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  • 兄弟姉妹をもてなすことが大切なのはなぜですか
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2018
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2018
塔研18 03月号 14–18ページ
聖書時代,ある家族が別の家族を家に招き入れている。

兄きょう弟だい姉し妹まいをもてなすことが大たい切せつなのはなぜですか

「愚ぐ痴ちを言いうことなく互たがいを暖あたたかくもてなしなさい」。ペテ一いち 4:9

歌うた: 124,119

どのように答こたえますか

  • 兄きょう弟だい姉し妹まいをもてなす必ひつ要ようがあるのはなぜですか。

  • 人ひとをもてなすどんな機き会かいがありますか。

  • 人ひとをもてなすのが難むずかしいと感かんじる時とき,どんなことができますか。

1. 1世せい紀きのクリスチャンはどんな状じょう況きょうに置おかれていましたか。

西せい暦れき62年ねんから64年ねんごろ,使し徒とペテロは「ポントス,ガラテア,カパドキア,アジア,ビチニアの各かく地ちに散ちっている一いち時じ的てき居きょ留りゅう者しゃたち」に手て紙がみを書かきました。(ペテ一いち 1:1)小しょうアジアの会かい衆しゅうには様さま々ざまな文ぶん化かや背はい景けいの兄きょう弟だい姉し妹まいがいました。彼かれらは励はげましや助たすけを必ひつ要ようとしていました。反はん対たいされ,ののしられ,「火ひ」のような「試し練れん」を経けい験けんしていたからです。また,危き機き的てきな時じ代だいに生せい活かつしていました。「すべての事じ物ぶつの終おわりが近ちかづきました」とペテロが述のべているとおり,ユダヤ人じんの事じ物ぶつの体たい制せいは10年ねん足たらずのうちに滅ほろぼされることになります。当とう時じのクリスチャンがストレスの多おおい時じ代だいを乗のり切きるため,どんなことが助たすけになったでしょうか。(ペテ一いち 4:4,7,12)

2,3. ペテロが互たがいをもてなすよう勧すすめたのはなぜですか。(冒ぼう頭とうの挿さし絵えを参さん照しょう。)

2 ペテロは「互たがいを暖あたたかくもてな[す]」よう勧すすめました。(ペテ一いち 4:9)「もてなし」と訳やくされるギリシャ語ごには,「見み知しらぬ人ひとに対たいする親しん愛あいの情じょうあるいは親しん切せつ」という意い味みがあります。しかしペテロは「互たがいを」,つまりすでに知しっていて交こう友ゆうがある人ひとたちをもてなすよう勧すすめました。そのことが大たい切せつなのはなぜでしょうか。

3 互たがいの絆きずなを強つよめる助たすけになったからです。あなたもだれかの家いえに招しょう待たいされ,楽たのしい時ときを過すごしたことがあるでしょう。その時ときのことを思おもい出だすと,温あたたかな気き持もちになるのではありませんか。あなたが会かい衆しゅうの兄きょう弟だい姉し妹まいを家いえに招しょう待たいした時ときも,友ゆう情じょうが深ふかまったのではありませんか。兄きょう弟だい姉し妹まいをもてなすと,よく知しり合あうことができます。ペテロの時じ代だいのクリスチャンは,周しゅう囲いの状じょう況きょうが悪あっ化かしていく中なかで互たがいの絆きずなを強つよめる必ひつ要ようがありました。「終おわりの日ひ」に生せい活かつするわたしたちもそうです。(テモ二に 3:1)

4. この記き事じではどんなことを考かんがえますか。

4 どんな機き会かいに「互たがいを」もてなすことができるでしょうか。人ひとをもてなすのが難むずかしいと感かんじる時とき,どんなことができますか。もてなしを受うける時とき,どんなことを思おもいに留とめる必ひつ要ようがありますか。

兄きょう弟だい姉し妹まいをもてなす機き会かい

5. 集しゅう会かいでどのように人ひとをもてなすことができますか。

5 集しゅう会かい: エホバと組そ織しきはわたしたちを集しゅう会かいに招まねいてくださっています。招まねかれた者もの同どう士し,互たがいを歓かん迎げいしましょう。(ロマ 15:7)新あたらしい人ひとが来きた時ときには,その人ひとの外がい見けんや服ふく装そうにかかわりなく,温あたたかく迎むかえたいと思おもいます。そのようにして,招まねいてくださったエホバと組そ織しきに協きょう力りょくできます。(ヤコ 2:1-4)新あたらしく来きた人ひとが独ひとりでいるなら,一いっ緒しょに座すわるよう誘さそうことができます。聖せい句くを見みせて,話はなしに付ついていけるよう助たすけることができるでしょう。これは「人ひとをもてなす」良よい方ほう法ほうです。(ロマ 12:13)

