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  • バプテスマとは何ですか
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  • バプテスマにはどんな意味があるか
  • 幼児洗礼や洗礼名を付けることについて聖書は何と言っているか
  • 父と子と聖霊との名によってバプテスマを受けるとはどういう意味か
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聖書 Q&A
イ聖 記事110
若い男性がバプテスマを受けている。

バプテスマとは何なんですか

聖せい書しょの答こたえ

バプテスマとは,全ぜん身しんを水みずに浸ひたすことです。a 聖せい書しょには,バプテスマについての記き述じゅつがたくさんあります。(使し徒と 2:41)イエスのバプテスマもその1つです。イエスはヨルダン川がわで全ぜん身しんを水みずに浸ひたされました。(マタイ 3:13,16)それからしばらくして,あるエチオピア人じんの男だん性せいも,旅たびの途と中ちゅう,道みちの近ちかくの「水みずがある所ところ」でバプテスマを受うけました。(使し徒と 8:36-40)

イエスは,自じ分ぶんの弟で子しになるためにはバプテスマを受うける必ひつ要ようがあると教おしえました。(マタイ 28:19,20)使し徒とペテロもその点てんを強きょう調ちょうしました。(ペテロ第だい一いち 3:21)

この記き事じでは次つぎの点てんを取とり上あげます。

  • バプテスマにはどんな意い味みがあるか

  • 幼よう児じ洗せん礼れいや洗せん礼れい名めいを付つけることについて聖せい書しょは何なんと言いっているか

  • 父ちちと子こと聖せい霊れいとの名なによってバプテスマを受うけるとはどういう意い味みか

  • バプテスマを受うけ直なおすことは罪つみなのか

  • 聖せい書しょに出でてくるさまざまなバプテスマ

  • バプテスマについての誤ご解かい

バプテスマにはどんな意い味みがあるか

バプテスマとは,自じ分ぶんの罪つみを悔くい改あらため,神かみの望のぞむことを無む条じょう件けんで行おこなうと神かみに約やく束そくしたことを公おおやけに表あらわす行こう為いです。そのように約やく束そくした人ひとは,どんなときも神かみとイエスに従したがいます。バプテスマを受うける人ひとは,永えい遠えんの命いのちへとつながる生いき方かたを始はじめることになります。

水みずに浸ひたされることには重じゅう要ような意い味みがあります。聖せい書しょはバプテスマを,人ひとを葬ほうむることに例たとえています。(ローマ 6:4。コロサイ 2:12)水みずに浸ひたされることは,人ひとが以い前ぜんの生いき方かたに関かんして死しんだことを表あらわし,水みずから上あげられることは,献けん身しんしたクリスチャンとして新あたらしい生いき方かたをするようになったことを表あらわしています。

幼よう児じ洗せん礼れいや洗せん礼れい名めいを付つけることについて聖せい書しょは何なんと言いっているか

「洗せん礼れい」や「洗せん礼れい名めいを付つける」という言こと葉ばは聖せい書しょにはありません。b 聖せい書しょは幼よう児じにバプテスマを施ほどこすべきだ,とも教おしえていません。

洗礼式で司祭が赤ちゃんの頭に水を注いでいる。

幼よう児じ洗せん礼れいは聖せい書しょが教おしえていることと一いっ致ちしません。バプテスマを受うけたいと思おもう人ひとは,特とく定ていの要よう求きゅうを満みたさなければならないと聖せい書しょは教おしえています。例たとえば,聖せい書しょの基き本ほん的てきな教おしえを理り解かいし,その教おしえに沿そった生せい活かつをしている必ひつ要ようがあります。自じ分ぶんの罪つみを悔くい改あらためていることも必ひつ要ようです。そして祈いのりによって神かみに献けん身しんしなければいけません。(使し徒と 2:38,41; 8:12)こうしたことは幼よう児じにはできません。

父ちちと子こと聖せい霊れいとの名なによってバプテスマを受うけるとはどういう意い味みか

イエスは弟で子したちにこう命めいじました。「すべての国こく民みんを弟で子しとして、父ちちと子こと聖せい霊れいとの名なによって,彼かれらにバプテスマを施ほどこし、あなたがたに命めいじておいたいっさいのことを守まもるように教おしえよ」。(マタイ 28:19,20,「口こう語ご訳やく」,日に本ほん聖せい書しょ協きょう会かい)「名なによって」とは,バプテスマを受うける人ひとが父ちちと子この権けん威いと地ち位いおよび聖せい霊れいの役やく割わりを認みとめていることを意い味みしています。例たとえば,使し徒とペテロは生うまれつき足あしの不ふ自じ由ゆうだった男だん性せいに,「ナザレ人じんイエス・キリストの名なによって,歩あるきなさい!」と言いいました。(使し徒と 3:6)ペテロは,キリストの権けん威いを認みとめ,キリストによってこの奇き跡せきが可か能のうになったことを明あきらかにしたのです。

