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神の王国について徹底的に教える
徹 14章 108–115ページ

14章

「全ぜん員いん一いっ致ちで決けっ定ていしました」

統とう治ち体たいが決けっ定ていを下くだし,クリスチャンたちの心こころが一ひとつになる

使し徒と 15:13-35

1,2. (ア)1世せい紀きの統とう治ち体たいはどんな大だい事じな問もん題だいを検けん討とうしていましたか。(イ)結けつ論ろんを出だすためにどんなことが役やく立だちましたか。

どうやらついに結けつ論ろんが出でそうです。集あつまった使し徒とや長ちょう老ろうたちは顔かおを見み合あわせ,いよいよ大おおきな決けっ定ていが下くだされるのを感かんじます。割かつ礼れいの件けんで,大だい事じな問もん題だいが浮うかび上あがっていました。クリスチャンはモーセの律りっ法ぽうを守まもらなければいけないのでしょうか。ユダヤ人じんと異い国こく人じんは区く別べつされるべきなのでしょうか。

2 使し徒とや長ちょう老ろうたちは幾いくつもの事じ実じつを検けん討とうしました。神かみの預よ言げんの言こと葉ばを確かく認にんし,神かみの力ちからが働はたらいているのを感かんじた体たい験けん談だんも聞ききました。みんなが自じ由ゆうに意い見けんを出だし合あいました。証しょう拠こは十じゅう分ぶんに出でそろっています。エホバの聖せいなる力ちからが示しめしている方ほう向こうは明あきらかです。兄きょう弟だいたちはそちらに進すすむでしょうか。

3. 使し徒と 15章しょうからどんなことを学まなべますか。

3 聖せいなる力ちからの流ながれに合あわせるには,かなりの信しん仰こうと勇ゆう気きが必ひつ要ようでした。ユダヤ人じんの宗しゅう教きょう指し導どう者しゃからより大おおきな反はん感かんを買かうことになります。会かい衆しゅう内ないのモーセの律りっ法ぽうにこだわる人ひとたちからの反はん発ぱつに遭あうかもしれません。統とう治ち体たいの兄きょう弟だいたちはどうするでしょうか。現げん代だいの統とう治ち体たいはその兄きょう弟だいたちの手て本ほんに倣ならっています。クリスチャンみんなにとっても,何なにかの決けっ定ていをしたり問もん題だいにぶつかったりしたときにぜひ見み習ならいたい手て本ほんです。

「預よ言げん者しゃの言こと葉ばはこのことと一いっ致ちしています」(使し徒と 15:13-21)

4,5. ヤコブはどんな預よ言げんの言こと葉ばを引ひき合あいに出だしましたか。

4 イエスの弟おとうとヤコブが話はなします。a ヤコブはこの会かい合ごうの司し会かい者しゃだったようです。ヤコブは,話はなし合あいの結けつ論ろんと思おもわれる点てんを言こと葉ばにしていきます。みんなにこう言いいます。「シメオンは,神かみが初はじめて異い国こくの人ひと々びとに注ちゅう意いを向むけて,その中なかからご自じ分ぶんの名なのための民たみを取とり出だした次し第だいを十じゅう分ぶんに話はなしてくれました。預よ言げん者しゃの言こと葉ばはこのことと一いっ致ちしています」。(使し徒と 15:14,15)

5 シメオン(シモン・ペテロ)の体たい験けん談だんや,バルナバとパウロの話はなしを聞きいて,ヤコブは関かん係けいのある聖せい句くを思おもい出だしたようです。(ヨハ 14:26)「預よ言げん者しゃの言こと葉ばはこのことと一いっ致ちしています」と言いってから,アモス 9章しょう11,12節せつの言こと葉ばを引いん用ようします。アモス書しょはヘブライ語ご聖せい書しょ中ちゅうの「預よ言げん者しゃ」と呼よばれていた部ぶ分ぶんに含ふくまれています。(マタ 22:40。使し徒と 15:16-18)ヤコブが引いん用ようしたアモスの言こと葉ばは,今いまのアモス書しょの言いい回まわしといくらか異ことなっています。ヤコブは,セプトゥアギンタ訳やく(ヘブライ語ご聖せい書しょをギリシャ語ごに翻ほん訳やくしたもの)から引いん用ようしたようです。

