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エホバに近づきなさい
近 第24章 240–249ページ
女性が悲しみの涙を流している。

第24章

どんなものも「神かみの愛あいから私わたしたちを引ひき離はなす」ことはできない

1. ある人ひとたちは神かみについてどのように考かんがえますか。

あなたはエホバ神かみに愛あいされていると感かんじますか。ある人ひとたちは,ヨハネ 3章しょう16節せつにあるように神かみが人じん類るい全ぜん体たいを愛あいしていることは分わかっていても,「自じ分ぶんのことなんて愛あいしてくれるわけがない」と考かんがえます。エホバに仕つかえる人ひとであっても,そういう気き持もちになることがあるかもしれません。気き落おちして,「神かみが私わたしのことを気きに掛かけてくれているなんてとても思おもえません」と言いった人ひともいます。あなたもそんな風ふうに感かんじることがありますか。

2-3. 自じ分ぶんなんてエホバに愛あいしてもらえないと,私わたしたちに思おもい込こませようとしているのは誰だれですか。ネガティブな気き持もちに負まけないように,何なにができますか。

2 サタンは,エホバ神かみが個こ人じんを愛あいしたり大たい切せつに思おもったりすることはないと,私わたしたちに信しんじ込こませようとしています。サタンはいろいろな方ほう法ほうで人ひとを惑まどわそうとします。(コリント第だい二に 11:3)得とく意いなのは誇ほこりや虚きょ栄えい心しんに訴うったえることですが,自じ分ぶんに自じ信しんがない人ひとの自じ尊そん心しんを打うち砕くだこうとすることもよくあります。(ヨハネ 7:47-49; 8:13,44)この危き機き的てきな「終おわりの時じ代だい」には特とくにその方ほう法ほうをよく使つかっています。現げん代だいの多おおくの人ひとは,「自し然ぜんな愛あい情じょう」がない家か庭ていで育そだち,乱らん暴ぼうで自じ己こ中ちゅう心しん的てきで強ごう情じょうな人ひとたちに囲かこまれています。(テモテ第だい二に 3:1-5)長なが年ねんにわたって虐ぎゃく待たいや差さ別べつを受うけてきたために,自じ分ぶんは役やく立たたずで誰だれからも愛あいされないと思おもい込こんでいる場ば合あいがあります。

3 そういう気き持もちになることがあっても,がっかりしないでください。自じ分ぶんに厳きびしくなり過すぎて,ネガティブに考かんがえてしまうことはあるものです。しかし,神かみの言こと葉ばは人ひとの考かんがえ方かたを「矯きょう正せいし」,「要よう塞さいのように強きょう固こなものを打うち砕くだ」くことができます。(テモテ第だい二に 3:16。コリント第だい二に 10:4)聖せい書しょにはこう書かかれています。「私わたしたちは……神かみの前まえで安あん心しんできます。心こころに責せめられることがあっても安あん心しんできるのです。神かみは私わたしたちの心こころより大おおきく,全すべてのことを知しっているからです」。(ヨハネ第だい一いち 3:19,20)聖せい書しょを学まなぶと,エホバが愛あいしてくれていることを確かく信しんして「安あん心しん」できます。では,私わたしたちを力ちからづける聖せい書しょの教おしえを4つ考かんがえてみましょう。

エホバは私わたしたちのことを大たい切せつに思おもっている

4-5. スズメについてのイエスの例たとえから,エホバが私わたしたちを大たい切せつに思おもってくれていることがどのように分わかりますか。

4 1つ目めの点てんとして,聖せい書しょによれば神かみは自じ分ぶんに仕つかえる一人ひとり一人ひとりのことを大たい切せつに思おもっています。例たとえば,イエスはこう言いいました。「スズメ2羽わは小しょう額がくの硬こう貨か1枚まいで売うっていませんか。それでも,その1羽わでさえ,天てんの父ちちが知しらないうちに地じ面めんに落おちることはありません。ところが,あなたたちは髪かみの毛けまで全すべて数かぞえられています。ですから,恐おそれることはありません。あなたたちはたくさんのスズメより価か値ちがあるのです」。(マタイ 10:29-31)このイエスの言こと葉ばを聞きいた1世せい紀きの人ひとたちはどう思おもったでしょうか。

