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エホバに近づきなさい
近 第14章 138–147ページ
イエスがてんびんの前に立っている。

第14章

エホバは「多おおくの人ひとと引ひき換かえる贖あがない」を与あたえる

1-2. 聖せい書しょによると,人にん間げんはどんな状じょう況きょうにいますか。何なにによって救すくわれますか。

「創そう造ぞう物ぶつ全すべてはこれまでずっと共ともにうめき,共ともに苦く痛つうを感かんじています」。(ローマ 8:22)使し徒とパウロがこう書かいているように,人にん間げんは惨みじめな状じょう況きょうにいます。多おおくの人ひとにとって,苦くるしみや罪つみや死しから逃のがれる方ほう法ほうはないように思おもえるかもしれません。しかし,限げん界かいがある人にん間げんとは違ちがって,エホバにはどんなことも可か能のうです。(民みん数すう記き 23:19)公こう正せいな神かみであるエホバは,私わたしたちが苦くるしみから救すくわれるようにしてくださいました。贖あがないを与あたえることによってです。

2 贖あがないは,エホバから人にん間げんへの最さい高こうの贈おくり物ものです。贖あがないによって,人ひとは罪つみと死しから救すくわれます。(エフェソス 1:7)贖あがないのおかげで,私わたしたちには天てんもしくは地ち上じょうのパラダイスで永えい遠えんに生いきるという希き望ぼうがあります。(ルカ 23:43。ヨハネ 3:16。ペテロ第だい一いち 1:4)では,贖あがないとは何なんでしょうか。贖あがないから,エホバの完かん全ぜんな公こう正せいについてどんなことを学まなべるでしょうか。

贖あがないが必ひつ要ようになったいきさつ

3. (ア)贖あがないが必ひつ要ようになったのはどうしてですか。(イ)神かみがアダムの子し孫そんに対たいする死し刑けいを減げん刑けいするわけにいかなかったのはどうしてですか。

3 贖あがないが必ひつ要ようになったのは,アダムが罪つみを犯おかしたからです。神かみに背そむいたアダムは,病びょう気き,悲かなしみ,苦く痛つう,死しといった負ふの遺い産さんを子し孫そんに残のこしました。(創そう世せい記き 2:17。ローマ 8:20)神かみは,情じょうに流ながされて死し刑けいを減げん刑けいするわけにはいきませんでした。「罪つみの代だい償しょうは死し」という,自じ分ぶんが定さだめた法ほうを無む視しすることになるからです。(ローマ 6:23)エホバが自じ分ぶんの公こう正せいの基き準じゅんを軽けい視しするなら,全ぜん宇う宙ちゅうが混こん乱らんし,無む法ほう状じょう態たいになってしまうでしょう。

4-5. (ア)サタンはどのように神かみを中ちゅう傷しょうしましたか。サタンが投なげ掛かけた疑ぎ問もんにエホバが答こたえることにしたのはどうしてですか。(イ)サタンはエホバに忠ちゅう実じつに仕つかえている人ひとたちのこともどのように中ちゅう傷しょうしましたか。

4 第だい12章しょうで考かんがえたように,エデンでの反はん逆ぎゃくによってさらに重じゅう要ような問もん題だいが生しょうじました。サタンは神かみの名めい誉よをひどく傷きずつけました。エホバはうそつきで,自じ分ぶんが創そう造ぞうした者ものたちの自じ由ゆうを奪うばっている冷れい酷こくな独どく裁さい者しゃだ,と非ひ難なんしたのです。(創そう世せい記き 3:1-5)また,神かみは正ただしい人にん間げんたちを地ち上じょう全ぜん体たいに住すまわせることを願ねがっていますが,サタンはそれを邪じゃ魔ますることにより,神かみが失しっ敗ぱいしたかのように見みせ掛かけています。(創そう世せい記き 1:28。イザヤ 55:10,11)サタンが投なげ掛かけた疑ぎ問もんにエホバが答こたえないとすれば,多おおくの天てん使しや人にん間げんたちはエホバの統とう治ちが良よいものかどうか疑うたがうようになってしまうかもしれません。

5 サタンはエホバに忠ちゅう実じつに仕つかえている人ひとたちのことも中ちゅう傷しょうしました。彼かれらは見み返かえりがあるから神かみに仕つかえているだけで,苦くるしい目めに遭あえば仕つかえるのをやめる,と主しゅ張ちょうしたのです。(ヨブ 1:9-11)サタンのこうした中ちゅう傷しょうが間ま違ちがっていることを示しめすのは非ひ常じょうに重じゅう要ようだったため,エホバはサタンが投なげ掛かけた疑ぎ問もんに答こたえることにしました。では,どうすれば問もん題だいを解かい決けつし,同どう時じに人にん間げんを救すくえるでしょうか。

