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統一された心からの忠節ものみの塔 1962 | 1月15日
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30,31 (イ)だれが世界の恐れに加わりませんか。彼らは何をしますか。(ロ)私たちが忠節であると,どんな結果が保証されますか。それで,神は現在忠節な者たちにどんな報いを与えますか。
30 エホバの御名を恐れて,心の統一している私たちは,この古い世の国民や諸国家がもっている恐れや不安を持ちません。私たちは彼らの恐れを持つ代わりに,イエスがこの特定な時にせよと命じた通りのことをします。「これらの事が起りはじめたら,身を起し頭をもたげなさい。あなたがたの救が近づいているのだから」(ルカ 21:28,新口)人間の制度とか政治的な独裁者でなく,全能の神にむかい,私たちは詩篇記者ダビデの言葉を借りて,次のように言います,「私の魂を守りたまえ,私は忠節を保ちます」。(詩 86:2,新世)エホバ神とその御国に忠節を保つなら,私たちが悪をして,大きな害をうけることはありません。私たちは正しい道に私たちをみちびかれるという彼の約束に頼ります。彼については次のように書かれています,「ヱホバ其聖徒の足を守り給はん悪しき者は黒暗にありて黙すべし其は人力をもて勝つべからざればなり」。―サムエル前 2:9。
31 その約束があるので,私たちの心と神経はぐっと強められます! 次の約束もあります,「かれは義人のために聡明をたくはへ直く行む者の盾となる そは公平の途をたもちその聖徒の途すぢを守りたまへばなり」。(箴言 2:7,8)現在,私たちがエホバの御名を恐れて心をひとつにし,エホバ神に忠節を保つときすばらしい報いを受けます! エホバは私たちが新しい世で永遠の報いを楽しむようにのぞまれています。それで,今でもわたしたちに報いを与えられるのです。エホバ神に永久の忠節を保つ人々は,新しい世を相続して,そこに住むでしょう。
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忠節な制度と共に預言するものみの塔 1962 | 1月15日
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忠節な制度と共に預言する
1 (イ)私たちが神に忠節をささげるとき,何にも忠節をささげることが必要ですか。(ロ)人々は,どんな宗教的な制度に忠節をささげるので,神への忠節をささげていませんか。
天と地を創造して組織した神に忠節を保つためには彼の制度に忠節を保たねばなりません。今日,ある宗教的な制度に忠節を保つなら,神に忠節を保つことであると考える人は大ぜいいます。しかし,彼らはこのことについて間違います。私たちの時代中に生ずると預言されたものの中に,「神よりも快楽を愛する者,信心深い様子をしながらその実を捨てる」人々や制度があります。(テモテ後 3:1,4,5,新口)これらのものは宗教的な主張をし,神に献身している振をします。彼らは司祭,司教,助祭,牧師,および神学博士として任命されている人々のとり行なう宗教的な儀式をします。同時に彼らは物質的なものを求め,霊よりも肉の思いをみたして,彼らが神の真の制度でないことを表わします。彼らはこの世の快楽やスポーツ,ゲーム,およびばくちを愛し,その生涯中に敬虔の実を示しません。彼らの行動は,おもてむきに敬虔そうな振をしても,実際はそうでないことを示します。彼らは偽りの制度に忠節であっても,「主イエス・キリストの父なる神」に忠節ではありません。(エペソ 1:3,新口)彼らは神に偽る宗教制度,すなわち神がご自分の制度として所有せられない制度に忠実です。
2,3 (イ)神はどの制度に忠節を保てと私たちに命じていますか。19世紀前のどんな日は,私たちのためにこのことを決定しましたか。(ロ)その日,クリスチャン会衆は,私たちが忠節をささげねばならぬ制度であると,どのように示されましたか。
2 神は見える制度に聖霊を注ぎ,忠節をささげよと私たちに命じました。いまから19世紀以上のむかし,西暦33年のペンテコストの祭の日に,エルサレム内のユダヤ人の会衆は,彼らこそ神の見える制度であると考えました。この理由のため,それより52日前のこと彼らの祭司や宗教指導者たちは,ローマ総督ポンテオ・ピラトをしてイエス・キリストを罪を犯した奴隷のごとく杭に釘づけさせました。しかし,五旬節のその日に生じたことは,彼らの考えが正しいかをはっきりあかしするものでした。イエス・キリストの弟子たちは,次のことを証言しました。すなわち彼は死んで3日目に死人の中からよみがえらされ復活後の40日間弟子たちにしばしば現われたこと,および彼らはイエスの昇天したのを目撃した,ということです。ユダヤ人の制度から排斥されたこれらの弟子たちは,エホバ神の目に見える新しい制度でしたか。ペンテコストの日は,権威のある仕方でその問題に判定を下しました。
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