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  • 「誰かが救われないとしても私は潔白で[す]」

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神の王国について徹底的に教える
徹 21章 165–172ページ

21章

「誰だれかが救すくわれないとしても私わたしは潔けっ白ぱくで[す]」

パウロは熱ねっ心しんに宣せん教きょうを続つづけ,長ちょう老ろうたちにアドバイスした

使し徒と 20:1-38

1-3. (ア)ユテコはどんなことがあって亡なくなりましたか。(イ)パウロはどうしましたか。この出で来き事ごとからパウロについてどんなことが分わかりますか。

パウロがいるトロアスの階かい上じょうの部へ屋やは,人ひとでいっぱいです。兄きょう弟だいたちと過すごす最さい後ごの晩ばんなので,パウロの話はなしは長ながくなり,もう真ま夜よ中なかになりました。かなりの数かずのランプがともされ,部へ屋やは暖あたたかくなっています。空くう気きがよどんでいる感かんじもします。窓まどの所ところにユテコという若わか者ものが座すわっています。パウロの話はなしの間あいだにユテコは眠ねむり込こみ,3階がいの窓まどから落おちてしまいました。

2 医い者しゃのルカは,真まっ先さきに外そとに出でて,ユテコのそばに駆かけ寄よったはずです。残ざん念ねんなことに,もう手ての施ほどこしようがありません。「抱だき起おこしてみると,死しんで」いました。(使し徒と 20:9)でも,奇き跡せきが起おきます。パウロがユテコの上うえにかがみ込こんでから,みんなに向むかって言いいます。「騒さわぐのはやめなさい。生いきています」。パウロはユテコを生いき返かえらせました。(使し徒と 20:10)

3 神かみの聖せいなる力ちからのすごさが分わかる出で来き事ごとでした。ユテコが死しんだのはパウロのせいではありませんでした。でもパウロは,兄きょう弟だいたちとの最さい後ごのひとときが悲かなしい思おもい出でになってほしくありません。ユテコが死しんだことでみんなの信しん仰こうが揺ゆらぐことになってほしくもありません。それで,ユテコを生いき返かえらせることで,宣せん教きょうを続つづけられるようみんなを元げん気きづけました。パウロは一人ひとり一人ひとりの命いのちについて責せき任にんを感かんじていました。「誰だれかが救すくわれないとしても私わたしは潔けっ白ぱくで[す]」というパウロの言こと葉ばにも,そのことが表あらわれています。(使し徒と 20:26)私わたしたちも同おなじ見み方かたができるよう,パウロから学まなびましょう。

「マケドニアへ旅たび立だった」(使し徒と 20:1,2)

4. パウロはエフェソスでどんな怖こわい思おもいをしましたか。

4 前まえの章しょうで見みたように,パウロはエフェソスで怖こわい思おもいをしました。パウロの宣せん教きょうが人ひと々びとの反はん感かんを買かい,騒そう動どうになりました。アルテミスの像ぞうを作つくる銀ぎん細ざい工く人にんたちが暴ぼう動どうを起おこしたのです。「騒そう動どうが収おさまった後あと,パウロは弟で子したちを呼よび寄よせて励はげまし,別わかれを告つげてから,マケドニアへ旅たび立だ」ちました。(使し徒と 20:1)

5,6. (ア)パウロはマケドニアにどれくらいいたと考かんがえられますか。そこで何なにをしましたか。(イ)パウロはいつもどんな姿し勢せいで兄きょう弟だいたちに接せっしましたか。

5 マケドニア地ち方ほうへ行いく途と中ちゅう,パウロは港みなと町まちトロアスに立たち寄よります。コリントに遣つかわしていたテトスが合ごう流りゅうするのを,そこで待まつことにしました。(コリ二に 2:12,13)でも,テトスはやって来こないことが分わかります。それで,マケドニア地ち方ほうに行いき,「人ひと々びとにたくさんの励はげましの言こと葉ばを掛かけ」ました。そこに半はん年としほどいたと思おもわれます。a (使し徒と 20:2)マケドニアにいる間あいだにテトスがついにやって来きます。そしてテトスから,コリントのクリスチャンについての良よい報ほう告こくを聞ききます。彼かれらが最さい初しょの手て紙がみを前まえ向むきに受うけ止とめたことを話はなしてくれたのです。(コリ二に 7:5-7)報ほう告こくを受うけて,パウロは第だい二にの手て紙がみを書かくことにしました。

