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ヘブライ語聖書聖書に対する洞察,第2巻
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聖書筆者のうちの何人かは,自分の記録した出来事の目撃証人でした。モーセはファラオの前で遭遇した自分の経験を書き記しました。(出 5:1–12:32)それらの筆者は系図上の記録を編さんする場合のように,勤勉な調査を行なって,以前の記録から特定の歴史的な情報を収集しました。(代一 1-9章)しかし,天でのみ使いの大群の集まりに関する知識や預言の分野における啓示のような多くのことは,人知の領域を超えた,神からの直接の霊感によってのみ知り得る事柄でした。このようなことや,様々な背景を持つ多くの筆者により非常に長い期間にわたって著わされたものの集大成であるにもかかわらず,全体として完全に一致していることなどはすべて,聖書の筆者たちが確かに「聖霊に導かれつつ,神によって語った」ことを証拠立て,また実証しています。―ペテ二 1:21。
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霊感聖書に対する洞察,第2巻
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神の霊が働いた結果 「聖書全体」に霊感を与える手段もしくは媒体となったのは,神の聖霊,つまり神の活動する力でした。(「霊」を参照。)その聖霊は人間に対して,または人間の上に働き,神の音信を書き記す人を動かし,導きました。そのため,使徒ペテロは聖書預言についてこう述べています。「あなた方はまずこのことを知っているからです。つまり,聖書の預言はどれも個人的な解釈からは出ていないということです。預言はどんな時にも人間の意志によってもたらされたものではなく,人が聖霊に導かれつつ,神によって語ったものだからです」。(ペテ二 1:20,21)証拠が示すところによると,神の霊はすべての聖書筆者の思いと心に働きかけ,彼らを神の意図される目標に導きました。ダビデ王は,「わたしによって語ったのはエホバの霊で,その言葉はわたしの舌の上にあった」と述べました。(サム二 23:2)イエスは詩編 110編を引用した際,ダビデがそれを「霊感によって[字義,霊において]」書き記した,と言われました。(マタ 22:43)マルコ 12章36節にある並行記述では,その部分が「聖霊によって」となっています。
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