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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2023
塔研23 06月号 8–13ページ

研究記事26

エホバの日ひに向むけて用よう意いをしておく

「エホバの日ひ[は]夜よるに忍しのび込こむ泥どろ棒ぼうのように来くる」。テサロニケ第だい一いち 5:2

143番ばんの歌うた 諦あきらめずにエホバの日ひを待まち続つづける

何なにを学まなぶかa

1. エホバの日ひを生いき残のこるためには,どんなことをする必ひつ要ようがありますか。

聖せい書しょの中なかで「エホバの日ひ」とは,エホバが敵てきたちを滅ほろぼし,ご自じ分ぶんに仕つかえる人ひとたちを救すくい出だす時ときのことを指さしています。こうしたことは過か去こにも起おきましたが,近ちかい将しょう来らいにも起おきることが予よ告こくされています。(イザ 13:1,6。エゼ 13:5。ゼパ 1:8)「エホバの日ひ」は大おおいなるバビロンに対たいする攻こう撃げきで始はじまり,ハルマゲドンの戦たたかいで終おわりを迎むかえます。この「日ひ」を生いき残のこるためには,今いま準じゅん備びをしておく必ひつ要ようがあります。イエスは「大だい患かん難なん」のために「用よう意いをしていなさい」と教おしえました。これは,いつでも用よう意いができている状じょう態たいにしておくということです。(マタ 24:21。ルカ 12:40)

2. テサロニケ第だい一いちの手て紙がみからどんなことが学まなべますか。

2 使し徒とパウロは,テサロニケのクリスチャンに宛あてた最さい初しょの手て紙がみの中なかで,エホバの日ひのために用よう意いをしておくことの大たい切せつさをいろいろな例たとえを使つかって教おしえました。パウロはこの裁さばきの日ひがすぐに来くるわけではないということを知しっていました。(テサ二に 2:1-3)でも,その日ひが明日あすにでも来くるかのように考かんがえて用よう意いをしておくようにと勧すすめました。私わたしたちもその勧すすめに従したがうことができます。では,パウロが使つかった例たとえから次つぎの点てんについて考かんがえてみましょう。(1)エホバの日ひはどのように来きますか。(2)どんな人ひとは生いき残のこることができないでしょうか。(3)生いき残のこるためには,どんな用よう意いをしておく必ひつ要ようがありますか。

エホバの日ひはどのように来くるか

1. パウロが巻物に文字を書いている。2. 男性が夜にぐっすり眠っている間に,泥棒がこっそり家に忍び込んでいる。

テサロニケ第だい一いちの手て紙がみの中なかでパウロが使つかった例たとえから,私わたしたちも学まなぶことができる。(3節せつを参さん照しょう。)

3. エホバの日ひはどんな意い味みで夜よるに忍しのび込こむ泥どろ棒ぼうのようですか。(挿さし絵えも参さん照しょう。)

3 「夜よるに忍しのび込こむ泥どろ棒ぼうのよう」。(テサ一いち 5:2)パウロはエホバの日ひがどのように来くるかについて,このように説せつ明めいしました。泥どろ棒ぼうは,夜よるの間あいだに,人ひと々びとに気き付づかれないように忍しのび込こむものです。エホバの日ひも,多おおくの人ひとにとって予よ期きしていない時ときに来きます。あまりにも早はやく物もの事ごとが進しん展てんするので,エホバに仕つかえる人ひとでさえ驚おどろくかもしれません。でも,邪じゃ悪あくな人ひとたちとは違ちがい,滅ほろびを免まぬがれることができます。

4. エホバの日ひはどのような意い味みで陣じん痛つうに似にていますか。

4 「妊にん婦ぷに起おこる陣じん痛つうと同おなじように」。(テサ一いち 5:3)妊にん婦ぷは陣じん痛つうがいつ来くるのか,正せい確かくな時ときを知しりません。でも,それが必かならず来くるということは知しっています。実じっ際さい,陣じん痛つうは突とつ然ぜん起おこり,痛いたみを伴ともなうものです。そして一いち度ど始はじまると,止とめることはできません。同おなじようにエホバの日ひも,それがいつ来くるのか,正せい確かくな日ひ付づけや時じ間かんは分わかりません。それでも,それが必かならず来くるということは分わかっています。邪じゃ悪あくな人ひと々びとに対たいする神かみの裁さばきは突とつ然ぜん始はじまり,決けっして逃のがれられません。

