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エホバの望まれることを行う組織
行 第5章 30–52ページ

第5章

群むれを世せ話わする監かん督とくたち

イエスは地ち上じょうでの宣せん教きょう期き間かん中ちゅう,自じ分ぶんが「立りっ派ぱな羊ひつじ飼かい」であることを示しめしました。(ヨハ 10:11)すがるようにして付ついてくる群ぐん衆しゅうを見みて,「かわいそうに思おも」いました。彼かれらが「羊ひつじ飼かいのいない羊ひつじのように痛いためつけられ,放ほうり出だされていたから」です。(マタ 9:36)イエスの優やさしい気き遣づかいは,ペテロや他たの使し徒とたちの心こころに深ふかく刻きざまれました。イスラエルの偽にせの牧ぼく者しゃたちとは全まったく違ちがっていたからです。その牧ぼく者しゃたちは群むれを世せ話わしなかったので,羊ひつじは散ちり散ぢりになり,神かみからの教おしえに飢うえていました。(エゼ 34:7,8)一いっ方ぽうイエスは,羊ひつじを教おしえて世せ話わし,羊ひつじのために自じ分ぶんの命いのちを犠ぎ牲せいにすることさえしました。その優すぐれた手て本ほんを見みた使し徒とたちは,信しん仰こうを持もつ人ひと々びとが「命いのちを守まもる牧ぼく者しゃであり監かん督とくである」エホバのもとに帰かえれるよう,どのように助たすけたらよいかを学まなびました。(ペテ一いち 2:25)

2 イエスは,ある時ときペテロと話はなしをし,羊ひつじを養やしなって世せ話わすることの大たい切せつさを強きょう調ちょうしました。(ヨハ 21:15-17)そのことはペテロに忘わすれ難がたい印いん象しょうを与あたえたに違ちがいありません。ペテロは後のちに,初しょ期きクリスチャン会かい衆しゅうの長ちょう老ろうたちにこう勧すすめました。「皆みなさんに委ゆだねられた神かみの羊ひつじの群むれを世せ話わしてください。強しいられてではなく,神かみの前まえで進すすんで監かん督とくとして奉ほう仕しし,不ふ当とうな利り益えきを得えようとしてではなく,真しん剣けんな態たい度どで世せ話わしましょう。神かみの財ざい産さんである人ひとたちに対たいして威い張ばったりせず,群むれの模も範はんとなりましょう」。(ペテ一いち 5:1-3)ペテロのこの言こと葉ばは,現げん代だいの会かい衆しゅうの監かん督とくたちにも当あてはまります。長ちょう老ろうたちはイエスに倣ならい,群むれの模も範はんとなって進すすんで真しん剣けんな態たい度どで仕つかえ,エホバへの奉ほう仕しに率そっ先せんします。(ヘブ 13:7)

長ちょう老ろうたちはイエスに倣ならい,群むれの模も範はんとなって進すすんで真しん剣けんな態たい度どで仕つかえ,エホバへの奉ほう仕しに率そっ先せんする。

3 私わたしたちは,聖せいなる力ちからによって任にん命めいされた監かん督とくたちが会かい衆しゅうにいることを感かん謝しゃできます。私わたしたちのために多おおくのことを行おこなってくれるからです。例たとえば,監かん督とくたちは会かい衆しゅうの皆みなを励はげまし,一人ひとり一人ひとりに関かん心しんを払はらいます。毎まい週しゅう,会かい衆しゅうの集しゅう会かいで監かん督とくの務つとめを勤きん勉べんに果はたし,信しん仰こうを持もつ人ひと全すべてが養やしなわれるようにします。(ロマ 12:8)悪わるい人ひとたちなどの有ゆう害がいな影えい響きょうから群むれを守まもろうと努ど力りょくするので,私わたしたちは安あん心しんできます。(イザ 32:2。テト 1:9-11)監かん督とくたちは宣せん教きょうにおいても率そっ先せんするので,私わたしたちは良よい知しらせを毎まい月つき活かっ発ぱつに伝つたえるよう励はげまされます。(ヘブ 13:15-17)エホバはそれらの「人ひと々びとという贈おくり物もの」によって,会かい衆しゅうを力ちからづけてくださっているのです。(エフェ 4:8,11,12)

監かん督とくの資し格かく

4 会かい衆しゅうがきちんと世せ話わされるためには,監かん督とくとして任にん命めいされる人ひとたちが,神かみの言こと葉ばの中なかに示しめされている資し格かくを満みたしていなければなりません。そうであって初はじめて,聖せいなる力ちからによって任にん命めいされたと言いえます。(使し徒と 20:28)クリスチャンの監かん督とくは重おもい責せき任にんを担になうので,聖せい書しょは監かん督とくについて高たかい基き準じゅんを定さだめています。とはいえ,エホバを本ほん当とうに愛あいしていて,エホバに用もちいていただきたいと思おもうクリスチャン男だん子しにとって,高たかすぎる基き準じゅんではありません。監かん督とくたちは,聖せい書しょの助じょ言げんを日ひ々びの生せい活かつに当あてはめていることが誰だれの目めにも明あきらかな人ひとたちです。

会かい衆しゅうがきちんと世せ話わされるためには,監かん督とくとして任にん命めいされる人ひとたちが,神かみの言こと葉ばの中なかに示しめされている資し格かくを満みたしていなければならない。

5 使し徒とパウロは,テモテへの最さい初しょの手て紙がみとテトスへの手て紙がみの中なかで,監かん督とくが満みたしているべき基き本ほん的てきな条じょう件けんを挙あげました。テモテ第だい一いち 3章しょう1-7節せつにはこう記しるされています。「監かん督とくになろうと努つとめている人ひとは,立りっ派ぱな仕し事ごとを望のぞんでいます。ですから,監かん督とくは,とがめられるところがなく,1人ひとりの妻つまの夫おっとで,節せつ度どをわきまえ,健けん全ぜんな考かんがえ方かたをし,秩ちつ序じょ正ただしく行こう動どうし,人ひとをよくもてなし,教おしえる資し格かくがなければなりません。また,酩めい酊ていせず,暴ぼう力りょくを振ふるわず,分ふん別べつがあり,争あらそいを好このまず,お金かねを愛あいさず,家か庭ていを立りっ派ぱに治おさめ,子こ供どもをよくしつけて従したがわせているべきです。(自じ分ぶんの家か庭ていを治おさめられないのであれば,神かみの会かい衆しゅうを世せ話わすることなどできるでしょうか。)クリスチャンになって間まもない人ひとであってはなりません。思おもい上あがって,悪あく魔まと同おなじように断だん罪ざいされるようなことにならないためです。さらに,会かい衆しゅう外がいの人ひとからも良よい評ひょう判ばんを得えているべきです。人ひと々びとから非ひ難なんされ,悪あく魔まのわなに陥おちいる,ということがないようにするためです」。

