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  • 塔研23 10月号 24–29ページ
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2023
塔研23 10月号 24–29ページ

研究記事45

エホバの神しん殿でんで崇すう拝はいできるのは素す晴ばらしいこと

「天てんと地ち……を造つくった方かたを崇すう拝はいしなさい」。啓けい示じ 14:7

93番ばんの歌うた 集しゅう会かいを祝しゅく福ふくしてください

何なにを学まなぶかa

1. 天てん使しは何なんと言いっていますか。それは私わたしたちにどんな関かん係けいがありますか。

もし天てん使しから話はなし掛かけられたら,どうしますか。よく聞きこうとするのではないでしょうか。実じっ際さい,天てん使しは「あらゆる国くにや民みん族ぞくや言げん語ごや種しゅ族ぞくの人ひと々びとに」こう言いっています。「神かみを畏おそれ,神かみをたたえなさい。……天てんと地ち……を造つくった方かたを崇すう拝はいしなさい」。(啓けい 14:6,7)エホバだけが真しんの神かみで,全すべての人ひとから崇すう拝はいされるのにふさわしい方かたです。私わたしたちには,エホバを偉い大だいな神しん殿でんで崇すう拝はいできるという素す晴ばらしい機き会かいがあります。そのことに本ほん当とうに感かん謝しゃできるのではないでしょうか。

2. エホバの神しん殿でんは何なにを指さしていますか。(「どんなものではないか」の囲かこみも参さん照しょう。)

2 このエホバの偉い大だいな神しん殿でんとは何なんでしょうか。詳くわしい説せつ明めいはどこにあるでしょうか。この神しん殿でんは文も字じ通どおりの建たて物ものではありません。イエス・キリストの贖あがないの犠ぎ牲せいに基もとづく,エホバに喜よろこばれる崇すう拝はいを捧ささげるための取とり決きめのことです。パウロは1世せい紀きのユダヤに住すんでいたヘブライ人じんのクリスチャンに宛あてた手て紙がみの中なかで,この取とり決きめについて説せつ明めいしました。b

どんなものではないか

  • パウロが説せつ明めいした神しん殿でんは,エゼキエルが幻まぼろしの中なかで見みた神しん殿でんではない。エゼキエルが見みた幻まぼろしは,清きよい崇すう拝はいに関かんするエホバの基き準じゅんと,清きよい崇すう拝はいが現げん代だいに回かい復ふくすることに光ひかりを当あてている。(エゼ 40:1-5)f

  • 「エホバの聖せいなる神しん殿でん」ではない。「エホバの聖せいなる神しん殿でん」は,クリスチャン会かい衆しゅうで仕つかえる,天てんに行いくよう選えらばれた人ひとたちを指さしている。(エフェ 2:19-22。コリ一いち 3:16,17。コリ二に 6:16)g

  • 比ひ喩ゆ的てきパラダイスではない。比ひ喩ゆ的てきパラダイスは,エホバの取とり決きめに従したがって崇すう拝はいを行おこなう人ひとたちの間あいだに見みられる,一いっ致ちのうちに安あん心しんしてエホバを崇すう拝はいできる環かん境きょうを指さしている。

3-4. パウロは,ユダヤに住すむヘブライ人じんのクリスチャンについてどんなことを心しん配ぱいしていましたか。どのように助たすけましたか。

3 パウロはどうしてユダヤに住すむヘブライ人じんのクリスチャンに手て紙がみを書かいたのでしょうか。主おもに2つの理り由ゆうが考かんがえられます。1つ目めに,パウロは励はげましを与あたえたいと思おもっていました。兄きょう弟だい姉し妹まいの多おおくは,以い前ぜんユダヤ教きょうの教おしえに従したがっていました。もしかすると,宗しゅう教きょう指し導どう者しゃたちからクリスチャンになったことをばかにされたかもしれません。クリスチャンには崇すう拝はいのための神しん殿でんや祭さい壇だんもなければ,祭さい司したちもいなかったからです。そのことで気き落おちし,信しん仰こうが弱よわまってしまう可か能のう性せいがありました。(ヘブ 2:1; 3:12,14)ユダヤ教きょうに戻もどることを考かんがえた人ひとたちさえいたかもしれません。