6. どんな人ひとを家いえに招まねくことができますか。

6 お茶ちゃや食しょく事じ: 聖せい書しょ時じ代だい,人ひとをもてなす際さいにはよく家いえで食しょく事じを出だしました。(創そう 18:1-8。裁さば 13:15。ルカ 24:28-30)食しょく事じに招まねくことは,その人ひととの友ゆう情じょうや平へい和わな関かん係けいを築きずきたいと願ねがっていることの表あらわれでした。わたしたちはどんな人ひとをお茶ちゃや食しょく事じに招まねくことができますか。会かい衆しゅうの兄きょう弟だい姉し妹まいを招まねくことができます。この世よの状じょう況きょうが悪あっ化かするにつれ,わたしたちは互たがいをますます必ひつ要ようとします。兄きょう弟だい姉し妹まいの忠ちゅう節せつな友ともになり,平へい和わな関かん係けいを保たもたなければなりません。2011年ねん,統とう治ち体たいは米べい国こくのベテル家か族ぞくの「ものみの塔とう」研けん究きゅうの開かい始し時じ間かんを午ご後ご6時じ45分ふんから午ご後ご6時じ15分ふんに変へん更こうしました。なぜでしょうか。その時ときの発はっ表ぴょうによると,家か族ぞく研けん究きゅうが早はやく終おわれば,その後ごの時じ間かんに互たがいをもてなしやすくなるからです。他たの支し部ぶも同どう様ようの調ちょう整せいを行おこないました。この取とり決きめは,ベテル家か族ぞくが互たがいの絆きずなを強つよめるうえで役やく立だっています。

7,8. 会かい衆しゅうを訪ほう問もんする兄きょう弟だいたちをどのようにもてなすことができますか。

7 わたしたちは皆みな,他たの会かい衆しゅうからの訪ほう問もん講こう演えん者しゃ,巡じゅん回かい監かん督とく,支し部ぶ事じ務む所しょの代だい表ひょう者しゃの訪ほう問もんを楽たのしみます。そのような機き会かいに,兄きょう弟だいたちをもてなすことができます。(ヨハネ第だい三さん 5-8を読よむ。)お茶ちゃや食しょく事じに招まねくことができるでしょうか。

8 米べい国こくのある姉し妹まいはこう言いいます。「わたしたち夫ふう婦ふは,これまで多おおくの講こう演えん者しゃの兄きょう弟だいや奥おくさんを家いえに招まねき,もてなしました。毎まい回かい,とても楽たのしく,何なによりも信しん仰こうが強つよまりました。招しょう待たいして良よかったといつも思おもいます」。

9,10. (イ)どんな人ひとたちが宿しゅく舎しゃを必ひつ要ようとしますか。(ロ)小ちいさな家いえに住すんでいる人ひとも兄きょう弟だい姉し妹まいを泊とめることができますか。例れいを挙あげてください。

9 家いえに泊とめる: 聖せい書しょ時じ代だい,人ひとをもてなすことには,信しん頼らいできる訪ほう問もん者しゃを家いえに泊とめることも含ふくまれました。(ヨブ 31:32。フィレ 22)今こん日にちでも,兄きょう弟だい姉し妹まいを家いえに泊とめる機き会かいがあります。巡じゅん回かい監かん督とく,神しん権けん的てきな学がっ校こうの生せい徒と,建けん設せつ奉ほう仕し者しゃなどが宿しゅく舎しゃを必ひつ要ようとするかもしれません。自し然ぜん災さい害がいで家いえを失うしない,しばらく滞たい在ざいできる場ば所しょを必ひつ要ようとする人ひともいます。兄きょう弟だい姉し妹まいを家いえに泊とめることができるのは大おおきな家いえの人ひとたちだけだ,と考かんがえますか。確たしかに,そのような人ひとたちはよく宿しゅく舎しゃを提てい供きょうしているかもしれません。小ちいさな家いえに住すんでいるとしても,兄きょう弟だい姉し妹まいを泊とめることができますか。

