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信仰のために力をつくして戦うものみの塔 1966 | 1月15日
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20 このことから私たちは,神の顔を見た御使いさえ罪に陥り,滅びのさばきを受けることを知ります。神は天使が両生するように,つまり時には霊者として天に住み,時には人間として地上に来て女と同棲するようには意図されなかったのです。しかしそれらの天使は,彼らに定められた住居を離れました。そこでもし御使いが滅びをまぬがれないとすれば,まして不完全な人間は,自分の救いを確定的なもの,絶対に間違いのないもの,と考えるべきではありません。信仰のためにきびしい戦いをしてはじめて,救われた状態にとどまることができるのです。私たちは,そのような高い地位から落ちた天使のようになりたくはありません。それで,神が定めた限界を越えて肉を汚そうとする人を退けましょう。
21 (イ)とくにどんな罪のためにソドムとゴモラは滅ぼされましたか。(ロ)それらの町の破滅はどのように警告となり,同時に,信仰をもつ人々に対する励みとなりますか。
21 ユダは,罪を犯した天使のほかにも,洪水より約450年以上のちに,神によってもたらされたある滅びのことを警告として述べています。それは神が,ソドムとゴモラを罰し,火をもって滅ぼされた時です。町の住民は「淫行にふけり」,不自然な肉欲を求め,女とみだらな行ないをしただけでなく,男に対しても肉欲をもやしました。おそらく獣とも交わったことでしょう。(レビ 18:22-25)聖書は,エホバが二人の天使をソドムにつかわされたいきさつを述べています。それはソドムの道徳的な状態を調べ,またその町に迫っている滅びからロトを救い出すためでした。ロトはその二人の天使を親切に家に迎え入れました。しかし罪ぶかいソドムの住民は,若い者も老人も群がり集まって,二人の天使を出せと言いました。正しくない性行為を行なうためです。天使が彼らを打って目をくらましたのちでも,欲情にとりつかれたソドム人は,天使たちを捕えようとしました。翌朝エホバ神は,ソドムとゴモラに火といおうを注がれました。ロトとその娘は,ソドム人にのぞんだ滅びをまぬかれました。その滅びは「人々の見せしめにされて」います。だれに対する見せしめですか。ペテロはこう答えます。「ソドムとゴモラの町々を灰に帰せしめて破滅に処し,不信仰に走ろうとする人々の見せしめとし,ただ,非道の者どもの放縦な行いによってなやまされていた義人ロトだけを救い出された。……こういうわけで〔エホバ〕は,信心深い者を試練の中から救い出し,また,不義な者ども,特に,汚れた情欲におぼれ肉にしたがって(歩む)……人々を罰して,さばきの日まで閉じ込めておくべきことを,よくご存じなのである」― ペテロ後 2:6-10〔新世〕。
22 (イ)それで私たちはどんな警告を心にとめるべきですか。(ロ)神はどのように正しい人を試練から救い出されますか。
22 それですから,神の組織の中にあって肉を汚す人はみな注意しなさい! その人たちの最後は永遠の滅びです。真の崇拝を行なう人はこの警告を心におさめ,一しゅんでも,そのような滅びに定められた人の誘惑に耳を傾けてはなりません。彼らを退けなさい。「信仰のために戦い」なさい。神が,神に献身した者を試みから救い出す方法をご存じのことは確かです。しかし神はいつも私たちを試練から出されるとはかぎりません。なぜなら神はその試練をとおして私たちをためされるからです。神が正しい者を試練から救い出される方法は,ご予定の時に,不信仰な者を断ち滅ぼすことです。神は試練をもたらす者たちの活動を押えられます。
23 私たちは何に疲れてはなりませんか。どんな報いを望んで?