スズメがひなに餌を与えている。

「あなたたちはたくさんのスズメより価か値ちがあるのです」

5 当とう時じ,スズメは食しょく用ようの鳥とりの中なかで最もっとも安やすく,少しょう額がくの硬こう貨か1枚まいで2羽わ買かえました。さらに,イエスが後のちに語かたったように,硬こう貨かを2枚まい支し払はらうと,4羽わではなく5羽わ買かえました。1羽わがおまけで添そえられるほど,大たいした価か値ちがないと思おもわれていたようです。でも,創そう造ぞう者しゃはスズメをどう見みていたでしょうか。「その[おまけの]1羽わでさえ神かみに忘わすれられることはありません」とイエスは言いいました。(ルカ 12:6,7)エホバは1羽わのスズメをそのように大たい切せつに思おもっているのですから,なおのこと1人ひとりの人にん間げんをとても大たい切せつに思おもってくれていると分わかります。イエスが説せつ明めいした通とおり,エホバは私わたしたち一人ひとり一人ひとりのことを,髪かみの毛けの数かずまで全すべて知しっています。

6. 私わたしたちの髪かみの毛けが数かぞえられているというイエスの言こと葉ばは大おおげさではないと確かく信しんできるのはどうしてですか。

6 髪かみの毛けが数かぞえられているなんて,イエスは大おおげさなことを言いっている,と思おもう人ひともいるかもしれません。しかし,復ふっ活かつの希き望ぼうについて考かんがえてみてください。亡なくなった人ひとを再ふたたび造つくるため,エホバは一人ひとり一人ひとりのことを細こまかいところまで詳くわしく知しっているに違ちがいありません。私わたしたちのことを本ほん当とうに大たい切せつに思おもっているので,私わたしたちの遺い伝でん情じょう報ほうや一いっ生しょうの記き憶おくなど,ありとあらゆることを覚おぼえてくれています。a ですから当とう然ぜん,エホバは1人ひとり平へい均きん10万まん本ぼんほどの髪かみの毛けの数かずも知しっているはずです。

エホバは私わたしたちを高たかく評ひょう価かしてくれる

7-8. (ア)人ひとの心こころを探さぐっているエホバは,どんな人ひとを見みつけるとうれしく思おもいますか。(イ)エホバはどんな行おこないを高たかく評ひょう価かしますか。

7 2つ目めに,聖せい書しょによるとエホバは私わたしたちの良よいところや払はらっている努ど力りょくを高たかく評ひょう価かしてくれます。ダビデ王おうは息子むすこソロモンに,「エホバは全すべての心こころを探さぐり,考かんがえの傾けい向こうを全すべて見み極きわめる方かただ」と言いいました。(歴れき代だい第だい一いち 28:9)エホバは世せ界かい中じゅうの何なん十じゅう億おくもの人ひとの心こころを探さぐっています。暴ぼう力りょくや憎にくしみに満みちた世よの中なかで,平へい和わや真しん理りや正ただしいことを愛あいする心こころを持もつ人ひとを見みつけると,本ほん当とうにうれしく思おもうに違ちがいありません。心こころが神かみへの愛あいであふれていて,神かみについて知しりたい,学まなんだことを他たの人ひとにも伝つたえたいと思おもっている人ひとを,エホバは温あたたかく見み守まもっています。そして,「エホバを畏おそれる人ひとと神かみの名なについて思おもい巡めぐらす人ひと」を愛あいし,そういう人ひとの名な前まえを「記き録ろくの書しょ」に記しるします。(マラキ 3:16)

