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クリスチャンの希望を守りなさい最善の生き方を選ぶ
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「彼らに対して,昔からの裁きは手間どっているのでもなければ,その滅びはまどろんでいるのでもありません。神が,罪を犯したみ使いたちを罰することを差し控えず,彼らをタルタロスに投げ込んで,裁きのために留め置かれた者として濃密なやみの穴に引き渡されたのであれば,また,古代の世を罰することを差し控えず,不敬虔な人びとの世に大洪水をもたらした時に義の宣明者ノアをほかの七人とともに安全に守られたのであれば,また,ソドムとゴモラの都市を灰に帰させて罪に定め,きたるべき事の型を不敬虔な者たちに示されたのであれば,また,無法な人びとの放縦な不品行に大いに苦しんでいた義人ロトを救い出されたのであれば ― この義人は日々彼らの間に住んで見聞きする事がらにより,その不法な行ないのゆえに,自分の義なる魂に堪えがたい苦痛を味わっていたのですが ― エホバは,敬神の専念をいだく人びとをどのように試練から救い出すか,一方,不義の人びと,わけても,肉を汚そうとの欲望をいだいてそれに従い,主たる者の地位を見下す者を,切り断つ目的で裁きの日のためにどのように留め置くかを知っておられるのです」― ペテロ第二 2:3-10。
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クリスチャンの希望を守りなさい最善の生き方を選ぶ
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11 (イ)不従順なみ使いたちはどうなったでしょうか。彼らにはさらに何が待ち受けていますか。(ロ)み使いが罰せられたこと,不敬虔な人々が洪水で滅ぼされたこと,またソドムとゴモラの住民が絶滅させられたことは何を証明していますか。
11 ペテロが指摘した通り,神のみ前にいたにもかかわらず,のちに不忠実になったみ使いたちでさえ『タルタロスに投げ込まれる』こと,すなわち最も低い状態に卑しめられることを免れませんでした。不従順なみ使いたちは,神のあらゆる啓発を絶たれ,天の元の立場にもどれず,活動を制限されているので,イエス・キリストの手で処刑されるのを待ちつつ,「濃密なやみの穴」になぞらえられる状態にあります。(啓示 20:1-3,7-10と比較してください。)同様にエホバ神は堕落した人々の世全体を世界的な洪水で滅ぼすことも,ロトの日にソドムとゴモラの性的に堕落した住民を処罰することも差し控えられませんでした。ノアとその家族やロトのような義人だけに,神の裁きを免れ,不法な人々の中に住む結果受ける試練から救われる望みがあります。しかし,不道徳なことをして他の人々の肉を汚そうとする人は,たとえクリスチャンと称しても救われません。
権威に敬意を示さない人々を警戒しなさい
12,13 ペテロ第二 2章10節後半と11節に示されている通り,堕落した人々は権威に対してどんな態度を取りますか。
12 堕落した者たちの悪い動機は権威に対する態度から識別できるものです。その者たちはいかなる権威をも侮って,「主たる者の地位を見下(し)」ます。使徒ペテロは説明をこう続けています。「向こう見ずで片意地な彼らは,栄光ある者たちにおののかず,かえってあしざまに言います。しかしみ使いたちは,強さと力において勝っていながら,彼らをあしざまにとがめたりはしません。そうしないのはエホバに対する敬意からです」― ペテロ第二 2:10後半,11。
13 ですから,「栄光ある者たち」を意に介さない大胆でせん越な者たちに気を付けたいものです。クリスチャン会衆において,責任をゆだねられている忠実な人々は自分たちが高い身分にあるとは,また,仲間の信者より上であるというようには考えず,僕であると謙遜に考えます。(マタイ 23:8。テサロニケ第一 2:5-12)しかし,彼らは群れの監督もしくは「牧者」として聖霊によって任命されていますから,その奉仕の割り当ては『栄光あるもの』です。(使徒 20:28。ローマ 11:13と比較してください。)その人々は,また,栄光ある主イエス・キリストと偉大な牧者エホバ神を代表しています。(ペテロ第一 2:25; 5:4)ですから,聖書は会衆の成員が指導の任に当たっている人たちに服するように勧めているのです。(ヘブライ 13:17)ペテロ自身そうであったように,指導の任に当たっている人たちも間違うことがありますが,だからといってそれがその人たちを悪く言ってもよいという口実にはなりません。(ガラテア 2:11-14; ヨハネ第三 9,10と比較してください。)勤勉な「牧者」は会衆から尊敬されてしかるべきです。ところが人々に悪い影響を与える者たちは大胆にもクリスチャンの長老をあしざまに言います。エホバ神とみ子は,人が兄弟に向かって言う悪口やののしりの言葉を自分たちに向けられたものとみなされます。
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