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  • 塔研20 12月号 8–13ページ
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2020
塔研20 12月号 8–13ページ

研究記事50

「死し者しゃはどのように生いき返かえらされるのか」

「死しよ,さあ,勝しょう利りしてみなさい。死しよ,さあ,とげで刺さしてみなさい」。コリント第だい一いち 15:55

141番ばんの歌うた 命いのちという奇き跡せき

何なにを学まなぶかa

1-2. 全すべてのクリスチャンにとって,天てんへの復ふっ活かつについて学まなぶのが大たい切せつなのはなぜですか。

今いまエホバに仕つかえている人ひとたちのほとんどは,地ち上じょうで永えい遠えんに生いきるという希き望ぼうを持もっています。一いっ方ぽう,聖せいなる力ちからによって選えらばれたクリスチャンたちは,天てんに復ふっ活かつするという希き望ぼうを持もっています。その人ひとたちは,天てんでの生せい活かつがどのようなものになるかに強つよい関かん心しんがあります。とはいえ,地ち上じょうで生いきる希き望ぼうを持もつ人ひとたちも,そのことについて知しる必ひつ要ようがあります。これから考かんがえますが,天てんへの復ふっ活かつは,地ち上じょうで永えい遠えんに生いきる希き望ぼうを持もつ人ひとたちにも祝しゅく福ふくをもたらすからです。それで,どちらの希き望ぼうを持もっているとしても,天てんへの復ふっ活かつについて学まなぶのは大たい切せつなことです。

2 1世せい紀きのイエスの弟で子しの中なかには,神かみの聖せいなる力ちからに導みちびかれて天てんへの復ふっ活かつについて書かいた人ひとたちがいます。使し徒とヨハネはこう述のべています。「今いまや私わたしたちは神かみの子こ供どもですが,将しょう来らいどのようになるかはまだ明あきらかにされていません。分わかっているのは,神かみがご自じ分ぶんを示しめす時ときに私わたしたちが神かみのようなものになるということです」。(ヨハ一いち 3:2)ですから,聖せいなる力ちからによって選えらばれたクリスチャンは,報むくいを受うけて天てんに復ふっ活かつした後のち,自じ分ぶんがどのようになるかを知しりません。とはいえ,エホバを見みることになります。聖せい書しょは天てんへの復ふっ活かつについて何なにから何なにまで述のべているわけではありませんが,使し徒とパウロの手て紙がみから幾いくつかの点てんを理り解かいすることができます。キリストが「全すべての政せい府ふ,また全すべての権けん威いと力ちから……そして最さい後ごの敵てきである死し」を除のぞき去さる時とき,天てんに復ふっ活かつしたクリスチャンたちはキリストと共ともにいます。最さい後ごに,イエスは共きょう同どう統とう治ち者しゃたちと共ともにエホバに服ふく従じゅうし,誰だれにとってもエホバが全すべてになるようにします。(コリ一いち 15:24-28)それは本ほん当とうに素す晴ばらしい時ときとなるでしょう。b

3. コリント第だい一いち 15章しょう30-32節せつによると,パウロは復ふっ活かつを信しんじていたので,どんなことができましたか。

3 パウロは復ふっ活かつを信しんじていたので,さまざまな試し練れんを忍にん耐たいすることができました。(コリント第だい一いち 15:30-32を読よむ。)パウロは,コリントのクリスチャンに宛あてた手て紙がみの中なかで,「私わたしは日ひ々び,死しに面めんしています」と書かきました。また,「エフェソスで野や獣じゅうと戦たたかった」とも言いっています。パウロは,エフェソスの競きょう技ぎ場じょうで文も字じ通どおり野や獣じゅうと戦たたかったと述のべていたのかもしれません。(コリ二に 1:8; 4:10; 11:23)あるいは,自じ分ぶんに敵てき対たいするユダヤ人じんなど,「野や獣じゅう」のような人ひとたちのことを言いっていたのかもしれません。(使し徒と 19:26-34。コリ一いち 16:9)いずれにしても,パウロは大おおきな危き険けんに何なん度ども直ちょく面めんしましたが,将しょう来らいに対たいする前まえ向むきな見み方かたを保たもっていました。(コリ二に 4:16-18)