贖あがないは価か値ちが等ひとしいもの

6. 人にん間げんを救すくうための神かみの手しゅ段だんは,聖せい書しょの中なかでどんな言こと葉ばで表ひょう現げんされていますか。

6 エホバの解かい決けつ策さくは,最さい高こうに憐あわれみ深ぶかく公こう正せいなものでした。どんな人にん間げんも考かんがえつかないほど見み事ごとで,なおかつシンプルです。聖せい書しょの中なかで,買かい取とり,和わ解かい,償つぐないなどと表ひょう現げんされています。(詩し編へん 49:8,脚きゃく注ちゅう。ダニエル 9:24。ガラテア 3:13。コロサイ 1:20。ヘブライ 2:17)一いち番ばんぴったりなのは,イエスが次つぎの説せつ明めいの中なかで使つかっている言こと葉ばです。「人ひとの子こも,仕つかえてもらうためではなく仕つかえるために,また多おおくの人ひとと引ひき換かえる贖あがない[ギリシャ語ご,リュトロン]として自じ分ぶんの命いのちを与あたえるために来きました」。(マタイ 20:28)

7-8. (ア)聖せい書しょの中なかで使つかわれている「贖あがない」という言こと葉ばにはどんな意い味みがありますか。(イ)罪つみを贖あがなうにはどんな代だい価かを支し払はらわなければなりませんか。

7 贖あがないとは何なんでしょうか。「リュトロン」というギリシャ語ごは,「解とく」とか「解かい放ほうする」という意い味みの動どう詞しに由ゆ来らいしていて,戦せん争そう捕ほ虜りょを解かい放ほうするために支し払はらわれた代だい価かを指さして使つかわれました。ですから,贖あがないとは基き本ほん的てきに,何なにかを買かい戻もどすために支し払はらわれるもののことです。ヘブライ語ご聖せい書しょの中なかで「贖あがない」と訳やくされている「コーフェル」という言こと葉ばは,「覆おおう」という意い味みの動どう詞しに由ゆ来らいしています。例たとえば,神かみはノアに,箱はこ船ぶねをタールで「覆おおい」なさい,と指し示じしました。(創そう世せい記き 6:14,脚きゃく注ちゅう)それで,贖あがなうとは罪つみを覆おおうことでもあると分わかります。(詩し編へん 65:3,脚きゃく注ちゅう)

8 「新しん約やく聖せい書しょ神しん学がく辞じ典てん」(英えい語ご)によると,「コーフェル」という言こと葉ばは「常つねに等とう価かのもの[または,対たい応おうするもの]を表あらわして」います。ですから,罪つみを覆おおう,つまり贖あがなうには,罪つみのせいで生しょうじた損そん害がいと完かん全ぜんに等ひとしい代だい価かを支し払はらわなければなりません。そのため,イスラエルに与あたえられた神かみの律りっ法ぽうにはこう述のべられていました。「命いのちには命いのち,目めには目め,歯はには歯は,手てには手て,足あしには足あしです」。(申しん命めい記き 19:21)

9. 神かみに信しん仰こうを持もつ人ひとたちが動どう物ぶつを犠ぎ牲せいとして捧ささげたのはどうしてですか。エホバはそうした犠ぎ牲せいについてどう思おもいましたか。

9 神かみに信しん仰こうを持もったアベルやそれ以い降こうの人ひとたちは,動どう物ぶつを犠ぎ牲せいとして神かみに捧ささげました。そうすることによって,自じ分ぶんたちが罪つみ深ぶかく,贖しょく罪ざいを必ひつ要ようとしていると自じ覚かくしていることを示しめしました。また,神かみが「子し孫そん」によって人にん間げんを罪つみから解かい放ほうする,という約やく束そくへの信しん仰こうも示しめしました。(創そう世せい記き 3:15; 4:1-4。レビ記き 17:11。ヘブライ 11:4)エホバはそうした犠ぎ牲せいを喜よろこび,その人ひとたちの崇すう拝はいを受うけ入いれました。しかし,動どう物ぶつは人にん間げんと同どう等とうではないので,動どう物ぶつの犠ぎ牲せいは本ほん当とうの意い味みで人ひとの罪つみを覆おおうことはできませんでした。(詩し編へん 8:4-8)そのため聖せい書しょに,「雄お牛うしやヤギの血ちは罪つみを取とり去さることができない」と書かかれています。(ヘブライ 10:1-4)いずれ,動どう物ぶつの犠ぎ牲せいよりはるかに価か値ちがある完かん全ぜんな贖あがないの犠ぎ牲せいが捧ささげられることになっていました。