10 韓かん国こくのある兄きょう弟だいは,神しん権けん的てきな学がっ校こうに出しゅっ席せきする生せい徒とたちを家いえに泊とめました。こう述のべています。「最さい初しょはちょっとためらいました。結けっ婚こんしたばかりで,家いえも小ちいさかったからです。でも,生せい徒との兄きょう弟だい姉し妹まいに泊とまっていただいて,本ほん当とうに楽たのしかったです。夫ふう婦ふで同おなじ目もく標ひょうを持もってエホバに仕つかえることがどれほど幸しあわせなことか,じかに見みる機き会かいになりました」。

11. 会かい衆しゅうの区く域いきに引ひっ越こしてきた人ひとをもてなすことが大たい切せつなのはなぜですか。

11 会かい衆しゅうの区く域いきに引ひっ越こしてくる人ひと: 会かい衆しゅうの区く域いきに引ひっ越こしてくる兄きょう弟だい姉し妹まいや家か族ぞくがいるかもしれません。開かい拓たく者しゃなど,必ひつ要ようの大おおきな所ところで奉ほう仕しするために移い転てんしてくる人ひともいます。そのような兄きょう弟だい姉し妹まいが新あたらしい土と地ちや会かい衆しゅうになじむには時じ間かんがかかります。新あたらしい言げん語ごを学まなんだり新あたらしい文ぶん化かに慣なれたりする必ひつ要ようもあるかもしれません。そのような兄きょう弟だい姉し妹まいをお茶ちゃや食しょく事じに招まねいたり,一いっ緒しょに出でかけるよう誘さそったりすることができますか。そうすれば,兄きょう弟だい姉し妹まいは新あたらしい友とも達だちを作つくり,新あらたな環かん境きょうに慣なれることができるでしょう。

12. 手ての込こんだもてなしをする必ひつ要ようはありません。そのことを示しめすどんな経けい験けんがありますか。

12 手ての込こんだもてなしをする必ひつ要ようはありません。(ルカ 10:41,42を読よむ。)ある兄きょう弟だいは宣せん教きょう者しゃとして奉ほう仕しし始はじめたころを思おもい出だし,こう述のべています。「わたしたち夫ふう婦ふはまだ若わかくて経けい験けんも浅あさく,ホームシックになってしまいました。ある晩ばん,妻つまのホームシックがとてもひどくなり,わたしがどんなに慰なぐさめてもだめでした。そんな時とき,午ご後ご7時じ半はんごろでしたが,だれかがドアをノックしました。玄げん関かんには聖せい書しょ研けん究きゅう生せいの女じょ性せいがオレンジを3つ持もって立たっていました。新あたらしい宣せん教きょう者しゃを歓かん迎げいしようと思おもって,来きてくれたのです。わたしたちは彼かの女じょを家いえに入いれ,1杯ぱいの水みずを出だしました。その後ご,お茶ちゃとココアを用よう意いしました。わたしたちはまだスワヒリ語ごが話はなせず,彼かの女じょも英えい語ごが分わかりませんでした。でも,この訪ほう問もんの後のち,地じ元もとの兄きょう弟だい姉し妹まいと素す晴ばらしい友ゆう情じょうを築きずくことができました」。

人ひとをもてなすのが難むずかしいと感かんじる時とき

13. 人ひとをもてなすと良よいのはなぜですか。

13 兄きょう弟だい姉し妹まいをもてなすのをためらったことがありますか。もしそうなら,交こう友ゆうを楽たのしみ,いつまでも続つづく友ゆう情じょうを築きずく機き会かいを逃のがしてしまったかもしれません。人ひとをもてなすことは寂さびしさを和やわらげる特とっ効こう薬やくです。でも,ついためらってしまうこともあるでしょう。どんな理り由ゆうがあるでしょうか。

14. 人ひとをもてなしたり,もてなしを受うけたりする時じ間かんやエネルギーがないと感かんじるなら,どんなことができますか。

14 時じ間かんやエネルギーがない: エホバに仕つかえるわたしたちはとても忙いそがしく,すべきことがたくさんあります。人ひとをもてなす時じ間かんやエネルギーはないと感かんじるかもしれません。もしそうなら,今いまのスケジュールを見み直なおす必ひつ要ようがあるでしょう。人ひとをもてなしたり,もてなしを受うけたりするための時じ間かんやエネルギーを持もてるよう,幾いくらかスケジュールを調ちょう整せいできますか。聖せい書しょは人ひとをもてなすよう勧すすめています。(ヘブ 13:2)ですから,人ひとをもてなすための時じ間かんを作つくることは正ただしいことです。そのためには,あまり重じゅう要ようではないことに充あてる時じ間かんを減へらす必ひつ要ようがあるでしょう。