6 パウロはテトスに宛あててこう書かきました。「私わたしがあなたをクレタに残のこしたのは,私わたしの指し示じ通どおりに問もん題だいを正ただし,それぞれの町まちに長ちょう老ろうたちを任にん命めいしてもらうためです。任にん命めいされる人ひとは,非ひ難なんされるところがなく,1人ひとりの妻つまの夫おっとでなければなりません。その人ひとの子こ供どもも信しん仰こうを持もっているべきで,堕だ落らくしているとか反はん抗こう的てきだと非ひ難なんされていてはなりません。監かん督とくは,神かみの家いえの管かん理り人にんですから,非ひ難なんされるところがあってはならず,意い地じを張はらず,すぐに怒おこらず,酩めい酊ていせず,暴ぼう力りょくを振ふるわず,貪どん欲よくに不ふ当とうな利り益えきを得えようとすべきではありません。人ひとをよくもてなし,善よいことを愛あいし,健けん全ぜんな考かんがえ方かたをし,正ただしいことを行おこない,神かみに尽つくし,自じ制せい心しんがあり,神かみの信しん頼らいできる言こと葉ばにしっかり従したがった教おしえ方かたをしなければなりません。そうすれば,健けん全ぜんな教おしえによって励はげますことも,逆さからう人ひとを戒いましめることもできるでしょう」。(テト 1:5-9)

7 聖せい書しょの条じょう件けんを満みたして監かん督とくになるのは,一いっ見けんとても無む理りそうに思おもえるかもしれません。しかし,クリスチャンの男だん子しは,監かん督とくになろうと努つとめるのをためらうべきではありません。監かん督とくに求もとめられている,クリスチャンの良よい性せい質しつを表あらわすなら,会かい衆しゅうの人ひとたちも同おなじようにしたいと思おもうことでしょう。パウロによれば,「人ひと々びとという贈おくり物もの」である監かん督とくたちは,「聖せいなる人ひとたちを正ただし,奉ほう仕しし,キリストの体からだを力ちからづけます。そのおかげで私わたしたちは皆みな,信しん仰こうの一いっ致ちと,神かみの子こについての正せい確かくな知ち識しきの一いっ致ちに達たっし,十じゅう分ぶんに成せい長ちょうした人ひととなり,キリストの背せ丈たけに達たっするようになります」。(エフェ 4:8,12,13)

8 監かん督とくは,少しょう年ねんでも,クリスチャンになって間まもない人ひとでもありません。クリスチャンとして経けい験けんを積つんでおり,聖せい書しょに関かんする広ひろい知ち識しきと深ふかい理り解かいがあり,会かい衆しゅうを本ほん当とうに愛あいしている人ひとです。会かい衆しゅうの中なかに悪わるいことを行おこなう人ひとがいたら率そっ直ちょくに話はなして正ただす勇ゆう気きがあり,人ひとを食くい物ものにする者ものたちから羊ひつじを守まもります。(イザ 32:2)クリスチャンとして十じゅう分ぶんに成せい長ちょうしていることが会かい衆しゅう内ないの誰だれの目めにも明あきらかで,神かみの羊ひつじの群むれを心こころから気き遣づかいます。

9 監かん督とくの資し格かくがある人ひとの生せい活かつには,聖せい書しょに基もとづく知ち恵えが表あらわれています。妻つまがいるなら,その人ひとは結けっ婚こんに関かんするクリスチャンの基き準じゅんをしっかり守まもっていて,1人ひとりの妻つまの夫おっとであり,家か庭ていを立りっ派ぱに治おさめているはずです。信しん仰こうを持もつ子こ供どもがいる場ば合あい,その子こがよくしつけられていて親おやに従したがっており,堕だ落らくしているとか反はん抗こう的てきだと非ひ難なんされていないなら,会かい衆しゅうの人ひとたちは親おやであるその監かん督とくを信しん頼らいし,家か族ぞくやクリスチャンの生せい活かつに関かんしてアドバイスを求もとめることができるでしょう。監かん督とくはまた,とがめられるところも非ひ難なんされるところもなく,会かい衆しゅう外がいの人ひとからも良よい評ひょう判ばんを得えている人ひとです。ですから,不ふ適てき切せつな行おこないを非ひ難なんされて会かい衆しゅうの評ひょう判ばんが損そこなわれる,ということはないはずです。重じゅう大だいな過あやまちのために最さい近きん戒いましめを受うけた人ひとはふさわしくありません。会かい衆しゅうの人ひとたちは,監かん督とくの資し格かくがある人ひとの良よい手て本ほんに倣ならうよう動うごかされ,クリスチャンの牧ぼく者しゃとしてその人ひとに心こころから頼たよれると思おもうことでしょう。(コリ一いち 11:1; 16:15,16)

10 そのような資し格かくある男だん子しは,イスラエルの「賢かしこくて,思し慮りょ深ぶかく,経けい験けんのある」長ちょう老ろうたちと同おなじような役やく割わりを担にない,クリスチャン会かい衆しゅうに仕つかえることができます。(申しん 1:13)クリスチャンの長ちょう老ろうは,全まったく罪つみがないというわけではありませんが,会かい衆しゅう内ないでも地ち域いき社しゃ会かいでも,神かみを畏おそれる正しょう直じきな人ひととして知しられています。神かみが定さだめた原げん則そくに従したがって生せい活かつしていることを,ある期き間かんにわたって実じっ証しょうしてきた人ひとです。非ひ難なんされるところがないので,会かい衆しゅうの前まえで気き後おくれせずに語かたることができます。(ロマ 3:23)

11 監かん督とくの資し格かくがある人ひとは,他たの人ひととの接せっし方かたや習しゅう慣かんの面めんで節せつ度どをわきまえていることを示しめします。物もの事ごとに熱ねっ狂きょうするような人ひとではなく,生せい活かつ全ぜん般ぱんにバランスや自じ制せいが表あらわれています。飲いん食しょく,レクリエーション,趣しゅ味み,エンターテインメントなどの面めんで節せつ度どをわきまえています。アルコール飲いん料りょうを飲のみ過すぎることもないので,酩めい酊ていしているとか酔よっぱらいだとか非ひ難なんされたりはしません。酒さけ類るいにより感かん覚かくが鈍にぶった人ひとは,すぐに自じ制せいできなくなるので,牧ぼく者しゃとして会かい衆しゅうを見み守まもることはできません。

12 会かい衆しゅうを監かん督とくする人ひとには,秩ちつ序じょ正ただしく行こう動どうすることが求もとめられます。良よい習しゅう慣かんを持もっていることが,身みなりや,家いえの様よう子すや,日にち常じょうの活かつ動どうに表あらわれているべきです。その人ひとは物もの事ごとをぐずぐずと遅おくらせたりせず,何なにが求もとめられているかを理り解かいして,それに応おうじた計けい画かくを立たてます。そして,神かみが定さだめた原げん則そくにしっかり従したがいます。