  • 「父ちち」とは神かみエホバcのことです。エホバは創そう造ぞう者しゃ,人にん間げんに命いのちを与あたえた方かた,全ぜん能のうの神かみであり,最さい高こうの権けん威いを持もっておられます。(創そう世せい記き 17:1。啓けい示じ 4:11)

  • 「子こ」とはイエス・キリストのことです。自じ分ぶんの命いのちを私わたしたちのために与あたえてくれました。(ローマ 6:23)人にん間げんに対たいする神かみの考かんがえを実じつ現げんさせる上うえでイエスは重じゅう要ような役やく割わりを任まかされています。そのことを認みとめなければ救すくいは得えられません。(ヨハネ 14:6; 20:31。使し徒と 4:8-12)

  • 「聖せい霊れい」は神かみが送おくり出だす力ちから,神かみが何なにかを行おこなう時ときに使つかう力ちからのことです。d 神かみは聖せい霊れい,つまり「聖せいなる力ちから」を使つかってさまざまなことを行おこなってきました。創そう造ぞうしたり,命いのちを与あたえたり,預よ言げん者しゃや他たの人ひとたちにメッセージを伝つたえたり,ご自じ分ぶんの望のぞむことをそれらの人ひとが行おこなえるよう力ちからを与あたえたりしました。(創そう世せい記き 1:2。ヨブ 33:4。ローマ 15:18,19)また神かみは,聖せいなる力ちからを使つかって,ご自じ分ぶんの考かんがえを聖せい書しょ筆ひっ者しゃたちに書かかせました。(ペテロ第だい二に 1:21)

バプテスマを受うけ直なおすことは罪つみなのか

宗しゅう教きょうを変かえるのは特とくに珍めずらしいことではありません。でも,これまでにどこかの教きょう会かいでバプテスマを受うけていた場ば合あいはどうですか。バプテスマを受うけ直なおすのは罪つみになるのでしょうか。ある人ひとは罪つみになると言いいます。エフェソス 4章しょう5節せつの「主しゅはひとり,信しん仰こうは1つ,バプテスマは1つです」という言こと葉ばを読よんでそう考かんがえるのかもしれません。しかし,この聖せい句くはそういう意い味みではありません。どうしてそう言いえるのでしょうか。

文ぶん脈みゃく エフェソス 4章しょう5節せつの文ぶん脈みゃくによると,使し徒とパウロは本ほん当とうのクリスチャンが信しん仰こうにおいて一いっ致ちしている必ひつ要ようがあることを強きょう調ちょうしていました。(エフェソス 4:1-3,16)そのような一いっ致ちが存そん在ざいするには,皆みながイエス・キリストという同おなじ主しゅに従したがい,聖せい書しょの教おしえを正ただしく理り解かいして同おなじ信しん仰こうを持もち,聖せい書しょに書かかれているバプテスマに関かんする同おなじ要よう求きゅうを満みたしていなければなりません。

使し徒とパウロは,すでにバプテスマを受うけたある人ひとたちに,もう一いち度どバプテスマを受うけるように勧すすめました。その人ひとたちがイエスの教おしえを十じゅう分ぶんに理り解かいせずにバプテスマを受うけていたからです。(使し徒と 19:1-5)

バプテスマを受うけるために不ふ可か欠けつなもの 神かみに受うけ入いれられるには,バプテスマは聖せい書しょの教おしえに関かんする正せい確かくな知ち識しきに基もとづいていなければなりません。(テモテ第だい一いち 2:3,4)聖せい書しょに書かかれていない教おしえに基もとづいてバプテスマを受うけたとしても,そのバプテスマは神かみに認みとめられません。(ヨハネ 4:23,24)誠せい実じつな気き持もちで受うけたとしても,そのバプテスマは「正せい確かくな知ち識しきによる」ものではありません。(ローマ 10:2)神かみに認みとめてもらうには,聖せい書しょの真しん理りを学まなび,学まなんだことを実じっ践せんし,神かみに献けん身しんし,もう一いち度どバプテスマを受うける必ひつ要ようがあります。そのようなバプテスマは罪つみではありません。むしろ正ただしいことです。