5. エホバの日ひはどんな意い味みで夜よ明あけに似にていますか。

5 夜よ明あけのよう。パウロの3番ばん目めの例たとえにも泥どろ棒ぼうが出でてきます。でもここでパウロは,エホバの日ひを夜よ明あけに例たとえているようです。(テサ一いち 5:4)泥どろ棒ぼうは,目めの前まえのことに気きを奪うばわれていると,時じ間かんがたつのを忘わすれて,夜よ明あけになるまで気き付づかないということがあるかもしれません。エホバから見みて良よくないことを行おこない続つづける人ひとたちにとって,大だい患かん難なんはこの夜よ明あけのように突とつ然ぜんやって来きます。でも,私わたしたちはエホバが悲かなしむことをきっぱりと退しりぞけ,「あらゆる善よいことと正ただしいことと真しん実じつなこと」を行おこなうことによって,エホバの日ひに向むけて用よう意いをしておくことができます。(エフェ 5:8-12)では次つぎに,パウロが語かたった2つの例たとえから,どんな人ひとはエホバの日ひを生いき残のこることができないかについて調しらべてみましょう。

どんな人ひとは生いき残のこることができないか

6. どんな意い味みで多おおくの人ひとは眠ねむっていると言いえますか。(テサロニケ第だい一いち 5:6,7)

6 「眠ねむる人ひと」。(テサロニケ第だい一いち 5:6,7を読よむ。)パウロは,エホバの日ひを生いき残のこることができない人ひとを眠ねむっている人ひとに例たとえました。眠ねむっている人ひとは,自じ分ぶんの周まわりでどんなことが起おきているのかも,どれほど時じ間かんがたったのかも分わかりません。重じゅう要ような出で来き事ごとが起おきても,それに気き付づくことも反はん応のうすることもできません。現げん代だいの多おおくの人ひとたちは眠ねむっているような状じょう態たいです。(ロマ 11:8)今いまが「終おわりの時じ代だい」であることも,大だい患かん難なんが近ちかいということも信しんじようとしません。世せ界かいを巻まき込こむような出で来き事ごとが起おきると,王おう国こくのメッセージに少すこしは関かん心しんを示しめすかもしれませんが,また“眠ねむって”しまいます。エホバの裁さばきの日ひが来くることを信しんじてはいても,それはずっと先さきだと考かんがえる人ひともいます。(ペテ二に 3:3,4)でも私わたしたちは,目め覚ざめていることがますます重じゅう要ようになっていることをよく知しっています。

7. エホバに滅ほろぼされる人ひとが酒さけに酔よっている人ひとのようだと言いえるのはどうしてですか。

7 「酒さけに酔よう人ひと」。パウロは,エホバに滅ほろぼされる人ひとを酒さけに酔よう人ひとに例たとえました。アルコールを飲のむと反はん応のうが鈍にぶくなり,良よくない決けっ定ていをしてしまうことがあります。同おなじように,邪じゃ悪あくな人ひとたちは神かみの警けい告こくを無む視しし,滅ほろびに至いたる道みちを選えらんでいます。一いっ方ぽう私わたしたちは,頭あたまがさえた状じょう態たいを保たもつようにと聖せい書しょから教おしえられています。(テサ一いち 5:6)この表ひょう現げんについてある学がく者しゃは,「物もの事ごとを正ただしく比ひ較かく考こう量りょうし,評ひょう価かして,適てき切せつな決けっ定ていを下くだすことができる,落おち着ついて安あん定ていした状じょう態たい」と説せつ明めいしています。このような落おち着つきが大たい切せつなのはどうしてでしょうか。エホバの日ひが近ちかづくにつれて,政せい治じ問もん題だいや社しゃ会かい問もん題だいに巻まき込こもうとする圧あつ力りょくがどんどん強つよくなるからです。それでも,心しん配ぱいする必ひつ要ようはありません。エホバが聖せいなる力ちからを与あたえ,落おち着ついて良よい決けっ定ていができるように助たすけてくださるからです。(ルカ 12:11,12)