父親が,部屋の窓から外の様子を見ている。母親は,2人の娘と一緒に座って聖書を読んでいる。

この家か族ぞくは,エホバの証しょう人にんの活かつ動どうが制せい限げんされている場ば所しょに住すんでいるが,神かみが将しょう来らい素す晴ばらしい報むくいを与あたえてくださることを心こころから確かく信しんして,エホバへの崇すう拝はいを続つづけている。(4節せつを参さん照しょう。)

4. 復ふっ活かつの希き望ぼうはどのようにクリスチャンの力ちからとなっていますか。(表ひょう紙しの写しゃ真しんを参さん照しょう。)

4 今いまは危き険けんな時じ代だいです。兄きょう弟だいたちの中なかには,犯はん罪ざいに巻まき込こまれた人ひとがいます。紛ふん争そう地ち域いきで命いのちの危き険けんを感かんじている人ひとたちもいます。伝でん道どう活かつ動どうが制せい限げんされたり禁きん止しされたりしている地ち域いきでは,拘こう束そくされたり命いのちを落おとしたりする恐おそれもあります。そうした中なかでも,兄きょう弟だい姉し妹まいはエホバへの崇すう拝はいを続つづけており,私わたしたちの立りっ派ぱな手て本ほんとなっています。たとえ命いのちを落おとすことになるとしても,エホバが将しょう来らいはるかに素す晴ばらしい報むくいを与あたえてくださることを知しっているので,恐おそれてはいません。

5. どんな考かんがえ方かたをすると,復ふっ活かつに対たいする信しん仰こうが弱よわまってしまうかもしれませんか。

5 パウロの時じ代だいには,「死し者しゃが生いき返かえらされないのであれば,『食たべたり飲のんだりしましょう。明日あすには死しぬからです』」という間ま違ちがった考かんがえ方かたをしている人ひとたちがいました。それでパウロは,兄きょう弟だいたちに警けい告こくを与あたえました。そうした考かんがえ方かたは目め新あたらしいものではありませんでした。パウロは,イスラエル人じんの態たい度どについて述のべたイザヤ 22章しょう13節せつの表ひょう現げんを引いん用ようしていたのかもしれません。イスラエル人じんは神かみへの愛あいを強つよめるのではなく,生せい活かつを楽たのしむことばかり考かんがえていました。明日あすはどうなるか分わからないのだから今いまを楽たのしもう,という考かんがえ方かたをしていたのです。そうした態たい度どは今いまも普ふ通つうに見みられます。しかし,聖せい書しょに記き録ろくされている通とおり,イスラエル人じんは悲ひ惨さんな結けっ果かを刈かり取とりました。(代だい二に 36:15-20)

6. 私わたしたちは復ふっ活かつの希き望ぼうを大たい切せつにしているので,友とも達だちを選えらぶ時とき,どんな点てんに注ちゅう意いしますか。

6 私わたしたちは,エホバが亡なくなった人ひとを復ふっ活かつさせてくださるという希き望ぼうを大たい切せつにしています。ですから,友とも達だちを注ちゅう意い深ぶかく選えらぶ必ひつ要ようがあります。コリントの兄きょう弟だいたちは,復ふっ活かつを信しんじない人ひとたちと時じ間かんを過すごすことに注ちゅう意いしなければなりませんでした。何なにが学まなべますか。「今いまが楽たのしければそれでよい」と考かんがえる人ひとたちと多おおくの時じ間かんを過すごすなら,悪わるい影えい響きょうを受うけてしまう,ということです。そうした人ひとたちと一いっ緒しょにいると,クリスチャンとしての考かんがえ方かたや生いき方かたを大たい切せつにしなくなるかもしれません。神かみに憎にくまれることまでするようになるかもしれません。それでパウロは,こう強つよく勧すすめました。「正ただしいことを行おこなって,本ほん心しんに立たち返かえってください。罪つみを犯おかし続つづけてはなりません」。(コリ一いち 15:33,34)

