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  • 塔研20 07月号 2–7ページ
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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2020
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2020
塔研20 07月号 2–7ページ

研究記事27

「自じ分ぶんのことを必ひつ要よう以い上じょうに考かんがえてはなりません」

「皆みなさんに言いいます。自じ分ぶんのことを必ひつ要よう以い上じょうに考かんがえてはなりません。……健けん全ぜんな考かんがえ方かたをしましょう」。ローマ 12:3

130番ばんの歌うた 進すすんで許ゆるす

何なにを学まなぶかa

1. フィリピ 2章しょう3節せつにあるどんな考かんがえ方かたをすると,他たの人ひとと良よい関かん係けいを保たもてますか。

私わたしたちは謙けん遜そんな態たい度どでエホバの基き準じゅんに従したがいます。自じ分ぶんにとって何なにが最さい善ぜんかを知しっているのはエホバであることを認みとめているからです。(エフェ 4:22-24)謙けん遜そんであれば,エホバの望のぞむことを自じ分ぶんの望のぞむことよりも優ゆう先せんし,自じ分ぶんより他たの人ひとの方ほうが上うえだと考かんがえます。結けっ果かとして,エホバとも兄きょう弟だい姉し妹まいとも良よい関かん係けいを保たもてます。(フィリピ 2:3を読よむ。)

2. パウロもどんなことを認みとめていましたか。この記き事じではどんなことを取とり上あげますか。

2 それでも,気きを付つけないと今いまの世せ界かいの高こう慢まんで自じ分ぶん中ちゅう心しんの考かんがえ方かたに影えい響きょうされる可か能のう性せいがあります。b 1世せい紀きのクリスチャンの中なかにも,そのような考かんがえ方かたに影えい響きょうされていた人ひとたちがいたようです。使し徒とパウロはローマのクリスチャンに次つぎのように書かいています。「私わたしは……皆みなさんに言いいます。自じ分ぶんのことを必ひつ要よう以い上じょうに考かんがえてはなりません。……健けん全ぜんな考かんがえ方かたをしましょう」。(ロマ 12:3)パウロも認みとめているように,私わたしたちは自じ分ぶんのことをある程てい度ど考かんがえる必ひつ要ようがあります。謙けん遜そんであれば,その点てんでバランスの取とれた見み方かたを持もてます。この記き事じでは,うぬぼれた態たい度どを取とらずに謙けん遜そんであるべき,3つの分ぶん野やを取とり上あげます。(1)夫ふう婦ふの関かん係けい,(2)さまざまな奉ほう仕しの機き会かい,(3)ソーシャルメディアの使つかい方かたです。

夫ふう婦ふの間あいだで謙けん遜そんである

3. 夫ふう婦ふの意い見けんがぶつかる場ば合あいがあるのはなぜですか。そのような場ば合あい,どう考かんがえる人ひともいますか。

3 エホバは,夫おっとと妻つまが結けっ婚こんから喜よろこびを得えられるようにしました。でも人ひとは皆みな不ふ完かん全ぜんであり,夫おっとと妻つまの意い見けんがぶつかることがあります。パウロも,結けっ婚こんするなら苦く難なんを身みに招まねく,と書かいています。(コリ一いち 7:28)夫ふう婦ふがいつも言いい合あってしまうと,結けっ婚こんしたのは間ま違ちがいだった,と考かんがえるかもしれません。世よの考かんがえ方かたに影えい響きょうされていると,もう離り婚こんするしかないと思おもうことでしょう。大たい切せつなのは自じ分ぶんの気き持もちに正しょう直じきになることだ,と考かんがえるのです。