6. 聖せい書しょによってどんなことがはっきりしましたか。

6 エホバは預よ言げん者しゃアモスを通とおして,「ダビデの天てん幕まく」(ダビデの家か系けいを継ついだ王おう朝ちょう)を建たてる時ときが来くる,と預よ言げんしていました。メシア王おう国こくの誕たん生じょうを示し唆さしていたわけです。(エゼ 21:26,27)エホバは再ふたたび,ユダヤ国こく民みんだけと特とく別べつに関かかわるのでしょうか。いいえ,そうではありません。アモスの預よ言げんには,「全すべての国くにの人ひと々びと」が集あつめられ,「[神かみ]の名なで呼よばれる」とありました。ペテロもこう言いったばかりでした。「[神かみは]私わたしたち[ユダヤ人じんのクリスチャン]とその人ひとたち[異い国こく人じんのクリスチャン]との間あいだに何なんの差さ別べつも設もうけず,彼かれらの心こころを信しん仰こうのゆえに清きよめました」。(使し徒と 15:9)ユダヤ人じんも異い国こく人じんも同おなじく神かみの王おう国こくで王おうになれると神かみは考かんがえている,ということです。(ロマ 8:17。エフェ 2:17-19)異い国こく人じんのクリスチャンは割かつ礼れいを受うけたりユダヤ人じんと同どう化かしたりしなければ王おうになれない,という預よ言げんは聖せい書しょのどこにもありませんでした。

7,8. (ア)ヤコブはどんなことを提てい案あんしましたか。(イ)ヤコブは独どく断だんで決けっ定ていしようとしていましたか。

7 聖せい句くを確かく認にんし,説せっ得とく力りょくのある証しょう言げんを聞きいたヤコブは確かく信しんを深ふかめ,こう提てい案あんします。「ですから,私わたしの決けっ定ていは,神かみを崇すう拝はいするようになる異い国こくの人ひと々びとを煩わずらわさず,偶ぐう像ぞうによって汚けがされた物ものと性せい的てき不ふ道どう徳とくと絞しめ殺ころされた動どう物ぶつと血ちを避さけるよう書かき送おくることです。モーセの書しょは安あん息そく日びごとに会かい堂どうで朗ろう読どくされていて,それを教おしえる人ひとが昔むかしからどの町まちにもいます」。(使し徒と 15:19-21)

8 「ですから,私わたしの決けっ定ていは……です」と言いったヤコブは,司し会かい者しゃとして勝かっ手てに話はなしを進すすめ,独どく断だんで決けっ定ていしようとしていたのでしょうか。そんなことはありません。「私わたしの決けっ定ていは……です」と訳やくされるギリシャ語ごの表ひょう現げんには,「私わたしは……と判はん断だんします」や「私わたしは……という意い見けんです」という意い味みもあります。ヤコブはみんなを威い圧あつして従したがわせようとしていたわけではありません。挙あげられた証しょう拠こや聖せい句くに基もとづいて,どうするとよいかを提てい案あんしていました。

