エホバとそのみ言葉に依り頼みなさい
「あなたのみ名を知る者たちはあなたに依り頼みます」― 詩編 9:10。
1 わたしたちがこの現代においてもなおエホバとそのみ言葉に確信を持てるのはなぜですか。
この現代の世界では,神とそのみ言葉聖書に依り頼むよう勧められても,それは実行不可能で現実離れしたことのように思えるかもしれません。しかし,神の知恵は時の試練に耐えてきました。男性と女性を創造した方は,結婚と家族の創始者であり,わたしたちの必要としている事柄をほかのだれよりもよく知っておられます。人間の基本的に必要としている事柄に変化はないのと同様,そうした必要を満たす根本的な方法にも変わりはありません。聖書の賢明な助言は,何世紀も昔に書かれたとはいえ,今でも,生活してゆくうえで,また様々な問題を解決するうえで,成功を収めるための最善の指針となっています。その助言に留意すれば,高度に複雑で科学の進んでいるこの世界にあってさえ,かなりの幸福を味わえるのです。
2 (イ)エホバの民の生活には,神のおきてに従った結果,どんな良い実が生み出されてきましたか。(ロ)エホバはご自分とご自分の言葉に従順な者たちのために,さらに何を約束しておられますか。
2 エホバに依り頼み,聖書の種々の原則を当てはめれば,毎日,数々の実際的な益を受けられます。そのことを示す証拠は,世界中の何百万人ものエホバの証人の生活の中に見られます。彼らは確信と勇気をもって聖書の助言を当てはめてきました。彼らにとって,創造者とそのみ言葉に依り頼むことは重要なこととなっているのです。(詩編 9:9,10)彼らは神のおきてに従った結果,清潔さや,正直さ,勤勉さ,他の人の命や所有物を尊重する精神,飲食の点での節度などに関し,より良い人になりました。また,人をよくもてなし,辛抱強く,憐れみ深くあり,快く許すといった,家庭内のふさわしい愛や訓練の行き届いた状態が見られるだけでなく,ほかにも多くの益がもたらされました。彼らは,怒りや,憎しみ,殺人,そねみ,恐れ,怠惰,誇り,うそ,中傷,乱交,不道徳といった悪い実を結ばないよう大いに助けられてきました。(詩編 32:10)しかし,神はご自分の律法を守る者たちのために良い結果を約束する以上のことをしておられます。イエスは,キリスト教の道を歩む者たちが「今この時期に百倍を,すなわち……母と子供と畑を迫害と共に得,来たらんとする事物の体制で永遠の命を」受けるであろう,と言われたのです。―マルコ 10:29,30。
世の知恵に頼ることを避けなさい
3 クリスチャンはエホバとそのみ言葉を信頼し続ける点で,どんな問題に直面することがありますか。
3 不完全な人間に関して問題なのは,神の要求しておられる事柄を軽視したり忘れたりする傾向があることです。人間は,自分が一番よく知っているとか,神の知恵よりこの世の知識人の知恵のほうが優れている,つまり現代にマッチしているとか考えがちです。神の僕たちも,この世のただ中で生活しているので,そうした態度に染まりかねません。そのため,わたしたちの天の父も,ご自分の助言に耳を傾けるようにという愛ある招きを差し伸べるに当たって,適切な警告を含めてこう述べておられます。「我が子よ,わたしの律法を忘れてはならない。あなたの心がわたしのおきてを守り行なうように。そうすれば,長い日々と命の年と平和があなたに加えられるからである。心をつくしてエホバに依り頼め。自分の理解に頼ってはならない。あなたのすべての道において神を認めよ。そうすれば,神ご自身があなたの道筋をまっすぐにしてくださる。自分の目から見て賢い者となってはならない。エホバを恐れ,悪から遠ざかれ」― 箴言 3:1,2,5-7。
4 「この世の知恵」はどれほど広く行き渡っていますか。そうした知恵が「神にとっては愚かなもの」であるのはなぜですか。
4 この世の知恵は,大量に,多くの情報源から得ることができます。学問の施設は数多くあり,『多くの書物を作ることには終わりがありません』。(伝道の書 12:12)今や,コンピューターの世界のいわゆる情報スーパーハイウエーは,ほとんどどんな事柄に関しても無限の情報を提供することを約束しています。しかし,それだけ多くの利用可能な知識を持っていても,世はいっそう賢くなったわけではなく,諸問題を解決しているわけでもありません。かえって,世の状況は日増しに悪化しています。聖書が『この世の知恵は神にとっては愚かなものである』と述べているのももっともなことです。―コリント第一 3:19,20。
5 聖書は「この世の知恵」に関してどんな警告を述べていますか。