4 2つ目めに,ヘブライ人じんのクリスチャンは,「固かたい食しょく物もつ」つまり神かみの言こと葉ばの中なかにある新あたらしい教おしえや深ふかい教おしえを理り解かいしようと努ど力りょくしていませんでした。(ヘブ 5:11-14)中なかには,まだモーセの律りっ法ぽうに従したがっていた人ひとたちもいたようです。でもパウロは,それは「無む効こうに」なったと説せつ明めいしました。モーセの律りっ法ぽうで求もとめられていた犠ぎ牲せいを捧ささげても,罪つみを完かん全ぜんに取とり除のぞくことはできなかったからです。さらに,パウロは深ふかい真しん理りについて教おしえ,イエスの犠ぎ牲せいに基もとづく「勝まさった希き望ぼう」があることを思おもい起おこさせました。その希き望ぼうは,クリスチャンが本ほん当とうの意い味みで「神かみに近ちかづ[く]」助たすけになります。(ヘブ 7:18,19)

5. 「ヘブライ人じんのクリスチャンへの手て紙がみ」に書かかれているどんな点てんに注ちゅう目もくするのは大たい切せつですか。どうしてですか。

5 パウロは,クリスチャンの崇すう拝はいが過か去このものよりもはるかに優すぐれていると言いえる理り由ゆうについて説せつ明めいしました。ユダヤ人じんが律りっ法ぽうに沿そって行おこなっていた崇すう拝はいは「後のちに来くるものの影かげであって,その実じっ体たいはキリスト」であると言いいました。(コロ 2:17)影かげから分わかるのは,光ひかりが当あたっている物ものの大だい体たいの形かたちにすぎません。ユダヤ人じんが行おこなっていた崇すう拝はいは,後のちに行おこなわれることになっていた,クリスチャンの崇すう拝はいという「実じっ体たい」の「影かげ」にすぎませんでした。エホバは私わたしたちの罪つみを許ゆるし,私わたしたちがエホバに喜よろこばれる崇すう拝はいを行おこなえるように,取とり決きめを設もうけてくださいました。では,「ヘブライ人じんのクリスチャンへの手て紙がみ」の中なかで説せつ明めいされている「影かげ」(ユダヤ人じんが行おこなっていた崇すう拝はい)と「実じっ体たい」(クリスチャンの崇すう拝はい)を比くらべてみましょう。そうするなら,神しん殿でんで表あらわされているエホバの取とり決きめについてよく理り解かいし,それが私わたしたちにどんな関かん係けいがあるかも知しることができます。

幕まく屋や

「ユダヤ人が行っていた崇拝とクリスチャンの崇拝」の図表。幕屋で行われていた崇拝の様子が説明されている。1. 大祭司(9節を参照。)2. 全焼の捧げ物の祭壇(11節を参照。)3. 銅の水盤(16節を参照。)4. 内側の庭(16節を参照。)5. 幕屋(7節を参照。)6. 聖所(13節を参照。)7. 幕(13節を参照。)8. 至聖所(13-14節を参照。)

6. 幕まく屋やはどのように使つかわれていましたか。

6 ユダヤ人じんが行おこなっていた崇すう拝はい。パウロは,モーセが紀き元げん前ぜん1512年ねんに立たてた幕まく屋やを基もとに話はなしを進すすめています。(「ユダヤ人じんが行おこなっていた崇すう拝はいとクリスチャンの崇すう拝はい」の図ず表ひょうを参さん照しょう。)その幕まく屋やはテントのような造つくりになっていて,イスラエル人じんは移い動どうするたびにそれを持もち運はこんでいました。エルサレムに神しん殿でんが建けん設せつされるまで,500年ねん近ちかく使つかわれていました。(出しゅつ 25:8,9。民みん 9:22)イスラエル人じんは「会かい見けんの天てん幕まく」に集あつまって,エホバを崇すう拝はいしたり犠ぎ牲せいを捧ささげたりしていました。(出しゅつ 29:43-46)でも幕まく屋やは,クリスチャンが行おこなうことになっていたはるかに優すぐれた崇すう拝はいを表あらわしていました。