9. ヤコブの提てい案あんにはどんな利り点てんがありましたか。

9 ヤコブの提てい案あんが妥だ当とうなものだったので,使し徒とや長ちょう老ろうたちはそれを採さい用ようしました。その提てい案あんはまず,異い国こく人じんのクリスチャンたちを「煩わずらわさ」ない(新しん国こく際さい訳やく[英えい語ご]では,「困こまらせ」ない)ものでした。モーセの律りっ法ぽうに縛しばられなくてよくなるからです。(使し徒と 15:19)また,ユダヤ人じんの気き持もちにも配はい慮りょした提てい案あんでした。ユダヤ人じんたちは,「モーセの書しょ[が]安あん息そく日びごとに会かい堂どうで朗ろう読どくされ」るのを長なが年ねん聞きいていたからです。b (使し徒と 15:21)この提てい案あんの通とおりにすれば,ユダヤ人じんと異い国こく人じんのクリスチャンの間あいだに絆きずなが生うまれるはずです。何なにより,エホバの考かんがえと合あっていたので,エホバに喜よろこんでもらえる提てい案あんでした。いっときは会かい衆しゅうがばらばらになりそうでしたが,見み事ごとに問もん題だいを乗のり越こえることができました。現げん代だいのクリスチャンも見み習ならいたい素す晴ばらしい手て本ほんです。

1998年ねんの国こく際さい大たい会かいで話はなしをするアルバート・シュローダー

10. 現げん代だいの統とう治ち体たいは,1世せい紀きの統とう治ち体たいにどのように倣ならっていますか。

10 前まえの章しょうでも見みたように,現げん代だいのエホバの証しょう人にんの統とう治ち体たいも,いつでも最さい高こう主しゅ権けん者しゃエホバと,会かい衆しゅうのリーダー,イエス・キリストに頼たより,導みちびいてもらおうとします。c (コリ一いち 11:3)どのようにそうするのでしょうか。1974年ねんから統とう治ち体たいで奉ほう仕しし,2006年ねん3月がつに亡なくなったアルバート・D・シュローダーはこう言いっています。「水すい曜よう日びの統とう治ち体たいの会かい合ごうは,エホバの聖せいなる力ちからに導みちびいてもらえるよう,祈いのりで始はじめます。一ひとつ一ひとつの話はなし合あいや決けっ定ていが神かみの言こと葉ば 聖せい書しょに沿そっているかどうか,真しん剣けんに確たしかめます」。また,2003年ねん3月がつに亡なくなるまで統とう治ち体たいで長なが年ねん奉ほう仕ししたミルトン・G・ヘンシェルは,ものみの塔とうギレアデ聖せい書しょ学がっ校こうの第だい101期き卒そつ業ぎょう生せいに,こう問とい掛かけました。「統とう治ち体たいは重じゅう要ような決けっ定ていをするとき,必かならず神かみの言こと葉ば 聖せい書しょを確たしかめます。そういう人ひとたちが物もの事ごとを決きめるグループが果はたしてほかにあるでしょうか」。答こたえは言いうまでもありません。

「選えらんだ人ひとたちを……遣つかわす」(使し徒と 15:22-29)

11. 統とう治ち体たいの決けっ定ていはどのように各かく会かい衆しゅうに伝つたえられましたか。

11 エルサレムの統とう治ち体たいは,割かつ礼れいの件けんで全ぜん員いん一いっ致ちの決けっ定ていをしました。では,その決けっ定ていを各かく会かい衆しゅうの兄きょう弟だいたちにどう伝つたえるとよいでしょうか。みんなに受うけ入いれてもらえるよう,前まえ向むきなトーンで分わかりやすく伝つたえることが大たい切せつです。どうしたかがこう記き録ろくされています。「使し徒とや長ちょう老ろうたちは会かい衆しゅう全ぜん体たいと共ともに,自じ分ぶんたちの中なかから選えらんだ人ひとたちをパウロとバルナバと一いっ緒しょにアンティオキアに遣つかわすことに決きめた。バルサバと呼よばれるユダとシラスであり,兄きょう弟だいたちの中なかで大おおきな責せき任にんを担になっている人ひとたちだった」。さらに,手て紙がみを作さく成せいしてその人ひとたちに託たくし,アンティオキア,シリア地ち方ほう,キリキア地ち方ほうの全すべての会かい衆しゅうで読よまれるようにしました。(使し徒と 15:22-26)

12,13. (ア)ユダとシラスを遣つかわしたのが良よい判はん断だんだったといえるのはどうしてですか。(イ)統とう治ち体たいの手て紙がみによってどんなことが伝つたえられましたか。