5 終わりの日のこの最終部分にあって,大欺瞞者の悪魔サタンが聖書の真実性に対する確信を弱めさせようとして,うそや偽りをどっと送り出すことは当然予期できます。高等批評家たちは,聖書の信ぴょう性や信頼性に疑問を投げかける思弁的な本の拡散をもたらしています。パウロは仲間のクリスチャンにこう警告しました。「テモテよ,あなたに託されているものを守り,聖なる事柄を汚すむだ話や,誤って『知識』ととなえられているものによる反対論から離れなさい。ある人たちは,そうした知識を見せびらかそうとしたために信仰からそれて行きました」。(テモテ第一 6:20,21)聖書はさらにこう警告しています。「気をつけなさい。もしかすると,人間の伝統にしたがい,また世の基礎的な事柄にしたがってキリストにしたがわない哲学やむなしい欺きにより,あなた方をえじきとして連れ去る者がいるかもしれません」― コロサイ 2:8。
疑念を抱く傾向と闘いなさい
6 疑念が心に根を下ろさないよう用心することが必要なのはなぜですか。
6 悪魔のもう一つのずる賢い策略は,思いの中に疑いの種をまくことです。悪魔は常に抜け目なく,信仰の弱い点に目を付けて,弱みに付け込もうとしています。疑念を感じる人は,そのような疑念の背後にいる者のことを思い出してください。その者はエバに対して,「あなた方は園のすべての木からは食べてはならない,と神が言われたのは本当ですか」と言ったのです。この誘惑者にとって,いったんエバの思いに疑念を植え付けてしまえば,次の段階はエバにうそを語ることでした。エバはそのうそを信じたのです。(創世記 3:1,4,5)わたしたちは,エバの場合と同じように疑念のために信仰を失ってしまう,ということがないよう用心する必要があります。もし,エホバや,神の言葉,あるいは神の組織について心に疑念のしこりのようなものができたなら,それが悪化して信仰を損なうものとならないうちにそれを除去するため迅速な処置を取ってください。―コリント第一 10:12と比較してください。
7 疑念を一掃するために何ができますか。
7 何ができるでしょうか。この場合もやはり,答えは,エホバとそのみ言葉に依り頼むということです。「あなた方の中に知恵の欠けた人がいるなら,その人は神に求めつづけなさい。神はすべての人に寛大に,またとがめることなく与えてくださるのです。そのようにすれば,それは与えられます。しかし,信仰のうちに求めつづけるべきであり,疑うようなことがあってはなりません。疑う人は,風に吹かれて揺れ動く海の波のようだからです」。(ヤコブ 1:5,6。ペテロ第二 3:17,18)ですから,まずはエホバに真剣に祈ることです。(詩編 62:8)次いで,ちゅうちょせずに会衆内の愛ある監督たちからの助けを求めてください。(使徒 20:28。ヤコブ 5:14,15。ユダ 22)監督たちは,疑念の根本原因を突き止めるよう助けてくれるでしょう。原因は,誇りや何らかの間違った考え方にあるのかもしれません。
8 背教的な考えは,多くの場合,どのように始まりますか。そうした事態を正すためにどうすべきですか。
8 有害な疑念が生じているのは,背教者の考えや世の哲学について読んだり聴いたりしたためでしょうか。聖書は賢明にもこう助言しています。「自分自身を,是認された者,また真理の言葉を正しく扱う,何ら恥ずべきところのない働き人として神に差し出すため,力を尽くして励みなさい。また,聖なる事柄を汚すむだ話からは遠ざかりなさい。そうした者たちはいっそうの不敬虔へと進み,その言葉は脱疽のように広がるからです」。(テモテ第二 2:15-17)興味深いことに,背教者となってしまった人の多くは,最初はエホバの組織内で自分がどう扱われていると思ったかに関して不平を言うことにより,間違った方向へ進み始めました。(ユダ 16)そして,その後,信条に関してあら探しをするようになりました。外科医は脱疽と分かればそれを切除するために迅速に行動します。それと同じように,クリスチャン会衆内の物事の行ない方に不平を言ったり不満を抱いたりする傾向に気づいたなら,それを思いの中から締め出すよう迅速に行動してください。(コロサイ 3:13,14)何にせよそのような疑念を募らせるものは除き去ってください。―マルコ 9:43。
9 信仰において健全な状態を保つうえで,神権的な良い日課はどのように助けになりますか。