6 ルカは,パウロがエフェソスの兄きょう弟だいたちのこともマケドニアの兄きょう弟だいたちのことも「励はげまし」たと書かいています。兄きょう弟だいたちへのパウロの思おもいが伝つたわってきます。パウロは兄きょう弟だいたちを仲なか間まだと思おもっていました。人ひとを下したに見みるパリサイ派はの人ひとたちとは大おお違ちがいです。(ヨハ 7:47-49)パウロははっきり助じょ言げんしなければいけないときも,そういう姿し勢せいで兄きょう弟だいたちに接せっしました。(コリ二に 2:4)

7. 現げん代だいの監かん督とくたちはどのようにパウロに倣ならえますか。

7 現げん代だいの会かい衆しゅうの長ちょう老ろうや巡じゅん回かい監かん督とくは,パウロに倣ならおうと努ど力りょくしています。戒いましめを与あたえる時ときでも,相あい手ての支ささえになることを心こころ掛がけます。厳きびしく責せめるのではなく,相あい手ての身みになって考かんがえ,力ちからづけようとします。経けい験けん豊ゆたかな巡じゅん回かい監かん督とくはこう言いっています。「兄きょう弟だい姉し妹まいのほとんどは正ただしいことをしたいと思おもっています。でも,いろんなストレスや不ふ安あんを抱かかえていたり,何なにをどうしたらよいかが分わからなくなったりしています」。監かん督とくたちはそういう仲なか間まに寄より添そって,力ちからになろうとします。(ヘブ 12:12,13)

パウロがマケドニアで書かいた手て紙がみ

「コリントのクリスチャンへの第だい二にの手て紙がみ」の中なかで,パウロはマケドニアに着ついた時ときにコリントの兄きょう弟だいたちのことが気き掛がかりだったと言いっています。でも,コリントから来きたテトスが良よい報ほう告こくをしてくれたので,パウロは安あん心しんしました。そしてすぐにコリント第だい二にの手て紙がみを書かきました。55年ねんごろのことです。その手て紙がみに書かかれている内ない容ようから,その時ときまだマケドニアにいたことが分わかります。(コリ二に 7:5-7; 9:2-4)この時じ期き,パウロが気きに掛かけていたのは,ユダヤの兄きょう弟だいたちのための寄き付ふを集あつめ終おえることでした。(コリ二に 8:18-21)また,コリントで「偽にせ使し徒と」が「人ひとを欺あざむ」いていることも心しん配ぱいしていました。(コリ二に 11:5,13,14)

「テトスへの手て紙がみ」もマケドニアで書かかれたと思おもわれます。ローマでの最さい初しょの拘こう禁きんから解かい放ほうされた後あと,61年ねんから64年ねんの間あいだのどこかのタイミングで,パウロはクレタ島とうを訪おとずれました。そしてクレタ島とうにテトスを残のこします。問もん題だいを正ただし,長ちょう老ろうたちを任にん命めいしてもらうためです。(テト 1:5)パウロはテトスに,ニコポリスで会あいたいと伝つたえています。ニコポリスという町まちは当とう時じの地ち中ちゅう海かい地ち域いきにいくつもありましたが,パウロが言いっていたのはギリシャ北ほく西せい部ぶの町まちだったと思おもわれます。パウロはテトスに手て紙がみを書かいた時とき,その辺あたりで奉ほう仕ししていたようです。(テト 3:12)

「テモテへの第だい一いちの手て紙がみ」も,ローマでの最さい初しょの拘こう禁きんから解かい放ほうされた後あと,61年ねんから64年ねんの間あいだに書かかれました。手て紙がみの冒ぼう頭とう部ぶ分ぶんによると,パウロはマケドニアに行いったようです。テモテには,エフェソスにとどまるようにと勧すすめました。(テモ一いち 1:3)パウロはこの手て紙がみをマケドニアで書かいたと思おもわれます。父ちち親おやのようにテモテにアドバイスし,励はげまし,会かい衆しゅうでの物もの事ごとの扱あつかい方かたを指し示じしています。

