6. 謙遜とはどういうことですか。メシアが謙遜さを示すとエホバが予告できたのはどうしてですか。
6 謙遜とは,自分を低く見ることで,誇ったり人を見下したりしないことです。心からの謙遜さは,言動や人との接し方に表れます。メシアが謙遜さを示すとエホバが予告できたのはどうしてでしょうか。自分の謙遜さの手本に,子であるイエスが完璧に倣っていることを知っていたからです。(ヨハネ 10:15)イエスが実際に謙遜に行動するのも見ていました。どんな例があるでしょうか。
7-9. (ア)ミカエルはサタンと論じ合った時,どのように謙遜さを示しましたか。(イ)クリスチャンはどのようにミカエルに倣って謙遜さを示せますか。
7 「ユダの手紙」に興味深い出来事が書かれています。「天使長ミカエルは,モーセの体のことで悪魔と意見が分かれて論じ合った時,あえて断罪することも悪く言うこともせず,『エホバがあなたを叱責されますように』と言いました」。(ユダ 9)ミカエルとはイエスのことです。地上に来る前,また天に戻った後,天使長としての役割を果たすイエスはミカエルとも呼ばれています。 (テサロニケ第一 4:16)では,ミカエルがどのようにサタンに接したかに注目してみましょう。
8 サタンがモーセの体を使って何をしたかったのかは書かれていませんが,何か良からぬことを企んでいたに違いありません。モーセの遺骸を人間に崇拝させようと思っていたのかもしれません。ミカエルはサタンに悪いことをさせまいとしつつも,見事に自分を制しました。サタンは明らかに間違っていましたが,ミカエルはサタンと論じ合った時点ではまだ「裁くことを全て」委ねられてはいなかったので,エホバ神に任せるべきだと考えました。(ヨハネ 5:22)天使長として大きな権威を持っていましたが,出しゃばろうとはせず,謙遜にエホバの裁きを待つことにしたのです。謙遜さだけでなく,自分の限界をわきまえて慎みも示しました。
9 エホバがユダを導いてこの出来事について書かせたのはどうしてでしょうか。残念なことに当時,謙遜ではないクリスチャンがいたからです。その人たちは傲慢な態度で,「理解してもいない事柄をことごとく悪く言って」いました。(ユダ 10)不完全な人間は,簡単に誇りの気持ちに毒されてしまうことがあります。例えば長老団の決定など,クリスチャン会衆内で何か理解できないことにぶつかったとき,私たちはどう反応するでしょうか。いろいろな事情を全て知っているわけではないのに,不満を持ったり批判的になったりするなら,謙遜さが欠けているのかもしれません。ぜひミカエルに倣って,神から権威を与えられていないのに裁くようなことがないようにしましょう。
10-11. (ア)イエスがエホバに言われた通り地上に来たのは,どれほどすごいことですか。(イ)どのようにイエスの謙遜さに倣えますか。
10 イエスがエホバに言われた通り地上に来たのも,謙遜さの表れでした。大きな変化を受け入れなければならなかったからです。イエスは天使長であり,「言葉」としてエホバの代弁者も務めていました。(ヨハネ 1:1-3)「神聖さと栄光に満ちた,[エホバ]の高大な住まい」である天で暮らしていました。(イザヤ 63:15)それなのに「全てを捨てて奴隷のようになり,人間になりました」。(フィリピ 2:7)イエスにとって,人間になるとはどういうことだったか考えてみてください。イエスの命はユダヤ人の処女の胎内に移され,9カ月後にイエスは無力な赤ちゃんとして生まれました。貧しい大工の家で,よちよち歩きの幼児,少年,若者へと成長していきました。自分は完全な人間でしたが,ずっと不完全な人間の両親に従っていました。(ルカ 2:40,51,52)非常に謙遜でなければできないことです。
11 私たちもイエスのように謙遜になって,人から見下されるような仕事でも快く行えるでしょうか。例えば,私たちが神の王国の良い知らせを伝えても,多くの人は無関心で,ばかにしたり悪感情をぶつけてきたりすることもあります。(マタイ 28:19,20)それでもこの仕事を諦めずに続けるなら,人の命を救えるかもしれません。たとえそうならなくても,謙遜さについて多くのことを学べて,主人であるイエス・キリストにしっかり付いていくことができます。