8 エホバはどんな良よい行おこないを高たかく評ひょう価かするのでしょうか。例たとえば,イエス・キリストに見み習ならおうとする私わたしたちの努ど力りょくです。(ペテロ第だい一いち 2:21)それには,神かみの王おう国こくの良よい知しらせを伝つたえるという重じゅう要ような活かつ動どうも含ふくまれます。ローマ 10章しょう15節せつには,「良よい事こと柄がらについての良よい知しらせを広ひろめる者ものたちの足あしは何なんと美うつくしいのでしょう!」と書かかれています。私わたしたちは自じ分ぶんの足あしが美うつくしいなどとは思おもわないかもしれませんが,この聖せい句くの「足あし」はエホバに仕つかえる人ひとが良よい知しらせを伝つたえるために払はらう努ど力りょくを表あらわしています。そうした努ど力りょく全すべてはエホバから見みて美うつくしく,宝たからのようです。(マタイ 24:14; 28:19,20)

9-10. (ア)いろいろ大たい変へんな中なかで忍にん耐たいする私わたしたちをエホバが高たかく評ひょう価かしてくれると確かく信しんできるのはどうしてですか。(イ)エホバは私わたしたちに対たいしてどんな見み方かたはしませんか。

9 エホバは私わたしたちの忍にん耐たいも高たかく評ひょう価かします。(マタイ 24:13)サタンはあなたがエホバに背せを向むけることを願ねがっていますが,あなたはエホバから離はなれないように日ひ々び頑がん張ばっていることでしょう。そうすることにより,神かみをあざけるサタンが間ま違ちがっていることを示しめしています。(格かく言げん 27:11)忍にん耐たいするのは決けっして簡かん単たんではありません。健けん康こう上じょうの問もん題だい,お金かねの心しん配ぱい,悩なやみやストレスなどのせいで,生いきていくのが大たい変へんだと感かんじることがあります。期き待たいがなかなか実じつ現げんしないために落おち込こむこともあるでしょう。(格かく言げん 13:12)そういう大たい変へんな中なかで忍にん耐たいする私わたしたちの姿すがたは,エホバから見みていとおしいものです。そのエホバの見み方かたを知しっていたダビデ王おうは,「私わたしの涙なみだをあなたの革かわ袋ぶくろに集あつめてください」とエホバにお願ねがいし,その涙なみだは「あなたの書しょに記しるされている」と確かく信しんを込こめて言いいました。(詩し編へん 56:8)その言こと葉ばの通とおり,エホバは私わたしたちが忠ちゅう誠せいを貫つらぬくために忍にん耐たいして流ながす涙なみだを全すべて大たい切せつに心こころにしまっておいてくれます。その涙なみだはエホバから見みて宝ほう石せきのように輝かがやいているからです。

大たい変へんな中なかで忍にん耐たいする私わたしたちを,エホバはいとおしく思おもっている

10 しかし,神かみが高たかく評ひょう価かしてくれることを知しっても,自じ分ぶんは駄だ目めだと思おもってしまうことがあるかもしれません。「私わたしより立りっ派ぱな人ひとがたくさんいる。そのような人ひとたちと私わたしを比くらべて,エホバはがっかりしているに違ちがいない」と考かんがえてしまうのです。でも,エホバは私わたしたちを他たの人ひとと比くらべたりはしません。人ひとを厳きびしく見みたり,できないことを求もとめたりもしません。(ガラテア 6:4)私わたしたちの心こころを注ちゅう意い深ぶかく見みて,わずかでも良よいところがあればそれを高たかく評ひょう価かしてくれます。

エホバは私わたしたちの良よいところを見みつけ出だしてくれる

11. アビヤの例れいから,エホバについてどんなことが分わかりますか。

11 3つ目めに,エホバは私わたしたちの短たん所しょや欠けっ点てんも全すべて知しっていますが,それでも良よいところを見みつけ出だしてくれます。アビヤの例れいを考かんがえてみましょう。エホバは背はい教きょうしたヤラベアム王おう家けを滅ほろぼすことにしましたが,王おうの息子むすこの1人ひとりアビヤだけはきちんと葬ほうむられるようにしました。なぜなら,「イスラエルの神かみエホバは,……その子この内うちに良よいことを見みつけ出だしたからです」。(列れつ王おう第だい一いち 14:1,10-13)エホバはいわばその若わか者ものの心こころをふるいにかけ,「良よいこと」を見みつけました。そして,それが微び々びたるものだったとしても聖せい書しょに記き録ろくする価か値ちがあると考かんがえました。さらに,その良よいことに対たいする報むくいとして,背はい教きょうした王おう家けの一いち員いんだったアビヤにある程てい度どの憐あわれみを示しめしました。