「陰いん謀ぼうを巡めぐらした」(使し徒と 20:3,4)

8,9. (ア)パウロが船ふねでシリアに向むかう計けい画かくを変へん更こうせざるを得えなくなったのはどうしてですか。(イ)ユダヤ人じんたちがパウロのことを憎にくんでいたのは,どうしてだと考かんがえられますか。

8 パウロはマケドニア地ち方ほうを出でて,コリントに行いきます。b そこで3カ月げつ過すごし,その後ご,ケンクレアに向むかおうとします。シリア行いきの船ふねに乗のるためです。シリア地ち方ほうに着ついたらエルサレムに行いって,生せい活かつに困こまっている兄きょう弟だいたちに寄き付ふ金きんを届とどけるつもりでした。c (使し徒と 24:17。ロマ 15:25,26)ところが,思おもわぬことが起おき,計けい画かくを変へん更こうせざるを得えなくなります。パウロに「対たいしてユダヤ人じんが陰いん謀ぼうを巡めぐらし」たのです。(使し徒と 20:3)

9 ユダヤ人じんたちは,パウロのことが憎にくくてたまりません。ユダヤ教きょうを捨すてた背はい教きょう者しゃだ,と考かんがえています。すでに以い前ぜん,コリントの会かい堂どうの役やく員いんクリスポが,パウロの話はなしを聞きいてクリスチャンになりました。(使し徒と 18:7,8。コリ一いち 1:14)別べつの時ときには,コリントのユダヤ人じんたちが,アカイアの執しっ政せい官かん代だい理りガリオにパウロについて抗こう議ぎすると,根こん拠きょがないとして訴うったえが却きゃっ下かされました。ユダヤ人じんたちは激げき怒どしました。(使し徒と 18:12-17)コリントのユダヤ人じんたちは,パウロが間まもなく近ちかくのケンクレアから船ふねに乗のると思おもったようです。そういう情じょう報ほうを聞きいたのかもしれません。パウロをそこで待まち伏ぶせしようと考かんがえます。パウロはどうするでしょうか。

10. パウロがケンクレアに行いくのをやめたのは臆おく病びょうだったからではありません。どうしてそういえますか。

10 パウロは,身みの安あん全ぜんと託たくされた寄き付ふ金きんのことを考かんがえて,ケンクレアには行いかないことにします。来きた道みちを引ひき返かえしてマケドニア地ち方ほうを通とおることにしました。陸りく路ろの旅たびにも危き険けんはあります。当とう時じの道みちには盗とう賊ぞくが出しゅつ没ぼつし,宿やど屋やも安あん全ぜんとは言いえませんでした。それでもパウロは,ケンクレアに行いくよりは危き険けんが少すくないと考かんがえました。幸さいわい,一人ひとり旅たびではありません。この間かん,パウロの宣せん教きょう旅りょ行こうに同どう行こうした人ひとたちに,アリスタルコ,ガイオ,セクンド,ソパテロ,テキコ,テモテ,トロフィモがいます。(使し徒と 20:3,4)

11. 私わたしたちはどのように安あん全ぜんを意い識しきした行こう動どうを取とりますか。イエスはどのように身みの安あん全ぜんを守まもりましたか。

11 現げん代だいのクリスチャンも,パウロのように安あん全ぜんを意い識しきしながら伝でん道どうします。地ち域いきによっては,1人ひとりではなくグループで,少すくなくとも2人ふたりで行こう動どうします。迫はく害がいされるときはどうでしょうか。迫はく害がいは避さけて通とおれないことを私わたしたちは知しっています。(ヨハ 15:20。テモ二に 3:12)でも,あえて危き険けんな目めに遭あうようなことはしません。イエスもそうでした。エルサレムで石いしを投なげ付つけられそうになった時とき,「イエスは身みを隠かくし,神しん殿でんから出でて」いきました。(ヨハ 8:59)ユダヤ人じんたちがイエスを殺ころそうとたくらんでいた時ときも,「イエスはもうユダヤ人じんの間あいだを表おもて立だって歩あるくことはせず,荒こう野やに近ちかい地ち方ほう……に行いき」ました。(ヨハ 11:54)イエスはいつも神かみの考かんがえに合あわせて行こう動どうしつつ,必ひつ要ようなときには身みの安あん全ぜんを守まもりました。私わたしたちもそうします。(マタ 10:16)

