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  • 塔研19 08月号 26–28ページ
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  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2019
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2019
塔研19 08月号 26–28ページ

信しん仰こう エホバとの関かん係けいを強つよめるもの

  • 愛あい

  • 喜よろこび

  • 平へい和わ

  • 辛しん抱ぼう強づよさ

  • 親しん切せつ

  • 善ぜん良りょう

  • 信しん仰こう

  • 温おん和わ

  • 自じ制せい

信しん仰こうには大おおきな力ちからがあります。サタンは私わたしたちとエホバとの関かん係けいを損そこなおうとしています。でも,信しん仰こうがあれば「邪じゃ悪あくな者ものの火ひ矢やを全すべて消けすことができます」。(エフェ 6:16)山やまのような大おおきな問もん題だいにぶつかっても,信しん仰こうがあればエホバに仕つかえ続つづけることができます。イエスは弟で子したちにこう言いいました。「からしの種たねほどの信しん仰こうがあるなら,この山やまに,『ここからあそこに移うつれ』と言いうとしても,それは移うつ[り]」ます。(マタ 17:20)信しん仰こうはエホバとの関かん係けいを強つよめる上うえで欠かかせないものです。では,信しん仰こうとは何なんでしょうか。心こころの状じょう態たいと信しん仰こうにはどんな関かん係けいがありますか。どうすれば信しん仰こうを強つよめることができますか。誰だれに信しん仰こうを抱いだくべきですか。(ロマ 4:3)

信しん仰こうとは何なにか

信しん仰こうとは,聖せい書しょの真しん理りを信しんじたり認みとめたりするだけのことではありません。「邪じゃ悪あくな天てん使したちも[神かみがいることを]信しんじておびえてい[る]」とある通とおりです。(ヤコ 2:19)では,信しん仰こうとは何なんですか。

宇宙から見た地球

昼ひると夜よるが必かならず来くるのと同おなじように,神かみの約やく束そくは必かならず果はたされる。

聖せい書しょによれば,信しん仰こうには2つの面めんがあります。第だい一いちに,「信しん仰こうとは,望のぞんでいる事こと柄がらが実じつ現げんするという確かく信しん」です。(ヘブ 11:1前ぜん半はん)信しん仰こうを持もつ人ひとは,エホバが語かたった事こと柄がらは全すべて真しん実じつであり,必かならず実じつ現げんする,と固かたく信しんじます。例たとえば,エホバはイスラエル人じんにこう言いいました。「あなたたちが,昼ひると夜よるに関かんする私わたしの契けい約やくを破やぶることができず,決きまった時じ間かんに昼ひると夜よるが来くるのを妨さまたげられないのと同おなじように,私わたしに仕つかえたダビデとの契けい約やくも破やぶられることはな[い]」。(エレ 33:20,21)あなたは,太たい陽ようが昇のぼらなかったり沈しずまなかったりすることを心しん配ぱいしますか。昼ひると夜よるが来こなくなるのではないかと不ふ安あんになるでしょうか。きっとそんなことはないでしょう。地ち球きゅうが物ぶつ理りの法ほう則そくに従したがって,自じ転てんしながら太たい陽ようの周まわりを回まわっていることを知しっているからです。そうであれば,物ぶつ理りの法ほう則そくを定さだめたエホバの約やく束そくが果はたされないのではないか,と心しん配ぱいする必ひつ要ようがあるでしょうか。(イザ 55:10,11。マタ 5:18)

第だい二にに,信しん仰こうは「目めに見みえないものが実じつ在ざいするというはっきりとした証しょう拠こ」,または「納なっ得とくのいく証しょう拠こ」です。(ヘブ 11:1後こう半はん,脚きゃく注ちゅう)例たとえば,子こ供どもから「空くう気きは見みえないのに,あるってどうして分わかるの?」と聞きかれたとしましょう。空くう気きは見みえなくても存そん在ざいしているということを説せつ明めいするため,息いきができることや,風かぜが吹ふくと物ものが飛とぶことなどを話はなすでしょう。子こ供どもは,そのような証しょう拠こに納なっ得とくすると,空くう気きが目めに見みえなくても存そん在ざいすることを理り解かいします。信しん仰こうも確たしかな証しょう拠こに基もとづくものなのです。(ロマ 1:20)