聖せい書しょに出でてくるさまざまなバプテスマ

聖せい書しょには,キリストの弟で子したちが水みずに浸ひたされることとは違ちがう意い味みを持もつバプテスマについての記き述じゅつがあります。幾いくつかの例れいを見みてみましょう。

バプテストのヨハネが施ほどこしたバプテスマe ユダヤ人じんやユダヤ教きょうへの改かい宗しゅう者しゃたちは,モーセの律りっ法ぽうに違い反はんした罪つみを悔くい改あらためたことを明あきらかにするために,ヨハネによるバプテスマを受うけました。モーセの律りっ法ぽうとは,神かみがモーセを通とおしてイスラエル人じんに与あたえた律りっ法ぽうです。ヨハネによるバプテスマによって,人ひと々びとはナザレ人じんのイエスをメシアとして認みとめ,受うけ入いれるための準じゅん備びを整ととのえることができました。(ルカ 1:13-17; 3:2,3。使し徒と 19:4)

イエスが受うけたバプテスマ イエスがバプテストのヨハネによって受うけたバプテスマは特とく別べつなものでした。イエスは,罪つみを犯おかしたことのない完かん全ぜんな人にん間げんでした。(ペテロ第だい一いち 2:21,22)それで,イエスのバプテスマには,悔くい改あらためることや「健けん全ぜんな良りょう心しんを神かみに願ねがい求もとめること」は関かん係けいしていませんでした。(ペテロ第だい一いち 3:21)イエスが受うけたバプテスマは,預よ言げんされていたメシアまたキリストとして,神かみの望のぞむことを行おこなうために自じ分ぶんを神かみに差さし出だしたことを示しめすものでした。これには,私わたしたちのために命いのちを犠ぎ牲せいにすることも含ふくまれていました。(ヘブライ 10:7-10)

イエスがバプテストのヨハネからバプテスマを施してもらっている。

聖せいなる力ちからによるバプテスマ バプテストのヨハネもイエス・キリストも,聖せいなる力ちからによるバプテスマについて話はなしました。(マタイ 3:11。ルカ 3:16。使し徒と 1:1–5)そのバプテスマは,聖せいなる力ちからの名なによって施ほどこすバプテスマとは違ちがいます。(マタイ 28:19)どうしてそう言いえるのでしょうか。

聖せいなる力ちからによるバプテスマを受うけるのは,イエスの弟で子しのうち,限かぎられた数かずの人ひとたちだけです。聖せいなる力ちからによって選えらばれるそれらの人ひとは,キリストと共ともに天てんで王おうまた祭さい司しとして,地ち球きゅうに住すむ人ひとたちを治おさめるようになります。f (ペテロ第だい一いち 1:3,4。啓けい示じ 5:9,10)地ち球きゅうに住すむのは,楽らく園えんで永えい遠えんに生いきるという希き望ぼうを持もつ,大おお勢ぜいのイエスの弟で子したちです。(マタイ 5:5。ルカ 23:43)

キリスト・イエスへのバプテスマとキリストの死しへのバプテスマ 聖せいなる力ちからによるバプテスマを受うける人ひとは,「キリスト・イエスへのバプテスマ」も受うけます。(ローマ 6:3)それでこのバプテスマは,天てんでイエスと共ともに統とう治ちするよう選えらばれたイエスの弟で子したちに当あてはまります。イエスへのバプテスマを受うけることによって,天てんに行いくよう選えらばれたクリスチャンの会かい衆しゅうの一いち員いんになります。イエスがその会かい衆しゅうの頭かしらで,選えらばれた人ひとたちは体からだです。(コリント第だい一いち 12:12,13,27。コロサイ 1:18)

選えらばれた人ひとたちは,「[イエス]の死しへのバプテスマ」も受うけます。(ローマ 6:3,4)その人ひとたちはイエスに倣ならって,神かみに従したがい,自じ己こ犠ぎ牲せいの生いき方かたをします。そして,地ち上じょうで永えい遠えんに生いきるという希き望ぼうを放ほう棄きします。この象しょう徴ちょう的てきなバプテスマは,その人ひとたちが死しんで天てんの命いのちに復ふっ活かつする時ときに完かん了りょうします。(ローマ 6:5。コリント第だい一いち 15:42-44)