どんな体からだか

7. コリント第だい一いち 15章しょう35-38節せつによると,復ふっ活かつに関かんしてどんなことを言いう人ひとがいたかもしれませんか。

7 コリント第だい一いち 15:35-38を読よむ。復ふっ活かつに疑うたがいを持もたせようとして,「死し者しゃはどのように生いき返かえらされるのか」と言いう人ひともいたかもしれません。パウロが何なんと答こたえたかに注ちゅう目もくするのはよいことです。現げん代だいでも死し後ごの状じょう態たいについてはいろいろな考かんがえ方かたがあるからです。では,聖せい書しょは何なんと言いっているでしょうか。

1. イエスが大勢の人たちに教えている。種を植える様子の絵がはめ込まれている。2. イエスと14万4000人が天の王座に座っている。種が土から芽を出した様子の絵がはめ込まれている。

神かみは人ひとを復ふっ活かつさせ,ふさわしい体からだを与あたえることができる。パウロは植しょく物ぶつの種たねの例たとえを使つかってそのことを示しめした。(8節せつを参さん照しょう。)

8. 天てんへの復ふっ活かつを理り解かいする上うえで,どんな例たとえが助たすけになりますか。

8 人ひとが死しぬと,体からだは分ぶん解かいしていきます。しかし,何なにもないところから宇う宙ちゅうを造つくった方かたは,その人ひとを復ふっ活かつさせ,ふさわしい体からだを与あたえることができます。(創そう 1:1; 2:7)生いきていた時ときと同おなじ体からだに復ふっ活かつさせる必ひつ要ようはありません。そのことをパウロは例たとえを使つかって示しめしました。植しょく物ぶつの種たねの例たとえです。種たねは地じ面めんに植うえられると,芽めを出だして成せい長ちょうしていきます。大おおきくなった植しょく物ぶつは小ちいさな種たねとは全まったくの別べつ物ものです。パウロはこの変へん化かを引ひき合あいに出だして,神かみは「望のぞみのままに……体からだを与あたえ」ることができる,ということを示しめしました。

9. コリント第だい一いち 15章しょう39-41節せつでは,体からだの違ちがいについてどんなことが述のべられていますか。

9 コリント第だい一いち 15:39-41を読よむ。パウロは,創そう造ぞう物ぶつにいろいろな種しゅ類るいがあることを述のべています。種しゅ類るいによって体からだはさまざまです。家か畜ちくの体からだ,鳥とりの体からだ,魚さかなの体からだなどがあります。空そらにある太たい陽ようと月つきにも違ちがいがあります。パウロが述のべている通とおり,「一ひとつ一ひとつの星ほしの栄えい光こうも異ことなります」。肉にく眼がんでは区く別べつできないかもしれませんが,科か学がく者しゃによれば,星ほしの大おおきさはさまざまです。色いろも,太たい陽ようのように黄き色いろい星ほしもあれば,赤あかい星ほしや白しろい星ほしもあります。パウロは「天てんでの体からだと地ち上じょうでの体からだがあります」とも言いいました。どういう意い味みでしょうか。地ち上じょうに住すむ人ひとには,目めに見みえる体からだがあり,天てんに住すむ者ものには,天てん使しのような,目めに見みえない体からだがある,ということです。

10. 天てんに復ふっ活かつする人ひとたちには,どんな体からだが与あたえられますか。

10 パウロは次つぎにこう言いっています。「死し者しゃの復ふっ活かつも同どう様ようです。朽くちるものとしてまかれ,朽くちないものとして生いき返かえらされます」。人ひとが死しぬと,体からだは朽くちて土つちに戻もどります。(創そう 3:19)そうであれば,体からだが「朽くちないものとして生いき返かえらされ[る]」とは,どういうことでしょうか。エリヤやエリシャやイエスは人ひとを地ち上じょうでの命いのちに復ふっ活かつさせましたが,パウロはそのような復ふっ活かつについて言いっていたのではありません。「天てんでの体からだ」で生いき返かえらされることについて言いっていたのです。(コリ一いち 15:42-44)

