17. どんな人がエルサレムの統治体として奉仕していましたか。その中に「長老たち」がいたのはどうしてですか。
17 格言 13章10節には,「助言を求める人たちには知恵がある」とあります。この言葉の通り,「使徒や長老たちは,この件[割礼の問題]について調べるために集ま」りました。(使徒 15:6)「使徒や長老たち」はクリスチャン会衆みんなの代表としてこの件を検討しました。現代の統治体もそうしています。1世紀の統治体の中に,使徒たちだけでなく「長老たち」もいたのはどうしてでしょうか。使徒ヤコブは処刑されていましたし,使徒ペテロは一時期,牢屋に入れられていました。ほかの使徒たちも同じような目に遭うかもしれません。重い責任を担う監督の中に,使徒以外の,聖なる力を受けた信頼できる兄弟たちがいれば,安心です。
18,19. ペテロは確信を持ってどんなことを話しましたか。聞いていた人はどんなふうに考えることができたはずですか。
18 「使徒の活動」の記録はこう続きます。「活発な論議が続いた後,ペテロが立ってこう言った。『皆さん,兄弟たち,よくご存じの通り,神は私たちの中から私をまず選んで異国の人々に良い知らせを伝えさせ,その人たちが聞いて信じるようにしました。そして,人の心を知っている神は,私たちと同じようにその人たちにも聖なる力を与え,その人たちを認めていることを示しました。また,私たちとその人たちとの間に何の差別も設けず,彼らの心を信仰のゆえに清めました』」。(使徒 15:7-9)ある文献によれば,「活発な論議」と訳されているギリシャ語には「探し求めること」,「質問すること」という意味もあります。兄弟たちは意見が分かれていましたが,自分の考えを自由に発言したことが分かります。
19 ペテロの話には説得力がありました。彼は,異国人たちが初めて聖なる力を受けるのを実際に見ていました。それは36年,割礼を受けていないコルネリオと家の人たちに聖なる力が注がれた時のことでした。エホバがユダヤ人と異国人を区別しなくなったのであれば,いったい誰がそうしてよいでしょうか。さらに,エホバに正しいと認めてもらうのに必要なのは,キリストへの信仰であって,モーセの律法を守ることではありません。(ガラ 2:16)
20. 割礼を奨励するなら,どうして「神を試」すことになりますか。
20 神の言葉を聞き,聖なる力が働くのを見てきたペテロは,自信を持って最後にこう言います。「ですから,どうして今,父祖も私たちも負えなかった重荷を弟子たちに課して,神を試したりするのですか。今や私たちは,救いは主イエスの惜しみない親切によるという信仰を持っており,その人たちの救いも同じなのです」。割礼を奨励するなら,「神を試」す(別の訳によると「神に辛抱を強い」る)ことになってしまいます。(使徒 15:10,11,フィリップス訳[英語])自分たちもしっかり守れなかった律法を,異国人に守るよう勧めることになるからです。ユダヤ人は,律法を守ると約束しながら守らず,国民として有罪とされました。(ガラ 3:10)それでも神は,イエスを遣わして惜しみない親切を示しました。大切なのは,そのことに感謝して信仰を持つことでした。
21. バルナバとパウロはどんなことを話しましたか。
21 聞いていた人たちは,はっとさせられたようです。「一同は黙り」込んでしまいます。その後,バルナバとパウロは「自分たちを通して神が異国の人々の間で行った多くの奇跡や不思議なことについて話し」ます。(使徒 15:12)こうして証拠は全て出そろい,使徒や長老たちが割礼の件について決定を下す時が来ました。神の考えに沿った決定ができるはずです。
22-24. (ア)現代の統治体は1世紀の統治体にどのように倣っていますか。(イ)長老たちは話し合っても答えが出ないとき,自分の立場をわきまえ,どうしますか。
22 現代でも,統治体が会合する時には,聖書をよく調べ,真剣に祈って聖なる力を求めます。(詩 119:105。マタ 7:7-11)前もって議題を知らされるので,それぞれが祈りつつよく考えておくことができます。(格 15:28)会合では,敬意を込めながら自由に意見を出し合います。いつも聖書を使いながら話し合います。
23 会衆の長老たちもその手本に倣います。長老たちが話し合っても答えが出ない重要なことがあれば,長老団は支部事務所か,支部事務所の代表者(巡回監督など)に相談します。支部は必要に応じて統治体に尋ねます。
24 エホバが愛するのは,自分の立場をわきまえて時を待ち,設けられている取り決めを尊重する人たちです。エホバはそういう人たちを成功させてくださいます。次の章で見るように,1世紀のクリスチャンも,そうやってみんなが心を一つにして平和になり,ますます活気づいていきます。