4. どんな考かんがえ方かたに気きを付つける必ひつ要ようがありますか。

4 自じ分ぶんの結けっ婚こんは失しっ敗ぱいだった,とすぐに考かんがえてはなりません。聖せい書しょが離り婚こんの根こん拠きょとして挙あげているものは性せい的てき不ふ道どう徳とくだけです。(マタ 5:32)ですから,パウロの言いう「苦く難なん」に遭あう時とき,次つぎのような高こう慢まんな考かんがえ方かたをしないようにしましょう。「私わたしはこの結けっ婚こんで十じゅう分ぶんに満みたされているだろうか。私わたしは十じゅう分ぶんに愛あいされているだろうか。ほかの誰だれかと一いっ緒しょになった方ほうがもっと幸しあわせになるだろうか」。こう考かんがえる人ひとは自じ分ぶんのことしか考かんがえていない,ということにお気き付づきでしょうか。この世よの知ち恵えは,「あなたの気き持もちに正しょう直じきになり,あなたの幸しあわせを考かんがえなさい。離り婚こんという結けっ果かでも構かまいませんよ」とささやき掛かけてきます。一いっ方ぽう,神かみの知ち恵えは,「自じ分ぶんのことばかり考かんがえずに,他たの人ひとのことにも気きを配くばりましょう」と諭さとしています。(フィリ 2:4)エホバは,あなたが結けっ婚こんを終おわらせることではなく,絆きずなを守まもることを望のぞんでいます。(マタ 19:6)あなたが,自じ分ぶんの考かんがえよりもエホバの考かんがえを優ゆう先せんさせることを願ねがっています。

5. エフェソス 5章しょう33節せつに述のべられている通とおり,夫おっとと妻つまには何なにが求もとめられますか。

5 夫ふう婦ふは互たがいに愛あいと敬けい意いを表あらわす必ひつ要ようがあります。(エフェソス 5:33を読よむ。)受うけることよりも与あたえることを考かんがえるように,と聖せい書しょは教おしえています。(使し徒と 20:35)どうすれば愛あいと敬けい意いを表あらわせますか。謙けん遜そんであることによってです。夫おっとと妻つまは謙けん遜そんであれば,「自じ分ぶんのためになることではなく,[相あい手て]のためになることをいつも優ゆう先せん」します。(コリ一いち 10:24)

1. 夫婦が王様と女王様のような格好をし,どちらが大量の皿を洗うべきかでもめている。2. 同じ夫婦が普通の服を着て,笑顔で一緒に皿洗いをしている。

夫ふう婦ふは謙けん遜そんであれば自じ分ぶん中ちゅう心しんの態たい度どを取とらず,チームとして協きょう力りょくし合あう。(6節せつを参さん照しょう。)

6. スティーブンとステファニーのコメントのどんな点てんが参さん考こうになりますか。

6 多おおくの夫ふう婦ふは,謙けん遜そんであることによってもっと幸しあわせになっています。夫おっとであるスティーブンはこう言いっています。「チームなので,問もん題だいにも一いっ緒しょに取とり組くみます。『何なにが自じ分ぶんにとってベストか』ではなく,『何なにが2人ふたりにとってベストか』と考かんがえます」。妻つまのステファニーも同おなじ考かんがえです。「けんかが絶たえない家いえで生せい活かつしたいとは思おもいません。意い見けんがぶつかる時とき,衝しょう突とつの原げん因いんを探さぐります。それから一いっ緒しょに祈いのり,出しゅっ版ぱん物ぶつを調しらべ,よく話はなし合あいます。お互たがいを攻こう撃げきするのではなく,問もん題だいそのものに取とり組くみます」。夫おっとと妻つまがそれぞれ,自じ分ぶんよりも相あい手てのことを考かんがえるなら,幸しあわせに生せい活かつできます。

「いつも謙けん遜そん」にエホバに仕つかえる

7. 何なにかの務つとめを委ゆだねられた兄きょう弟だいは,どのように考かんがえるべきですか。

7 どんな形かたちであれ,エホバに仕つかえられるのは光こう栄えいなことです。(詩し 27:4; 84:10)兄きょう弟だいがエホバへの奉ほう仕しのために自じ分ぶんを差さし出だせるなら,それは素す晴ばらしいことです。聖せい書しょにも,「監かん督とくになろうと努つとめている人ひとは,立りっ派ぱな仕し事ごとを望のぞんでいます」と述のべられています。(テモ一いち 3:1)それでも,監かん督とくの務つとめを委ゆだねられた兄きょう弟だいは自じ分ぶんのことを必ひつ要よう以い上じょうに考かんがえてはなりません。(ルカ 17:7-10)兄きょう弟だい姉し妹まいに謙けん遜そんに仕つかえることを目もく標ひょうにすべきです。(コリ二に 12:15)