パウロは寄き付ふ金きんを届とどけた

33年ねんのペンテコステ以い降こう,エルサレムのクリスチャンたちは,いろいろと大たい変へんな目めに遭あいました。食しょく糧りょう不ぶ足そくを経けい験けんし,迫はく害がいに遭あい,持もち物ものを奪うばわれました。そのため,生せい活かつに困こまっている人ひとがいました。(使し徒と 11:27–12:1。ヘブ 10:32-34)49年ねんごろ,パウロはエルサレムの長ちょう老ろうたちから異い国こく人じんに伝でん道どうするよう指し示じされた時とき,「貧まずしい人ひとたちのことを忘わすれないように」とも言いわれました。それでパウロは各かく地ちの会かい衆しゅうから募ぼ金きんを集あつめました。(ガラ 2:10)

パウロは55年ねんに,コリントのクリスチャンにこう書かき送おくりました。「私わたしがガラテアの諸しょ会かい衆しゅうに与あたえた指し示じに従したがってください。毎まい週しゅうの初はじめの日ひに,各かく自じが資し力りょくに応おうじて幾いくらかを取とり分わけておくべきです。私わたしが到とう着ちゃくしてから募ぼ金きんすることにならないようにしてください。私わたしがそちらに着ついたら,皆みなさんからの手て紙がみの中なかで推すい薦せんされていた人ひとたちに頼たのんで,皆みなさんの親しん切せつな贈おくり物ものをエルサレムに届とどけてもらいます」。(コリ一いち 16:1-3)少すこしして,パウロはコリントのクリスチャンに2通つう目めの手て紙がみを書かきます。その手て紙がみの中なかで,寄き付ふを用よう意いしておくよう勧すすめ,マケドニア地ち方ほうのクリスチャンも寄き付ふしていると言いいました。(コリ二に 8:1–9:15)

56年ねん,幾いくつかの会かい衆しゅうの代だい表ひょう者しゃたちが集あつまり,パウロと一いっ緒しょに寄き付ふ金きんを届とどけることになりました。道どう中ちゅうの安あん全ぜんを守まもり,寄き付ふの扱あつかい方かたについてパウロが疑うたがわれないよう,9人にんが一いっ緒しょに旅たびをしました。(コリ二に 8:20)パウロがエルサレムまで旅たびしたのは,主おもにこの寄き付ふ金きんを届とどけるためでした。(ロマ 15:25,26)パウロは後あとで,総そう督とくフェリクスにこう話はなしています。「寄き付ふ金きんを自じ分ぶんの国こく民みんに持もってくるため,また捧ささげ物ものをするために,何なん年ねんかぶりにエルサレムに行いきました」。(使し徒と 24:17)

「大たい変へん慰なぐさめられた」(使し徒と 20:5-12)

12,13. (ア)ユテコが生いき返かえり,兄きょう弟だいたちはどんな気き持もちになりましたか。(イ)大たい切せつな人ひとを亡なくしても,どんな希き望ぼうがあるので慰なぐさめられますか。

12 パウロの一いっ行こうは,マケドニア地ち方ほうを一いっ緒しょに旅たびした後あと,いったん別わかれたようです。それからトロアスで落おち合あったと思おもわれます。d 「5日かもしないうちにトロアスで彼かれらに合ごう流りゅうした」と書かかれています。e (使し徒と 20:6)この章しょうの冒ぼう頭とうで見みたように,パウロが若わか者ものユテコを生いき返かえらせたのは,この町まちでのことでした。ユテコが生いき返かえったのを見みて,兄きょう弟だいたちはどんなにか喜よろこんだことでしょう。「大たい変へん慰なぐさめられた」と記き録ろくされています。(使し徒と 20:12)