13 監かん督とくは分ふん別べつがある人ひとでなければなりません。会かい衆しゅうの他たの長ちょう老ろうたちと一いっ致ちして働はたらき,協きょう力りょくし合あえる人ひとであるべきです。自じ分ぶんを過か大だい評ひょう価かしたり,他たの人ひとを過か度どに厳きびしい目めで見みたりしません。分ふん別べつがある監かん督とくは,自じ分ぶんの意い見けんに固こ執しつせず,自じ分ぶんの見み方かたの方ほうが仲なか間まの長ちょう老ろうたちの見み方かたよりも優すぐれているとは考かんがえません。ある性せい質しつや能のう力りょくの面めんで他たの人ひとたちの方ほうがずっと勝まさっていることもあります。長ちょう老ろうは,物もの事ごとを聖せい書しょに基もとづいて判はん断だんし,イエス・キリストの手て本ほんに倣ならうよう努つとめることによって,分ふん別べつがあることを示しめします。(フィリ 2:2-8)また,争あらそいを好このんだり暴ぼう力りょくを振ふるったりせず,人ひとに敬けい意いを払はらい,自じ分ぶんより他たの人ひとの方ほうが上うえだと考かんがえます。意い地じを張はらず,いつも自じ分ぶんのやり方かたや見み方かたを押おし通とおそうとはしません。すぐに怒おこらず,他たの人ひととの平へい和わな関かん係けいを保たもつようにします。

14 さらに,会かい衆しゅうで監かん督とくとして奉ほう仕しする資し格かくがある人ひとは,健けん全ぜんな考かんがえ方かたをします。つまり,良りょう識しきがあり,性せい急きゅうな判はん断だんを下くだしません。エホバの種しゅ々じゅの原げん則そくと,その当あてはめ方かたについて,よく理り解かいしています。健けん全ぜんな考かんがえ方かたをする人ひとは,助じょ言げんや指し導どうを受うけ入いれ,偽ぎ善ぜん的てきではありません。

15 パウロがテトスに思おもい起おこさせたように,監かん督とくは善よいことを愛あいし,正ただしいことを行おこない,神かみに尽つくしているべきです。そのことは,他たの人ひととの接せっし方かたや,正ただしくて善よい事こと柄がらをしっかり行おこなおうとする姿し勢せいに表あらわれます。エホバへの専せん心しんが揺ゆらぐことはなく,常つねに正ただしい原げん則そくに従したがいます。また,内ない密みつの事こと柄がらを漏もらしません。心こころから人ひとをよくもてなし,自じ分ぶん自じ身しんや持もち物ものを他たの人ひとのために惜おしみなく差さし出だします。(使し徒と 20:33-35)

16 監かん督とくは,務つとめを十じゅう分ぶんに果はたす上うえで,教おしえる資し格かくがなければなりません。テトスへのパウロの言こと葉ばによれば,「神かみの信しん頼らいできる言こと葉ばにしっかり従したがった教おしえ方かたをしなければなりません。そうすれば,健けん全ぜんな教おしえによって励はげますことも,逆さからう人ひとを戒いましめることもできる」からです。(テト 1:9)監かん督とくは,他たの人ひとが納なっ得とくして信しん仰こうを強つよめることができるように,筋すじ道みち立だてて話はなし,証しょう拠こを示しめし,反はん論ろんに答こたえ,聖せい句くを適てき用ようします。順じゅん調ちょうな時ときにも困こん難なんな時ときにもそのような教おしえ方かたをします。(テモ二に 4:2)また,辛しん抱ぼう強づよさも身みに付つけているので,正ただしくない考かんがえ方かたをしている人ひとを温おん和わな態たい度どで戒いましめたり,疑ぎ念ねんを持もつ人ひとを納なっ得とくさせて信しん仰こうに基もとづく良よい行おこないを促うながしたりできます。聴ちょう衆しゅうの前まえで,あるいは一いっ対たい一いちで上じょう手ずに教おしえることができる人ひとは,監かん督とくに求もとめられる重じゅう要ような条じょう件けんを満みたしていると言いえます。

17 長ちょう老ろうが宣せん教きょうを熱ねっ心しんに行おこなうことは大たい切せつです。その点てんでもイエスに倣ならおうと努ど力りょくしていることが明あきらかであるべきです。イエスは,良よい知しらせを伝つたえることをいつも優ゆう先せんしました。また,弟で子したちに関かん心しんを払はらい,福ふく音いん伝でん道どう者しゃとしての務つとめを上じょう手ずに果はたせるよう助たすけました。(マル 1:38。ルカ 8:1)長ちょう老ろうが忙いそがしい中なかでも宣せん教きょうに時じ間かんを費ついやすように努つとめるなら,会かい衆しゅう全ぜん体たいも同どう様ようの熱ねつ意いを抱いだくようになります。また,自じ分ぶんの家か族ぞくや会かい衆しゅうの人ひとたちと一いっ緒しょに伝でん道どうすれば,「励はげまし合あう」ことができます。(ロマ 1:11,12)

18 以い上じょうの事こと柄がらからすると,監かん督とくとして奉ほう仕しする人ひとには非ひ常じょうに多おおくのことが求もとめられているように思おもえるかもしれません。確たしかに,聖せい書しょに示しめされている高たかい基き準じゅんを完かん全ぜんに満みたせる人ひとはいません。しかし,会かい衆しゅうの長ちょう老ろうとして任にん命めいされる人ひとは誰だれも,上じょう記きのいずれかの点てんで著いちじるしい不ふ足そくがあってそれが重じゅう大だいな欠けっ点てんと見みなされるようであってはなりません。何なにかの点てんで際きわ立だっている長ちょう老ろうもいれば,別べつの面めんで優すぐれている長ちょう老ろうもいるでしょう。ですから,長ちょう老ろう団だんは全ぜん体たいとして,神かみの会かい衆しゅうを正ただしく監かん督とくするのに必ひつ要ような良よいものを全すべて持もっていることになります。

19 長ちょう老ろう団だんは,誰だれかを監かん督とくとして推すい薦せんする際さい,使し徒とパウロの次つぎの言こと葉ばを心こころに留とめます。「皆みなさんに言いいます。自じ分ぶんのことを必ひつ要よう以い上じょうに考かんがえてはなりません。各かく自じが神かみから与あたえられた信しん仰こうに応おうじて,健けん全ぜんな考かんがえ方かたをしましょう」。(ロマ 12:3)各かく長ちょう老ろうは,自じ分ぶんのことをより小ちいさな者ものと考かんがえるべきです。他たの人ひとの資し格かくを検けん討とうする際さい,誰だれも「正ただしさにあまりにこだわっては」なりません。(伝でん 7:16)長ちょう老ろう団だんは,聖せい書しょが示しめす監かん督とくの条じょう件けんをよく考かんがえ,候こう補ほに挙あがっている兄きょう弟だいが妥だ当とうな範はん囲いで基き準じゅんを満みたしているかどうか判はん断だんします。人にん間げんの不ふ完かん全ぜんさを考こう慮りょに入いれ,偏かたよった見み方かたや偽ぎ善ぜんを避さけ,エホバの正ただしい基き準じゅんを重おもんじ,会かい衆しゅうのためになるように,推すい薦せんを行おこないます。どの兄きょう弟だいについても祈いのりつつ熟じゅっ考こうし,神かみの聖せいなる力ちからの導みちびきに従したがいます。これは長ちょう老ろうたちが担になう重おもい責せき任にんの1つであり,パウロが助じょ言げんしている通とおり「誰だれにも性せい急きゅうに手てを置おいてはなりません」。(テモ一いち 5:21,22)