7. エホバの偉い大だいな神しん殿でんはいつ存そん在ざいするようになりましたか。

7 クリスチャンの崇すう拝はい。幕まく屋やは「天てんにあるものの影かげ」で,エホバの偉い大だいな神しん殿でん,つまり崇すう拝はいの取とり決きめを表あらわしていました。パウロは,「この天てん幕まく[つまり,幕まく屋や]は今いまあるものを表あらわして[いる]」と言いいました。(ヘブ 8:5; 9:9)このことから,パウロが「ヘブライ人じんのクリスチャンへの手て紙がみ」を書かいた時じ点てんで,この取とり決きめはすでに存そん在ざいしていたことが分わかります。この神しん殿でんは,西せい暦れき29年ねんに存そん在ざいするようになりました。その年としにイエスはバプテスマを受うけ,聖せいなる力ちからによって選えらばれ,エホバの「偉い大だいな大だい祭さい司し」となりました。c (ヘブ 4:14。使し徒と 10:37,38)

大だい祭さい司し

8-9. ヘブライ 7章しょう23-27節せつによると,イスラエルの大だい祭さい司しと偉い大だいな大だい祭さい司しイエス・キリストにはどんな大おおきな違ちがいがありますか。

8 ユダヤ人じんが行おこなっていた崇すう拝はい。大だい祭さい司しには,神かみの前まえで民たみを代だい表ひょうする役やく割わりがありました。幕まく屋やが立たてられた時とき,エホバはイスラエルの最さい初しょの大だい祭さい司しとしてアロンを任にん命めいしました。でも,パウロが言いっている通とおり,「人ひとはやがて死しに,祭さい司しとして仕つかえ続つづけられなくなる」ため,「多おおくの人ひとが祭さい司し職しょくを引ひき継ついでいかなければなりませんでした」。d (ヘブライ 7:23-27を読よむ。)また,大だい祭さい司しも不ふ完かん全ぜんな人にん間げんだったので,自じ分ぶんたちの罪つみのために犠ぎ牲せいを捧ささげる必ひつ要ようがありました。こうした点てんで,イスラエルの大だい祭さい司しと偉い大だいな大だい祭さい司しイエス・キリストには大おおきな違ちがいがあります。

9 クリスチャンの崇すう拝はい。私わたしたちの大だい祭さい司しであるイエス・キリストは,「人にん間げんではなくエホバが立たてた真しんの天てん幕まく……で奉ほう仕ししてい」ます。(ヘブ 8:1,2)パウロは,「イエスは永えい遠えんに生いき続つづけるので,誰だれかが祭さい司し職しょくを引ひき継つぐことはありません」と説せつ明めいしています。さらにイエスは,イスラエルの大だい祭さい司しとは違ちがって「汚けがれがなく,罪つみ人びとから分わけられ」ているので,自じ分ぶんの罪つみのために「毎まい日にち犠ぎ牲せいを捧ささげる必ひつ要ようはありません」。では次つぎに,祭さい壇だんや犠ぎ牲せいの面めんではどんな違ちがいがあるのか考かんがえてみましょう。

祭さい壇だんと犠ぎ牲せい

10. 銅どうの祭さい壇だんで捧ささげられていた犠ぎ牲せいは何なにを表あらわしていましたか。

10 ユダヤ人じんが行おこなっていた崇すう拝はい。幕まく屋やの入いり口ぐちの前まえには,エホバに動どう物ぶつの犠ぎ牲せいを捧ささげるための銅どうの祭さい壇だんがありました。(出しゅつ 27:1,2; 40:29)でも,こうした犠ぎ牲せいを捧ささげても罪つみを完かん全ぜんに取とり去さることはできなかったので,繰くり返かえし捧ささげる必ひつ要ようがありました。(ヘブ 10:1-4)この犠ぎ牲せいは,人じん類るいの罪つみを完かん全ぜんに取とり去さるために一いち度ど限かぎり捧ささげられることになっていた犠ぎ牲せいを表あらわすものでした。

