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人の奴隷,あるいはあなたをあがなう者の奴隷 ― そのどちらですかものみの塔 1966 | 4月1日
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65 コリント人への第二の手紙 5章14,15節の中で,パウロは奴隷の問題についてどんな正しい答えを与えていますか。
65 だれの奴隷となるべきかという問題について使徒パウロは正しい答えを与えています。「キリストの愛がわたしたちに強く迫っている……わたしたちはこう考えている。……彼がすべての人のために死んだのは,生きている者がもはや自分のためにではなく,自分のために死んでよみがえったかたのために,生きるためである」― コリント第二 5:14,15。
66 (イ)自らを人の奴隷とするなら,わたしたちはだれを否定することになりますか。それはどんな結果に終わりますか。(ロ)わたしたちクリスチャンが自分自身のものでないのはなぜですか。それゆえわたしたちはだれの奴隷となってはなりませんか。
66 もし神に従わず,自らを「人の奴隷」とするなら,わたしたちは「自分たちをあがなって下さった主を否定」することになり,自分の身に滅亡を招く結果になるでしょう。(ペテロ第二 2:1-3)わたしたちは決してそのようなことをしません。それはわたしたちの決意です。選択をせまられるような事態にのぞむなら,使徒パウロが仲間のクリスチャンに与えた次の霊感のことばを必ず思い出し,それに固く従います。「あなたがたは,もはや自分自身のものではないのである。あなたがたは,代価を払って買いとられたのだ。それだから,自分のからだをもって,神の栄光をあらわしなさい。……召された自由人はキリストの奴隷なのである。あなたがたは,代価を払って買いとられたのだ。人の奴隷となってはいけない」― コリント第一 6:19,20; 7:22,23。ガラテヤ 1:10。
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解放者はシオンにくるものみの塔 1966 | 3月15日
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解放者はシオンにくる
1 (イ)バビロンにとらわれていたユダヤ人にとって,エホバのどんなことばが慰めとなりましたか。(ロ)シオンのとらわれが終わってのち,それと似たどんなことばが述べられましたか。
それは消すことのできない記録として書き残す価値があり,またそれにもまして地のはてにまで宣べ伝えるべき事がらでした。それはバビロンにとらわれていたユダヤ人にとっては,はかり知れない慰めとなりました。それはほかならぬエホバご自身の次のことばです。「シオンの娘に言え,『見よ,あなたの救は来る。見よ,その報いは主と共にあり,その働きの報いは,その前にある』と」。(イザヤ 62:11)シオンの再建は紀元前537年に始められました。第三世界強国としてのバビロンはその時すでに倒れ,ユダヤ人を束縛する力を失っていたのです。その後何年かたって,預言者ゼカリヤはエホバの霊感によって,次のことばを述べました。それはイザヤのことばと似ています。「シオンの娘よ,大いに喜べ,エルサレムの娘よ,呼ばわれ。見よ,あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得,柔和であって,ろばに乗る。すなわち,ろばの子である子馬に乗る」― ゼカリヤ 9:9。
2 (イ)それを語ったのはだれですか。ユダヤ人はゼカリヤの預言をどのように理解していましたか。(ロ)今日のユダヤ人また他の人も,どんな事柄を慎重に考慮すべきですか。
2 ゼカリヤのこの預言はメシヤについて述べています。ユダヤ人はそのことを理解し,その成就を待ち望んでいました。しかし今日この信仰を持たない人の中には,ユダヤ人が大ぜいいます。アブラハムの子孫であるそれらの人々は,この預言の与え主が世界強国を倒して彼らの先祖を解放したことを心に留めなければなりません。彼らは,預言されたメシヤを迎える特権がシオンに与えられるという,彼らの神の約束に真剣な考慮を払わなければなりません。エホバは聖霊によってこのメシヤに油をそそぎ,御国の王として「エホバの位」に永遠にすわらせます。メシヤがシオンに来たかどうか,あるいは来たにしても彼らがそれを認めずに終わったのかどうかを調べるのは,今からでもおそくはありません。
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