エホバの日ひに向むけてどんな用よう意いができるか

しっかり装備を整えたローマ兵が,テントの入り口に立って見張っている。後ろでは,装備を外した兵士たちが酒を飲んで楽しんでいる。

注ちゅう意いを払はらわない人ひとが多おおいとはいえ,私わたしたちはエホバの日ひに向むけて用よう意いを整ととのえておく必ひつ要ようがある。信しん仰こうと愛あいの胸むね当あてと希き望ぼうのかぶとを身みに着つけることは大たい切せつ。(8,12節せつを参さん照しょう。)

8. テサロニケ第だい一いち 5章しょう8節せつによると,頭あたまがさえた状じょう態たいを保たもつ上うえで何なにが助たすけになりますか。(挿さし絵えも参さん照しょう。)

8 「胸むね当あてを着つけ……かぶとをかぶりましょう」。パウロは私わたしたちのことを,装そう備びを整ととのえた兵へい士しに例たとえました。(テサロニケ第だい一いち 5:8を読よむ。)兵へい士しは,いつでも戦たたかいに出でていけるように用よう意いをしておく必ひつ要ようがあります。私わたしたちも同おなじです。信しん仰こうと愛あいの胸むね当あてを着つけ,希き望ぼうのかぶとをかぶるなら,エホバの日ひに向むけて用よう意いを整ととのえておくことができます。こうした性せい質しつはどれも私わたしたちの大おおきな助たすけになります。

9. 信しん仰こうは私わたしたちをどのように守まもってくれますか。

9 胸むね当あてが兵へい士しの心しん臓ぞうを守まもるのと同おなじように,信しん仰こうと愛あいは私わたしたちの心こころを守まもります。そして,エホバに仕つかえ,イエスに従したがおうという気き持もちを強つよめてくれます。信しん仰こうがあるなら,エホバがご自じ分ぶんに真しん剣けんに頼たよる人ひとを必かならず助たすけてくださると確かく信しんすることができます。(ヘブ 11:6)そして,どんな問もん題だいがあっても,リーダーであるイエスにしっかり付ついていこうという気き持もちになります。迫はく害がいや経けい済ざい的てきな問もん題だいがあってもエホバに仕つかえるのをやめなかった兄きょう弟だい姉し妹まいの手て本ほんについて考かんがえるなら,信しん仰こうが強つよまるでしょう。生せい活かつをシンプルにして王おう国こくを第だい一いちにしている人ひとたちにも見み習ならえます。そうすれば,お金かねや物ものを愛あいし過すぎてしまう危き険けんを避さけることができます。b

10. エホバと人ひと々びとへの愛あいは,どのように伝でん道どうを続つづける力ちからとなりますか。

10 目め覚ざめている上うえで,愛あいも大たい切せつです。(マタ 22:37-39)エホバを愛あいしているなら,どんな問もん題だいがあっても伝でん道どうを一いっ生しょう懸けん命めい行おこなおうという気き持もちになるでしょう。(テモ二に 1:7,8)人ひと々びとへの愛あいがあれば,電でん話わや手て紙がみなどいろいろな方ほう法ほうで,できるだけ多おおくの人ひとに良よい知しらせを伝つたえたいと思おもうはずです。そして,人ひと々びとがやがて変へん化かして正ただしいことを行おこなうようになると信しんじて伝でん道どうを続つづけていきます。(エゼ 18:27,28)

11. 仲なか間まへの愛あいが大たい切せつなのはどうしてですか。(テサロニケ第だい一いち 5:11)