11. イエスはどんな祭さい壇だんで自じ分ぶんを犠ぎ牲せいとして捧ささげましたか。(ヘブライ 10:5-7,10)

11 クリスチャンの崇すう拝はい。イエスは,エホバから地ち上じょうに遣つかわされたのは人にん間げんとしての命いのちを人じん類るいのための贖あがないとして捧ささげるためだ,ということを知しっていました。(マタ 20:28)それでバプテスマの時ときに,エホバが望のぞまれることを行おこなうために自じ分ぶんを差さし出だしました。(ヨハ 6:38。ガラ 1:4)イエスは,エホバの「望のぞまれること」を表あらわす“祭さい壇だん”で自じ分ぶんを犠ぎ牲せいにしました。エホバはイエスが人にん間げんとしての完かん全ぜんな命いのちを差さし出だすことを望のぞんでおられました。イエスの命いのちは,イエスに信しん仰こうを持もつ人ひと全すべての罪つみを永えい久きゅうに取とり去さるために「一いち度ど限かぎり」捧ささげられました。(ヘブライ 10:5-7,10を読よむ。)では次つぎに,幕まく屋やの中なかに注ちゅう目もくしてみましょう。

聖せい所じょと至し聖せい所じょ

12. 聖せい所じょと至し聖せい所じょにはそれぞれ誰だれが入はいることができましたか。

12 ユダヤ人じんが行おこなっていた崇すう拝はい。幕まく屋やと後のちにエルサレムに建たてられた神しん殿でんには似にたような特とく徴ちょうがありました。「聖せい所じょ」と「至し聖せい所じょ」があり,刺ししゅうされた幕まくで仕し切きられていました。(ヘブ 9:2-5。出しゅつ 26:31-33)聖せい所じょの中なかには,金きんのランプ台だい,香こうの祭さい壇だん,供そなえのパンの食しょく卓たくがありました。「選えらばれた祭さい司し」だけが,神しん聖せいな務つとめを行おこなうために聖せい所じょに入はいることができました。(民みん 3:3,7,10)至し聖せい所じょには,金きんがかぶせられた契けい約やくの箱はこが置おかれていました。それはエホバの臨りん在ざいを表あらわすものでした。(出しゅつ 25:21,22)毎まい年としの贖しょく罪ざいの日ひに,大だい祭さい司しだけが幕まくの向むこう側がわにある至し聖せい所じょに入はいることができました。(レビ 16:2,17)大だい祭さい司しは動どう物ぶつの血ちを持もっていき,自じ分ぶんと国こく民みん全ぜん体たいの罪つみのために贖しょく罪ざいを行おこないました。やがてエホバは聖せいなる力ちからによって,幕まく屋やのこうした特とく徴ちょうが何なにを表あらわしているかを明あきらかにしました。(ヘブ 9:6-8)e

13. 聖せい所じょと至し聖せい所じょはそれぞれ何なにを表あらわしていますか。

13 クリスチャンの崇すう拝はい。イエスの弟で子しのうち14万まん4000人にんだけが,聖せいなる力ちからによって選えらばれ,イエスと一いっ緒しょに天てんで祭さい司しとして働はたらきます。これらの人ひとたちは,神かみによって選えらばれた神かみの養よう子しです。(啓けい 1:6; 14:1)幕まく屋やの聖せい所じょは,天てんに行いく人ひとたちが地ち上じょうにいる間あいだに持もつことのできるエホバとの特とく別べつな関かん係けいを表あらわしています。(ロマ 8:15-17)至し聖せい所じょは,エホバが住すんでいる天てんを表あらわしています。聖せい所じょと至し聖せい所じょを隔へだてていた「幕まく」は,イエスの人にん間げんとしての体からだを表あらわしています。人にん間げんの体からだのままでは,偉い大だいな大だい祭さい司しとして働はたらくために天てんに入はいることはできませんでした。イエスは人じん類るいのために人にん間げんとしての体からだを犠ぎ牲せいにすることによって,選えらばれたクリスチャン全すべてが天てんで生いきられるようにしました。選えらばれたクリスチャンたちも,天てんでの命いのちを受うけるためには人にん間げんとしての体からだを捨すてる必ひつ要ようがあります。(ヘブ 10:19,20。コリ一いち 15:50)イエスは復ふっ活かつした後あと,至し聖せい所じょに入はいりました。そして最さい終しゅう的てきに,選えらばれたクリスチャン全すべてがそこに入はいることになります。