12 ユダとシラスは「兄きょう弟だいたちの中なかで大おおきな責せき任にんを担になっている人ひとたち」で,統とう治ち体たいの代かわりに決けっ定ていを伝つたえるのに適てき任にんでした。統とう治ち体たいに遣つかわされた人ひとがやって来くれば,会かい衆しゅうの人ひとたちは,話はなされることが統とう治ち体たいからの明めい確かくな指し示じだと理り解かいしたでしょう。相そう談だんした事ことへの回かい答とうをただ伝つたえに来きただけ,とは思おもわなかったはずです。また,その人ひとたちが現げん地ちに赴おもむけば,エルサレムのユダヤ人じんのクリスチャンと,各かく会かい衆しゅうの異い国こく人じんのクリスチャンとの間あいだの距きょ離りが縮ちぢまるでしょう。これは,配はい慮りょの行いき届とどいた,とても親しん切せつなやり方かたでした。きっとクリスチャンたちみんなの心こころが一ひとつになるはずです。

統とう治ち体たいと6つの委い員いん会かい

1世せい紀きのクリスチャンと同おなじように,現げん代だいのエホバの証しょう人にんも,統とう治ち体たいが活かつ動どう全ぜん体たいを見み守まもり,指し示じを出だしています。統とう治ち体たいは,天てんに行いくよう神かみから選えらばれた兄きょう弟だいたちで構こう成せいされています。毎まい週しゅう,全ぜん体たいの会かい合ごうを開ひらきます。兄きょう弟だいたちは以い下かの6つの委い員いん会かいで奉ほう仕ししています。

  • 教きょう育いく委い員いん会かいは,巡じゅん回かい大たい会かい,地ち区く大たい会かい,会かい衆しゅうの集しゅう会かいでの教きょう育いくプログラムを計けい画かくし,オーディオやビデオの教きょう材ざいの制せい作さくを指し揮きし,見み守まもります。ギレアデ学がっ校こうや開かい拓たく奉ほう仕し学がっ校こうなどの各かく種しゅ学がっ校こうのカリキュラムを作つくり,支し部ぶの奉ほう仕し者しゃのための信しん仰こうを養やしなうプログラムも計けい画かくします。

  • 執しっ筆ぴつ委い員いん会かいは,エホバの証しょう人にん向むけと一いっ般ぱん向むけの聖せい書しょ出しゅっ版ぱん物ぶつの制せい作さくを指し揮きし,見み守まもります。聖せい書しょについての質しつ問もんに答こたえ,世せ界かい中じゅうの翻ほん訳やくの仕し事ごとを見み守まもり,ドラマの台だい本ほんや話はなしの筋すじ書がきなどを承しょう認にんします。

  • 出しゅっ版ぱん委い員いん会かいは,聖せい書しょ出しゅっ版ぱん物ぶつの印いん刷さつ,発はっ行こう,発はっ送そうを統とう括かつします。エホバの証しょう人にんの法ほう人じんが所しょ有ゆうし運うん営えいする印いん刷さつ施し設せつや土と地ち・建たて物ものを管かん理りし,支し部ぶ施し設せつや王おう国こく会かい館かんや大たい会かいホールの建けん設せつを監かん督とくします。寄き付ふされて集あつまった資し金きんをどう活かつ用ようするかも検けん討とうします。

  • 人じん事じ委い員いん会かいは,世せ界かい各かく地ちのエホバの証しょう人にんの支し部ぶで奉ほう仕しするベテル家か族ぞくの生せい活かつをサポートし,信しん仰こうが十じゅう分ぶんに養やしなわれるよう見み届とどけます。新あたらしい奉ほう仕し者しゃを支し部ぶに呼よぶことを承しょう認にんするのも,この委い員いん会かいです。