11 私わたしたちは,「励はげまし合あい,力ちからづけ合あ[う]」ことによって,仲なか間まの兄きょう弟だい姉し妹まいにも愛あいを示しめします。(テサロニケ第だい一いち 5:11を読よむ。)兵へい士したちが仲なか間まと並ならんで一いっ緒しょに戦たたかうのと同おなじように,私わたしたちも互たがいに励はげまし合あうことができます。兵へい士しは戦たたかいの最さい中ちゅうに間ま違ちがって仲なか間まにけがをさせてしまうことがあるかもしれません。でも,わざとそうすることはありません。私わたしたちも,兄きょう弟だい姉し妹まいをわざと傷きずつけたり仕し返かえししたりすることは決けっしてしません。(テサ一いち 5:13,15)愛あいを表あらわす別べつの方ほう法ほうは,会かい衆しゅうを監かん督とくしている兄きょう弟だいたちに敬けい意いを示しめすことです。(テサ一いち 5:12)パウロがテサロニケ第だい一いちの手て紙がみを書かいた頃ころ,テサロニケ会かい衆しゅうはできてから1年ねんもたっていませんでした。責せき任にんを委ゆだねられている兄きょう弟だいたちは経けい験けんが浅あさく,間ま違ちがいをすることもあったでしょう。それでも,そうした兄きょう弟だいたちは敬けい意いを受うけるのにふさわしい働はたらきをしていました。大だい患かん難なんが近ちかづくにつれて,長ちょう老ろうたちに頼たよることはますます大たい切せつになります。世せ界かい本ほん部ぶや支し部ぶからの指し示じを受うけ取とれなくなるかもしれないからです。それで,長ちょう老ろうたちへの愛あいや敬けい意いを今いま深ふかめておくようにしましょう。どんなことが起おきるとしても,目め覚ざめていることが大たい切せつです。長ちょう老ろうたちのできていないところではなく,エホバがイエスを用もちいて長ちょう老ろうたちを導みちびいている,ということに注ちゅう目もくするようにしましょう。

12. 希き望ぼうはどのように私わたしたちの考かんがえを守まもってくれますか。

12 かぶとが兵へい士しの頭あたまを守まもるのと同おなじように,希き望ぼうは私わたしたちの考かんがえを守まもってくれます。強つよい希き望ぼうがあるなら,今いまの世よの中なかにあるものには何なんの価か値ちもないということをはっきり理り解かいできます。(フィリ 3:8)そして,穏おだやかな気き持もちでいることもできます。アフリカで奉ほう仕しするウォーレス兄きょう弟だいとローリンダ姉し妹まいのことを考かんがえてみましょう。2人ふたりは3週しゅう間かんの間あいだにそれぞれの親おやを亡なくしました。でも,パンデミックのせいで家か族ぞくの元もとに帰かえることができませんでした。兄きょう弟だいはこう書かいています。「復ふっ活かつの希き望ぼうのおかげで,親おやが亡なくなる前まえにどんな日ひ々びを過すごしたかではなく,新あたらしい世せ界かいでどんな素す晴ばらしい日ひ々びを送おくれるかに思おもいを向むけることができています。そして,悲かなしみや寂さびしさを感かんじる時ときにも,穏おだやかな気き持もちを取とり戻もどすことができます」。

13. どうすれば聖せいなる力ちからを与あたえてもらえますか。

13 「聖せいなる力ちからの火ひを消けしてはなりません」。(テサ一いち 5:19,脚きゃく注ちゅう)パウロは,聖せいなる力ちからを火ひに例たとえました。聖せいなる力ちからが働はたらくと,私わたしたちの心こころは燃もえ,良よいことを行おこないたいという気き持もちやエホバのためにできる限かぎりのことを行おこないたいという気き持もちが強つよくなります。(ロマ 12:11)では,どうすれば聖せいなる力ちからを与あたえてもらえるでしょうか。祈いのること,聖せい書しょを学まなぶこと,エホバの証しょう人にんとしての活かつ動どうを熱ねっ心しんに行おこなうことが大たい切せつです。そうするなら,「聖せいなる力ちからが生うみ出だすもの」を身みに付つけることができます。(ガラ 5:22,23)

1. 兄弟が聖書を読んでいる。2. 同じ兄弟が妻と一緒に伝道している。

「自じ分ぶんの行こう動どうには,聖せいなる力ちからを与あたえてもらいたいと思おもっていることが表あらわれているだろうか」と考かんがえてみましょう。(14節せつを参さん照しょう。)

14. 聖せいなる力ちからをずっと与あたえてもらうためには,どんなことに注ちゅう意いする必ひつ要ようがありますか。(写しゃ真しんも参さん照しょう。)