火ひによるバプテスマ バプテストのヨハネは次つぎのように言いいました。「その方かた[イエス]は聖せいなる力ちからと火ひでバプテスマを施ほどこします。その方かたは農のう作さ業ぎょうに使つかうシャベルを手てにしており,脱だっ穀こく場ばをすっかりきれいにして,小こ麦むぎを倉くらの中なかに集あつめますが,もみ殻がらは消きえない火ひで焼やき払はらいます」。(マタイ 3:11,12)火ひによるバプテスマと聖せいなる力ちからによるバプテスマには違ちがいがあることに注ちゅう目もくしてください。ヨハネのこの例たとえにはどのような意い味みがあるのでしょうか。

小こ麦むぎは,イエスの言いうことを聞きいて従したがう人ひとたちを表あらわしています。その人ひとたちは聖せいなる力ちからによるバプテスマを受うける見み込こみがあります。もみ殻がらは,イエスの言いうことを聞きかない人ひとたちを表あらわしています。その人ひとたちの結けつ末まつは,永えい遠えんの滅ほろびを表あらわす火ひによるバプテスマです。(マタイ 3:7-12。ルカ 3:16,17)

バプテスマについての誤ご解かい

誤ご解かい: 全ぜん身しんを水みずに浸ひたさなくても,頭あたまに水みずを振ふり掛かけたり,注そそいだりすればよい。

事じ実じつ: 聖せい書しょに記しるされているバプテスマは全すべて,人ひとを完かん全ぜんに水みずに浸ひたすものでした。(マタイ 3:13,16。使し徒と 8:36-39)水みずを振ふり掛かけるだけのものはありません。g 水みずを振ふり掛かけられるのではなく,水みずに浸ひたされることが重じゅう要ようです。それは,バプテスマを受うける人ひとが以い前ぜんの生いき方かたに関かんして死しに,献けん身しんしたクリスチャンとして新あたらしい生いき方かたをするようになったことを表あらわすからです。

誤ご解かい: 聖せい書しょは,フィリピの牢ろう番ばんが「家いえの人ひと全ぜん員いんと共ともに……バプテスマを受うけた」と述のべているが,その時とき,幼よう児じもバプテスマを受うけたはず。(使し徒と 16:25,31-34)

事じ実じつ: この記き述じゅつでは,年ねん齢れいについては何なにも言げん及きゅうされていません。また,牢ろう番ばんやその家いえの人ひとたちは,バプテスマを受うける前まえに「エホバの言こと葉ば」を聞きいて受うけ入いれました。(使し徒と 16:31,32,34)ですから,バプテスマを受うけた人ひとたちは,聞きいたことを理り解かいし,神かみや主しゅイエスを信しんじることができる年ねん齢れいだったことが分わかります。

a 「バインの旧きゅう新しん約やく聖せい書しょ用よう語ご総そう合ごう解かい説せつ辞じ典てん」(英えい語ご)によると,「バプテスマ」と訳やくされるギリシャ語ごは,「水みずに浸ひたされ,水すい中ちゅうに沈しずみ,そして浮うかび上あがる」ことを意い味みしています。

b 「洗せん礼れい名めいを付つける」とは,幼よう児じの頭あたまに水みずを掛かけたり注そそいだりして洗せん礼れいを施ほどこす前まえに,幼よう児じに名な前まえを授さずける儀ぎ式しきのことで,幾いくつかの教きょう会かいで行おこなわれています。

c エホバは神かみの名な前まえです。(詩し編へん 83:18)「エホバとは誰だれのことですか」という記き事じをご覧らんください。

d 「聖せいなる力ちからとは何なんですか」という記き事じをご覧らんください。

e 「バプテストのヨハネはどんな人ひとでしたか」という記き事じをご覧らんください。

f 「誰だれが天てんに行いきますか」という記き事じをご覧らんください。

g 聖せい書しょでは,崇すう拝はいで使つかう器き具ぐを水みずにくぐらせるなどの洗あらいの儀ぎ式しきを指さして,「バプテスマ」という言こと葉ばが使つかわれている箇か所しょがあります。(マルコ 7:4。ヘブライ 9:10)このバプテスマは,イエスや弟で子したちが受うけた,完かん全ぜんに水みずに浸ひたされるバプテスマとは全まったく違ちがいます。

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