  • 調ちょう整せい者しゃ委い員いん会かいは,法ほう律りつに関かん係けいした事こと柄がらや,エホバの証しょう人にんが信しんじていることを正せい確かくに伝つたえるためのメディア対たい応おうを見み届とどけます。世せ界かい各かく地ちの災さい害がい,迫はく害がいなどの緊きん急きゅう事じ態たいにも対たい応おうします。

  • 奉ほう仕し委い員いん会かいは,宣せん教きょうを監かん督とくし,会かい衆しゅうの長ちょう老ろう,巡じゅん回かい監かん督とく,全ぜん時じ間かん奉ほう仕し者しゃに関かん係けいする事こと柄がらを扱あつかいます。世せ界かい中じゅうの活かつ動どうを着ちゃく実じつに推すい進しんさせるため,ギレアデ学がっ校こうに生せい徒とを呼よび,卒そつ業ぎょう後ご,必ひつ要ような場ば所しょに遣つかわすのも,この委い員いん会かいです。

統とう治ち体たいはいつも神かみの聖せいなる力ちからに導みちびいてもらおうとします。自じ分ぶんたちがエホバの証しょう人にんのリーダーだとは思おもっていません。天てんに行いく希き望ぼうを持もつほかのクリスチャンと同おなじように,「子こ羊ひつじ[イエス・キリスト]が行いく所ところにはどこにでも従したがってい」きます。(啓けい 14:4)

13 手て紙がみによって,異い国こく人じんのクリスチャンに明めい確かくな指し示じが与あたえられました。割かつ礼れいについてだけでなく,エホバに喜よろこばれるために必ひつ要ようなほかの事こと柄がらについても,はっきりとした指し示じがありました。手て紙がみにはこうありました。「聖せいなる力ちからによって私わたしたちは,次つぎの必ひつ要ような事こと柄がら以い外がい,皆みなさんに何なんの重おも荷にも加くわえないのがよいと考かんがえたからです。すなわち,偶ぐう像ぞうに犠ぎ牲せいとして捧ささげられた物もの,血ち,絞しめ殺ころされた動どう物ぶつ,性せい的てき不ふ道どう徳とくを避さけていることです。これらのものから注ちゅう意い深ぶかく身みを守まもっていれば,皆みなさんは穏おだやかに暮くらせます。健すこやかにお過すごしください」。(使し徒と 15:28,29)

14. 分ぶん断だんが進すすんだ世よの中なかで,エホバの証しょう人にんが一いっ致ち団だん結けつしているのはどうしてですか。

14 現げん在ざい,800万まん人にんを超こえるエホバの証しょう人にんが世せ界かい各かく地ちの10万まん以い上じょうの会かい衆しゅうで奉ほう仕ししています。みんなが心こころを一ひとつにして同おなじ活かつ動どうをしています。分ぶん断だんが進すすんだこの世よの中なかで,どうしてそんなことが可か能のうなのでしょうか。1つには,会かい衆しゅうのリーダー,イエス・キリストが「忠ちゅう実じつで思し慮りょ深ぶかい奴ど隷れい」(統とう治ち体たいのこと)を通とおして,明めい確かくな指し示じを与あたえているからです。(マタ 24:45-47)また,世せ界かい中じゅうの兄きょう弟だいたちが統とう治ち体たいの指し示じに喜よろこんで協きょう力りょくしているからです。

「人ひと々びとは……励はげましの言こと葉ばを喜よろこんだ」(使し徒と 15:30-35)

15,16. 割かつ礼れいの件けんはどんな解かい決けつを見みましたか。良よい結けつ末まつになったのはどうしてですか。

15 エルサレムを出しゅっ発ぱつした兄きょう弟だいたちは,アンティオキアに着つくと,「皆みなを集あつめて手て紙がみを渡わたし」ます。アンティオキアの兄きょう弟だいたちは,統とう治ち体たいの指し示じをどう受うけ止とめたでしょうか。「人ひと々びとは[手て紙がみ]を読よんで,励はげましの言こと葉ばを喜よろこんだ」とあります。(使し徒と 15:30,31)それからユダとシラスは,「何なん度ども話はなしをして兄きょう弟だいたちを励はげまし,力ちからづけ」ました。2人ふたりが「預よ言げん者しゃ」と呼よばれているのはそのためです。「預よ言げん者しゃ」は,神かみの考かんがえを広ひろめたり知しらせたりする人ひとを指さします。バルナバやパウロなどもそう呼よばれています。(使し徒と 13:1; 15:32。出しゅつ 7:1,2)