11-12. イエスは復ふっ活かつした時とき,どんな変へん化かを経けい験けんしましたか。天てんに行いく人ひとたちもどんな経けい験けんをしますか。

11 イエスは,地ち上じょうにいた時ときは目めに見みえる体からだを持もっていましたが,復ふっ活かつした時とき,「命いのちを与あたえる,目めに見みえない存そん在ざいになり」,天てんに戻もどりました。同おなじように,天てんに行いくよう選えらばれたクリスチャンたちも,復ふっ活かつすると,目めに見みえない存そん在ざいになります。それでパウロはこう述のべています。「私わたしたちは,これまでは土つちで造つくられた者もののようであり,やがて天てんで生いきる方かたのようになります」。(コリ一いち 15:45-49)

12 大たい切せつなのは,イエスが人にん間げんの体からだで生いき返かえらされたのではないということです。パウロは,復ふっ活かつについて語かたった部ぶ分ぶんの終おわりの方ほうで,その理り由ゆうをこう説せつ明めいしています。「肉にく体たいは[天てんにある]神かみの王おう国こくを受うけることができ[ません]」。(コリ一いち 15:50)使し徒とたちや天てんに行いくよう選えらばれた当とう時じのクリスチャンたちは,朽くちる肉にく体たいで天てんに復ふっ活かつさせられるわけではありませんでした。復ふっ活かつさせられるタイミングについてはどうでしょうか。パウロは,天てんへの復ふっ活かつが起おきるのは死しんだすぐ後あとではなく,先さきのことであると言いいました。パウロがコリント第だい一いちの手て紙がみを書かいた時ときにはすでに,使し徒とヤコブのように「死しの眠ねむり」に就ついていた弟で子したちがいました。(使し徒と 12:1,2)ほかの使し徒とたちや天てんに行いくよう選えらばれたクリスチャンたちも,やがて「死しの眠ねむり」に就つきました。(コリ一いち 15:6)

死しに対たいする勝しょう利り

13. イエスの臨りん在ざいの期き間かんには,どんなことが起おきることになっていましたか。

13 イエスもパウロも,キリストの臨りん在ざいという歴れき史し的てきに重じゅう要ような期き間かんについて預よ言げんしました。その期き間かんには,世せ界かい中じゅうで戦せん争そうや地じ震しんや流りゅう行こう病びょうといった問もん題だいが起おきることになっていました。1914年ねん以い来らい,この聖せい書しょ預よ言げんは確たしかに実じつ現げんしています。この期き間かんの特とく徴ちょうとなる事こと柄がらはほかにもあります。イエスによると,神かみの王おう国こくが統とう治ちしているという良よい知しらせは,「全すべての国くにの人ひと々びとが聞きけるように世せ界かい中じゅうで伝つたえられます。それから終おわりが来きます」。(マタ 24:3,7-14)またパウロは,「主しゅの臨りん在ざいの時とき」には,天てんに行いくよう選えらばれたクリスチャンのうち,「死しんで眠ねむっている人ひとたち」が復ふっ活かつすると述のべました。(テサ一いち 4:14-16。コリ一いち 15:23)

14. 天てんに行いくクリスチャンのうち,キリストの臨りん在ざいの間あいだに死しぬ人ひとたちは,どうなりますか。

14 天てんに行いくクリスチャンのうち,いま生いきている人ひとたちは,地ち上じょうの歩あゆみを終おえると,すぐに天てんでの命いのちに復ふっ活かつさせられます。そう言いえるのは,コリント第だい一いち 15章しょう51,52節せつでパウロがこう述のべているからです。「私わたしたちは皆みなが死しの眠ねむりに就つくわけではありませんが,皆みなが変かえられます。一いっ瞬しゅんに,瞬またたく間まに,最さい後ごのラッパが鳴なる間あいだにです」。この言こと葉ばは,まさにいま実じつ現げんしています。これらキリストの兄きょう弟だいたちは,復ふっ活かつして大おおきな喜よろこびを味あじわいます。そして,「常つねに主しゅと共ともにいることになります」。(テサ一いち 4:17)

イエスと天に復活した人たちが鉄のつえを振るっている。

天てんに復ふっ活かつした人ひとたちは,イエスと共ともに国くに々ぐにを打うち砕くだく。(15節せつを参さん照しょう。)