13 もちろん,今いまはそういう奇き跡せきは起おきません。でも,亡なくなった大たい切せつな人ひとたちが将しょう来らい生いき返かえることを考かんがえると,「大たい変へん慰なぐさめられ」ます。(ヨハ 5:28,29)復ふっ活かつしたユテコは,依い然ぜんとして完かん全ぜんではなかったので,やがてまた死しにました。(ロマ 6:23)でも,神かみの新あたらしい世せ界かいで生いき返かえる人ひとたちは,いつまでもずっと生いきられます。復ふっ活かつして天てんでイエスと一いっ緒しょに王おうになる人ひとたちは,不ふ滅めつ性せいも与あたえられます。(コリ一いち 15:51-53)天てんに行いくクリスチャンも「ほかの羊ひつじ」のクリスチャンも,復ふっ活かつの希き望ぼうがあるので「大たい変へん慰なぐさめられ」ています。(ヨハ 10:16)

「人ひと々びとの前まえで,また家いえから家いえへと」(使し徒と 20:13-24)

14. ミレトスで会あったエフェソスの長ちょう老ろうたちに,パウロはどんなことを言いいましたか。

14 パウロの一いっ行こうはトロアスからアソスへ,それからミテレネ,キオス,サモス,ミレトスへと進すすみます。パウロは,ペンテコステの祭まつりの日ひまでにエルサレムに着つきたいと思おもっています。急いそいでいたので,エフェソスには寄よらない船ふねを選えらびました。でも,エフェソスの長ちょう老ろうたちと話はなしたいと思おもっていたので,ミレトスに会あいに来きてほしいと伝つたえます。(使し徒と 20:13-17)長ちょう老ろうたちがやって来くると,パウロはこう言いいました。「アジア州しゅうに足あしを踏ふみ入いれた最さい初しょの日ひから私わたしが皆みなさんの間あいだでどう行こう動どうしたか,皆みなさんはよく知しっています。涙なみだを流ながし,ユダヤ人じんたちの陰いん謀ぼうによる試し練れんに遭あいながら,ただただ謙けん遜そんに主しゅのために一いっ生しょう懸けん命めい働はたらきました。ためらうことなく,有ゆう益えきなことを何なんでも皆みなさんに話はなし,人ひと々びとの前まえで,また家いえから家いえへと,皆みなさんを教おしえました。神かみに対たいする悔くい改あらためと私わたしたちの主しゅイエスへの信しん仰こうについて,ユダヤ人じんにもギリシャ人じんにも徹てっ底てい的てきに知しらせました」。(使し徒と 20:18-21)

15. 家いえを一いっ軒けん一いっ軒けん訪たずねることには,どんな利り点てんがありますか。

15 現げん在ざい,良よい知しらせがいろいろな方ほう法ほうで伝つたえられています。私わたしたちもパウロのように,人ひとのいる所ところに出で掛かけていきます。駅えきでも,人ひと通どおりが多おおい道みちでも,商しょう店てん街がいでも伝でん道どうします。でも,エホバの証しょう人にんが伝でん道どうするメインの方ほう法ほうは,家いえを一いっ軒けん一いっ軒けん訪たずねることです。どうしてでしょうか。家いえを一いっ軒けん一いっ軒けん訪たずねれば,人ひと々びとに漏もれなく,定てい期き的てきに良よい知しらせを伝つたえられるからです。エホバは,全すべての人ひとに公こう平へいに神かみの王おう国こくについて知しらせたいと思おもっています。また,家いえを訪ほう問もんすれば,一人ひとり一人ひとりに寄より添そった教おしえ方かたができます。私わたしたちとしても信しん仰こうが強つよまり,諦あきらめずに続つづける力ちからが身みに付つきます。「人ひと々びとの前まえで,また家いえから家いえへと」熱ねっ心しんに伝でん道どうするのが,本ほん当とうのクリスチャンです。