「対たい応おうする贖あがない」

10. (ア)贖あがないが成せい立りつするには何なにが必ひつ要ようでしたか。どうしてですか。(イ)犠ぎ牲せいになるのが1人ひとりだけでいいのはどうしてですか。

10 使し徒とパウロが書かいているように,「アダムのゆえに全すべての人ひとが死しんでいく」ことになりました。(コリント第だい一いち 15:22)ですから,贖あがないが成せい立りつするには,アダムと等ひとしい完かん全ぜんな人にん間げんが自じ分ぶんの命いのちを差さし出だす必ひつ要ようがありました。(ローマ 5:14)エホバの公こう正せいの基き準じゅんからすると,アダムから罪つみと死しを受うけ継ついでいない完かん全ぜんな人にん間げんだけが,「全すべての人ひとのための対たい応おうする贖あがない」を捧ささげることができました。アダムが失うしなった完かん全ぜんな命いのちと等ひとしい命いのちを差さし出だすことができたからです。(テモテ第だい一いち 2:6)アダムの子し孫そん一人ひとり一人ひとりのために,膨ぼう大だいな数かずの人ひとが犠ぎ牲せいになる必ひつ要ようはありません。使し徒とパウロが説せつ明めいしている通とおり,「1人ひとりの人ひと[アダム]によって人じん類るいに罪つみが入はいり,罪つみによって死しが入はいり」ました。(ローマ 5:12)「死しが1人ひとりの人ひとを通とおして来きたので」,神かみは「1人ひとりの人ひとを通とおして」人じん類るいが罪つみと死しから救すくわれるようにしました。(コリント第だい一いち 15:21)どのようにでしょうか。

「全すべての人ひとのための対たい応おうする贖あがない」

11. (ア)贖あがないとなる人ひとはどのように罪つみの代だい償しょうを支し払はらいますか。(イ)アダムとエバが贖あがないの恩おん恵けいを受うけられないのはどうしてですか。(脚きゃく注ちゅうを参さん照しょう。)

11 エホバは,1人ひとりの完かん全ぜんな人にん間げんが自じ分ぶんの命いのちを差さし出だすようにしました。ローマ 6章しょう23節せつによれば,「罪つみの代だい償しょうは死しです」。それで,贖あがないとなる人ひとは「全すべての人ひとのために死しを味あじわ」うことによって,アダムの罪つみの代だい償しょうを支し払はらいます。(ヘブライ 2:9。コリント第だい二に 5:21。ペテロ第だい一いち 2:24)贖あがないによって,アダムの子し孫そんで神かみに従したがう人ひとたちに対たいする死し刑けいが取とり消けされます。罪つみのせいで死しぬしかなかったという問もん題だいが根こん本ぽん的てきに解かい決けつされるのです。a (ローマ 5:16)

12. 1つの負ふ債さいを帳ちょう消けしにすることによって大おお勢ぜいが救すくわれることを,どんな例たとえで説せつ明めいできますか。

12 例たとえで考かんがえてみましょう。住じゅう民みんの大たい半はんが同おなじ工こう場じょうで働はたらいている町まちに,あなたも住すんでいるとします。あなたも他たの住じゅう民みんも良よい給きゅう料りょうをもらって,快かい適てきに暮くらしています。ところがある日ひ,工こう場じょうが閉へい鎖さされます。何なにがあったのでしょうか。工こう場じょう長ちょうが会かい社しゃのお金かねを着ちゃく服ふくし,会かい社しゃを破は産さんに追おい込こんだのです。あなたも他たの住じゅう民みんも急きゅうに仕し事ごとを失うしない,生せい活かつが苦くるしくなります。工こう場じょう長ちょう1人ひとりの不ふ正せい行こう為いのために,従じゅう業ぎょう員いんの配はい偶ぐう者しゃや子こ供どもたち,また工こう場じょうに出しゅっ資ししていた人ひとたちも大たい変へんな思おもいをします。この問もん題だいを解かい決けつするにはどうしたらいいでしょうか。1人ひとりの資し産さん家かが,助たすけの手てを差さし伸のべることにします。その人ひとは破は産さんした会かい社しゃの価か値ちを認みとめていて,大おお勢ぜいの従じゅう業ぎょう員いんたちのことも気きの毒どくに思おもっています。それで,会かい社しゃの負ふ債さいを全ぜん額がく返へん済さいして,工こう場じょうを再さい開かいできるようにします。1つの負ふ債さいを帳ちょう消けしにしたことにより,大おお勢ぜいの従じゅう業ぎょう員いんとその家か族ぞく,また出しゅっ資し者しゃたちも救すくわれます。同おなじように,アダムの罪つみという負ふ債さいを帳ちょう消けしにすることにより,膨ぼう大だいな数かずの人ひとたちが救すくわれることになります。