15. 天てんに復ふっ活かつした人ひとたちは,そこで何なにを行おこないますか。

15 聖せい書しょには,天てんに復ふっ活かつした人ひとたちがそこで何なにを行おこなうかが書かかれています。イエスはこう言いいました。「征せい服ふくする人ひと,私わたしが命めいじたことを終おわりまで守まもり通とおす人ひとに,私わたしは国くに々ぐにを治おさめる権けん威いを与あたえます。その人ひとは,私わたしが父ちちから権けん威いを与あたえられたのと同おなじように,鉄てつのつえをもって人ひと々びとを処しょ罰ばつし,土つちの器うつわのように粉こな々ごなに砕くだきます」。(啓けい 2:26,27)その人ひとたちは,司し令れい官かんであるイエスに従したがい,鉄てつのつえで国くに々ぐにを処しょ罰ばつします。(啓けい 19:11-15)

16. 人ひとはどのようにして死しに対たいする勝しょう利りを収おさめることができますか。

16 天てんに行いくよう選えらばれたクリスチャンは,復ふっ活かつする時とき,死しに対たいする勝しょう利りを収おさめることになります。(コリ一いち 15:54-57)そして,ハルマゲドンの戦たたかいの時ときには悪あくを地ち上じょうから除のぞき去さることに加くわわります。地ち上じょうで生いきる希き望ぼうを持もつ大おお勢ぜいのクリスチャンは,「大だい患かん難なんから出でて」きて,生いきて新あたらしい世せ界かいに入はいります。(啓けい 7:14)それらの人ひとたちは,死しに対たいする別べつの勝しょう利りを目もく撃げきすることになります。死しんでいた数かぞえ切きれないほど大おお勢ぜいの人ひとたちが復ふっ活かつしてくるのです。その時ときの喜よろこびを想そう像ぞうできますか。(使し徒と 24:15)エホバへの忠ちゅう実じつを保たもつ人ひとは皆みな,アダムから受うけ継ついだ死しに対たいする勝しょう利りを収おさめ,永えい遠えんに生いきることができます。

17. コリント第だい一いち 15章しょう58節せつから,何なにを行おこなうように動うごかされますか。

17 パウロがコリントのクリスチャンに宛あてて書かいた言こと葉ばについて考かんがえると,復ふっ活かつに対たいする確かく信しんが本ほん当とうに強つよまります。そして,パウロの勧すすめに従したがって「主しゅの活かつ動どう」を熱ねっ心しんに行おこなうように動うごかされます。(コリント第だい一いち 15:58を読よむ。)心こころを込こめて一いっ生しょう懸けん命めいに行おこなうなら,私わたしたちの将しょう来らいは喜よろこびにあふれたものになるでしょう。私わたしたちの想そう像ぞうをはるかに超こえた素す晴ばらしい将しょう来らいが待まっているのです。主しゅのために働はたらくことが無む駄だになることは決けっしてありません。

どのように答こたえますか

  • 危き険けんに直ちょく面めんする時とき,復ふっ活かつの希き望ぼうはどのように助たすけになりますか。

  • 天てんに復ふっ活かつした人ひとたちは,キリストと共ともに何なにを行おこないますか。

  • コリント第だい一いち 15章しょう58節せつにあるアドバイスが私わたしたちにとって大たい切せつなのはなぜですか。

140番ばんの歌うた 終おわりのない命いのち,ついに!

a コリント第だい一いち 15章しょうの後こう半はんには,特とくに,天てんに行いくよう選えらばれたクリスチャンの復ふっ活かつのことが書かかれています。しかし,その内ない容ようはほかの羊ひつじにとっても重じゅう要ようです。この記き事じでは,復ふっ活かつの希き望ぼうが,私わたしたちの生いき方かたに影えい響きょうすることや,将しょう来らいを楽たのしみに待まてる根こん拠きょになるということについて考かんがえます。

b この号ごうの「読どく者しゃからの質しつ問もん」には,コリント第だい一いち 15章しょう29節せつのパウロの言こと葉ばについての説せつ明めいが載のせられています。

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