16 こうして,エホバからの後あと押おしがあり,順じゅん調ちょうに物もの事ごとが進すすみました。とても気き持もちの良よい解かい決けつでした。良よい結けつ末まつになったのはどうしてでしょうか。統とう治ち体たいがぴったりのタイミングで明めい確かくな指し示じを出だしました。その指し示じは神かみの言こと葉ばに基もとづいていて,聖せいなる力ちからに導みちびかれたものでした。そして,配はい慮りょの行いき届とどいた方ほう法ほうで指し示じが各かく会かい衆しゅうに伝つたえられました。

17. 巡じゅん回かい監かん督とくがしていることは,1世せい紀きに行おこなわれたこととどのように似にていますか。

17 1世せい紀きのクリスチャンに倣ならって,エホバの証しょう人にんの統とう治ち体たいも世せ界かい中じゅうの兄きょう弟だいたちに,その時とき々どきで必ひつ要ような指し示じを与あたえます。明めい確かくな指し示じをはっきり分わかるように各かく会かい衆しゅうに伝つたえます。例たとえば,巡じゅん回かい監かん督とくを通とおしてそうします。巡じゅん回かい監かん督とくは各かく会かい衆しゅうを回まわり,明めい確かくな指し示じを伝つたえ,温あたたかい言こと葉ばを掛かけます。パウロとバルナバのように宣せん教きょうにたくさん時じ間かんを使つかい,「ほかの多おおくの人ひとと一いっ緒しょにエホバの言こと葉ばの良よい知しらせを広ひろめ」ます。(使し徒と 15:35)ユダとシラスのように,「何なん度ども話はなしをして兄きょう弟だいたちを励はげまし,力ちからづけ」ます。

18. エホバに後あと押おししてもらうためには何なにが欠かかせませんか。

18 会かい衆しゅうとしてはどうでしょうか。分ぶん断だんが進すすんだ世よの中なかとは異ことなり,みんなで心こころを一ひとつにするために,どんなことを覚おぼえておくとよいでしょうか。ヤコブはしばらく後あとにこう書かいています。「天てんからの知ち恵えを持もつ人ひとは,第だい一いちに清きよく,次ついで平へい和わを求もとめ,分ふん別べつがあり,進すすんで従したがい[ます]。さらに,正ただしさの実みは,平へい和わをつくり出だしている人ひとたちのために,平へい和わな状じょう態たいの中なかでまかれた種たねから生しょうじます」。(ヤコ 3:17,18)こう書かいたヤコブが,エルサレムでの話はなし合あいのことを思おもい出だしていたかどうかは分わかりません。でも,使し徒と 15章しょうの出で来き事ごとから,みんなが一いっ致ち協きょう力りょくして初はじめてエホバからの後あと押おしがある,ということが分わかります。ヤコブが書かいた通とおりです。

19,20. (ア)アンティオキアの会かい衆しゅうの人ひとたちの心こころが一ひとつになっていたのは,どんなことから分わかりますか。(イ)パウロとバルナバは再ふたたびどんなことに打うち込こめるようになりましたか。

19 アンティオキアの会かい衆しゅうの人ひとたちの心こころは一ひとつになっていました。エルサレムから来きた兄きょう弟だいたちに反はん発ぱつしたりせず,訪ほう問もんしてくれたことに感かん謝しゃしました。こう書かかれています。「2人ふたりはそこでしばらく過すごした後あと,兄きょう弟だいたちから温あたたかく見み送おくられ,自じ分ぶんたちを遣つかわした人ひと々びとのもと[つまり,エルサレム]に戻もどっていった」。d (使し徒と 15:33)エルサレムの兄きょう弟だいたちも,戻もどってきた2人ふたりから良よい報ほう告こくを聞きいて喜よろこんだはずです。エホバの惜おしみない親しん切せつのおかげで,全すべてうまくいきました。