真しん理りを受うけ入いれる心こころが必ひつ要よう

信しん仰こうは証しょう拠こに基もとづくものなので,信しん仰こうを抱いだくにはまず「真しん理りの正せい確かくな知ち識しき」が必ひつ要ようです。(テモ一いち 2:4)でも知ち識しきだけでは不ふ十じゅう分ぶんです。使し徒とパウロは,「人ひとは,心こころで信しん仰こうを抱いだく」と書かいています。(ロマ 10:10)真しん理りの正ただしさを信しんじるだけでなく,真しん理りを受うけ入いれる心こころも必ひつ要ようです。そうして初はじめて,信しん仰こうを抱いだき,真しん理りに基もとづいて行こう動どうしたいと思おもうようになります。(ヤコ 2:20)真しん理りを愛あいする心こころがない人ひとは,証しょう拠こがあっても真しん理りを受うけ入いれません。考かんがえ方かたを変かえることを嫌きらい,あるいは自じ分ぶんの欲よく望ぼうのままに行こう動どうすることを望のぞむ場ば合あいなどがそうです。(ペテ二に 3:3,4。ユダ 18)聖せい書しょ時じ代だいにも,真しん理りを受うけ入いれる心こころがなかったため,奇き跡せきを目もく撃げきしても信しん仰こうを持もてなかった人ひとたちがいました。(民みん 14:11。ヨハ 12:37)神かみの聖せいなる力ちからは,真しん理りを本ほん当とうに愛あいする人ひとに働はたらきます。結けっ果かとして,そのような人ひとは信しん仰こうを持もつことができます。(ガラ 5:22。テサ二に 2:10,11)

ダビデはどのように強つよい信しん仰こうを身みに付つけたか

ダビデは信しん仰こうの点てんで際きわ立だっていた人ひとです。(ヘブ 11:32,33)しかし,ダビデの兄きょう弟だいが皆みな,強つよい信しん仰こうを持もっていたわけではありません。一いち番ばん年とし上うえの兄あにエリアブの例れいを考かんがえましょう。ゴリアテが戦たたかいを挑いどんだ時とき,ダビデは義ぎ憤ふんに駆かられました。しかし,エリアブはダビデを叱しかりつけました。エホバへの信しん仰こうを持もっていなかったからです。(サム一いち 17:26-28)信しん仰こうは生うまれつき持もっているものではなく,親おやから受うけ継つぐものでもありません。ダビデが信しん仰こうを持もっていたのは,神かみとの親したしい関かん係けいを自じ分ぶんで築きずいたからです。

ダビデは詩し編へん 27編へんで,強つよい信しん仰こうをどのようにして身みに付つけたかを語かたっています。(1節せつ)ダビデは過か去この経けい験けんを思おもい巡めぐらしました。敵てき対たいする人ひと々びとをエホバが倒たおしてくださったという経けい験けんです。(2,3節せつ)エホバへの崇すう拝はいをとても大たい切せつにしていました。(4節せつ)仲なか間またちと共ともに幕まく屋やでエホバを崇すう拝はいしました。(6節せつ)エホバの導みちびきを求もとめる真しん剣けんな祈いのりを捧ささげていました。(7,8節せつ)エホバの道みちを教おしえられることも願ねがい求もとめていました。(11節せつ)信しん仰こうをどれほど大たい切せつにしていたかは,「もし私わたしに信しん仰こうがなかったなら,私わたしはどうなっていただろう」という言こと葉ばによく表あらわれています。(13節せつ)

どうすれば信しん仰こうを強つよめることができるか

詩し編へん 27編へんに記しるされているダビデの心こころ構がまえや習しゅう慣かんに倣ならうなら,ダビデのような信しん仰こうを持もてます。信しん仰こうは正せい確かくな知ち識しきに基もとづいているものなので,聖せい書しょや出しゅっ版ぱん物ぶつを学まなべば学まなぶほど強つよまります。また,信しん仰こうは神かみの聖せいなる力ちからが働はたらくことによって生うみ出だされます。(詩し 1:2,3)聖せい書しょを学まなぶ時ときには,思おもい巡めぐらすための時じ間かんを取とりましょう。学まなんだ事こと柄がらを思おもい巡めぐらすなら,エホバへの感かん謝しゃは深ふかまります。エホバへの感かん謝しゃが深ふかまるなら,信しん仰こうを示しめしたいと思おもうようになります。信しん仰こうは,集しゅう会かいでエホバを崇すう拝はいし,希き望ぼうについて人ひと々びとに語かたることによって示しめされます。(ヘブ 10:23-25)信しん仰こうは,「常つねに祈いのり,諦あきらめ[ない]」ことによっても示しめされます。(ルカ 18:1-8)ですから「絶たえず祈いのってください」。エホバは「優やさしく気き遣づかって」くださいます。(テサ一いち 5:17。ペテ一いち 5:7)信しん仰こうを持もつ人ひとは,正ただしい行こう動どうを取とります。行こう動どうするとき,信しん仰こうはさらに強つよまります。(ヤコ 2:22)