8. デオトレフェス,ウジヤ,アブサロムの例れいからどんなことを学まなべますか。

8 聖せい書しょには,自じ分ぶんのことを必ひつ要よう以い上じょうに考かんがえて失しっ敗ぱいした人ひとの例れいが挙あげられています。デオトレフェスは厚あつかましくも,「会かい衆しゅうで一いち番ばん上うえに立たとうとして」いました。(ヨハ三さん 9)ウジヤは高こう慢まんだったので,エホバから割わり当あてられていない務つとめを果はたそうとしました。(代だい二に 26:16-21)アブサロムは王おうになりたかったので,ずる賢がしこい方ほう法ほうで人ひと々びとを味み方かたに付つけようとしました。(サム二に 15:2-6)これらの記き述じゅつから分わかるように,エホバは自じ分ぶんの栄えい誉よを求もとめる人ひとのことを喜よろこびません。(格かく 25:27)誇ほこりや野や心しんは人ひとを破は滅めつさせます。(格かく 16:18)

9. イエスはどんな手て本ほんを示しめしましたか。

9 イエスはこの人ひとたちとは異ことなり,「神かみのような方かたでしたが,神かみの立たち場ばを奪うばって神かみと同どう等とうになろうなどとは考かんがえませんでした」。(フィリ 2:6)エホバに次つぐ立たち場ばにいても,自じ分ぶんのことを必ひつ要よう以い上じょうに考かんがえたりしません。弟で子したちにこう言いったこともあります。「あなたたちの間あいだでより小ちいさな者ものとして行こう動どうする人ひとこそ偉えらいのです」。(ルカ 9:48)イエスの謙けん遜そんさに倣ならう開かい拓たく者しゃ,援えん助じょ奉ほう仕し者しゃ,長ちょう老ろう,巡じゅん回かい監かん督とくと共ともに働はたらけるのはうれしいことです。エホバに謙けん遜そんに仕つかえる人ひとたちは愛あいを表あらわします。その様よう子すを見みて,人ひと々びとはエホバの組そ織しきを見み分わけることができます。(ヨハ 13:35)

10. 会かい衆しゅうに何なにかの問もん題だいがあり,その問もん題だいがきちんと扱あつかわれていないと感かんじる場ば合あい,何なにができますか。

10 会かい衆しゅうに何なにかの問もん題だいがあり,その問もん題だいがきちんと扱あつかわれていないと感かんじる場ば合あいはどうしたらよいでしょうか。不ふ平へいを言いうのではなく,謙けん遜そんであってください。教おしえ導みちびいている人ひとたちを信しん頼らいしましょう。(ヘブ 13:17)次つぎのように考かんがえてみてください。「これは正ただされるべき深しん刻こくな問もん題だいだろうか。今いま正ただすのが最さい善ぜんだろうか。私わたしにはその問もん題だいを正ただす権けん限げんがあるだろうか。正しょう直じきなところ,会かい衆しゅうが一いっ致ちするようにということを本ほん当とうに考かんがえているだろうか。それとも,自じ分ぶんに注ちゅう意いを引ひこうとしていないだろうか」。

長老がさまざまな活動を行っている。1. 地区大会で話をしている。2. 王国会館の建設に携わり,他の兄弟に指示を与えている。3. 野外奉仕のための集まりを司会している。4. 王国会館のトイレでモップ掛けをしている。

責せき任にんを委ゆだねられている兄きょう弟だいは,能のう力りょくよりも謙けん遜そんさの点てんで秀ひいでている必ひつ要ようがある。(11節せつを参さん照しょう。)c

11. エフェソス 4章しょう2,3節せつに述のべられている通とおり,謙けん遜そんにエホバに仕つかえるならどんな結けっ果かになりますか。

11 エホバは能のう力りょくよりも謙けん遜そんさを,効こう率りつよりも一いっ致ちを大たい切せつにします。ですから,謙けん遜そんにエホバに仕つかえることを心こころ掛がけてください。そうすれば,会かい衆しゅうの一いっ致ちに貢こう献けんできます。(エフェソス 4:2,3を読よむ。)宣せん教きょうに意い欲よく的てきに取とり組くんでください。兄きょう弟だい姉し妹まいに仕つかえて親しん切せつにする機き会かいを探さがしましょう。何なにかの務つとめを委ゆだねられている人ひとに限かぎらず,どんな人ひとをももてなしましょう。(マタ 6:1-4。ルカ 14:12-14)兄きょう弟だい姉し妹まいと共ともに謙けん遜そんに働はたらくなら,兄きょう弟だい姉し妹まいはあなたの能のう力りょくだけでなく,謙けん遜そんさにも注ちゅう目もくするでしょう。