16,17. パウロはどんな覚かく悟ごでいましたか。現げん代だいのクリスチャンはどのようにパウロに倣ならっていますか。

16 次つぎにパウロはエフェソスの長ちょう老ろうたちに,エルサレムでどんな危き険けんが待まっているか分わからないと話はなします。そして,こう続つづけます。「そうだとしても,自じ分ぶんの走そう路ろを走はしり通とおし,主しゅイエスから受うけた奉ほう仕しをやり遂とげることさえできれば,私わたしは自じ分ぶんの命いのちを少すこしも惜おしいとは思おもいません。神かみの惜おしみない親しん切せつに関かんする良よい知しらせを徹てっ底てい的てきに伝つたえます」。(使し徒と 20:24)パウロは,たとえ病びょう気きや迫はく害がいのために命いのちを失うしなうことになっても,エホバから与あたえられた任にん務むを最さい後ごまでやり遂とげるつもりでした。

17 現げん代だいのクリスチャンも,いろいろな逆ぎゃっ境きょうに立たち向むかっています。政せい府ふによって活かつ動どうを禁きんじられたり,迫はく害がいを受うけたりしています。心こころや体からだの病びょう気きと闘たたかっている人ひともいます。若わかい人ひとたちは学がっ校こうでのいじめや誘ゆう惑わくと闘たたかっています。問もん題だいはいろいろでも,みんなパウロのように堂どう々どうとしていて勇ゆう敢かんです。「良よい知しらせを徹てっ底てい的てきに伝つたえ」ることを決けつ意いしています。

「自じ分ぶん自じ身しんと群むれ全ぜん体たいに注ちゅう意いを払はらってください」(使し徒と 20:25-38)

18. パウロが自じ分ぶんは潔けっ白ぱくだと言いえたのはどうしてですか。エフェソスの長ちょう老ろうたちも潔けっ白ぱくでいるには,どうすることが大たい切せつでしたか。

18 パウロは続つづけて,自じ分ぶんがしてきたことについてエフェソスの長ちょう老ろうたちに話はなします。そして,今こん後ご注ちゅう意いすべきことについてはっきり伝つたえます。皆みなさんに会あうのはこれが最さい後ごになると言いってから,こう話はなします。「誰だれかが救すくわれないとしても私わたしは潔けっ白ぱくで[す]。私わたしはためらうことなく神かみの意い志しを全すべて皆みなさんに伝つたえたからです」。エフェソスの長ちょう老ろうたちも潔けっ白ぱくでいるためには,どうすることが大たい切せつでしょうか。パウロは言いいます。「自じ分ぶん自じ身しんと群むれ全ぜん体たいに注ちゅう意いを払はらってください。神かみが聖せいなる力ちからによって皆みなさんを群むれの監かん督とくに任にん命めいしました。神かみの会かい衆しゅうを牧ぼく者しゃとして世せ話わするためであり,その会かい衆しゅうを神かみは自じ分ぶんの子この血ちによって買かい取とったのです」。(使し徒と 20:26-28)パウロはそれから,「圧あっ制せい的てきなオオカミ」が会かい衆しゅうに入はいり込こみ,「弟で子したちを引ひき離はなして自じ分ぶんに付つかせようとして曲まがった事こと柄がらを言いう」と警けい告こくします。パウロは長ちょう老ろうたちに何なんとアドバイスするでしょうか。「目め覚ざめていなさい。そして,私わたしが3年ねん間かん,昼ひるも夜よるも,涙なみだを流ながして皆みなさん一人ひとり一人ひとりを訓くん戒かいし続つづけたことを忘わすれないでください」と言いいました。(使し徒と 20:29-31)

19. 1世せい紀きの終おわりにはどのような背はい教きょうが見みられましたか。その後ごの時じ代だいはどうでしたか。

19 1世せい紀きの終おわり頃ごろには,すでに「圧あっ制せい的てきなオオカミ」が現あらわれていました。98年ねんごろ,使し徒とヨハネはこう書かいています。「今いまや多おおくの反はんキリストが現あらわれました。……彼かれらは私わたしたちから去さっていきましたが,もともと仲なか間まではありませんでした。もし仲なか間まだったなら,ずっと私わたしたちと一いっ緒しょにいたはずです」。(ヨハ一いち 2:18,19)3世せい紀きまでには,背はい教きょうが進すすんで聖せい職しょく者しゃ階かい級きゅうがつくられ,4世せい紀きには,コンスタンティヌス帝ていが,腐ふ敗はいした偽にせのキリスト教きょうを公こう式しきに認にん可かしました。聖せい職しょく者しゃたちが異い教きょうの儀ぎ式しきを次つぎ々つぎと取とり入いれて,あたかもキリスト教きょうのものであるかのように見みせ掛かけました。「曲まがった事こと柄がらを言いう」とパウロが言いっていた通とおりです。今いまも一いっ般ぱんのキリスト教きょうには,正ただしくない教おしえや習しゅう慣かんが受うけ継つがれています。