誰だれが贖あがないを支し払はらうか

13-14. (ア)エホバは人じん類るいのための贖あがないを支し払はらうために,何なにをしましたか。(イ)贖あがないは誰だれに支し払はらわれますか。その支し払はらいが必ひつ要ようだったのはどうしてですか。

13 エホバだけが,「人じん類るいの罪つみを取とり去さる……子こ羊ひつじ」を与あたえることができます。(ヨハネ 1:29)しかしエホバは,誰だれでもいいから天てん使しを遣つかわして人じん類るいを救すくおうとは考かんがえませんでした。最さい大だいの犠ぎ牲せいを払はらって,自じ分ぶんが「深ふかい愛あい情じょうを抱いだく」独ひとり子ごを遣つかわしました。(格かく言げん 8:30)その方かたは,エホバに仕つかえる人ひとたちに対たいするサタンの非ひ難なんに決けっ定てい的てきな答こたえを出だすことができます。神かみの子こは天てんでの体からだや立たち場ばを喜よろこんで「全すべて捨すて」ました。(フィリピ 2:7)エホバは奇き跡せきによって,独ひとり子ごの命いのちをユダヤ人じんの処しょ女じょマリアの胎たい内ないに移うつしました。(ルカ 1:27,35)人にん間げんとなったその子こは,イエスと呼よばれることになります。イエスはアダムと等ひとしい完かん全ぜんな人にん間げんだったので,第だい二にのアダムとも言いえます。(コリント第だい一いち 15:45,47)それで,罪つみ深ぶかい人じん類るいのための贖あがないとして自じ分ぶんの完かん全ぜんな命いのちを差さし出だすことができました。

14 その贖あがないは,誰だれに支し払はらわれるのでしょうか。詩し編へん 49編へん7節せつには,贖あがないが「神かみに」支し払はらわれると書かかれています。でも,贖あがないを支し払はらうのもエホバなのであれば,お金かねを1つのポケットから別べつのポケットに移うつすような無む意い味みなものになってしまわないでしょうか。そんなことはありません。贖あがないは単たんなる物もののやり取とりではなく,命いのちには命いのちという法ほうを守まもるために必ひつ要ようなものでした。エホバは,非ひ常じょうに大おおきな犠ぎ牲せいを払はらってまで贖あがないを支し払はらうことにより,自じ分ぶんの完かん全ぜんな公こう正せいの基き準じゅんを必かならず守まもるということを示しめしました。(創そう世せい記き 22:7,8,11-13。ヘブライ 11:17。ヤコブ 1:17)

15. イエスが苦くるしんで死しななければならなかったのはどうしてですか。

15 西せい暦れき33年ねんの春はる,イエス・キリストは,贖あがないを支し払はらうために苦くるしみを受うけ入いれました。無む実じつの罪つみで訴うったえられて捕とらえられ,有ゆう罪ざい宣せん告こくを受うけ,処しょ刑けい用ようの杭くいにくぎ付づけにされました。イエスがそれほど苦くるしんで死しななければならなかったのはどうしてでしょうか。神かみへの忠ちゅう誠せいを貫つらぬく人ひとはいないというサタンの主しゅ張ちょうが間ま違ちがっていることを示しめす必ひつ要ようがあったからです。イエスがまだ幼おさないうちにヘロデに殺ころされてしまわないように,神かみがイエスを守まもりました。(マタイ 2:13-18)成せい人じんしたイエスは,サタンが投なげ掛かけた疑ぎ問もんについてよく理り解かいした上うえで,サタンの激はげしい攻こう撃げきに耐たえることができました。b イエスはひどい仕し打うちを受うけても「神かみに尽つくし,潔けっ白ぱくで,汚けがれがなく,罪つみ人びとから分わけられ」た状じょう態たいを保たもつことにより,試し練れんに遭あってもエホバに忠ちゅう実じつに仕つかえ続つづける人ひとたちがいることをはっきりと証しょう明めいしました。(ヘブライ 7:26)だからこそ死しぬ直ちょく前ぜんに,「成なし遂とげられた!」と言いうことができたのです。(ヨハネ 19:30)