14 エホバから聖せいなる力ちからを与あたえてもらったなら,「聖せいなる力ちからの火ひを消け」さないように注ちゅう意いする必ひつ要ようがあります。エホバは,考かんがえ方かたと行こう動どうが清きよい人ひとだけに聖せいなる力ちからを与あたえます。汚けがれたことを考かんがえたり行おこなったりするようになるなら,聖せいなる力ちからを受うけられなくなります。(テサ一いち 4:7,8)さらに,「預よ言げんを軽かるく扱あつか」わないようにする必ひつ要ようもあります。(テサ一いち 5:20)ここで言いう「預よ言げん」とは,エホバが聖せいなる力ちからを用もちいて私わたしたちに伝つたえるメッセージのことです。それには,エホバの日ひに関かんすることや,終おわりが近ちかいことも含ふくまれています。自じ分ぶんが生いきている間あいだにハルマゲドンが来くることはない,と考かんがえないようにしましょう。毎まい日にち正ただしいことを行おこない,「神かみへの専せん心しんを行こう動どうに表あらわ」すなら,エホバの日ひについていつも考かんがえ,いわばその日ひを早はやめることができます。(ペテ二に 3:11,12)

「全すべてのことを確たしかめてください」

15. 間ま違ちがった情じょう報ほうに流ながされないために,どうすることが大たい切せつですか。(テサロニケ第だい一いち 5:21)

15 間まもなく,神かみに逆さからう人ひとたちは「平へい和わだ,安あん全ぜんだ!」という宣せん言げんを出だします。(テサ一いち 5:3)邪じゃ悪あくな天てん使しの影えい響きょうを受うけたこの宣せん言げんは世せ界かい中じゅうに広ひろまり,大おお勢ぜいの人ひとがだまされます。(啓けい 16:13,14)私わたしたちはどうでしょうか。「全すべてのことを確たしかめ」るなら,だまされることはありません。(テサロニケ第だい一いち 5:21を読よむ。)ここで「確たしかめ[る]」と訳やくされているギリシャ語ごには,金きんや銀ぎんなどの金きん属ぞくが本ほん物ものかどうかを調しらべる,という意い味みもあります。それで,何なにかを見み聞ききした時ときには,その情じょう報ほうが本ほん物ものかどうかを確たしかめる必ひつ要ようがあります。このことはテサロニケのクリスチャンにとっても大たい切せつなことでしたが,大だい患かん難なんが迫せまった現げん代だいの私わたしたちにとってはもっと大たい切せつです。周しゅう囲いの人ひとたちの言こと葉ばをそのまま信しんじるのではなく,思し考こう力りょくを働はたらかせましょう。そうした情じょう報ほうと聖せい書しょや組そ織しきが言いっていることを比くらべて確かく認にんするようにします。そうするなら,邪じゃ悪あくな天てん使したちが流ながすどんな情じょう報ほうにもだまされることはありません。(格かく 14:15。テモ一いち 4:1)

16. 私わたしたちにはどんな希き望ぼうがありますか。どんなことを行おこなっていきたいと思おもいますか。

16 エホバに仕つかえる人ひとたちはグループとして大だい患かん難なんを生いき残のこりますが,私わたしたち一人ひとり一人ひとりが明日あすどうなるかは分わかりません。(ヤコ 4:14)生いきて大だい患かん難なんを通つう過かするとしても,その前まえに亡なくなるとしても,エホバに忠ちゅう実じつに仕つかえ続つづけるなら,永えい遠えんの命いのちを得えることができます。聖せいなる力ちからによって選えらばれた人ひとたちは天てんでイエスと一いっ緒しょに王おうとして統とう治ちし,ほかの羊ひつじは楽らく園えんになった地ち球きゅうで暮くらします。こうした素す晴ばらしい希き望ぼうに目めを向むけつつ,エホバの日ひのために用よう意いをしておくようにしましょう。

どのように答こたえますか

  • エホバの日ひはどのように来きますか。

  • どんな人ひとはエホバの日ひを生いき残のこることができませんか。

  • エホバの日ひに向むけてどんな用よう意いができますか。

150番ばんの歌うた 救すくいのために神かみに頼たよる

a テサロニケ第だい一いち 5章しょうには,これから来くるエホバの日ひについてのいろいろな例たとえが出でてきます。この「日ひ」とは何なんでしょうか。それはどのように来きますか。どんな人ひとは生いき残のこることができませんか。その日ひのためにどんな用よう意いをしておくことができますか。使し徒とパウロの言こと葉ばからこうした点てんを考かんがえてみましょう。

b 「喜よろこんで自じ分ぶんを差さし出だした人ひとたち」のシリーズを参さん照しょう。

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