12-13. (ア)私わたしたちが罪つみを犯おかしても,エホバは良よいところに注ちゅう目もくしてくれます。そのことがエホシャファト王おうの例れいからどのように分わかりますか。(イ)エホバはどんな点てんで愛あい情じょう深ぶかい親おやのようですか。

12 良よい王おうだったエホシャファトの例れいも,とても励はげみになります。この王おうが愚おろかなことをした時とき,エホバの預よ言げん者しゃは「今こん回かいのことで,エホバはあなたに憤いきどおっています」と言いいました。どきっとするような言こと葉ばですが,エホバからのメッセージはそれで終おわりではありませんでした。預よ言げん者しゃは続つづけて,「それでも,あなたに良よい点てんがあります」と言いいました。(歴れき代だい第だい二に 19:1-3)エホバは正せい当とうな怒いかりを感かんじましたが,エホシャファトの良よい点てんが見みえなくなることはありませんでした。不ふ完かん全ぜんな人にん間げんである私わたしたちは,誰だれかに腹はらを立たてるとその人ひとの良よいところが見みえなくなりがちです。また,自じ分ぶんが罪つみを犯おかしてしまったときには,がっかりしたり恥はずかしさや後うしろめたさを感かんじたりして,自じ分ぶんには良よいところなんてないと思おもうことがあります。でも,エホバは決けっしてそのような見み方かたをしません。私わたしたちが悔くい改あらため,同おなじ過あやまちを繰くり返かえさないように努ど力りょくするなら,許ゆるしてくれます。

13 エホバは,金きんを探さがす人ひとが無む価か値ちな砂じゃ利りをふるい落おとすように,いわば私わたしたちをふるいにかけて罪つみをふるい落おとしてくれます。金きん塊かいを見みつけるように,私わたしたちの良よいところを見みつけてくれるのです。また,エホバは愛あい情じょう深ぶかい親おやのようでもあります。親おやは,子こ供どもがとっくの昔むかしに忘わすれてしまっている絵えや作さく文ぶんなどを何なん十じゅう年ねんも大たい切せつに取とっておくことがあります。エホバも,忠ちゅう実じつな人ひとたちの良よい行おこないを記き憶おくの中なかにいつまでも大たい切せつにしまっておいてくれます。不ふ公こう正せいなところがない方かたなので,そうした行おこないを忘わすれるような不ふ公こう正せいなことは決けっしてしません。(ヘブライ 6:10)

14-15. (ア)エホバが不ふ完かん全ぜんな私わたしたちを高たかく評ひょう価かしてくれるのはどうしてですか。(イ)エホバは私わたしたちの良よいところを見みつけて何なにをしてくれますか。私わたしたちはエホバにとってどんな存そん在ざいですか。