9 エホバとその組織にしっかり付き従いましょう。忠節を尽くして,ペテロに見倣ってください。ペテロは決意をこめて,「主よ,わたしたちはだれのところに行けばよいというのでしょう。あなたこそ永遠の命のことばを持っておられます」と述べたのです。(ヨハネ 6:52,60,66-68)「邪悪な者の火矢をみな消す」ことのできる大盾に似た,強い信仰を保てるよう,良い予定に従ってエホバの言葉を研究してください。(エフェソス 6:16)クリスチャン宣教にいつも活発に携わり,愛をこめて他の人に王国の音信を伝えてください。エホバがどのように祝福してくださっているかを,毎日,黙想しながら認識を深めるようにしてください。真理の知識を持っていることに感謝しましょう。それらのことをすべてクリスチャンの良い日課として行なうようにすれば,それは自分が幸福になり,耐え忍び,疑念に取りつかれないでいるための助けになることでしょう。―詩編 40:4。フィリピ 3:15,16。ヘブライ 6:10-12。
結婚生活の面でエホバの導きに従う
10 クリスチャンの結婚生活においてエホバに導きを仰ぐことが特に大切なのはなぜですか。
10 エホバは男性と女性が結婚した夫婦として一緒に暮らすように取り決められましたが,その目的は,地に人を居心地のよい程度に満たすことだけでなく,人間をいっそう幸福にすることにもありました。ところが,罪と不完全さのために,結婚関係にはいろいろと深刻な問題が生じるようになりました。クリスチャンといえどもそうした問題を免れているわけではありません。彼らも不完全であり,現代の生活の中で様々な圧迫を受けているからです。それでも,クリスチャンはエホバとそのみ言葉に依り頼んでいるので,結婚生活や子供の養育の面でかなりの成功を収めることができます。クリスチャンの結婚生活に世の習わしや振る舞いが占める場所はありません。神の言葉はこう訓戒しています。「結婚はすべての人の間で誉れあるものとされるべきです。また結婚の床は汚れのないものとすべきです。神は淫行の者や姦淫を行なう者を裁かれるからです」― ヘブライ 13:4。
11 夫婦間の問題を解決するには,夫婦双方が何を認めるべきですか。
11 聖書の助言に沿って築き上げられる結婚生活には,愛の雰囲気が,そして責任感と安心感とがあります。夫も妻も,頭の権の原則を理解し,尊重します。難しい問題が生じるとき,その原因は,多くの場合,聖書の助言を当てはめる点での幾らかの怠慢にあります。長く続いている問題を解決するには,夫婦が共に本当の問題は何なのか正直に考え,症状よりもむしろ原因に対処することが肝要です。もし最近何度か話し合ったものの,ほとんど,あるいは全く意見の一致が見られなかったのであれば,その夫婦は,どちらにもえこひいきしない一人の愛ある監督からの援助を求めてもよいでしょう。
12 (イ)聖書は結婚生活におけるどんな一般的な問題に関して助言を述べていますか。(ロ)夫婦双方に,物事をエホバの方法で行なう必要があるのはなぜですか。
12 問題には意思の疎通,相手の感情に対する配慮,頭の権に対する敬意,あるいは物事の決め方が関係していますか。問題は子供の育て方,もしくは性的な必要を満たし合うことと関係があるでしょうか。それとも,家計,レクリエーション,付き合い,妻が働きに出るべきかどうか,あるいはどこに住むか,といったことでしょうか。問題が何であれ,聖書は実際的なアドバイスを述べています。それは律法という形で直接的に述べているか,原則という形で間接的に述べているかのどちらかです。(マタイ 19:4,5,9。コリント第一 7:1-40。エフェソス 5:21-23,28-33; 6:1-4。コロサイ 3:18-21。テトス 2:4,5。ペテロ第一 3:1-7)夫婦は双方が利己的な要求をしないようにし,結婚生活の中で愛を十分に表わすよう努めるとき,よりいっそう幸福になります。そのためには夫婦双方に,必要な変化を遂げようという,つまり物事をエホバの方法で行なおうという本当に強い意欲がなければなりません。『物事に洞察力を示している人は善を見いだします。エホバに依り頼んでいる人は幸いです』― 箴言 16:20。
若者たち ― 神の言葉に耳を傾けなさい
13 クリスチャンの若者にとって,エホバとみ言葉に対する強い信仰を抱いて成長するのはなぜ容易ではありませんか。
13 クリスチャンの若者にとって,周囲がすべて邪悪な世という中で信仰においてたくましく成長するのは容易ではありません。一つには,「全世界が邪悪な者[悪魔サタン]の配下にある」からです。(ヨハネ第一 5:19)若い人は,悪を善のように見せることのできるこの狂暴な敵に攻撃されています。自己優先的な態度,利己的な野望,不道徳で残酷な事柄に対する渇望,異常なまでの快楽の追求 ― これらは皆,聖書の中で「不従順の子らのうちにいま働いている霊」と述べられている一つの共通した支配的な思考パターンの内に入ります。(エフェソス 2:1-3)サタンはずる賢くも,この「霊」を学校の教科書や,聴こうと思えばいつでも聴ける音楽の多く,スポーツ,その他の形態の娯楽の中で促進してきました。親は,子供をエホバとみ言葉に依り頼みつつ成長するよう助けることによってそういう影響を相殺するよう,油断なく気を配っていなければなりません。