聖せいなる力ちからが生うみ出だすもの

20 責せき任にんある立たち場ばで奉ほう仕しする資し格かくがある人ひとは,聖せいなる力ちからに導みちびかれていることを実じっ証しょうしており,その力ちからが生うみ出だすものが生せい活かつに表あらわれています。パウロは聖せいなる力ちからが生うみ出だすものの9つの面めんとして,「愛あい,喜よろこび,平へい和わ,辛しん抱ぼう強づよさ,親しん切せつ,善ぜん良りょう,信しん仰こう,温おん和わ,自じ制せい」を挙あげています。(ガラ 5:22,23)そうした性せい質しつを表あらわす監かん督とくたちは,仲なか間まのクリスチャンを爽さわやかにし,会かい衆しゅうが一いっ致ちして神しん聖せいな奉ほう仕しを行おこなうのを助たすけます。監かん督とくたちの振ふる舞まいや働はたらきは,彼かれらが聖せいなる力ちからによって任にん命めいされていることを示しめします。(使し徒と 20:28)

一いっ致ちに貢こう献けんする人ひとたち

21 会かい衆しゅうをいっそう一いっ致ちさせる上うえで,長ちょう老ろうたちが協きょう力りょくすることはとても大たい切せつです。性せい格かくや考かんがえ方かたが大おおいに異ことなるとしても,互たがいに敬けい意いを払はらって意い見けんに耳みみを傾かたむけることにより,長ちょう老ろう団だんとしての一いっ致ちを保たもちます。もっとも,いつでもあらゆる点てんで合ごう意いできるとは限かぎりません。長ちょう老ろう団だんの最さい終しゅう的てきな決けっ定ていが聖せい書しょの原げん則そくに反はんしていない限かぎり,各かく長ちょう老ろうは進すすんで譲じょう歩ほし,その決けっ定ていを支し持じするべきです。譲じょう歩ほする態たい度どは,「天てんからの知ち恵え」に導みちびかれていることの表あらわれです。その知ち恵えを持もつ人ひとは,「平へい和わを求もとめ,分ふん別べつがあり」ます。(ヤコ 3:17,18)どの長ちょう老ろうも,自じ分ぶんは他たの長ちょう老ろうたちよりも上うえであると考かんがえてはならず,他たの長ちょう老ろうたちを従したがわせようとすべきでもありません。長ちょう老ろうたちは,会かい衆しゅうのために一いち団だんとして共ともに働はたらく時とき,エホバと共ともに働はたらいていることになるのです。(コリ一いち 12章しょう。コロ 2:19)

監かん督とくになろうと努つとめる

22 十じゅう分ぶんに成せい長ちょうしたクリスチャン男だん子しは,監かん督とくになることが期き待たいされています。(テモ一いち 3:1)長ちょう老ろうとして奉ほう仕しするには,努ど力りょくと自じ己こ犠ぎ牲せいが求もとめられます。仲なか間まのクリスチャンを助たすけ,エホバに仕つかえるのをサポートするために,自じ分ぶんを差さし出だす必ひつ要ようがあるからです。監かん督とくになろうと努つとめるとは,聖せい書しょに示しめされている資し格かくを満みたすように努ど力りょくするということです。

人ひとの状じょう況きょうは変かわることがある

23 長なが年ねんにわたって忠ちゅう実じつに奉ほう仕ししてきた兄きょう弟だいが,病びょう気きになったりけがを負おったりするかもしれません。高こう齢れいゆえに監かん督とくとしての責せき任にんを果はたせなくなることもあります。それでもその兄きょう弟だいは,長ちょう老ろうである限かぎり,その立たち場ばにある人ひととして敬けい意いを払はらわれるべきです。限げん界かいがあるとしても,辞じ任にんする必ひつ要ようはありません。全ぜん力りょくを尽つくして群むれを世せ話わしている勤きん勉べんな長ちょう老ろうとして,深ふかい敬けい意いを受うけるに値あたいします。

24 とはいえ,もしある兄きょう弟だいが,自じ分ぶんの状じょう況きょうが変へん化かして十じゅう分ぶんに奉ほう仕しできなくなったため,辞じ任にんするのが最さい善ぜんだと思おもうのであれば,そうすることができます。(ペテ一いち 5:2)その人ひとは引ひき続つづき敬けい意いを払はらわれるべきです。長ちょう老ろうに与あたえられる割わり当あてや務つとめはないとしても,会かい衆しゅう内ないで多おおくの良よいことを行おこなえるでしょう。

会かい衆しゅう内ないでのさまざまな責せき任にん

25 長ちょう老ろうたちは,会かい衆しゅう内ないでさまざまな責せき任にんを果はたします。長ちょう老ろう団だんの調ちょう整せい者しゃ,書しょ記き,奉ほう仕し監かん督とく,「ものみの塔とう」研けん究きゅうの司し会かい者しゃ,生せい活かつと奉ほう仕しの集しゅう会かいの監かん督とくなどです。グループ監かん督とくとして仕つかえる長ちょう老ろうも多おおくいます。そうした立たち場ばで奉ほう仕しする期き間かんは特とくに定さだめられていません。もちろん,ある長ちょう老ろうが移い転てんしたり,健けん康こう上じょうの理り由ゆうで責せき任にんを果はたせなくなったり,聖せい書しょに示しめされている条じょう件けんを満みたせなくなって資し格かくを失うしなったりした場ば合あいは,別べつの長ちょう老ろうがその務つとめを果はたすように選えらばれます。監かん督とくの数かずが少すくない会かい衆しゅうでは,他たの兄きょう弟だいたちが資し格かくを得えて長ちょう老ろうとして任にん命めいされるまで,1人ひとりの長ちょう老ろうが2つ以い上じょうの務つとめを果はたす必ひつ要ようがあるかもしれません。

26 長ちょう老ろう団だんの調ちょう整せい者しゃは,長ちょう老ろう団だんの会かい合ごうの際さいに司し会かいを務つとめます。謙けん遜そんに他たの長ちょう老ろうたちと一いっ緒しょに働はたらき,神かみの羊ひつじの群むれを世せ話わします。(ロマ 12:10。ペテ一いち 5:2,3)物もの事ごとをよく組そ織しきし,勤きん勉べんに監かん督とくできる人ひとであるべきです。(ロマ 12:8)