15. ある人ひとたちがもてなすことをためらうのはなぜですか。

15 自じ信しんがない: もてなしたい気き持もちはあるけれど自じ信しんがない,と言いう人ひとがいます。内うち気きだし会かい話わも苦にが手てなのでお客きゃくさんは退たい屈くつするのではないか,と思おもうのかもしれません。経けい済ざい的てきに豊ゆたかではないので他たの兄きょう弟だい姉し妹まいのようなもてなしはできない,と感かんじる人ひともいます。でも,忘わすれないでください。大たい切せつなのは立りっ派ぱな家いえに住すんでいるかどうかではありません。家いえをきれいに掃そう除じし,温あたたかく迎むかえればよいのです。

16,17. どうすれば,人ひとをもてなす際さいの緊きん張ちょうや不ふ安あんを和やわらげられますか。

16 お客きゃくさんを招まねくのは緊きん張ちょうする,と言いう人ひとは少すくなくありません。英えい国こくのある長ちょう老ろうはこう言いいます。「お客きゃくさんが家いえに来くる時ときは少すこし緊きん張ちょうします。でもエホバへのいろいろな奉ほう仕しと同おなじで,多た少しょう不ふ安あんがあっても,実じっ際さいにやってみると大おおきな喜よろこびや満まん足ぞくを味あじわえます。お客きゃくさんとコーヒーを飲のみながら話はなすだけで楽たのしいです」。お客きゃくさんに関かん心しんや気き遣づかいを示しめしましょう。(フィリ 2:4)ほとんどの人ひとは自じ分ぶんの経けい験けんを話はなすのが好すきです。食しょく事じやお茶ちゃの時ときは他たの人ひとの経けい験けんを聞きく良よい機き会かいです。別べつの長ちょう老ろうはこう述のべています。「会かい衆しゅうの兄きょう弟だい姉し妹まいを家いえに招まねくと,兄きょう弟だい姉し妹まいの話はなしをゆっくり聞きくことができます。真しん理りを知しるようになったいきさつなど,いろんなことを知しることができます」。温あたたかな関かん心しんや気き遣づかいを示しめせば,きっと楽たのしいひと時ときになるでしょう。

17 神しん権けん的てきな学がっ校こうに出しゅっ席せきする生せい徒とたちを何なん度どか家いえに泊とめた開かい拓たく者しゃの姉し妹まいはこう言いいます。「最さい初しょは,うちで大だい丈じょう夫ぶだろうかと思おもいました。簡かん素そな部へ屋やで,家か具ぐも古ふるかったからです。でも,学がっ校こうの教きょう訓くん者しゃの奥おくさんの言こと葉ばを聞きいてほっとしました。巡じゅん回かい訪ほう問もんの際さい,自じ分ぶんたちと同おなじように簡かん素そな生せい活かつをしながら奉ほう仕ししている人ひとの家いえに泊とまるのが一いち番ばん好すきだとおっしゃいました。それを聞きいて,子こどものころ母ははが『野や菜さいの料りょう理りと愛あいがあれば,それで十じゅう分ぶん』とよく言いっていたのを思おもい出だしました」。(箴しん 15:17)心しん配ぱいする必ひつ要ようはありません。大たい切せつなのは愛あいだからです。

18,19. 他たの人ひととの関かん係けいを改かい善ぜんするために,もてなすことはどのように役やく立だちますか。

18 あの人ひとをもてなしたいとは思おもえない: いつも気きに障さわることを言いう人ひとが会かい衆しゅうにいますか。不ふ愉ゆ快かいな気き持もちをそのままにしているなら,その人ひととの関かん係けいが良よくなることはありません。過か去こに感かん情じょうを傷きずつけられ,許ゆるすのが難むずかしい場ば合あいもあるでしょう。好すきではない人ひとをもてなしたいとは,なかなか思おもえないものです。