贖あがないが有ゆう効こうになる

16-17. (ア)使し徒とパウロによると,イエスは復ふっ活かつ後ごに何なにをしましたか。(イ)イエスが「私わたしたちのために神かみの前まえに」出でる必ひつ要ようがあったのはどうしてですか。

16 イエスは亡なくなりましたが,贖あがないを有ゆう効こうにするためにまだ行おこなうべきことがありました。それで,イエスが死しんでから3日か目めに,エホバはイエスを生いき返かえらせました。(使し徒と 3:15; 10:40)そうすることによって,忠ちゅう実じつに奉ほう仕ししたイエスに報むくいを与あたえただけでなく,イエスが神かみの大だい祭さい司しとして贖あがないを有ゆう効こうにできるようにしました。(ローマ 1:4。コリント第だい一いち 15:3-8)使し徒とパウロはこう説せつ明めいしています。「キリストは……大だい祭さい司しとして来きた時とき,……ヤギや若わかい雄お牛うしの血ちではなく,自じ分ぶんの血ちを携たずさえ,一いち度ど限かぎり聖せいなる場ば所しょに入はいり,私わたしたちを永えい遠えんに救すくってくださいました。キリストは,実じっ体たいの写うつしにすぎない,人ひとが造つくった聖せいなる場ば所しょにではなく,天てんそのものに入はいりました。今いまや私わたしたちのために神かみの前まえに出でてくださっています」。(ヘブライ 9:11,12,24)

17 キリストは天てんに入はいる時とき,文も字じ通どおりの血ちを携たずさえていったわけではありません。(コリント第だい一いち 15:50)その血ちが象しょう徴ちょうしていたもの,つまり,自じ分ぶんが犠ぎ牲せいにした完かん全ぜんな命いのちの価か値ちを携たずさえていきました。イエスはその命いのちの価か値ちを,罪つみ深ぶかい人じん類るいと引ひき換かえる贖あがないとして,天てんで正せい式しきに神かみに差さし出だしました。エホバがその犠ぎ牲せいを確たしかに受うけ入いれたことが,西せい暦れき33年ねんのペンテコステの日ひに明あきらかになりました。その時とき,エルサレムにいた120人にんほどの弟で子したちに,聖せいなる力ちからが注そそがれました。(使し徒と 2:1-4)それは印いん象しょう的てきな出で来き事ごとでしたが,神かみに仕つかえる人ひとたちは贖あがないのおかげでさらに大おおきな恩おん恵けいを受うけることになります。

贖あがないの恩おん恵けい

18-19. (ア)贖あがないによってどんな2つのグループが神かみと和わ解かいできるようになりましたか。(イ)「大だい群ぐん衆しゅう」の人ひとたちは今いまどのように贖あがないの恩おん恵けいを受うけていますか。将しょう来らいはどうですか。

18 パウロがコロサイのクリスチャンへの手て紙がみの中なかで説せつ明めいしているように,神かみはイエスの贖あがないの犠ぎ牲せいによって人にん間げんが再ふたたび自じ分ぶんと平へい和わな関かん係けいを持もてるようにしました。パウロによれば,「天てんのもの」と「地ち上じょうのもの」という2つのグループが神かみと「和わ解かい」します。(コロサイ 1:19,20。エフェソス 1:10)「天てんのもの」とは,天てんで祭さい司しとして奉ほう仕しし,キリスト・イエスと共ともに王おうとして地ち球きゅうを治おさめることになる,14万まん4000人にんのクリスチャンのことです。(啓けい示じ 5:9,10; 7:4; 14:1-3)その人ひとたちはイエスと一いっ緒しょに働はたらき,地ち上じょうにいる従じゅう順じゅんな人ひとたちが1000年ねんにわたって贖あがないの恩おん恵けいを徐じょ々じょに受うけられるようにします。(コリント第だい一いち 15:24-26。啓けい示じ 20:6; 21:3,4)

