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  • 義と宣する
    聖書に対する洞察,第1巻
    • イエス・キリストは死に至るまで忠実を保たれた後,「霊において生かされ」,不滅性と不朽性を与えられました。(ペテ一 3:18; コリ一 15:42,45; テモ一 6:16)こうして,「霊において義と宣せられ[または,宣言され]」(テモ一 3:16; ロマ 1:2-4),天の神の右に座されました。(ヘブ 8:1; フィリ 2:9-11)キリストの足跡に従う忠実な追随者たちは,キリストが経験したような復活を待ち望み(ロマ 6:5),「神の性質」を受ける者となることを期待しています。―ペテ二 1:4。

  • 敬虔な専心
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 「敬虔な専心に関する神聖な奥義」 敬虔な専心の第一の模範はイエス・キリストです。使徒パウロはテモテに次のように書きました。「明らかなことですが,この敬虔な専心に関する神聖な奥義はまことに偉大です。すなわち,『彼は肉において明らかにされ,霊において義と宣せられ,み使いたちに現われ,諸国民の中で宣べ伝えられ,世で信じられ,栄光のうちに迎え上げられた』のです」。(テモ一 3:16)完全な人間であったアダムは,敬虔な専心の完全な模範を示しませんでした。彼の子供は不完全に生まれついたため,だれ一人としてそうすることはできませんでした。だれがそのことを行なえるでしょうか。神のみ子が地に来られたことと,忠誠を保って歩まれたことがその答えとなり,その神聖な奥義は解明されました。この神のみ子こそ,テモテが敬虔な専心を表わす行動の完全な模範と仰ぐべき方なのです。―テモ一 3:15。

      イエス・キリストは人間としてただ一人,敬虔な専心をあらゆる意味で完全に表わされました。それにより,肉の人間はそのような専心を守ることができる,ということが証明されました。イエスは厳しい試練の下にありながら,地上での歩みの最後に至るまで「忠節で,偽りも汚れもなく,罪人から分けられ」ていました。(ヘブ 7:26)神の前にイエスを訴えようとしても,その忠誠にはいかなる欠陥も見いだせませんでした。イエスは死を前にして,「わたしは世を征服したのです」,また,『世の支配者が来ようとしています。そして,彼はわたしに対して何の力もありません』と言われました。(ヨハ 16:33; 14:30)イエスの内にはいかなる不義も見いだせませんでした。イエスは敵たちに対して,「あなた方のうちのだれが,わたしに罪があると証明するのですか」と正当に言うことができました。(ヨハ 8:46)「この敬虔な専心に関する神聖な奥義」が解明されたことは人類にとって非常に重大なことであり,極めて重要な意味を持っているため,全世界にふれ告げる必要があります。会衆内でのクリスチャンの敬虔な専心と行ないは,イエス・キリストご自身をよりどころとし,それに基づいてかたどられるのです。

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