27 書しょ記きは,会かい衆しゅうの記き録ろく類るいを扱あつかい,重じゅう要ような通つう信しん物ぶつについて長ちょう老ろうたちに知しらせます。必ひつ要ように応おうじて,長ちょう老ろう団だんから指し名めいされた別べつの長ちょう老ろうか有ゆう能のうな援えん助じょ奉ほう仕し者しゃが書しょ記きをサポートすることもできます。

28 奉ほう仕し監かん督とくは,野や外がい奉ほう仕しのための取とり決きめなど,奉ほう仕しに関かん連れんした事こと柄がらを監かん督とくします。全すべての野や外がい奉ほう仕しグループを定てい期き的てきに訪ほう問もんする予よ定ていを立たて,月つきに1度ど,週しゅう末まつに1つのグループを訪ほう問もんします。小ちいさな会かい衆しゅうでグループの数かずが少すくない場ば合あいは,各かくグループを年ねんに2回かい訪ほう問もんすることもできます。訪ほう問もんの際さいには,野や外がい奉ほう仕しのための集あつまりを司し会かいし,グループの人ひとたちと一いっ緒しょに宣せん教きょうを行おこない,再さい訪ほう問もんや聖せい書しょ研けん究きゅうに同どう行こうして援えん助じょします。

グループ監かん督とく

29 グループ監かん督とくとして奉ほう仕しすることは,会かい衆しゅう内ないで果はたせる素す晴ばらしい務つとめの1つです。グループ監かん督とくには次つぎの責せき任にんがあります。(1)野や外がい奉ほう仕しグループの一人ひとり一人ひとりの,エホバとの関かん係けいに深ふかい関かん心しんを払はらう。(2)グループの一人ひとり一人ひとりが宣せん教きょうに定てい期き的てきに参さん加かし,有ゆう意い義ぎに楽たのしく奉ほう仕しできるように助たすける。(3)グループにいる援えん助じょ奉ほう仕し者しゃが会かい衆しゅう内ないでさらに責せき任にんを担になうことを目め指ざして資し格かくを身みに付つけられるよう,援えん助じょし訓くん練れんする。長ちょう老ろう団だんは,グループ監かん督とくの務つとめを果はたすのに最もっとも適てき格かくなのはどの兄きょう弟だいたちかを見み定さだめます。

30 グループ監かん督とくは,その務つとめの性せい質しつからして,可か能のうなら長ちょう老ろうであるべきです。務つとめを果はたせる長ちょう老ろうがいない場ば合あい,有ゆう能のうな援えん助じょ奉ほう仕し者しゃに委ゆだねることもできます。その立たち場ばで仕つかえる援えん助じょ奉ほう仕し者しゃは,グループ援えん助じょ者しゃと呼よばれます。会かい衆しゅう内ないで監かん督とくとして働はたらくわけではないからです。長ちょう老ろうたちの指し示じの下もとで責せき務むを果はたします。

31 グループ監かん督とくの大たい切せつな務つとめの1つは,宣せん教きょうにおいて率そっ先せんすることです。監かん督とくが定てい期き的てきに,熱ねつ意いや意い欲よくをもって奉ほう仕しする様よう子すは,グループの人ひとたちに励はげみを与あたえます。伝でん道どう者しゃたちは仲なか間まと一いっ緒しょに働はたらくと励はげまされ,助たすけ合あえるので,グループ伝でん道どうは大たい半はんの人ひとにとって都つ合ごうの良よい予よ定ていで行おこなうのが望のぞましいでしょう。(ルカ 10:1-16)グループ監かん督とくは奉ほう仕し区く域いきがいつでも十じゅう分ぶんにあるようにしなければなりません。通つう常じょう,野や外がい奉ほう仕しのための集あつまりを司し会かいし,その日ひの伝でん道どう者しゃの組くみ合あわせを決きめたり区く域いきを渡わたしたりします。自じ分ぶんがその場ばにいることができない場ば合あいには,別べつの長ちょう老ろうか援えん助じょ奉ほう仕し者しゃに,あるいはそのどちらもいないなら適てき任にんの伝でん道どう者しゃに頼たのんで,伝でん道どう者しゃたちが必ひつ要ような指し示じを受うけられるようにします。

32 グループ監かん督とくは,奉ほう仕し監かん督とくの訪ほう問もんのために前まえもって予よ定ていを立たてます。グループの人ひとたちに訪ほう問もんについて知しらせ,期き待たいを高たかめるようにします。グループの全ぜん員いんは,取とり決きめについて十じゅう分ぶんに知しらされていれば,訪ほう問もんを楽たのしみにして予よ定ていに含ふくめることができます。

33 野や外がい奉ほう仕しグループは,少しょう人にん数ずうにとどめます。そうすれば監かん督とくはグループの全ぜん員いんをよく知しることができます。監かん督とくは愛あい情じょう深ぶかい牧ぼく者しゃとして,一人ひとり一人ひとりに深ふかい関かん心しんを払はらい,宣せん教きょうや会かい衆しゅうの集しゅう会かいに参さん加かする面めんで援えん助じょや励はげましを与あたえます。個こ々この人ひとが神かみとの強つよい関かん係けいを保たもてるよう,できることは何なんでもします。病びょう気きになった人ひとや気き落おちした人ひとを訪ほう問もんすれば,力ちからづけることができるでしょう。兄きょう弟だいたちに励はげみとなる提てい案あんや助じょ言げんを少すこし与あたえれば,兄きょう弟だいたちは努ど力りょくして会かい衆しゅう内ないでさらに責せき任にんを担にない,仲なか間まをいっそう助たすけられるようになるかもしれません。グループ監かん督とくは必ひつ然ぜん的てきに自じ分ぶんのグループの人ひとたちを主おもに助たすけますが,長ちょう老ろうまた牧ぼく者しゃとして会かい衆しゅうの全ぜん員いんを愛あい情じょう深ぶかく気き遣づかい,助たすけを必ひつ要ようとする人ひとを進すすんで助たすけます。(使し徒と 20:17,28)

34 グループ監かん督とくは,野や外がい奉ほう仕し報ほう告こくを集あつめる仕し事ごとを手て伝つだいます。グループの人ひとたちから報ほう告こくを受うけ取とったなら書しょ記きに渡わたします。伝でん道どう者しゃは各かく自じ,野や外がい奉ほう仕し報ほう告こくを速すみやかに提てい出しゅつすることによって,グループ監かん督とくに協きょう力りょくできます。毎まい月つきの終おわりに,報ほう告こくをグループ監かん督とくに直ちょく接せつ渡わたすか,王おう国こく会かい館かんにある野や外がい奉ほう仕し報ほう告こく用ようの箱はこに入いれます。