14 エホバは別べつの面めんでも私わたしたちをいわばふるいにかけます。私わたしたちの不ふ完かん全ぜんさに埋うもれてしまっている素そ質しつを見みつけてくれるのです。それは,ひどく傷きずついた芸げい術じゅつ作さく品ひんに対たいする愛あい好こう家かの見み方かたに似にています。例たとえば,英えい国こくロンドンのナショナル・ギャラリーで,ある人ひとがショットガンを撃うってレオナルド・ダ・ビンチの約やく3000万まん㌦相そう当とうの絵えを傷きずつけるという事じ件けんが起おきた時とき,その絵えはもう処しょ分ぶんしようなどと言いう人ひとは誰だれもいませんでした。絵えの修しゅう復ふく作さ業ぎょうがすぐに始はじまりました。なぜでしょうか。芸げい術じゅつの愛あい好こう家かたちにとって,その500年ねん近ちかく前まえの傑けっ作さくはとても貴き重ちょうだったからです。私わたしたちは,チョークと木もく炭たんで描えがかれた絵えよりもはるかに価か値ちがあるのではないでしょうか。受うけ継ついだ不ふ完かん全ぜんさのせいでどれほど傷きずついていても,神かみにとってかけがえのない存そん在ざいです。(詩し編へん 72:12-14)人にん間げんを造つくった素す晴ばらしい創そう造ぞう者しゃであるエホバ神かみは,罪つみのせいで人にん間げんが負おったダメージを修しゅう復ふくし,エホバの愛あいに応こたえる人ひとたちを本ほん来らいの完かん全ぜんな状じょう態たいにします。(使し徒と 3:21。ローマ 8:20-22)

15 ここまでで考かんがえてきたように,私わたしたちが自じ分ぶんでも気き付づいていないような良よいところを,エホバは見みつけ出だしてくれます。エホバに仕つかえ続つづけるなら,エホバは私わたしたちの良よいところを伸のばし,やがて完かん全ぜんな人にん間げんになれるようにしてくれます。神かみに仕つかえる私わたしたちは,サタンが支し配はいする世よの中なかでどんな扱あつかいを受うけてきたとしても,エホバにとっては貴き重ちょうな存そん在ざいだということを確かく信しんできます。(ハガイ 2:7)

エホバは私わたしたちへの愛あいを行こう動どうで示しめしている

16. エホバの私わたしたちへの愛あいが一いち番ばんよく表あらわれている贈おくり物ものは何なんですか。その贈おくり物ものが私わたしたち一人ひとり一人ひとりのためのものだとどうして分わかりますか。

16 4つ目めの点てんとして,エホバは私わたしたちを愛あいしているのでたくさんのことをしてくれています。何なによりも,キリストの贖あがないの犠ぎ牲せいという贈おくり物ものを与あたえてくれました。そのようにして,人にん間げんは神かみに愛あいされてなどいないというサタンの主しゅ張ちょうが間ま違ちがっていることをはっきり示しめしました。イエスが杭くいに掛かけられて苦くるしみながら死しんでくれたのも,エホバが愛あいする子この死しを見みるというさらに大おおきな苦くるしみに耐たえてくれたのも,エホバとイエスが私わたしたちを愛あいしているからだということを決けっして忘わすれないようにしましょう。エホバが自じ分ぶんなんかのために贖あがないを与あたえてくれたとは思おもえないと言いう人ひとたちもいますが,キリストの弟で子したちを迫はく害がいしていたパウロがこう書かいています。「神かみの子こは私わたしを愛あいし,私わたしのために自じ分ぶんを差さし出だしてくださいました」。(ガラテア 1:13; 2:20)

17. エホバは自じ分ぶんとイエスのもとに一人ひとり一人ひとりを引ひき寄よせるため,どんなことをしていますか。

17 エホバはキリストの犠ぎ牲せいの恩おん恵けいを受うけられるよう一人ひとり一人ひとりを助たすけることによって,私わたしたちを愛あいしていることをはっきり示しめしています。イエスは,「私わたしを遣つかわした父ちちが引ひき寄よせてくださらない限かぎり,誰だれも私わたしのもとに来くることはできません」と言いいました。(ヨハネ 6:44)この言こと葉ばから分わかるように,イエスのもとに行いって永えい遠えんの命いのちの希き望ぼうを持もつことができるのは,エホバが引ひき寄よせてくれるおかげです。エホバは伝でん道どう活かつ動どうを導みちびいて,良よい知しらせが一人ひとり一人ひとりに伝つたわるようにしています。また,不ふ完かん全ぜんで限げん界かいがある私わたしたちが真しん理りを理り解かいし,真しん理りに沿そって生いきられるように,聖せいなる力ちからで助たすけてくれています。それで,エホバがイスラエル国こく民みんに語かたった次つぎの言こと葉ばは,私わたしたちにも当あてはまります。「私わたしは永えい遠えんの愛あいをもってあなたを愛あいしてきた。そのため,揺ゆるぎない愛あいをもってあなたを引ひき寄よせたのである」。(エレミヤ 31:3)