ソーシャルメディアの使つかい方かたと謙けん遜そんさ

12. 友とも達だちを持もつことについて,聖せい書しょは何なんと述のべていますか。

12 エホバは私わたしたちに,友ゆう人じんや家か族ぞくとの交こう友ゆうを楽たのしんでほしいと思おもっています。(詩し 133:1)イエスには良よい友ともがいました。(ヨハ 15:15)聖せい書しょは真しんの友ともの価か値ちについて述のべています。(格かく 17:17; 18:24)自じ分ぶんを孤こ立りつさせるのは良よくない,とも言いっています。(格かく 18:1)ソーシャルメディアを使つかえば友とも達だちがたくさんでき,寂さびしくならないで済すむ,と考かんがえている人ひとは大おお勢ぜいいます。でもソーシャルメディアを使つかうときには注ちゅう意いすべきことがあります。

13. ソーシャルメディアを使つかうことで寂さびしさが増ます場ば合あいがあるのはなぜですか。

13 ソーシャルメディアで他たの人ひとの写しゃ真しんや投とう稿こうをチェックすることに多おおくの時じ間かんをかけると,かえって寂さびしさが増まし,気き分ぶんがふさぎ込こむ,という研けん究きゅう結けっ果かがあります。なぜでしょうか。考かんがえられる1つの理り由ゆうは,ソーシャルメディアに載のせられる写しゃ真しんは大たい抵てい,生せい活かつの中なかできらきらしている場ば面めんばかりだからです。自じ分ぶんや友とも達だちのベストショットや,楽たのしかった場ば所しょが載のせられます。そういうものと比くらべると,自じ分ぶんの生せい活かつが何なんだか地じ味みで,つまらなく思おもえてくるのです。19歳さいの姉し妹まいはこう言いっています。「周まわりの子こたちが休やすみの日ひに遊あそんでいて,自じ分ぶんはどこにも出で掛かけなかったと思おもうと,気き分ぶんが沈しずみます」。

14. ソーシャルメディアを正ただしく使つかう上うえで,ペテロ第だい一いち 3章しょう8節せつの言こと葉ばはどのように役やく立だちますか。

14 もちろん,ソーシャルメディアは正ただしく使つかえば,家か族ぞくや友ゆう人じんと連れん絡らくを取とったりするのに便べん利りです。でも投とう稿こうの中なかには,自じ己こアピールの強つよいものもあると感かんじたことはありませんか。そのような投とう稿こうをする人ひとたちには,「私わたしを見みて」という心しん理りが働はたらいているのかもしれません。自じ分ぶんや友とも達だちが投とう稿こうした写しゃ真しんについて,わざとショッキングな内ない容ようやわいせつな内ない容ようの書かき込こみをする人ひともいます。こうした行こう動どうは,仲なか間まの気き持もちを考かんがえて謙けん遜そんであるように,というクリスチャンに対たいする勧すすめに反はんしています。(ペテロ第だい一いち 3:8を読よむ。)

若い姉妹がソーシャルメディアに投稿しようと思い,写真を撮っている。1. 自撮りしている。2. レストランで出てきた料理を前にポーズを取っている。3. 旅先で自撮りしている。4. 新しい高級車の前でポーズを取っている。

あなたがネットに投とう稿こうしたものを見みる人ひとは,あなたを謙けん遜そんな人ひとと見みるだろうか。それとも自じ慢まんしていると見みるだろうか。(15節せつを参さん照しょう。)

15. 人ひとから注ちゅう目もくされたいという気き持もちがあるなら,聖せい書しょのどんな言こと葉ばを考かんがえるとよいですか。

15 ソーシャルメディアを使つかっている人ひとは,こう自じ問もんしてください。「私わたしのコメントや写しゃ真しんや動どう画がを見みて,自じ慢まんしている,と思おもう人ひとはいないだろうか。嫉しっ妬と心しんをあおってしまわないだろうか」。聖せい書しょにはこうあります。「世よの中なかのもの,すなわち罪つみ深ぶかい欲よく望ぼう,見みることから生しょうじる欲よく望ぼう,持もち物ものを見みせびらかすことは皆みな,父ちちからのものではなく,世よから出でるもの……です」。(ヨハ一いち 2:16)「持もち物ものを見みせびらかす」という表ひょう現げんは,ある英えい訳やく聖せい書しょでは,「重じゅう要よう人じん物ぶつと見みられたがる」と訳やくされています。クリスチャンは,自じ分ぶんをアピールする必ひつ要ようがあるとは考かんがえません。聖せい書しょの次つぎの勧すすめの通とおりにします。「自じ己こ中ちゅう心しん的てきになってはなりません。競きそい合あったりねたみ合あったりしないようにしましょう」。(ガラ 5:26)謙けん遜そんであれば,人ひとから注ちゅう目もくされ,うらやましがられたいという世よの精せい神しんに染そまらないで済すみます。