イエスに信しん仰こうを抱いだく

イエスは亡なくなる前まえの晩ばん,弟で子したちにこう言いいました。「神かみに信しん仰こうを抱いだき,私わたしにも信しん仰こうを抱いだきなさい」。(ヨハ 14:1)この言こと葉ばにあるように,エホバだけでなくイエスに信しん仰こうを抱いだく必ひつ要ようもあります。では,どうすればイエスに信しん仰こうを抱いだくことができますか。3つの方ほう法ほうがあります。

イエスと11人の忠実な使徒

イエスに信しん仰こうを抱いだくとはどういうことですか。

第だい一いちに,贖あがないがエホバからのあなたへの贈おくり物ものであることを意い識しきしてください。パウロはこう言いっています。「私わたしは……神かみの子こへの信しん仰こうによって生いきているのです。神かみの子こは私わたしを愛あいし,私わたしのために自じ分ぶんを差さし出だしてくださいました」。(ガラ 2:20)イエスに信しん仰こうを抱いだくなら,贖あがないがあなたのためにも差さし出だされたこと,また贖あがないに基もとづいてあなたの罪つみも許ゆるされることを固かたく信しんじることができます。贖あがないによってあなたが永えい遠えんに生いきる機き会かいも開ひらかれます。贖あがないは,エホバがあなたを愛あいしておられることの何なによりの証しょう拠こなのです。(ロマ 8:32,38,39。エフェ 1:7)そのことを意い識しきしているなら,自じ分ぶんの過か去この罪つみについて罪ざい悪あく感かんを持もち続つづけないで済すみます。(テサ二に 2:16,17)

第だい二にに,イエスの犠ぎ牲せいに基もとづいて祈いのり,エホバとの親したしい関かん係けいを築きずいてください。贖あがないのおかげで,「気き後おくれすることなく」祈いのることができ,「助たすけが必ひつ要ような時ときに憐あわれみと惜おしみない親しん切せつを受うけられ」ます。(ヘブ 4:15,16; 10:19-22)祈いのるなら,罪つみを犯おかさせようとする誘ゆう惑わくに抵てい抗こうする決けつ意いが強つよまります。(ルカ 22:40)

第だい三さんに,イエスに従したがってください。使し徒とヨハネはこう書かいています。「子こに信しん仰こうを抱いだく人ひとは永えい遠えんの命いのちを受うける。子こに従したがわない人ひとは命いのちを得えず,神かみの憤いきどおりがその人ひとの上うえにとどまる」。(ヨハ 3:36)ここで,信しん仰こうを抱いだくことと不ふ従じゅう順じゅんが対たい比ひされています。ですから,イエスに従したがうなら,信しん仰こうを抱いだいていることになります。イエスに従したがうには,「キリストの律りっ法ぽう」つまりイエスが教おしえ,命めいじた事こと柄がら全すべてを守まもる必ひつ要ようがあります。(ガラ 6:2)さらに,イエスが「忠ちゅう実じつで思し慮りょ深ぶかい奴ど隷れい」を通とおして与あたえる指し示じを守まもる必ひつ要ようもあります。(マタ 24:45)イエスに従したがうなら,嵐あらしのような問もん題だいが降ふり掛かかっても耐たえる力ちからが持もてます。(ルカ 6:47,48)

「極きわめて聖せいなる信しん仰こうによって自じ分ぶんを力ちからづけ[る]」

ある時とき,イエスに次つぎのように訴うったえた人ひとがいました。「私わたしには信しん仰こうがあります! もっと信しん仰こうを持もてるよう助たすけてください!」(マル 9:24)この人ひとはそれなりに信しん仰こうを持もっていましたが,謙けん遜そんだったので,もっと信しん仰こうが必ひつ要ようであることを自じ覚かくしていました。私わたしたちは皆みな,この人ひとのように,信しん仰こうがもっと必ひつ要ようだと感かんじる場ば面めんに直ちょく面めんすることがあります。信しん仰こうを今いまから強つよめておくのは良よいことです。すでに確たしかめた通とおり,聖せい書しょを学まなんで思おもい巡めぐらすなら信しん仰こうは強つよまり,エホバへの感かん謝しゃも深ふかまります。信しん仰こうはまた,仲なか間まの兄きょう弟だい姉し妹まいと共ともにエホバを崇すう拝はいし,自じ分ぶんの抱いだく希き望ぼうについて人ひと々びとに伝つたえ,粘ねばり強づよく祈いのることによっても強つよまります。信しん仰こうを強つよめるなら,非ひ常じょうに素す晴ばらしい報むくいを得えることができます。「極きわめて聖せいなる信しん仰こうによって自じ分ぶんを力ちからづけ……てください」という聖せい書しょの勧すすめに従したがうとき,「神かみに愛あいされ続つづける」人ひとになれるのです。(ユダ 20,21)

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