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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2020
塔研20 12月号 2–7ページ

研究記事49

復ふっ活かつ 確たしかな希き望ぼう

「私わたしは……希き望ぼうを持もっております。神かみが正ただしい人ひとも正ただしくない人ひとも復ふっ活かつさせてくださるという希き望ぼうです」。使し徒と 24:15

151番ばんの歌うた 神かみは呼よんでくださる

何なにを学まなぶかa

1-2. エホバに仕つかえる人ひとたちには,どんな素す晴ばらしい希き望ぼうがありますか。

希き望ぼうはとても重じゅう要ようなものです。人ひとは,幸しあわせな結けっ婚こんをして子こ供どもが元げん気きに育そだつことを願ねがい,重おもい病びょう気きになれば回かい復ふくすることを望のぞみます。それは私わたしたちクリスチャンも同おなじです。しかし,私わたしたちにはもっと素す晴ばらしい希き望ぼうがあります。永えい遠えんに生いきることができ,生いき返かえってくる愛あいする人ひとたちを迎むかえることもできるのです。

2 使し徒とパウロはこう述のべました。「私わたしは……希き望ぼうを持もっております。神かみが正ただしい人ひとも正ただしくない人ひとも復ふっ活かつさせてくださるという希き望ぼうです」。(使し徒と 24:15)パウロより前まえにも復ふっ活かつの希き望ぼうについて述のべた人ひとがいました。例たとえば,族ぞく長ちょうのヨブです。ヨブは,自じ分ぶんが死しんでも神かみが思おもい出だして生いき返かえらせてくださる,と確かく信しんしていました。(ヨブ 14:7-10,12-15)

3. コリント第だい一いち 15章しょうを調しらべるとよいのはなぜですか。

3 「死し者しゃの復ふっ活かつ」は,クリスチャンにとって「基き礎そ的てきな教おしえ」,また「初しょ歩ほの教きょう理り」です。(ヘブ 6:1,2)復ふっ活かつについてパウロが述のべたことは,コリント第だい一いち 15章しょうに記しるされています。パウロの手て紙がみを読よんだ1世せい紀きのクリスチャンは強つよめられたことでしょう。私わたしたちもパウロの言こと葉ばから力ちからを得えて,ずっと大たい切せつにしてきた復ふっ活かつの希き望ぼうが実じつ現げんするという確かく信しんを強つよめることができます。

4. 亡なくなった愛あいする人ひとたちが生いき返かえるという希き望ぼうを持もつ上うえで欠かかせないのは何なんですか。

4 イエス・キリストの復ふっ活かつは,亡なくなった愛あいする人ひとたちが生いき返かえると信しんじる根こん拠きょになります。パウロがコリントのクリスチャンに伝つたえた「良よい知しらせ」には,この点てんが含ふくまれています。(コリ一いち 15:1,2)パウロは,クリスチャンがイエスの復ふっ活かつを信しんじないなら,その人ひとの信しん仰こうは無む意い味みになる,と言いいました。(コリ一いち 15:17)イエスの復ふっ活かつを信しんじることは,クリスチャンが希き望ぼうを持もつ上うえで欠かかせないのです。

5-6. コリント第だい一いち 15章しょう3,4節せつの言こと葉ばは,私わたしたちにとってどんな意い味みがありますか。

5 パウロは,復ふっ活かつについての記き述じゅつの初はじめに,3つの点てんに注ちゅう意いを向むけました。(1)「キリストが私わたしたちの罪つみのために死しんでくださ」ったこと,(2)「葬ほうむられ」たこと,(3)「聖せい書しょにある通とおり3日か目めに生いき返かえらされ」たことです。(コリント第だい一いち 15:3,4を読よむ。)

6 イエスが死しに,葬ほうむられ,復ふっ活かつしたことは,私わたしたちにとってどんな意い味みがあるでしょうか。預よ言げん者しゃイザヤによると,メシアは「地ち上じょうから除のぞかれ」,「悪あく人にんと共ともに墓はかを与あたえられ」ることになっていました。それだけでなく,「多おおくの人ひとの罪つみを担にな」うことにもなっていました。イエスが贖あがないになることによって,この預よ言げんは実じつ現げんしました。(イザ 53:8,9,12。マタ 20:28。ロマ 5:8)イエスが死しに,葬ほうむられ,復ふっ活かつしたことは,私わたしたちにとって大おおきな意い味みがあります。罪つみと死しから自じ由ゆうにされ,亡なくなった愛あいする人ひとたちと再さい会かいする,という希き望ぼうをしっかり持もつことができるのです。