会かい衆しゅうの奉ほう仕し委い員いん会かい

35 会かい衆しゅうの奉ほう仕し委い員いん会かいは,長ちょう老ろう団だんの調ちょう整せい者しゃ,書しょ記き,奉ほう仕し監かん督とくから成なり,種しゅ々じゅの務つとめを果はたします。例たとえば,結けっ婚こん式しきや葬そう式しき(または追つい悼とう式しき)のために王おう国こく会かい館かんを使し用ようすることを承しょう認にんしたり,伝でん道どう者しゃたちをどの野や外がい奉ほう仕しグループに入いれるかを決きめたりします。また,正せい規き開かい拓たく奉ほう仕しや補ほ助じょ開かい拓たく奉ほう仕しその他たの申もうし込こみを承しょう認にんします。奉ほう仕し委い員いん会かいは長ちょう老ろう団だんの指し示じの下もとで働はたらきます。

36 これらの兄きょう弟だいたちや,「ものみの塔とう」研けん究きゅうの司し会かい者しゃ,生せい活かつと奉ほう仕しの集しゅう会かいの監かん督とく,また長ちょう老ろう団だんを構こう成せいする他たの長ちょう老ろうたちが具ぐ体たい的てきにどんな務つとめを果はたすかについては,支し部ぶから情じょう報ほうが与あたえられます。

37 各かく会かい衆しゅうの長ちょう老ろう団だんは,会かい衆しゅうの進しん歩ぽに関かん連れんした事こと柄がらを話はなし合あうため,周しゅう期き的てきに会かい合ごうを持もちます。巡じゅん回かい監かん督とくの訪ほう問もんの際さいに会かい合ごうが開ひらかれ,訪ほう問もんの約やく3カ月げつ後ごにも行おこなわれます。もちろん,長ちょう老ろうたちは必ひつ要ような時ときにはいつでも会かい合ごうを持もつことができます。

進すすんで応おうじる

38 監かん督とくたちは不ふ完かん全ぜんな人にん間げんです。それでも,会かい衆しゅうの全すべての人ひとは監かん督とくたちに進すすんで応おうじるようにと言いわれています。それはエホバの取とり決きめだからです。エホバは監かん督とくたちに行こう動どうの責せき任にんを問といます。監かん督とくはエホバとその統とう治ちを代だい表ひょうしているのです。ヘブライ 13章しょう17節せつにこう記しるされています。「皆みなさんを教おしえ導みちびいている人ひとたちに従したがい,進すすんで応おうじてください。その人ひとたちは皆みなさんを見み守まもっており,そのことに関かんして責せき任にんを問とわれることになります。それで,その人ひとたちが喜よろこんで働はたらけるようにしてください。もし嘆なげきながら働はたらくことになれば,それは皆みなさんのためになりません」。エホバは聖せいなる力ちからによって監かん督とくを任にん命めいしますが,任にん命めいされた人ひとが聖せいなる力ちからによって生うみ出だされる性せい質しつを示しめさず,聖せい書しょに示しめされている条じょう件けんに合あわない生いき方かたをするようになった場ば合あい,エホバはやはり聖せいなる力ちからによってその人ひとを監かん督とくの立たち場ばから除のぞきます。

39 私わたしたちは,会かい衆しゅうの監かん督とくたちが一いっ生しょう懸けん命めいに働はたらき,良よい手て本ほんを示しめしていることに,本ほん当とうに感かん謝しゃしているのではないでしょうか。パウロは,テサロニケの会かい衆しゅうに宛あてた手て紙がみの中なかで,クリスチャンたちにこう勧すすめました。「兄きょう弟だいたち,次つぎのことをお願ねがいします。皆みなさんの中なかで一いっ生しょう懸けん命めいに働はたらき,主しゅに仕つかえつつ皆みなさんを監かん督とくし助じょ言げんを与あたえている人ひとたちに,敬けい意いを払はらってください。そして,よく働はたらいているその人ひとたちに愛あいと深ふかい思おもいやりを示しめしてください」。(テサ一いち 5:12,13)会かい衆しゅうの監かん督とくたちが一いっ生しょう懸けん命めいに働はたらいているおかげで,私わたしたちは神かみへの奉ほう仕しを行おこないやすくなり,もっと楽たのしむことができます。パウロはテモテに宛あてた最さい初しょの手て紙がみの中なかでも,会かい衆しゅうの人ひとたちが監かん督とくに示しめすべき態たい度どについてこう述のべています。「立りっ派ぱに監かん督とくしている長ちょう老ろうたち,とりわけ一いっ生しょう懸けん命めいに話はなしたり教おしえたりしている人ひとたちは,深ふかい敬けい意いを受うけるに値あたいします」。(テモ一いち 5:17)

組そ織しき内ないでの他たの責せき任にんある立たち場ば

40 長ちょう老ろうたちの中なかには,患かん者じゃ訪ほう問もんグループの一いち員いんとして奉ほう仕しするよう任にん命めいされる人ひともいます。また,医い療りょう機き関かん連れん絡らく委い員いん会かいで奉ほう仕しし,病びょう院いんや医い師しを訪ほう問もんして,エホバの証しょう人にんへの無む輸ゆ血けつ治ち療りょうが今こん後ごも広ひろく行おこなわれるように働はたらき掛かける人ひともいます。さらに,王おう国こく会かい館かんや大たい会かいホールの建けん設せつやメンテナンスの手て助だすけをしたり,大たい会かい委い員いん会かいの一いち員いんとして奉ほう仕ししたりして,王おう国こくの活かつ動どうを支し援えんする監かん督とくたちもいます。これらの兄きょう弟だいたちが力ちからを尽つくして一いっ生しょう懸けん命めいに働はたらいていることに,組そ織しき内ないの全すべての人ひとは深ふかく感かん謝しゃしています。私わたしたちはそのような人ひとたちを「いつも敬うやま」います。(フィリ 2:29)

巡じゅん回かい監かん督とく

41 統とう治ち体たいは,適てき任にんの長ちょう老ろうたちが巡じゅん回かい監かん督とくとして任にん命めいされるようにします。巡じゅん回かい監かん督とくは,担たん当とうする巡じゅん回かい区くを支し部ぶから割わり当あてられ,巡じゅん回かい区くを構こう成せいする会かい衆しゅうを通つう常じょうは年ねんに2回かい訪ほう問もんします。また,孤こ立りつした区く域いきにいる開かい拓たく者しゃたちを周しゅう期き的てきに訪ほう問もんします。巡じゅん回かい区くをどういう順じゅん序じょで回まわるか計けい画かくし,各かく会かい衆しゅうに十じゅう分ぶん前まえもって通つう知ちして,皆みなが訪ほう問もんから最さい大だい限げんに学まなんで励はげみを得えられるようにします。

