 分 ぶん に責 せき 任 にん がないことを示 しめ す動 どう 作 さ でした。2人 ふたり は,自 じ 分 ぶん の力 ちから ではどうにもできないことがあるのを認 みと めていました。その人 ひと が良 よ い知 し らせを聞 き くかどうかは,その人 ひと にしか決 き められません。でも,私 わたし たちにも決 き められることがあります。 伝 でん 道 どう を続 つづ けるかどうかです。それは私 わたし たちが自 じ 分 ぶん で決 き められます。2人 ふたり はイコニオムに行 い って伝 でん 道 どう を続 つづ けることに決 き めました。
18 アンティオキアに残 のこ された弟 で 子 し たちはどうだったでしょうか。反 はん 対 たい の中 なか ,活 かつ 動 どう を続 つづ けなければいけませんでした。でも喜 よろこ んでいられました。相 あい 手 て が聞 き いてくれるかどうかだけに注 ちゅう 目 もく していたわけではないからです。イエスが言 い ったように,「神 かみ の言 こと 葉 ば を聞 き いて守 まも っている人 ひと たちこそ幸 こう 福 ふく です!」(ルカ 11:28 )アンティオキアの人 ひと たちは,神 かみ から言 い われた通 とお りに働 はたら けていることをうれしく思 おも っていました。それで,喜 よろこ んでいられました。
19 私 わたし たちの責 せき 任 にん はあくまで良 よ い知 し らせを伝 つた えることです。パウロとバルナバに倣 なら って,そのことを忘 わす れないようにしましょう。良 よ い知 し らせを聞 き こうとするかどうかは,相 あい 手 て が決 き めることです。聞 き いてくれる人 ひと が少 すく ないと思 おも えるときは,1世 せい 紀 き の兄 きょう 弟 だい たちのことを思 おも い出 だ しましょう。良 よ い知 し らせの素 す 晴 ば らしさを忘 わす れず,聖 せい なる力 ちから に導 みちび かれるようにすれば,反 はん 対 たい に遭 あ っても喜 よろこ んでいられます。(ガラ 5:18, 22 )
バルナバ 「 慰 なぐさ めの 子 こ 」
初 しょ 期 き のエルサレム会 かい 衆 しゅう の主 おも 立 だ った人 ひと の中 なか に,レビ族 ぞく でキプロス島 とう 生 う まれのヨセフがいました。ヨセフは使 し 徒 と たちからバルナバとも呼 よ ばれていました。バルナバは「慰 なぐさ めの子 こ 」という意 い 味 み で,彼 かれ の人 ひと 柄 がら をよく表 あらわ す名 な 前 まえ でした。(使 し 徒 と 4:36 )バルナバは,仲 なか 間 ま の信 しん 者 じゃ が困 こま っていることに気 き 付 づ くと,すぐに助 たす けました。
33年 ねん のペンテコステの日 ひ に,3000人 にん がバプテスマを受 う けました。その多 おお くはおそらく,祭 まつ りのために遠 とお くからエルサレムに来 き ていた人 ひと たちで,予 よ 定 てい より長 なが く滞 たい 在 ざい することになりました。会 かい 衆 しゅう には,大 おお 勢 ぜい の人 ひと を世 せ 話 わ するための資 し 金 きん が必 ひつ 要 よう でした。そこでバルナバは土 と 地 ち を売 う り,得 え たお金 かね を使 し 徒 と たちの所 ところ に持 も っていって寄 き 付 ふ しました。(使 し 徒 と 4:32-37 )
バルナバはクリスチャンの立 りっ 派 ぱ な監 かん 督 とく で,進 すす んで人 ひと を助 たす けました。タルソスのサウロがクリスチャンになって間 ま もない頃 ころ ,弟 で 子 し たちはみんなサウロを怖 こわ がっていましたが,バルナバが仲 なか を取 と り持 も ってあげました。(使 し 徒 と 9:26,27 )異 い 国 こく 人 じん のクリスチャンとの関 かん 係 けい について,ペテロと一 いっ 緒 しょ にパウロからはっきり助 じょ 言 げん された時 とき ,素 す 直 なお に受 う け入 い れました。(ガラ 2:9, 11-14 )このように,バルナバは「慰 なぐさ めの子 こ 」という名 な 前 まえ の通 とお り,優 やさ しい人 ひと でした。