18-19. (ア)エホバの愛あいを一いち番ばん実じっ感かんできるのはどんな時ときですか。エホバ自じ身しんが祈いのりを聞きいてくれることがどうして分わかりますか。(イ)エホバが感かん情じょう移い入にゅうしてくれることが,聖せい書しょのどんな言こと葉ばから分わかりますか。

18 エホバが自じ分ぶんのことを愛あいしてくれていると一いち番ばん実じっ感かんできるのは,エホバに祈いのる時ときでしょう。聖せい書しょは,「絶たえず祈いのってください」と勧すすめています。(テサロニケ第だい一いち 5:17)神かみは必かならず聞きいてくれます。「祈いのりを聞きく方かた」と呼よばれている通とおりです。(詩し編へん 65:2)エホバはほかの誰だれにも,独ひとり子ごイエスにさえ,祈いのりを聞きくことを任まかせていません。宇う宙ちゅうを創そう造ぞうした方かたが,自じ分ぶんに祈いのってほしい,何なんでも自じ由ゆうに話はなしてほしいと思おもってくれているのです。そして,あまり関かん心しんのない冷さめた態たい度どで聞きくようなことは決けっしてありません。どんなふうに聞きいてくれるのでしょうか。

19 エホバは感かん情じょう移い入にゅうしてくれます。感かん情じょう移い入にゅうとはどういうことでしょうか。長なが年ねんエホバに仕つかえたある兄きょう弟だいはこう言いいました。「感かん情じょう移い入にゅうとは,わたしの心こころの内うちであなたの苦く痛つうを感かんじることです」。では,エホバは本ほん当とうに私わたしたちの苦く痛つうを感かんじてくれるのでしょうか。神かみの民たみイスラエルが苦くるしんだ時ときのことについて,聖せい書しょにはこう書かかれています。「彼かれらが苦くるしんでいたどの時ときにも,神かみも苦くるしみを味あじわった」。(イザヤ 63:9)エホバは大たい変へんな状じょう況きょうにある民たみをただ見みていたのではなく,彼かれらの苦くるしみを自じ分ぶんのことのように感かんじました。エホバが自じ分ぶんに仕つかえる人ひとたちの痛いたみをどれほど敏びん感かんに感かんじ取とるかが,次つぎの言こと葉ばによく表あらわれています。「あなたたちに触ふれる者ものたちは私わたしの瞳ひとみに触ふれているのである」。b (ゼカリヤ 2:8)瞳ひとみに触ふれられたら,とても痛いたいことでしょう。エホバはそれほど強つよく共きょう感かんしてくれるのです。私わたしたちが傷きずつくと,エホバの心こころも痛いたみます。

20. ローマ 12章しょう3節せつによると,バランスの欠かけたどんな考かんがえ方かたをするべきではありませんか。

20 神かみから愛あいされ高たかく評ひょう価かされているからといって,誇ほこりやうぬぼれの気き持もちを持もつべきではありません。使し徒とパウロはこう書かいています。「私わたしは,示しめしていただいた惜おしみない親しん切せつに基もとづき,皆みなさんに言いいます。自じ分ぶんのことを必ひつ要よう以い上じょうに考かんがえてはなりません。各かく自じが神かみから与あたえられた信しん仰こうに応おうじて,健けん全ぜんな考かんがえ方かたをしましょう」。(ローマ 12:3)別べつの翻ほん訳やくではこうなっています。「あなたがた一人ひとり一人ひとりに言いいます。自じ分ぶんを過か大だいに評ひょう価かしてはなりません。むしろ,……慎つつしみ深ぶかく評ひょう価かすべきです」。(「新しん共きょう同どう訳やく」,日に本ほん聖せい書しょ協きょう会かい)ですから,天てんの父ちちの温あたたかい愛あいを存ぞん分ぶんに感かんじつつ,バランスの取とれた健けん全ぜんな考かんがえ方かたをしましょう。私わたしたちは神かみから愛あいされて当とう然ぜんというわけではないことを覚おぼえておく必ひつ要ようがあります。(ルカ 17:10)