大おお勢ぜいの目もく撃げき者しゃ

7-8. イエスが復ふっ活かつしたことを確かく信しんできるのはなぜですか。

7 将しょう来らい復ふっ活かつが起おきることを信しんじるには,イエスが復ふっ活かつしたことをまず信しんじる必ひつ要ようがあります。エホバがイエスを生いき返かえらせたことを確かく信しんできるのはなぜでしょうか。

8 大おお勢ぜいの人ひとが,復ふっ活かつしたイエスを目もく撃げきしました。(コリ一いち 15:5-7)パウロが最さい初しょに挙あげているのは,使し徒とペテロ(ケファ)です。ほかの弟で子したちも,ペテロが復ふっ活かつしたイエスを見みたと言いっています。(ルカ 24:33,34)さらに,使し徒とたちも復ふっ活かつしたイエスと会あいました。その後ごイエスは,「一いち度どに500人にん以い上じょうの兄きょう弟だいの前まえに現あらわれました」。マタイ 28章しょう16-20節せつに記き録ろくされているガリラヤで開ひらかれた喜よろこばしい集あつまりの時ときのことでしょう。イエスはさらに,「ヤコブの前まえに……現あらわれました」。このヤコブは,初はじめはイエスがメシアであることを信しんじていなかったイエスの弟おとうとと思おもわれます。(ヨハ 7:5)ヤコブは復ふっ活かつしたイエスを見みて,信しん仰こうを持もちました。パウロがコリントに手て紙がみを送おくった西せい暦れき55年ねんごろには,復ふっ活かつしたイエスを目もく撃げきした人ひとがまだ大おお勢ぜい生いきていたので,疑ぎ問もんがあれば,そうした人ひとたちに直ちょく接せつ話はなしを聞きくことができました。

9. 使し徒と 9章しょう3-5節せつによると,パウロに生しょうじたどんな出で来き事ごとから,イエスが復ふっ活かつしたということがはっきり分わかりますか。

9 イエスはパウロにも現あらわれました。(コリ一いち 15:8)パウロ(サウロ)は,ダマスカスに向むかう途と中ちゅうで,復ふっ活かつしたイエスの声こえを聞きき,天てんにいるイエスの幻まぼろしを見みました。(使し徒と 9:3-5を読よむ。)この出で来き事ごとからも,イエスが復ふっ活かつしたということがはっきり分わかります。(使し徒と 26:12-15)

10. パウロは,イエスの復ふっ活かつを確かく信しんしていたので,どんなことをしましたか。

10 かつてクリスチャンを迫はく害がいしていたパウロがイエスの復ふっ活かつについて書かいているのは,興きょう味み深ぶかいことではないでしょうか。パウロは,イエスの復ふっ活かつをいったん確かく信しんすると,ほかの人ひともこのことを信しんじられるようにできる限かぎりのことをしました。殴おう打だや拘こう禁きんや難なん船せんを経けい験けんしても,イエスが死しんで生いき返かえったことを伝つたえ続つづけました。(コリ一いち 15:9-11。コリ二に 11:23-27)パウロは,イエスが復ふっ活かつしたことを確かく信しんしていたので,死しをも恐おそれずに伝つたえたのです。1世せい紀きのクリスチャンの中なかに大おお勢ぜいの目もく撃げき者しゃがいたことを考かんがえると,私わたしたちもイエスの復ふっ活かつを確かく信しんできるのではないでしょうか。将しょう来らいの復ふっ活かつに対たいする信しん仰こうも強つよまるはずです。

間ま違ちがった考かんがえを正ただす

11. コリントのクリスチャンの中なかには,復ふっ活かつについて間ま違ちがった考かんがえ方かたをしている人ひとたちがいました。どんな理り由ゆうが考かんがえられますか。