20,21. 見み返かえりを求もとめないパウロの姿し勢せいは,どんなところに表あらわれていますか。現げん代だいの長ちょう老ろうたちはどのようにパウロに倣ならっていますか。

20 聖せい職しょく者しゃたちは,信しん者じゃたちを利り用ようして私し腹ふくを肥こやそうとしましたが,パウロは全まったく違ちがっていました。自じ分ぶんで働はたらいて生せい計けいを立たて,会かい衆しゅうに負ふ担たんを掛かけないようにしました。兄きょう弟だい姉し妹まいのために何なにかをするときも,金きん品ぴんを要よう求きゅうしたりはしませんでした。エフェソスの長ちょう老ろうたちに,見み返かえりを求もとめずに仲なか間まを助たすけるよう勧すすめています。こう言いいました。「弱よわい人ひとたちを援えん助じょしなければならないこと,また,主しゅイエス自じ身しんが述のべた『受うけるより与あたえる方ほうが幸こう福ふくである』という言こと葉ばを覚おぼえておかなければな[りません]」。(使し徒と 20:35)

21 現げん代だいの長ちょう老ろうたちもパウロと同おなじようにしています。見み返かえりを求もとめずに,「神かみの会かい衆しゅうを牧ぼく者しゃとして世せ話わ」しています。信しん者じゃたちを都つ合ごうよく利り用ようする聖せい職しょく者しゃたちとは全まったく違ちがいます。本ほん当とうのクリスチャンは,おごり高たかぶったり野や心しんを抱いだいたりしません。「自じ分ぶんの栄えい誉よ」を求もとめる人ひとはいずれうまくいかなくなり,「恥はじをか」きます。(格かく 11:2; 25:27)

パウロの一行が船に乗ろうとしている。エフェソスの長老たちがパウロに抱き付いて,泣いている。

「皆みなが多おおくの涙なみだを流ながし[た]」。使し徒と 20:37

22. パウロが兄きょう弟だいたちから愛あいされたのはどうしてですか。

22 パウロは兄きょう弟だいたちを心こころから愛あいしていたので,兄きょう弟だいたちからとても愛あいされました。パウロが出しゅっ発ぱつする時ときには,「皆みなが多おおくの涙なみだを流ながし,パウロを抱だいて優やさしく口くちづけし」ました。(使し徒と 20:37,38)私わたしたちも,会かい衆しゅうのために見み返かえりを求もとめずに働はたらく兄きょう弟だいたちのことを愛あいし,大たい切せつに思おもっています。パウロがどれほどのことをしたかを考かんがえると,「誰だれかが救すくわれないとしても私わたしは潔けっ白ぱくで[す]」という言こと葉ばは決けっして大おおげさではなかったことが分わかります。(使し徒と 20:26)

a 「パウロがマケドニアで書かいた手て紙がみ」という囲かこみを参さん照しょう。

b パウロはコリントにいたこの期き間かん中ちゅうに,「ローマのクリスチャンへの手て紙がみ」を書かいたと思おもわれます。

c 「パウロは寄き付ふ金きんを届とどけた」という囲かこみを参さん照しょう。

d 使し徒と 20章しょう5,6節せつでルカは,「私わたしたち」という語ごを使つかっています。それで,ルカはこの時ときフィリピから再ふたたびパウロの旅たびに加くわわったようです。ルカは以い前ぜんフィリピでパウロと別わかれ,その後ごもそこにとどまっていたと思おもわれます。(使し徒と 16:10-17,40)

e フィリピからトロアスまで5日かかかったのは,向むかい風かぜのためかもしれません。以い前ぜんは,同おなじ航こう路ろをわずか2日ふつかで移い動どうしています。(使し徒と 16:11)

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