20 パウロとバルナバはアンティオキアにとどまります。再ふたたび,先せん頭とうに立たって良よい知しらせの伝でん道どうに打うち込こめそうです。現げん代だいの巡じゅん回かい監かん督とくも会かい衆しゅうを訪ほう問もんする時とき,そうします。私わたしたちはそういう姿し勢せいを見みると,自じ分ぶんも頑がん張ばろうと思おもいます。(使し徒と 13:2,3)パウロとバルナバがこの後あとどのように活かつ躍やくすることをエホバは願ねがっているでしょうか。次つぎの章しょうで見みてみましょう。

大会で,母親と娘が「若い人が尋ねる質問 ― 実際に役立つ答え」第2巻を手にしている。

聖せい書しょを深ふかく学まなべるよう,統とう治ち体たいと統とう治ち体たいが選えらんだ人ひとたちが助たすけてくれている。

ヤコブ 「主しゅの弟おとうと」

ヨセフとマリアの息子むすこヤコブは,イエスの弟おとうとの中なかで最さい初しょに名な前まえが挙あげられています。(マタ 13:54,55)そのことからすると,イエスのすぐ下したの弟おとうとだったのかもしれません。イエスと一いっ緒しょに育そだち,イエスの宣せん教きょうの様よう子すを目めにしました。実じっ際さいに見みたかどうかは分わかりませんが,イエスの「強きょう力りょくな行おこない」を知しっていました。それでも,イエスの宣せん教きょう期き間かん中ちゅう,ヤコブもほかの弟おとうとたちもイエスに「信しん仰こうを抱いだいていなかった」とあります。(ヨハ 7:5)親しん族ぞくの中なかにはイエスのことを,「頭あたまがおかしくなってしまった」と言いう人ひとがいました。ヤコブも同おなじように感かんじていたかもしれません。(マル 3:21)

巻物を読んでいるヤコブ

ところが,イエスが亡なくなって復ふっ活かつした後あと,ヤコブたちは大おおきく変かわります。ギリシャ語ご聖せい書しょにはヤコブという名な前まえの人ひとがほかにも3人にん出でてきますが,イエスが復ふっ活かつ後ご40日にちの間あいだに個こ人じん的てきに会あったのは,弟おとうとのヤコブだったようです。(コリ一いち 15:7)ヤコブはその時ときに,兄あにのイエスがメシアであることをはっきり理り解かいできたのかもしれません。いずれにしても,イエスが天てんに行いってから10日かもしないうちに,マリア,ヤコブ,ほかの弟おとうとたちは,使し徒とたちと一いっ緒しょに階かい上じょうの部へ屋やに集あつまって祈いのっていました。(使し徒と 1:13,14)

やがてヤコブは,エルサレム会かい衆しゅうの中なかで尊そん敬けいされるようになります。その会かい衆しゅうの使し徒とつまり「遣つかわされた人ひと」と見みなされたようです。(ガラ 1:18,19)天てん使しがペテロを牢ろう屋やから救すくい出だした後あとに,ペテロが「これらのことをヤコブと兄きょう弟だいたちに報ほう告こくしてください」と言いったことから,ヤコブが主おも立だった存そん在ざいだったことが分わかります。(使し徒と 12:12,17)エルサレムの「使し徒とや長ちょう老ろうたち」が割かつ礼れいの件けんを検けん討とうすることになった時とき,ヤコブは話はなし合あいの司し会かいを務つとめたようです。(使し徒と 15:6-21)パウロは,ヤコブとケファ(ペテロ)とヨハネのことをエルサレム会かい衆しゅうの「柱はしらと見みなされていた」と言いいました。(ガラ 2:9)何なん年ねんか後ごに,パウロが3度ど目めの宣せん教きょう旅りょ行こうからエルサレムに戻もどった時とき,「ヤコブの所ところに」報ほう告こくしに行いくと,「長ちょう老ろうたちが皆みなそこにい」ました。(使し徒と 21:17-19)