23 悪い人々が将来いつまでわたしたちに試練を負わせつづけるかは,わたしたちにはわかりません。しかしわたしたちは,「この御国の福音」の伝道にうみ疲れることなく,常に不信仰な人々を退けてゆかねばなりません。そうすれば,神が不信仰な者を断ち滅ぼされるときに救いを受け,生き残って,悪の清められた新しい秩序にはいることができるでしょう。その時がくるまで,わたしたちは信仰のため力をつくして戦いつづけ,決して警戒を怠ってはなりません。
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聖書の質問に答える個人的な助けものみの塔 1966 | 1月15日
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それでは,第1世紀のイエス・キリストの弟子たちは,『行って,宣べ伝えよ』とのイエスの言葉になぜ応じたのですか。(マタイ 10:7)エホバの証人は聖書を信じ,そこに緊急な音信があることを知っています。また,聖書を学び,それに従って行動することに永遠の命がかかっていることを知っています。エホバの証人は,全人類のために,永遠の命を可能にされたエホバ神の愛に対する感謝の心に動かされ,同じ希望をとらえるようにすすんで他の人を助けます。今日,全世界の190以上の土地で,エホバの証人が聖書の質問に答え,あらゆる人々に個人的な助力を申し出ているのはこのためです。
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読者からの質問ものみの塔 1966 | 3月15日
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読者からの質問
● ペテロ後書 2章4-6節とルカ伝 17章26-30節の中で,洪水で滅びた人々とソドムとゴモラで滅びた人々とが一緒に述べられていることから,洪水で滅びた人々も復活されると言えませんか。
ペテロ後書 2章4-6節とルカ伝 17章26節-30節がその事を論じているかどうかを決定するために,これらの聖句を注意深く読み文脈を調べるのは有益です。
ペテロ後書 2章を調べると,ペテロが会衆内に偽りのクリスチャンが現われると警告していることがわかります。(ペテロ後 2:1-3)これら「偽りの教師」はある者を真の信仰から引き離そうとしますが,彼ら自身の滅びは必ず来ます。神が彼らを滅ぼされるという点をはっきりさせるため,使徒はいろいろな例を参照しています。ペテロの示すところによると「神はためらうことなく,罪を犯した御使たちを処罰され」またノアの時代の「古い世界を処罰された」。(新世)それで使徒は悪行のゆえに神が不敬虔な人を処罰されることを示す例を上げたのです。ここで復活の見込みは論じられていません。
同じようにルカ伝 17章26節から30節は洪水で滅びた人々やソドムが滅んだ時に死んだ人々をみせしめとして引き合いに出しています。なんのみせしめですか。キリストの再臨の時に飲食,婚姻,売買,栽培,建築など日常の事柄に没頭しているので,そのことに気づかない一般の人の状態を示すためのみせしめです。これは「ノアの時にあったように」,また「ロトの時にも同じようなことが起った」。イエスはこう結んでいます。「人の子が現われる日も,ちょうどそれと同様であろう」。イエスはまたマタイ伝 24章37節から39節においても同様なたとえを用いていますが,そこではノアの時のことだけを述べています。いずれの場合も人々が復活されるかどうかについてイエスは語りませんでした。
しかし,ペテロ後書 3章で使徒はキリストの再臨のあいだに来る滅びに注意をひいています。「その時の世界〔ノアの箱舟の外にいた人間社会〕は,御言により水でおおわれて滅んでしまった。しかし,今の天と地とは,同じ御言によって保存され,不信仰の人々がさばかれ,滅びる日に火で焼かれる時まで,そのまま保たれているのである。」(ペテロ後 3:6,7)ペテロがここで洪水前の世界が「滅んでしまった」と述べていることに注意して下さい。それはどういう意味ですか。聖書のどこかに洪水で滅んだ人々が復活されると述べられていますか。彼らが裁きの日に立つと教えられていますか。そうではありません。ペテロ後書では洪水で滅んだ人々がこの事物の制度の終わりに滅ぼされる「不信仰な人々」と較べられています。イエスはそれらの人が象徴的な「山羊」として「永遠に生命が断たれる」と言われました。それゆえノアの時代に滅んだ人々が永遠に生命を断たれたことは明白です。―マタイ 25:31-46。(新世)
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