11 ギリシャのコリントに住すむクリスチャンの中なかには,復ふっ活かつについて間ま違ちがった考かんがえ方かたをし,「死し者しゃの復ふっ活かつなどない」と言いう人ひとさえいました。なぜでしょうか。(コリ一いち 15:12)同おなじギリシャのアテネの哲てつ学がく者しゃたちは,イエスが復ふっ活かつしたという考かんがえをばかにしていました。そうした態たい度どがコリントのクリスチャンにも影えい響きょうしていたのかもしれません。(使し徒と 17:18,31,32)復ふっ活かつを比ひ喩ゆ的てきな意い味みで捉とらえる人ひともいました。罪つみのうちに“死しんだ”状じょう態たいにある人ひとがクリスチャンとして“生いき返かえる”ことを指さしていると考かんがえていたのです。理り由ゆうはどうあれ,復ふっ活かつを否ひ定ていすることによって,その人ひとたちの信しん仰こうは無む駄だになりました。神かみがイエスを復ふっ活かつさせていないとしたら,贖あがないは支し払はらわれず,人ひとの罪つみは許ゆるされていないことになります。それで,復ふっ活かつを退しりぞける人ひとには,何なんの希き望ぼうもありませんでした。(コリ一いち 15:13-19。ヘブ 9:12,14)

12. ペテロ第だい一いち 3章しょう18,22節せつからすると,イエスの復ふっ活かつは,それまでの復ふっ活かつとどのように違ちがっていましたか。

12 パウロは自じ分ぶんの経けい験けんから,「キリスト[が]生いき返かえらされ」たことを知しっていました。イエスの復ふっ活かつは,それまでに起おきた復ふっ活かつより勝まさっていました。イエスより前まえに復ふっ活かつした人ひとたちは皆みな,再ふたたび死しんだからです。パウロはイエスのことを「死しの眠ねむりに就ついた人ひとたちの中なかで最さい初しょに復ふっ活かつした方かた」と呼よびました。どういう意い味みで最さい初しょなのでしょうか。イエスは,目めに見みえない存そん在ざいとして復ふっ活かつした最さい初しょの方かたです。さらに,天てんに復ふっ活かつした最さい初しょの方かたでもあります。(コリ一いち 15:20。使し徒と 26:23。ペテロ第だい一いち 3:18,22を読よむ。)

キリストのゆえに「生いかされる」人ひとたち

13. パウロは,アダムとイエスについてどんな対たい比ひをしましたか。

13 1人ひとりの人ひとの死しによって多おおくの人ひとが命いのちを得えることなどあるのでしょうか。パウロは,筋すじの通とおった説せつ明めいをしています。アダムのせいで人じん類るいに生しょうじたことと,キリストによって可か能のうになったことを対たい比ひしました。アダムについては,「死しが1人ひとりの人ひとを通とおして来きた」と言いっています。アダムが罪つみを犯おかしたために,人じん類るいは皆みな,死しを経けい験けんするようになりました。アダムの不ふ従じゅう順じゅんの悲ひ惨さんな影えい響きょうは今いまも続つづいています。それとは対たい照しょう的てきに,神かみがイエスを復ふっ活かつさせてくださったので,私わたしたちの将しょう来らいには素す晴ばらしい希き望ぼうがあります。パウロはこう述のべています。「死し者しゃの復ふっ活かつも1人ひとりの人ひと[イエス]を通とおして来きます。アダムのゆえに全すべての人ひとが死しんでいくように,キリストのゆえに全すべての人ひとが生いかされるのです」。(コリ一いち 15:21,22)

14. アダムは復ふっ活かつしますか。

14 パウロはどんな意い味みで,「アダムのゆえに全すべての人ひとが死しんでいく」と言いったのでしょうか。パウロは,アダムの子し孫そんのことを考かんがえていました。その人ひとたちは,アダムから罪つみと不ふ完かん全ぜんさを受うけ継ついでいるので,やがて死しんでいきます。(ロマ 5:12)アダムは,「生いかされる」人ひとには含ふくまれていません。キリストの贖あがないはアダムの罪つみを覆おおうことはできません。アダムは,完かん全ぜんな人にん間げんだったにもかかわらず,あえて神かみに従したがわなかったからです。アダムが復ふっ活かつすることはありません。「人ひとの子こ」に「ヤギ」として分わけられて,「永えい遠えんの死し」を迎むかえる人ひとたちと同おなじです。(マタ 25:31-33,46。ヘブ 5:9)