「健けん全ぜんな考かんがえ方かたをしましょう」

16. 高こう慢まんにならないようにすべきなのはなぜですか。

16 謙けん遜そんさを身みに付つけましょう。高こう慢まんだと「健けん全ぜんな考かんがえ方かた」ができなくなるからです。(ロマ 12:3)高こう慢まんな人ひとは,対たい抗こう心しんを抱いだき,自じ己こ中ちゅう心しん的てきです。そのような人ひとの考かんがえ方かたや行こう動どうは,他たの人ひとばかりか本ほん人にんにも害がいを及およぼします。考かんがえ方かたを改あらためないなら,健けん全ぜんな思し考こうが遮さえぎられ,サタンによって考かんがえ方かたが腐ふ敗はいさせられてしまいます。(コリ二に 4:4; 11:3)一いっ方ぽう,謙けん遜そんな人ひとは健けん全ぜんな考かんがえ方かたをします。自じ分ぶんについてバランスの取とれた見み方かたをし,他たの人ひとの方ほうが多おおくの点てんで自じ分ぶんより上うえであることを認みとめます。(フィリ 2:3)「神かみは傲ごう慢まんな人ひとに敵てき対たいし,謙けん遜そんな人ひとに惜おしみない親しん切せつを示しめしてくださる」ことも知しっています。(ペテ一いち 5:5)健けん全ぜんな考かんがえ方かたをする人ひとは,エホバに嫌きらわれたいとは思おもいません。

17. 謙けん遜そんであるために何なにをする必ひつ要ようがありますか。

17 謙けん遜そんであるには,「古ふるい人じん格かくとそれに伴ともなう習しゅう慣かんを脱ぬぎ捨すて,新あたらしい人じん格かくを身みに着つけましょう」という聖せい書しょのアドバイスを当あてはめる必ひつ要ようがあります。これは簡かん単たんなことではありません。イエスの手て本ほんを学まなび,できる限かぎり倣ならう必ひつ要ようがあります。(コロ 3:9,10。ペテ一いち 2:21)そのような努ど力りょくは報むくわれます。謙けん遜そんであるなら,夫ふう婦ふの仲なかは良よくなり,会かい衆しゅうの一いっ致ちに貢こう献けんできます。人ひとから注ちゅう目もくされるためにソーシャルメディアを使つかったりはしません。何なによりも,エホバに祝しゅく福ふくされ愛あいされます。

どのように謙けん遜そんさを示しめせますか

  • 夫ふう婦ふの間あいだで

  • 委ゆだねられている務つとめを果はたす際さいに

  • ソーシャルメディアを使つかうとき

117番ばんの歌うた 善ぜん良りょうさを示しめす

a 私わたしたちは,高こう慢まんで自じ分ぶん中ちゅう心しんの考かんがえ方かたをする人ひとたちに囲かこまれて生せい活かつしています。そのような態たい度どが自じ分ぶんにうつってしまわないよう注ちゅう意いする必ひつ要ようがあります。この記き事じでは,自じ分ぶんのことを必ひつ要よう以い上じょうに考かんがえてはならない3つの分ぶん野やを取とり上あげます。

b 語ご句くの説せつ明めい: 高こう慢まんな人ひとは,自じ分ぶんを過か大だい評ひょう価かし,他たの人ひとを過か小しょう評ひょう価かする傾けい向こうがあります。自じ分ぶん中ちゅう心しんの考かんがえ方かたをしているともいえます。逆ぎゃくに,謙けん遜そんだと他たの人ひとのことに目めが向むきます。謙けん遜そんな人ひとは偉えらそうな態たい度どを取とらず,自じ分ぶんを過か度どに重じゅう視ししません。

c 写しゃ真しんや挿さし絵え: 大たい会かいで話はなしをし,他たの兄きょう弟だいたちの作さ業ぎょうを監かん督とくする長ちょう老ろうが,宣せん教きょうの面めんで兄きょう弟だい姉し妹まいを教おしえ導みちびくことや王おう国こく会かい館かんの清せい掃そうをすることも大たい切せつにしている。

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