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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2020
塔研20 01月号 20–25ページ

研究記事4

「聖せいなる力ちからが……証しょう明めいします」

「私わたしたちが神かみの子こ供どもであることを,聖せいなる力ちからが私わたしたちの精せい神しんと共ともに証しょう明めいします」。ローマ 8:16

25番ばんの歌うた 特とく別べつな所しょ有ゆう物ぶつ

何なにを学まなぶかa

「炎のような舌」が120人ほどの弟子たちの頭上に現れ,皆が「聖なる力に満たされ」た。

エホバはペンテコステの日ひに目め覚ざましい形かたちで,120人にんほどの弟で子しに聖せいなる力ちからを注そそいだ。(1-2節せつを参さん照しょう。)

1-2. 西せい暦れき33年ねんのペンテコステの日ひに,どんな目め覚ざましいことが起おきましたか。

西せい暦れき33年ねんのペンテコステの日ひ,エルサレムでのことです。日にち曜よう日びの午ご前ぜん中ちゅうです。イエスの120人にんほどの弟で子したちが,ある家いえの階かい上じょうの部へ屋やに集あつまっています。(使し徒と 1:13-15; 2:1)イエスは少すこし前まえ,エルサレムを離はなれないよう弟で子したちに指し示じしていました。弟で子したちに特とく別べつなものが与あたえられるからです。(使し徒と 1:4,5)この日ひ,何なにが起おきましたか。

2 「突とつ然ぜん,激はげしい風かぜが吹ふき付つけるような音おとが天てんからして」,家いえ全ぜん体たいに響ひびき渡わたります。そして,「炎ほのおのような舌した」が弟で子したちの頭ず上じょうに現あらわれ,皆みなが「聖せいなる力ちからに満みたされ」ます。(使し徒と 2:2-4)エホバはこのような目め覚ざましい形かたちで,弟で子したちに聖せいなる力ちからを注そそぎます。(使し徒と 1:8)弟で子したちは聖せいなる力ちからによって選えらばれたb最さい初しょの人ひと々びととなり,イエスと共ともに天てんで統とう治ちするという希き望ぼうを与あたえられました。

聖せいなる力ちからによって選えらばれる時とき,どんなことが起おきるか

3. ペンテコステの日ひに集あつまっていた人ひとたちは,聖せいなる力ちからによって選えらばれたことがはっきり分わかりました。なぜですか。

3 もしあなたが階かい上じょうの部へ屋やに集あつまっていた弟で子しの1人ひとりだったら,その日ひに起おきたことを忘わすれないでしょう。舌したのような炎ほのおが頭ず上じょうにとどまり,外がい国こく語ごを話はなせるようになったからです。(使し徒と 2:5-12)自じ分ぶんが聖せいなる力ちからによって選えらばれたことは明あきらかです。では,聖せいなる力ちからによって選えらばれる人ひとは皆みな,このような目め覚ざましい形かたちでほかの人ひとたちと同おなじ時ときに選えらばれるのでしょうか。そうではありません。なぜそういえますか。

4. 1世せい紀きに聖せいなる力ちからによって選えらばれたクリスチャンは皆みな,同おなじ時じ点てんで選えらばれましたか。説せつ明めいしてください。

4 どの時じ点てんで選えらばれるのか,という点てんを考かんがえましょう。西せい暦れき33年ねんのペンテコステの日ひに120人にんほどのクリスチャンが選えらばれましたが,当とう日じつ選えらばれたのはその人ひとたちだけではありませんでした。同おなじ日ひの少すこし後あと,ほかにも3000人にんほどが選えらばれました。聖せいなる力ちからを受うけたのは,バプテスマを受うけた時ときです。(使し徒と 2:37,38,41)しかしそれ以い後ごにクリスチャンになった人ひとは,必かならずしもバプテスマを受うけた時ときに聖せいなる力ちからによって選えらばれたわけではありません。例たとえば,サマリア人じんが聖せいなる力ちからによって選えらばれたのは,バプテスマの後のちしばらくたってからのことでした。(使し徒と 8:14-17)さらに,まれなケースですが,コルネリオと家いえの人ひとたちは,バプテスマを受うける前まえに聖せいなる力ちからによって選えらばれました。(使し徒と 10:44-48)