天に上げられていくイエス。周りに幾人かの初期クリスチャンが描かれている。

イエスは天てんに復ふっ活かつした最さい初しょの方かた。(15-16節せつを参さん照しょう。)b

15. 「生いかされる」ことになる「全すべての人ひと」には,どんな人ひとが含ふくまれますか。

15 パウロは,「キリストのゆえに全すべての人ひとが生いかされる」と述のべています。(コリ一いち 15:22)パウロはこの手て紙がみを,天てんに復ふっ活かつする希き望ぼうを持もつ,コリントのクリスチャンに宛あてて書かきました。それらのクリスチャンは,「キリスト・イエスと結むすばれて神しん聖せいなものとされ,招まねかれて聖せいなる人ひととなりました」。「キリストと結むすばれて死しの眠ねむりに就ついた人ひとたち」とも呼よばれています。(コリ一いち 1:2; 15:18。コリ二に 5:17)パウロの別べつの手て紙がみによると,「キリストと同どう様ようの死しを迎むかえてキリストと結むすばれた」人ひとたちは,「キリストと同どう様ようの復ふっ活かつを遂とげてキリストと結むすばれます」。(ロマ 6:3-5)イエスは,目めに見みえない存そん在ざいとして天てんに復ふっ活かつしました。ですから同おなじことが,「キリストと結むすばれて」いる人ひとたち,つまり,聖せいなる力ちからによって選えらばれたクリスチャンたちに生しょうじるのです。

16. 「最さい初しょ」という表ひょう現げんから何なにが分わかりますか。

16 パウロは,キリストが「死しの眠ねむりに就ついた人ひとたちの中なかで最さい初しょに復ふっ活かつした方かた」となったと書かいています。確たしかに,ラザロのように地ち上じょうに復ふっ活かつさせられた人ひとはいましたが,目めに見みえない存そん在ざいとして生いき返かえらされ,永えい遠えんの命いのちを与あたえられたのは,イエスが最さい初しょでした。「最さい初しょ」という表ひょう現げんから,イエスの後あとにも天てんに復ふっ活かつする人ひとたちがいることが分わかります。「キリストと結むすばれて」いる人ひとたちは,イエスのように天てんに復ふっ活かつさせられるのです。

17. 「キリストと結むすばれて」いる人ひとたちが天てんでの報むくいを受うけるのはいつですか。

17 パウロがコリントのクリスチャンに手て紙がみを書かいた時じ点てんでは,「キリストと結むすばれて」いる人ひとたちの天てんへの復ふっ活かつはまだ始はじまっていませんでした。パウロはそれが将しょう来らい起おきることを示しめして,こう書かきました。「それは各かく自じ,順じゅん番ばんに従したがってのことです。最さい初しょにキリスト,その後ご,キリストの臨りん在ざいの間あいだに,キリストのものである人ひとたちです」。(コリ一いち 15:23。テサ一いち 4:15,16)現げん在ざい,予よ告こくされていた「キリストの臨りん在ざい」はすでに始はじまっています。死しの眠ねむりに就ついていた,天てんに行いくよう選えらばれたクリスチャンは,その臨りん在ざいが始はじまった後あと,天てんでの報むくいを受うけ,「キリストと同どう様ようの復ふっ活かつを遂とげてキリストと結むすばれ」ました。

確たしかな希き望ぼうがある

18. (ア)天てんへの復ふっ活かつの後あとにほかの復ふっ活かつが起おきると言いえるのは,なぜですか。(イ)コリント第だい一いち 15章しょう24-26節せつによると,天てんではどんなことが起おきますか。