14 若い人はどのように『若さに伴いがちな欲望から逃れる』ことができますか。
14 パウロは年若い仲間のテモテに,「若さに伴いがちな欲望から逃れ,清い心で主を呼び求める人々と共に,義と信仰と愛と平和を追い求めなさい」という,父親が与えるようなアドバイスを与えました。(テモテ第二 2:22)「若さに伴いがちな欲望」は元来すべて悪いというわけではありませんが,若い人はそのような欲望から『逃れる』べきです。つまり,そういう事柄に夢中になって敬虔な業のための時間が全くなくなるか,わずかしか残らない,といった事態を避けるべきであるということです。ボディービルや,スポーツ,音楽,娯楽,趣味,旅行などは,必ずしも間違ったことではありませんが,もしそれが生活の中で重要な事柄になるなら,わなとなる場合があります。漫然とした会話や,街をぶらつくこと,セックスに対する異常なほどの関心,ただ何となく時を過ごしたり暇を持て余したりすること,親に理解してもらえないと不平を言うことなどから完全に逃れてください。
15 家庭という私生活の場において,若い人には,裏表のある生活になりかねないどんなことが起こり得ますか。
15 若い人には,家庭という私生活の場においてさえ,危険が待ち受けているかもしれません。もし不道徳な,あるいは暴力的な内容のテレビ番組やビデオを見れば,悪いことをしたいという欲望を植え付けられる可能性があります。(ヤコブ 1:14,15)聖書は,「エホバを愛する者たちよ,悪を憎め」と助言しています。(詩編 97:10; 115:11)エホバは,人が裏表のある生活を送ろうとしているかどうかを識別されます。(箴言 15:3)クリスチャンである若い皆さん,ご自分の部屋を見回してみてください。スポーツや音楽の世界のスターで不道徳な生活をしている人のポスターが壁に貼ってありますか。それとも,良い諭しとなる健全なものが掲げられていますか。(詩編 101:3)クローゼットにあるのは,慎み深さを反映した衣服ばかりですか。それとも,この世の極端なスタイルを思わせる服もありますか。もしあなたが悪いことも試してみたいという誘惑に屈するなら,悪魔は巧妙な方法であなたをわなに掛けることができます。聖書は賢明にもこう助言しています。「冷静さを保ち,油断なく見張っていなさい。あなた方の敵対者である悪魔がほえるライオンのように歩き回って,だれかをむさぼり食おうとしています」― ペテロ第一 5:8。
16 若い人が,徳のあるだれからも誇りに思われる者となるうえで,聖書の助言はどのように助けになりますか。
16 聖書は,交わりに気をつけるようにと述べています。(コリント第一 15:33)エホバを恐れる人を友達にしてください。仲間の圧力に負けてはなりません。(詩編 56:11。箴言 29:25)神を恐れる親に従順であってください。(箴言 6:20-22。エフェソス 6:1-3)導きや励ましを求めて長老たちに頼ってください。(イザヤ 32:1,2)霊的な価値ある事柄や目標に,思いと目を留めましょう。霊的に進歩する機会や会衆の様々な活動に参加する機会を探し求めましょう。物事を手ずから行なう方法を学んでください。信仰においてたくましく健全な成長を遂げてください。そうすれば,あなたは自分が本当にひとかどの者 ― エホバの新しい世で生きるにふさわしい者 ― であることを証明することになるのです。天の父はあなたのことを誇りに思われ,あなたの地上のご両親は喜びに満たされ,クリスチャンの兄弟姉妹は励まされるでしょう。重要なのはそういうことなのです。―箴言 4:1,2,7,8。
17 エホバとそのみ言葉に依り頼む人は,数々のどんな益を得ますか。
17 詩編作者は霊感を受けて,詩的な成句の中でこう書いています。「エホバは,とがなく歩む者に良いものを何も差し控えられません。万軍のエホバよ,あなたに依り頼んでいる人は幸いです」。(詩編 84:11,12)そうです,エホバとみ言葉聖書に依り頼む人は皆,失望や失敗ではなく,幸福と成功を得ることになるのです。―テモテ第二 3:14,16,17。
どのように答えますか
□ クリスチャンはなぜ「この世の知恵」を信用すべきではありませんか
□ もし疑念が生じるなら,どうすべきですか
□ 物事をエホバの方法で行なえば,どのように結婚生活がうまくゆき,幸福になれますか
□ 若い人が『若さに伴いがちな欲望から逃れる』うえで,聖書はどのように助けになりますか
[23ページの図版]
クリスチャンは「この世の知恵」を愚かなものとして退け,エホバとそのみ言葉に頼る
[25ページの図版]
エホバとそのみ言葉に頼る家族は円満で幸福