6. 人間を救うための神の手段は,聖書の中でどんな言葉で表現されていますか。
6 エホバの解決策は,最高に憐れみ深く公正なものでした。どんな人間も考えつかないほど見事で,なおかつシンプルです。聖書の中で,買い取り,和解,償いなどと表現されています。(詩編 49:8,脚注。ダニエル 9:24。ガラテア 3:13。コロサイ 1:20。ヘブライ 2:17)一番ぴったりなのは,イエスが次の説明の中で使っている言葉です。「人の子も,仕えてもらうためではなく仕えるために,また多くの人と引き換える贖い[ギリシャ語,リュトロン]として自分の命を与えるために来ました」。(マタイ 20:28)
7-8. (ア)聖書の中で使われている「贖い」という言葉にはどんな意味がありますか。(イ)罪を贖うにはどんな代価を支払わなければなりませんか。
7 贖いとは何でしょうか。「リュトロン」というギリシャ語は,「解く」とか「解放する」という意味の動詞に由来していて,戦争捕虜を解放するために支払われた代価を指して使われました。ですから,贖いとは基本的に,何かを買い戻すために支払われるもののことです。ヘブライ語聖書の中で「贖い」と訳されている「コーフェル」という言葉は,「覆う」という意味の動詞に由来しています。例えば,神はノアに,箱船をタールで「覆い」なさい,と指示しました。(創世記 6:14,脚注)それで,贖うとは罪を覆うことでもあると分かります。(詩編 65:3,脚注)
8 「新約聖書神学辞典」(英語)によると,「コーフェル」という言葉は「常に等価のもの[または,対応するもの]を表して」います。ですから,罪を覆う,つまり贖うには,罪のせいで生じた損害と完全に等しい代価を支払わなければなりません。そのため,イスラエルに与えられた神の律法にはこう述べられていました。「命には命,目には目,歯には歯,手には手,足には足です」。(申命記 19:21)
9. 神に信仰を持つ人たちが動物を犠牲として捧げたのはどうしてですか。エホバはそうした犠牲についてどう思いましたか。
9 神に信仰を持ったアベルやそれ以降の人たちは,動物を犠牲として神に捧げました。そうすることによって,自分たちが罪深く,贖罪を必要としていると自覚していることを示しました。また,神が「子孫」によって人間を罪から解放する,という約束への信仰も示しました。(創世記 3:15; 4:1-4。レビ記 17:11。ヘブライ 11:4)エホバはそうした犠牲を喜び,その人たちの崇拝を受け入れました。しかし,動物は人間と同等ではないので,動物の犠牲は本当の意味で人の罪を覆うことはできませんでした。(詩編 8:4-8)そのため聖書に,「雄牛やヤギの血は罪を取り去ることができない」と書かれています。(ヘブライ 10:1-4)いずれ,動物の犠牲よりはるかに価値がある完全な贖いの犠牲が捧げられることになっていました。