14. ヘブライ 9章しょう12,24-26節せつによると,エホバの神しん殿でんの取とり決きめが優すぐれていると言いえるのはどうしてですか。

14 贖あがないの犠ぎ牲せいとイエス・キリストの祭さい司し職しょくに基もとづく清きよい崇すう拝はいを行おこなうためのエホバの取とり決きめは,本ほん当とうに優すぐれています。イスラエルの大だい祭さい司しは,動どう物ぶつの犠ぎ牲せいの血ちを携たずさえて人ひとが作つくった至し聖せい所じょに入はいりましたが,イエスは最もっとも聖せいなる場ば所しょである「天てんそのもの」に入はいり,エホバの前まえに出でました。そして,私わたしたちの「罪つみを取とり除のぞくために」,イエスは完かん全ぜんな人にん間げんとしての命いのちの価か値ちをエホバに差さし出だしました。(ヘブライ 9:12,24-26を読よむ。)イエスの犠ぎ牲せいのおかげで,私わたしたちの罪つみは完かん全ぜんに許ゆるされます。では次つぎに,天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとも地ち上じょうで生いきる希き望ぼうを持もつ人ひとも,全すべての人ひとがエホバの神しん殿でんで崇すう拝はいを行おこなえることについて考かんがえましょう。

庭にわ

15. 幕まく屋やの庭にわでは誰だれが奉ほう仕ししていましたか。

15 ユダヤ人じんが行おこなっていた崇すう拝はい。幕まく屋やの庭にわは,囲かこわれた広ひろい場ば所しょで,そこでは祭さい司したちが奉ほう仕しを行おこなっていました。全ぜん焼しょうの犠ぎ牲せいを捧ささげるための大おおきな銅どうの祭さい壇だんや,銅どうの水すい盤ばんも置おかれていました。この水すい盤ばんは,祭さい司したちが神しん聖せいな奉ほう仕しを捧ささげるために身みを清きよめるためのものでした。(出しゅつ 30:17-20; 40:6-8)でも,後のちに建たてられた神しん殿でんには外そと側がわの庭にわもあり,そこでは祭さい司しではない人ひとたちもエホバを崇すう拝はいすることができました。

16. エホバの神しん殿でんのそれぞれの庭にわで誰だれが奉ほう仕ししていますか。

16 クリスチャンの崇すう拝はい。天てんに行いくクリスチャンのうち地ち上じょうに残のこっている人ひとたちは,イエスと一いっ緒しょに祭さい司しとして奉ほう仕しする前まえに,エホバの神しん殿でんの内うち側がわの庭にわで忠ちゅう実じつに奉ほう仕しします。大おおきな水すい盤ばんは,それらの兄きょう弟だいたちを含ふくめ,全すべてのクリスチャンにとって大たい切せつなことを思おもい起おこさせます。それは,道どう徳とく面めんでも崇すう拝はいの面めんでも清きよい状じょう態たいでいなければならない,ということです。では,天てんに行いくクリスチャンを忠ちゅう実じつに支ささえている「大だい群ぐん衆しゅう」はどこでエホバを崇すう拝はいするのでしょうか。使し徒とヨハネは,大だい群ぐん衆しゅうが「王おう座ざ……の前まえに立たって……神しん殿でんで昼ひるも夜よるも神かみに神しん聖せいな奉ほう仕しをして」いるのを見みました。地ち上じょうで生いきる希き望ぼうを持もつ大だい群ぐん衆しゅうは,外そと側がわの庭にわで奉ほう仕ししています。(啓けい 7:9,13-15)私わたしたちには,エホバの取とり決きめの下もとで清きよい崇すう拝はいを行おこなえるという素す晴ばらしい機き会かいがあります。このことに本ほん当とうに感かん謝しゃできるのではないでしょうか。