パウロから「主しゅの弟おとうと」と呼よばれたこのヤコブが,聖せい書しょの「ヤコブの手て紙がみ」を書かいたようです。(ガラ 1:19)その中なかで自じ分ぶんのことを使し徒とあるいはイエスの弟おとうとと紹しょう介かいするのではなく,謙けん虚きょに,「神かみと主しゅイエス・キリストの奴ど隷れい」と言いっています。(ヤコ 1:1)「ヤコブの手て紙がみ」を読よむと,ヤコブはイエスと同おなじように,自し然ぜん界かいや人にん間げんの行こう動どうをよく観かん察さつしていたことが分わかります。奥おく深ぶかいことを説せつ明めいする例たとえとして,風かぜが吹ふき付つける海うみ,月つきや星ほしの光ひかり,灼しゃく熱ねつの太たい陽よう,もろくはかない花はな,山やま火か事じ,飼かいならされた動どう物ぶつなど,自し然ぜん界かいの身み近ぢかなものを使つかっています。(ヤコ 1:6,11,17; 3:5,7)聖せいなる力ちからに導みちびかれて人にん間げんの態たい度どや行こう動どうの本ほん質しつを見み抜ぬき,良よい人にん間げん関かん係けいに役やく立だつアドバイスをしています。(ヤコ 1:19,20; 3:2,8-18)

コリント第だい一いち 9章しょう5節せつのパウロの言こと葉ばからすると,ヤコブは結けっ婚こんしていたと思おもわれます。ヤコブがいつどのようにして亡なくなったかは聖せい書しょに書かかれていません。ユダヤ人じんの歴れき史し家かヨセフスによれば,62年ねんごろにローマ総そう督とくポルキオ・フェストが死しんで間まもなく,後こう継けい者しゃのアルビノスが着ちゃく任にんする前まえに,大だい祭さい司しアナヌス(アナニアス)は,「サンヘドリンの裁さい判ばん官かんたちを招しょう集しゅうし,キリストと呼よばれたイエスの兄きょう弟だいヤコブという男おとこや他たの者ものたちを,裁さい判ばん官かんたちの前まえに引ひき出だし」ました。そして,「律りっ法ぽうに違い犯はんしたとして彼かれらを告こく発はつし,石いし打うちにするため彼かれらを引ひき渡わたした」と言いわれています。

a 「ヤコブ 『主しゅの弟おとうと』」という囲かこみを参さん照しょう。

b ヤコブが「モーセの書しょ」に触ふれたことには大おおきな意い味みがありました。「モーセの書しょ」には律りっ法ぽう以い外がいのことも書かかれていたからです。律りっ法ぽうより前まえの時じ代だいに神かみがどんなことをしたか,どんな考かんがえを持もっていたかをそこから読よみ取とれます。例たとえば,血ち,姦かん淫いん,偶ぐう像ぞう崇すう拝はいをどう見みていたかが創そう世せい記きからよく分わかります。(創そう 9:3,4; 20:2-9; 35:2,4)エホバは,ユダヤ人じんか異い国こく人じんかを問とわず,全すべての人ひとに関かかわる行こう動どう指し針しんを明あきらかにしていたわけです。

c 「統とう治ち体たいと6つの委い員いん会かい」という囲かこみを参さん照しょう。

d シラスがアンティオキアにとどまることにしたという趣しゅ旨しの言こと葉ばが34節せつに入はいっている聖せい書しょ翻ほん訳やくもあります。(ジェームズ王おう欽きん定てい訳やく[英えい語ご])とはいえ,それは後こう代だいの加か筆ひつと思おもわれます。

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