19 聖せい書しょは,他たの人ひととの関かん係けいを改かい善ぜんするために,もてなすことを勧すすめています。敵てきをもてなすことさえ勧すすめています。(箴しん言げん 25:21,22を読よむ。)もてなすことによって,悪あく感かん情じょうを和やわらげ,平へい和わな関かん係けいを築きずけるかもしれません。相あい手ての良よい点てんが見みえるようになるでしょう。エホバはそうした点てんをご覧らんになって,その人ひとを真しん理りに引ひき寄よせたのかもしれません。(ヨハ 6:44)相あい手ては思おもいがけない招しょう待たいに驚おどろくかもしれません。でも,愛あいに動うごかされて招しょう待たいし,一いっ緒しょに時ときを過すごすなら,それがきっかけで良よい関かん係けいを築きずけるでしょう。どうすれば愛あいに動うごかされてもてなせるでしょうか。フィリピ 2章しょう3節せつのアドバイスに従したがい,「他たの人ひとが自じ分ぶんより上うえであると考かんがえてへりくだった思おもいを持も[つ]」ことです。信しん仰こう,忍にん耐たい,勇ゆう気きなど,その人ひとの優すぐれた特とく質しつを探さがしてください。自じ分ぶんより上うえである点てんを探さがすのです。そうすれば,相あい手てに対たいする愛あいが深ふかまり,ぜひもてなしたいと思おもうでしょう。

良よい客きゃくになる

母親と子どもたちがお客さんのために食事を準備している。

客を招いた人は一生懸命に準備する。(20節を参照。)

20. 招しょう待たいを受うけ入いれたなら,どうしますか。なぜですか。

20 詩し編へん作さく者しゃダビデはこう述のべました。「エホバよ,だれがあなたの天てん幕まくの客きゃくとなるのでしょうか」。(詩し 15:1)神かみの客きゃくに求もとめられる特とく質しつの一ひとつは,約やく束そくを守まもることです。こうあります。「彼かれは自じ分ぶんにとって悪わるいことを誓ちかいましたが,それでも変かえません」。(詩し 15:4)招しょう待たいを受うけ入いれたなら,簡かん単たんにキャンセルすべきではありません。招しょう待たいした側がわはいろいろな準じゅん備びを進すすめており,キャンセルするなら,その人ひとの努ど力りょくが無む駄だになってしまうかもしれません。(マタ 5:37)もっと魅み力りょく的てきな招しょう待たいを受うけ入いれるために,以い前ぜんに受うけ入いれた招しょう待たいをキャンセルする人ひともいます。それは愛あいや敬けい意いに欠かけたことです。わたしたちは,招しょう待たいした側がわが準じゅん備びしてくれたものを,心こころから感かん謝しゃして受うけ入いれたいと思おもいます。(ルカ 10:7)やむを得えない事じ情じょうでキャンセルしなければならない時ときは,できるだけ早はやく知しらせ,愛あいと思おもいやりを示しめしましょう。

21. 地じ元もとの習しゅう慣かんを尊そん重ちょうすることが大たい切せつなのはなぜですか。

21 地じ元もとの習しゅう慣かんを尊そん重ちょうすることも大たい切せつです。突とつ然ぜんの来らい客きゃくが歓かん迎げいされる文ぶん化か圏けんもあれば,前まえもって約やく束そくしてから訪ほう問もんするのがよいとされる文ぶん化か圏けんもあります。ある国くにでは,お客きゃくさんに一いち番ばん良よいものを出だし,家か族ぞくはそれ以い外がいのものを食たべますが,別べつの国くにでは,家か族ぞくもお客きゃくさんも同おなじものを食たべます。お客きゃくさんが食たべ物ものや飲のみ物ものを持もっていくのが普ふ通つうの国くにもあれば,何なにも持もっていかなくてもよい国くにもあります。1回かい目めや2回かい目めの招しょう待たいは丁てい重ちょうに断ことわるのがよいとされる所ところもあれば,招しょう待たいを断ことわるのは失しつ礼れいとされる所ところもあります。招しょう待たいする側がわに喜よろこんでもらえるよう,できる限かぎり努ど力りょくしましょう。

22. 「互たがいを暖あたたかくもてな[す]」ことが大たい切せつなのはなぜですか。

22 「すべての事じ物ぶつの終おわりが近ちかづきました」。今いまはまさにそう言いえる時じ代だいです。(ペテ一いち 4:7)史し上じょう最さい大だいの患かん難なんが間ま近ぢかに迫せまっています。周しゅう囲いの状じょう況きょうが悪あっ化かしていく中なか,兄きょう弟だいたちへの愛あいを強つよめなければなりません。これからもペテロの助じょ言げんに従したがい,「互たがいを暖あたたかくもてなし」ましょう。(ペテ一いち 4:9)わたしたちは永えい遠えんに,互たがいをもてなす喜よろこびを味あじわえるのです。

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