42 長ちょう老ろう団だんの調ちょう整せい者しゃは,巡じゅん回かい訪ほう問もんを通とおして皆みなが爽さわやかにされ力ちからづけられるよう,率そっ先せんして物もの事ごとを組そ織しきします。(ロマ 1:11,12)訪ほう問もんの通つう知ちを受うけ,巡じゅん回かい監かん督とくと妻つま(結けっ婚こんしている場ば合あい)の要よう望ぼうについて知しらされたなら,兄きょう弟だいたちの協きょう力りょくを得えて,宿しゅく舎しゃや他たの必ひつ要ような事こと柄がらを取とり決きめます。そして,巡じゅん回かい監かん督とくと会かい衆しゅうの皆みなに取とり決きめについて知しらせます。

43 巡じゅん回かい監かん督とくは,集しゅう会かいや野や外がい奉ほう仕しのための集あつまりなどの予よ定ていについて,長ちょう老ろう団だんの調ちょう整せい者しゃと連れん絡らくを取とります。それらの集しゅう会かいや集あつまりは,巡じゅん回かい監かん督とくの提てい案あんや支し部ぶからの指し示じに沿そって取とり決きめられます。皆みなが前まえもって,会かい衆しゅうの集しゅう会かい,開かい拓たく者しゃとの会かい合ごう,長ちょう老ろうや援えん助じょ奉ほう仕し者しゃとの会かい合ごう,また野や外がい奉ほう仕しのための集あつまりの時じ間かんと場ば所しょを知しっている必ひつ要ようがあります。

44 巡じゅん回かい監かん督とくは火か曜よう日びの午ご後ごに,「会かい衆しゅうの伝でん道どう者しゃ記き録ろく」,集しゅう会かい出しゅっ席せき者しゃ数すうの記き録ろく,区く域いきの記き録ろく,会かい計けい関かん係けいの書しょ類るいを調しらべます。それによって,会かい衆しゅうがどんなことを必ひつ要ようとしているか,またそれらの記き録ろくを付つける担たん当とう者しゃたちをどのように援えん助じょできるかについて,ある程てい度どのことが分わかります。長ちょう老ろう団だんの調ちょう整せい者しゃは,巡じゅん回かい監かん督とくがそれらの記き録ろく類るいを予よ定ていの時じ間かんまでに受うけ取とれるよう手て配はいしておきます。

45 巡じゅん回かい監かん督とくは訪ほう問もん中ちゅう,集しゅう会かいや野や外がい奉ほう仕しや食しょく事じその他たの機き会かいに,できる限かぎり時じ間かんを取とって兄きょう弟だい姉し妹まい一人ひとり一人ひとりと話はなします。また,長ちょう老ろうや援えん助じょ奉ほう仕し者しゃたちと会かい合ごうを持もち,群むれを世せ話わする責せき任にんを果はたすのに役やく立だつ適てき切せつな助じょ言げんや提てい案あんや励はげましを聖せい書しょから与あたえます。(格かく 27:23。使し徒と 20:26-32。テモ一いち 4:11-16)さらに,開かい拓たく者しゃたちとも会かい合ごうを持もって励はげまし,宣せん教きょうの面めんで困こまっていることがあるなら個こ々こに援えん助じょを与あたえます。

46 注ちゅう意いを向むけるべき事こと柄がらがほかにもあれば,巡じゅん回かい監かん督とくは週しゅうの間あいだに可か能のうな限かぎり援えん助じょします。訪ほう問もん中ちゅうに解かい決けつしなかった場ば合あい,聖せい書しょの指し針しんを調しらべるよう長ちょう老ろうや関かん係けいする人ひとたちを助たすけます。支し部ぶのサポートが必ひつ要ようなら,巡じゅん回かい監かん督とくと長ちょう老ろうたちはその件けんに関かんする詳くわしい報ほう告こくを支し部ぶに送おくります。

47 巡じゅん回かい監かん督とくは訪ほう問もん中ちゅう,会かい衆しゅうの集しゅう会かいに出しゅっ席せきします。それらの集しゅう会かいは時とき折おり,支し部ぶからの指し示じによって調ちょう整せいされることがあります。巡じゅん回かい監かん督とくは,会かい衆しゅうを教おしえ,励はげまし,強つよくし,意い欲よくを高たかめるための話はなしを行おこないます。そして,エホバとイエス・キリストと組そ織しきに対たいする皆みなの愛あいが深ふかまるように努つとめます。

48 巡じゅん回かい監かん督とくによる訪ほう問もんの目もく的てきの1つは,宣せん教きょうを熱ねっ心しんに行おこなうよう励はげまし,役やく立だつ提てい案あんを与あたえることです。会かい衆しゅうの多おおくの人ひとは,その週しゅうの野や外がい奉ほう仕しに十じゅう分ぶん参さん加かするために自じ分ぶんの予よ定ていを調ちょう整せいできるでしょう。その月つきに補ほ助じょ開かい拓たく奉ほう仕しを行おこなえるかもしれません。巡じゅん回かい監かん督とくやその妻つまと一いっ緒しょに働はたらきたいと思おもう人ひとは,その希き望ぼうを伝つたえることができます。聖せい書しょ研けん究きゅうや再さい訪ほう問もんに一いっ緒しょに行いってもらうなら,そうして良よかったと思おもうに違ちがいありません。1週しゅう間かんの訪ほう問もん中ちゅう,できる限かぎり奉ほう仕しに参さん加かするために特とく別べつの努ど力りょくを払はらうのは,本ほん当とうに良よいことです。(格かく 27:17)

49 巡じゅん回かい区くごとに,巡じゅん回かい大たい会かいが年ねんに2回かい開ひらかれます。大たい会かい組そ織しきの運うん営えいに責せき任にんを持もつのは,巡じゅん回かい監かん督とくです。巡じゅん回かい監かん督とくは,大たい会かい監かん督とくと大たい会かい監かん督とく補ほ佐さを任にん命めいします。この人ひとたちは巡じゅん回かい監かん督とくと緊きん密みつに働はたらき,大たい会かい組そ織しきが正ただしく機き能のうするように見み届とどけます。これにより巡じゅん回かい監かん督とくは主おもに大たい会かいのプログラムに注ちゅう意いを払はらうことができます。巡じゅん回かい監かん督とくはほかにも有ゆう能のうな男だん子しを指し名めいして,さまざまな部ぶ門もんの仕し事ごとを割わり当あてます。また,毎まい回かいの大たい会かいの終しゅう了りょう後ごに,巡じゅん回かい区くの会かい計けい監かん査さが行おこなわれるようにします。a 毎まい年としの巡じゅん回かい大たい会かいのうち1回かいは,支し部ぶの代だい表ひょう者しゃが訪ほう問もん講こう演えん者しゃとして話はなしを行おこないます。巡じゅん回かい区くによっては,広ひろい範はん囲いにまたがっているため,あるいは大たい会かい施し設せつが小ちいさいために,巡じゅん回かい区くを幾いくつかに分わけて別べつ々べつに大たい会かいを開ひらく場ば合あいもあります。