エホバへの崇すう拝はいを大たい切せつにする

17. 私わたしたちはエホバにどんなものを捧ささげることができますか。

17 私わたしたちは皆みな,神かみの王おう国こくの活かつ動どうを推おし進すすめるために,自じ分ぶんの時じ間かんや体たい力りょく,資し産さんを用もちいることができます。パウロがヘブライ人じんのクリスチャンに書かいたように,「絶たえず神かみに賛さん美びの犠ぎ牲せいを捧ささげ……神かみの名なを人ひと々びとに伝つたえて,言こと葉ばで神かみを賛さん美びする」ことができます。(ヘブ 13:15)自じ分ぶんのベストを尽つくして仕つかえることによって,エホバへの崇すう拝はいを大たい切せつにしていることを示しめせるのです。

18. ヘブライ 10章しょう22-25節せつによると,私わたしたちはどんなことを大たい切せつにするべきですか。

18 ヘブライ 10:22-25を読よむ。パウロは「ヘブライ人じんのクリスチャンへの手て紙がみ」の最さい後ごの方ほうで,エホバを崇すう拝はいする上うえで大たい切せつにするべき点てんを教おしえています。それは,エホバに祈いのること,良よい知しらせを伝つたえること,会かい衆しゅうの仲なか間まと集あつまること,励はげまし合あうことです。「[エホバの]日ひが近ちかづいているのですから,ますますこうしたことを行おこなっていきましょう」とパウロは言いっています。そして「啓けい示じ」の書しょの最さい後ごの方ほうで,エホバの天てん使しは「神かみを崇すう拝はいしなさい!」と言いっています。(啓けい 19:10; 22:9)これはとても大たい切せつなことだったので,天てん使しは同おなじ言こと葉ばを2回かい繰くり返かえしました。では,エホバの偉い大だいな神しん殿でんに関かんする深ふかい真しん理りを決けっして忘わすれないようにしましょう。そして,エホバを崇すう拝はいするという素す晴ばらしい機き会かいをこれからも大たい切せつにしていきましょう。

説せつ明めいできますか

  • パウロがヘブライ人じんのクリスチャンに手て紙がみを書かいたのはどうしてですか。

  • 神しん殿でんに例たとえられるエホバの取とり決きめはどんな点てんで優すぐれていますか。

  • 私わたしたちはどんなことを大たい切せつにするべきですか。

88番ばんの歌うた あなたの道みちを教おしえてください

a 聖せい書しょの深ふかい真しん理りの中なかには,エホバの偉い大だいな神しん殿でんに関かんするものがあります。この神しん殿でんとは何なんでしょうか。この記き事じでは,「ヘブライ人じんのクリスチャンへの手て紙がみ」に収おさめられている,神しん殿でんに関かんする情じょう報ほうを調しらべます。エホバを崇すう拝はいできることへの感かん謝しゃを深ふかめられるでしょう。

b jw.orgの「ヘブライの紹しょう介かい」の動どう画がを見みると,「ヘブライ人じんのクリスチャンへの手て紙がみ」の概がい要ようを知しることができます。

c ギリシャ語ご聖せい書しょの中なかでイエスの大だい祭さい司しとしての役やく割わりについて書かかれているのは,「ヘブライ人じんのクリスチャンへの手て紙がみ」だけです。

d ある文ぶん献けんによると,西せい暦れき70年ねんにエルサレムの神しん殿でんが滅ほろぼされた時ときまでに,84人にんがイスラエルの大だい祭さい司しを務つとめたようです。

e 贖しょく罪ざいの日ひに大だい祭さい司しが行おこなったことの象しょう徴ちょう的てきな意い味みについてはjw.orgにある「天てん幕まく」という動どう画がをご覧らんください。

f 「エホバの清きよい崇すう拝はい ついに回かい復ふくされる!」の240ページを参さん照しょう。

g 「ものみの塔とう」2010年ねん7月がつ15日にち号ごう22ページの「霊れい的てき神しん殿でんの意い味みが霊れいによって明あきらかになる」の囲かこみを参さん照しょう。

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