18 聖せい書しょによると,パウロなど,天てんに行いく人ひとたちが経けい験けんするのは「早はやい方ほうの復ふっ活かつ」です。(フィリ 3:11)つまり,その後あとにほかの復ふっ活かつが起おきるということです。これは,ヨブが自じ分ぶんに起おきると信しんじていたこととも調ちょう和わしています。(ヨブ 14:15)「キリストの臨りん在ざいの間あいだに」復ふっ活かつする「キリストのものである人ひとたち」は,イエスが全すべての政せい府ふ,また全すべての権けん威いと力ちからを除のぞき去さる時ときに,天てんでイエスと共ともにいるでしょう。「最さい後ごの敵てきである死し」も除のぞき去さられます。天てんに復ふっ活かつした人ひとたちは,もう死しぬことはないのです。では,天てんに行いくよう選えらばれてはいない忠ちゅう実じつなクリスチャンについてはどうでしょうか。(コリント第だい一いち 15:24-26を読よむ。)

19. 地ち上じょうで生いきることを望のぞんでいる人ひとたちには,どんな希き望ぼうがありますか。

19 地ち上じょうで生いきることを望のぞんでいる人ひとたちには,どんな希き望ぼうがありますか。パウロはこう書かいています。「私わたしは……希き望ぼうを持もっております。神かみが正ただしい人ひとも正ただしくない人ひとも復ふっ活かつさせてくださるという希き望ぼうです」。(使し徒と 24:15)正ただしくない人ひとが天てんに行いくことはありません。ですからこの言こと葉ばは,将しょう来らい地ち上じょうで復ふっ活かつが起おきることを示しめしています。

妻を亡くした年配の兄弟が奉仕に出掛けようとしている。台の上には,妻の写真と結婚式の写真が飾られている。

復ふっ活かつに対たいする信しん仰こうがあると,将しょう来らいを楽たのしみに待まつことができる。(20節せつを参さん照しょう。)c

20. 復ふっ活かつの希き望ぼうが実じつ現げんするというあなたの確かく信しんは,どのように強つよまりましたか。

20 そうです,復ふっ活かつは必かならず起おきます。地ち上じょうに生いき返かえってくる人ひとたちには,永えい遠えんに生いきる見み込こみがあります。エホバの約やく束そくが実じつ現げんすることを確かく信しんできます。復ふっ活かつの希き望ぼうがあるので,亡なくなった愛あいする人ひとについても慰なぐさめが得えられます。そうした人ひとは,キリストと14万まん4000人にんが「1000年ねんの間あいだ……王おうとして治おさめる」時ときに復ふっ活かつします。(啓けい 20:6)私わたしたちはたとえ千せん年ねん統とう治ちが始はじまる前まえに死しぬとしても,必かならず生いき返かえらされるという確たしかな希き望ぼうがあります。この「希き望ぼうが失しつ望ぼうに至いたることはありません」。(ロマ 5:5)復ふっ活かつの希き望ぼうは私わたしたちの支ささえとなり,喜よろこんで神かみに仕つかえる助たすけともなります。とはいえ,コリント第だい一いち 15章しょうから学まなべる点てんはほかにもあります。次つぎの記き事じで考かんがえましょう。

どのように答こたえますか

  • イエスが確たしかに復ふっ活かつしたと言いえるのは,なぜですか。

  • イエスの復ふっ活かつが私わたしたちにとって重じゅう要ようなのは,なぜですか。

  • コリント第だい一いち 15章しょうを学まなんで,復ふっ活かつの希き望ぼうが実じつ現げんするというあなたの確かく信しんは,どのように強つよまりましたか。

147番ばんの歌うた 約やく束そくされた永えい遠えんの命いのち

a コリント第だい一いち 15章しょうのテーマは復ふっ活かつです。復ふっ活かつの教おしえが私わたしたちにとって重じゅう要ようなのはなぜでしょうか。イエスの復ふっ活かつを信しんじることができるのはなぜですか。この記き事じでは,復ふっ活かつについての重じゅう要ような点てんを考かんがえます。

b 写しゃ真しんや挿さし絵え: イエスは,天てんに上あげられた最さい初しょの方かた。(使し徒と 1:9)後のちに,トマス,ヤコブ,ルデア,ヨハネ,マリア,パウロといった弟で子したちも,イエスのように天てんに上あげられた。

c 写しゃ真しんや挿さし絵え: 夫ふう婦ふで長なが年ねんエホバに仕つかえてきた兄きょう弟だいは,愛あいする妻つまを亡なくしたが,復ふっ活かつを信しんじて忠ちゅう実じつに奉ほう仕しを続つづけている。

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