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「言葉」はヨハネによるとだれですかものみの塔 1962 | 10月15日
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33,34 (イ)牧師はどのように,ヨハネ伝 1章14節の言いまわしは,言葉の化身を暗示していると主張しますか。(ロ)ペテロがこの手がかりとなる言葉を使っており,ほかのところにも使われていることから何が分かりますか。
33 言葉すなわちロゴスであったかたが,人間の間におられたのはわずかの期間で,ダビデ王の子孫にあたるユダヤ人の処女の胎に宿られた時から35年足らずでした。アメリカ訳が,ヨハネ伝 1章14節を,「そこで言葉は肉と血とになり,しばらくの間わたくしたちの中に住まれた」と訳しているとおりです。化身と神人を信じる牧師たちは,「しばらくの間住まれた」と訳されているギリシャ語の動詞の語源が,「テント」または「幕屋」という語にあることに人々の注意を引きます。事実,ロバート・ヤング博士は,この表現を,「そして言葉は肉体となり,われらの間に仮住居された」と訳しています。キャンプする人がテントの中に住むことから,牧師たちは,イエスはやはり霊者であり,肉体の中で仮住居されたに過ぎない,だから化身であり神人であったと主張します。しかしながら,使徒ペテロも自分自身について同じような表現を用いてこう言っています,「わたしがこの幕屋にいる間,あなたがたに思い起させて,奮い立たせることが適当と思う。それは,わたしたちの主イエス・キリストもわたしたちに示して下さったように,わたしのこの幕屋を脱ぎ去る時が間近であることを知っているからである」。(ペテロ後 1:13,14,新口)そうは言ってもペテロは,自分が化身だという意味でいったのでないことは確かです。ペテロのいわんとしたのは,彼が肉の人間として地上にいるのは,いましばらくの間にすぎないということでした。
34 ヨハネ伝 1章14節に用いられているのと同じギリシャ語は,化身でなかったほかの人についても黙示録 12章12節,13章6節で用いられています。ですからヨハネ伝 1章14節の言葉は,化身説を支持するものではありません。
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人間になる以前の存在ものみの塔 1962 | 10月15日
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その2
人間になる以前の存在
35,36 (イ)ヨハネ伝 1章1節は,どの存在のことを言っていますか。だれが最初にそのことに人々の注意を引いていますか。(ロ)イエスがヨハネのあとから来る人でありながら,ヨハネよりも前に存在していたというのは,どういうわけですか。ヨハネがイエスを神の子羊と呼んだことは,何を示しましたか。
35 使徒ヨハネは,つぎのような言葉で記述を始めています,「初めに言があった言は神と共にあった」。でもヨハネはこれによって,19世紀昔,イエスが地上で公の奉仕をし始めたことを言うつもりはありませんでした。彼は,言葉が,地上で「肉体となる」ずっと以前にすでに存在していたことを言ったのです,ヨハネは,彼の記録全体を通じて,この点を明りょうにしています。イエスがヨルダン川で洗礼を受けられて,1ヵ月以上たって,洗礼者ヨハネはつぎのように言つて,イエスとイエスの以前の生活に人々の注意をよび起こしています,「見よ,世の罪を取り除く神の小羊。『わたしのあとに来るかたは,わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは,この人のことである。わたしはこのかたを知らなかった。しかしこのかたがイスラエルに現れてくださるそのことのために,わたしはきて,水でバプテスマを授けているのである」。―ヨハネ 1:29-31,新口。
36 洗礼者ヨハネが生まれたのは,言葉が「肉体となる」,すなわちユダヤ人の処女の子として生まれる約6ヵ月前でした。そういうわけでヨハネはイエスのことを「わたしのあとに来るかた」といったのです。しかしヨハネはいま,彼がイエスに洗礼を授けたのちイエスに起こった事のために,イエスを「わたしよりもすぐれたかた」と呼ぶことができたのです。ですからヨハネが,イエスのことを「わたしよりも先におられた」と言ったのは,イエスが人間になる以前に存在しておられたことを意味したに違いありません。ヨハネはまた,イエスが神へのささげものとなることになっていたことを指摘しました。というのは,古代のイスラエルでは,ユダヤ人の祭司たちによって,毎日神へ犠牲がささげられていたからです。イエスが,「神の小羊」として世の罪をとりのぞくためには,彼の血が犠牲として流されねばなりませんでした。ひとりの罪のない犠牲者の血を流すことなしに,神から罪のゆるしを得ることはあり得なかったからです。―ヘブル 9:22。
37 イエスはなぜニコデモに天のことについて告げることができましたか。
37 多くの場合にイエスは,ご自分が地上で肉体となる以前に天にいたことをご自分で証明されています。したがってイエスは,「天上のこと」を語ることができました。ユダヤ人の支配者ニコデモにイエスが言われたとおり,「天から下ってきた者,すなわち人の子のほかには,だれも天に上った者はない」からです。―ヨハネ 3:12,13,新口。
38 マナについての話で,イエスは以前天にいたことをどのように証明されましたか。
38 イエスはご自分のことを,天からのパンと言って,ユダヤ人にこう話されました,「天からのパンをあなたがたに与えるのは,モーセではない。天からのまことのパンをあなたがたに与えるのは,わたしの父なのである。神のパンは天から下ってきて,この世に命を与えるものである」。わたしが天から下ってきたのは,自分のこころのままを行うためではなく,わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである」。「わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は,いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは,世の命のために与えるわたしの肉である」。「わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。天から下ってきたパンは…」。多くのユダヤ人たちはイエスのこれらの言葉に対して,つぶやいたので,イエスは彼らをもっと驚かすことを言われました,「このことがあなたがたのつまずきになるのか。それでは,もし人の子が前にいた所に上るのを見たら,どうなるのか」。―ヨハネ 6:32,33,38,51,57,58,61,62,新口。
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