50 巡じゅん回かい監かん督とくは,毎まい月つきの終おわりに自じ分ぶんの野や外がい奉ほう仕し報ほう告こくを支し部ぶに直ちょく接せつ提てい出しゅつします。もし,交こう通つう費ひ,食しょく費ひ,宿しゅく泊はく費ひその他た,奉ほう仕しを行おこなうのに必ひつ要ような少しょう額がくの出しゅっ費ぴが生しょうじ,訪ほう問もんした会かい衆しゅうによって賄まかなわれなかったなら,支し部ぶにその払はらい戻もどしを依い頼らいできます。旅りょ行こうする代だい表ひょう者しゃたちは,エホバの王おう国こくの活かつ動どうを第だい一いちにしているなら,イエスの約やく束そく通どおり必ひつ要ような物ものを与あたえられる,と確かく信しんできます。(ルカ 12:31)各かく会かい衆しゅうには,自じ分ぶんたちのために奉ほう仕ししてくれているこれらの献けん身しん的てきな長ちょう老ろうたちをもてなす素す晴ばらしい機き会かいがあります。そのことを忘わすれないようにしましょう。(ヨハ三さん 5-8)

支し部ぶ委い員いん会かい

51 世せ界かい各かく地ちにあるエホバの証しょう人にんの支し部ぶでは,クリスチャンとして十じゅう分ぶんに経けい験けんを積つんだ3人にん以い上じょうの兄きょう弟だいたちが支し部ぶ委い員いん会かいとして奉ほう仕しします。支し部ぶ委い員いん会かいは,担たん当とうする国くにもしくは国くに々ぐにでの伝でん道どう活かつ動どうを監かん督とくします。委い員いんの1人ひとりが,支し部ぶ委い員いん会かいの調ちょう整せい者しゃとして奉ほう仕しします。

52 支し部ぶ委い員いん会かいを構こう成せいする兄きょう弟だいたちは,支し部ぶの担たん当とう地ち域いき内ないの全すべての会かい衆しゅうに関かん係けいする事こと柄がらを扱あつかいます。担たん当とう地ち域いきの全ぜん域いきで王おう国こくの良よい知しらせが伝つたえられるように活かつ動どうを監かん督とくし,会かい衆しゅうや巡じゅん回かい区くを組そ織しきして地ち域いき内ないの人ひと々びとの必ひつ要ようが満みたされるようにします。また,宣せん教きょう者しゃの奉ほう仕しや,特とく別べつ開かい拓たく者しゃ,正せい規き開かい拓たく者しゃ,補ほ助じょ開かい拓たく者しゃの活かつ動どうにも注ちゅう意いを払はらいます。さらに,大たい会かいのために取とり決きめを設もうけたり種しゅ々じゅの務つとめを割わり当あてたりして,「全すべてのこと[が]適てき正せいに,取とり決きめに沿そって行おこな」われるようにします。(コリ一いち 14:40)

53 支し部ぶ委い員いん会かいの担たん当とう地ち域いき内ないの国くにに,国こく内ない委い員いん会かいが任にん命めいされることもあります。それにより,該がい当とうする地ち域いきでの活かつ動どうをより十じゅう分ぶんに監かん督とくできます。国こく内ない委い員いん会かいは,ベテル・ホームや事じ務む所しょに関かん係けいする物もの事ごとを管かん理りし,通つう信しん物ぶつや報ほう告こくを取とり扱あつかい,地ち域いき内ないでの活かつ動どう全ぜん般ぱんを見み守まもります。そのようにして,支し部ぶ委い員いん会かいと協きょう力りょくして王おう国こくの活かつ動どうを推おし進すすめます。

54 支し部ぶ委い員いん会かいや国こく内ない委い員いん会かいで奉ほう仕しする人ひとたちは皆みな,統とう治ち体たいによって任にん命めいされます。

本ほん部ぶ代だい表ひょう

55 統とう治ち体たいの取とり決きめにより,適てき任にんの兄きょう弟だいたちが世せ界かい各かく地ちの支し部ぶを周しゅう期き的てきに訪ほう問もんします。このような立たち場ばで奉ほう仕しする兄きょう弟だいは,本ほん部ぶ代だい表ひょうと呼よばれます。その主おもな仕し事ごとは,ベテル家か族ぞくを励はげますこと,また伝でん道どうして弟で子しを作つくる活かつ動どうを行おこなっていく上うえで生しょうじる問もん題だいや疑ぎ問もんに関かんして支し部ぶ委い員いん会かいを助たすけることです。ほかにも,幾いく人にんかの巡じゅん回かい監かん督とくと会かい合ごうしたり,周しゅう期き的てきに野や外がいの宣せん教きょう者しゃたちと集あつまりを持もったりします。その際さいには,彼かれらが直ちょく面めんしている問もん題だいや必ひつ要ようとしている事こと柄がらについて話はなし合あい,王おう国こくについて伝つたえて弟で子しを作つくるという最もっとも重じゅう要ような活かつ動どうを続つづけるための励はげましを与あたえます。

56 本ほん部ぶ代だい表ひょうは,王おう国こくについて伝つたえる活かつ動どうや会かい衆しゅうの他たの活かつ動どうの面めんで,支し部ぶの担たん当とう地ち域いき内ないで成なし遂とげられている事こと柄がらに深ふかい関かん心しんを抱いだいています。時じ間かんが許ゆるせば,遠えん隔かく翻ほん訳やく事じ務む所しょも訪ほう問もんします。支し部ぶを訪ほう問もんする際さいには,伝でん道どうにも可か能のうな限かぎり参さん加かします。

私わたしたちは,群むれを世せ話わする監かん督とくたちに従したがい続つづけるなら,会かい衆しゅうの頭かしらであるキリスト・イエスといっそう強つよく結むすび付つく。

愛あい情じょう深ぶかい監かん督とくたち

57 経けい験けんを積つんだクリスチャン男だん子したちが一いっ生しょう懸けん命めいに働はたらき,愛あい情じょう深ぶかく世せ話わしてくれているおかげで,私わたしたちは大おおいに助たすけられています。群むれを世せ話わするために任にん命めいされた監かん督とくたちに従したがい続つづけるなら,私わたしたちは会かい衆しゅうの頭かしらであるキリスト・イエスといっそう強つよく結むすび付つきます。(コリ一いち 16:15-18。エフェ 1:22,23)その結けっ果か,神かみの聖せいなる力ちからが世せ界かい中じゅうの会かい衆しゅうに行いき渡わたり,神かみの言こと葉ばに導みちびかれて全ぜん世せ界かいで活かつ動どうが行おこなわれていくのです。(詩し 119:105)

a 日に本ほんの場ば合あい,巡じゅん回かい区くの会かい計けいというものはありません。

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