21. サタンのうそから来くるどんな間ま違ちがった考かんがえをはねのける必ひつ要ようがありますか。どんな真しん理りを心こころに留とめておくとよいですか。

21 人にん間げんには価か値ちがなく神かみに愛あいされていないという主しゅ張ちょうを含ふくむ,サタンのどんなうそにもだまされないようにしましょう。あなたはこれまでに経けい験けんしたことが原げん因いんで,大おおきな愛あいを持もつ神かみでも自じ分ぶんのことなんて愛あいしてくれるわけがないと感かんじていますか。あるいは,自じ分ぶんの良よい行おこないなんて,全すべてを見みている神かみでも見み過すごすほど微び々びたるものだとか,自じ分ぶんの罪つみは大おおき過すぎて,神かみの大たい切せつな独ひとり子ごの死しでも覆おおい切きれないと思おもっていますか。それは全すべて,真しん実じつではありません。そうした間ま違ちがった考かんがえをはねのけてください。パウロが聖せいなる力ちからに導みちびかれて書かいた次つぎの真しん理りを心こころに留とめましょう。「私わたしは確かく信しんしています。死しも,生せいも,天てん使しも,政せい府ふも,今いまあるものも,これから来くるものも,力ちからも,高たかさも,深ふかさも,ほかのどんな創そう造ぞう物ぶつも,主しゅであるキリスト・イエスを通とおして示しめされる神かみの愛あいから私わたしたちを引ひき離はなすことはできません」。(ローマ 8:38,39)

a 聖せい書しょの中なかで,復ふっ活かつの希き望ぼうはエホバの記き憶おくと何なん度ども結むすび付つけられています。忠ちゅう実じつなヨブはエホバにこう言いいました。「私わたしのために期き限げんを定さだめ,時ときが来きたら私わたしを思おもい出だしてください」。(ヨブ 14:13)イエスは「記き憶おくにとどめられる」という意い味み合あいのギリシャ語ごを使つかって,「記き念ねんの墓はかの中なかにいる人ひとが皆みな」復ふっ活かつすると言いいました。エホバは,生いき返かえらせたいと思おもっている人ひとたちのことを完かん璧ぺきに覚おぼえているのです。(ヨハネ 5:28,29)

b 幾いくつかの聖せい書しょではこの聖せい句くが,神かみの民たみに触ふれる者ものは自じ分ぶん自じ身しんの瞳ひとみもしくはイスラエルの瞳ひとみに触ふれている,と訳やくされています。その間ま違ちがいが入はいり込こんだのは,神かみの瞳ひとみとすると不ふ敬けいだと考かんがえた写しゃ字じ生せいたちが本ほん文もんを変かえたためです。彼かれらが余よ計けいなことをしたせいで,聖せい書しょによってはエホバの感かん情じょう移い入にゅうの強つよさが伝つたわりにくくなっています。

じっくり考かんがえたいこと

  • 詩し編へん 139:1-24 ダビデ王おうが聖せいなる力ちからに導みちびかれて書かいた言こと葉ばから,エホバが私わたしたち一人ひとり一人ひとりに関かん心しんを払はらっていることがどのように分わかりますか。

  • イザヤ 43:3,4,10-13 エホバは自じ分ぶんの証しょう人にんたちについてどう思おもっていますか。その気き持もちをどのように行こう動どうに表あらわしますか。

  • ローマ 5:6-8 罪つみ深ぶかい私わたしたちをエホバが愛あいしてくれると確かく信しんできるのはどうしてですか。

  • ユダ 17-25 神かみに愛あいされ続つづけるにはどうしたらいいですか。どんな悪わるい影えい響きょう力りょくに注ちゅう意いする必ひつ要ようがありますか。

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