19 「地ち上じょうのもの」とは,パラダイスとなった地ち球きゅうで完かん全ぜんな人にん間げんとして永えい遠えんに生いきる見み込こみを持もつ人ひとたちのことです。啓けい示じ 7章しょう9-17節せつで,その人ひとたちは間まもなく来くる「大だい患かん難なん」を生いき延のびる「大だい群ぐん衆しゅう」と呼よばれています。とはいえ,その時ときまで贖あがないの恩おん恵けいを受うけられないわけではありません。すでに「自じ分ぶんの長ながい衣い服ふくを子こ羊ひつじの血ちで洗あらって白しろく」しています。贖あがないに信しん仰こうを持もっているので,神かみから正ただしい人ひとと見みなされ,神かみの友とも達だちになることができているのです。(ヤコブ 2:23)また,イエスの犠ぎ牲せいのおかげで「気き後おくれすることなく祈いのり,惜おしみない親しん切せつを示しめしてくださる神かみに近ちかづ[く]」ことができます。(ヘブライ 4:14-16)罪つみを犯おかしても,神かみに許ゆるしてもらえます。(エフェソス 1:7)不ふ完かん全ぜんな人にん間げんですが,健けん全ぜんな良りょう心しんを持もつことができます。(ヘブライ 9:9; 10:22。ペテロ第だい一いち 3:21)ですから,今いますでに神かみと和わ解かいすることができています。(コリント第だい二に 5:19,20)そして,将しょう来らいの千せん年ねん統とう治ちの間あいだに,徐じょ々じょに「腐ふ敗はいへの奴ど隷れい状じょう態たいから自じ由ゆうにされ」,最さい終しゅう的てきに「神かみの子こ供どもの輝かがやかしい自じ由ゆうを得える」ことになります。(ローマ 8:21)

20. 贖あがないについてじっくり考かんがえると,どんな気き持もちになりますか。

20 贖あがないについてじっくり考かんがえると,私わたしたちは感かん動どうし,「イエス・キリストを通とおして救すくってくださる神かみに感かん謝しゃ」したくなります。(ローマ 7:25)贖あがないの仕し組くみはシンプルですが,神かみの考かんがえは奥おく深ぶかいので,畏い敬けいの気き持もちでいっぱいになります。(ローマ 11:33)公こう正せいな神かみにますます引ひき付つけられるのではないでしょうか。詩し編へん作さく者しゃのように,「正ただしさと公こう正せいを愛あいする」エホバ神かみをこれからも賛さん美びしましょう。(詩し編へん 33:5)

a アダムとエバは贖あがないの恩おん恵けいを受うけられません。モーセの律りっ法ぽうには,「死しに値あたいする殺さつ人じん者しゃ[故こ意いに殺さつ人じんを犯おかした人ひと]の命いのちのための贖あがないを受うけ取とってはならない」という原げん則そくがあります。(民みん数すう記き 35:31)アダムとエバは,悪わるいと分わかっていながら故こ意いに神かみに背そむいたので,明あきらかに死しに値あたいしました。永えい遠えんに生いきる見み込こみを自みずから放ほう棄きしたのです。

b 罪つみを犯おかした時ときに大人おとなだったアダムと釣つり合あうように,イエスは完かん全ぜんな子こ供どもではなく完かん全ぜんな大人おとなとして死しぬ必ひつ要ようがありました。アダムは,神かみに背そむくことがどれほど重じゅう大だいで,どんな結けっ果かになるかを十じゅう分ぶんに知しりながら,故こ意いに罪つみを犯おかしました。ですから,イエスが「最さい後ごのアダム」となって罪つみを覆おおうには,エホバへの忠ちゅう誠せいを貫つらぬくとはどういうことかを十じゅう分ぶんに理り解かいし,自じ分ぶんの意い思しで選えらばなければなりませんでした。(コリント第だい一いち 15:45,47)そのようにして,犠ぎ牲せいの死しに至いたるまで忠ちゅう実じつに歩あゆんだイエスの生しょう涯がいは,「1つの正ただしい行おこない」となりました。(ローマ 5:18,19)

じっくり考かんがえたいこと

  • 民みん数すう記き 3:39-51 贖あがないが完かん全ぜんに等ひとしい価か値ちのものであることは,なぜ大たい切せつですか。

  • 詩し編へん 49:7,8 神かみが私わたしたちのために贖あがないを支し払はらってくださったことを考かんがえると,どういう気き持もちになりますか。

  • イザヤ 43:25 エホバは主おもに,人にん間げんを救すくうためではなく何なんのために贖あがないを支し払はらいましたか。

  • コリント第だい一いち 6:20 贖あがないについて考かんがえると,どういう生いき方かたをしたくなりますか。

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