5. コリント第だい二に 1章しょう21,22節せつによれば,人ひとが聖せいなる力ちからによって選えらばれる時とき,どんなことが起おきますか。

5 人ひとが聖せいなる力ちからによって選えらばれる時とき,どんなことが起おきるかということも考かんがえましょう。選えらばれた人ひとの中なかには,自じ分ぶんが選えらばれたことを意い外がいに思おもう人ひともいるかもしれません。「なぜエホバは私わたしを選えらんだのだろう」と思おもうのです。他た方ほう,選えらばれたことを自し然ぜんに受うけ入いれられる人ひともいます。いずれにしても,聖せいなる力ちからによって選えらばれる人ひとにどんなことが起おきるかを使し徒とパウロは次つぎのように説せつ明めいしています。「皆みなさんも……信しんじた後のち,キリストにより,約やく束そくされていた聖せいなる力ちからで証しょう印いんを押おされました。c それは私わたしたちが財ざい産さんを受うけることを前まえもって保ほ証しょうするしるしで[す]」。(エフェ 1:13,14,脚きゃく注ちゅう)このように,エホバは聖せいなる力ちからを使つかい,選えらばれたことを本ほん人にんに非ひ常じょうに明めい確かくに知しらせます。聖せいなる力ちからはその人ひとたちが将しょう来らい地ち上じょうではなく天てんで永えい遠えんに生いきることを保ほ証しょうする「しるし」,または誓せい約やくとなります。(コリント第だい二に 1:21,22を読よむ。)

6. 聖せいなる力ちからによって選えらばれたクリスチャンには,どんな努ど力りょくが求もとめられますか。

6 では,聖せいなる力ちからによって選えらばれたクリスチャンは必かならず天てんに行いけるのでしょうか。そうではありません。その人ひとは,自じ分ぶんが天てんに行いくよう選えらばれたことをはっきり知しっていても,次つぎの助じょ言げんを心こころに留とめなければなりません。「兄きょう弟だいたち,招まねかれ選えらばれた者ものであり続つづけられるように,いっそう努ど力りょくしてください。これらのことを行おこない続つづけるなら,決けっして失しっ敗ぱいには至いたりません」。(ペテ二に 1:10)天てんに行いくよう招まねかれ選えらばれた人ひとでも,忠ちゅう実じつであり続つづけなければ報むくいを受うけることはできません。(フィリ 3:12-14。ヘブ 3:1。啓けい 2:10)

自じ分ぶんが選えらばれたことをどのように知しるのか

7. 天てんに行いくよう招まねかれた人ひとは,そのことをどのように知しりますか。

7 天てんに行いくよう招まねかれた人ひとは,そのことをどのように知しるのでしょうか。答こたえは,パウロの手て紙がみに明めい確かくに記しるされています。「招まねかれて聖せいなる人ひととな[った]」ローマのクリスチャンに宛あてた手て紙がみです。「皆みなさんは,聖せいなる力ちからにより奴ど隷れいとされて再ふたたび恐おそれを抱いだいたのではなく,聖せいなる力ちからにより養よう子しとされたのであり,その力ちからによって私わたしたちは『アバ,父ちちよ!』と叫さけびます。私わたしたちが神かみの子こ供どもであることを,聖せいなる力ちからが私わたしたちの精せい神しんと共ともに証しょう明めいします」。(ロマ 1:7; 8:15,16)エホバは,選えらばれた人ひとが天てんに行いくよう招まねかれていることを,聖せいなる力ちからによって本ほん人にんにはっきり示しめします。(テサ一いち 2:12)

8. 天てんに行いくよう選えらばれたクリスチャンは,そのことを誰だれにも確たしかめる必ひつ要ようがありません。ヨハネ第だい一いち 2章しょう20,27節せつには,どんな理り由ゆうが書かかれていますか。

8 天てんに行いくよう招まねかれた人ひとは,そのことを全まったく疑うたがいません。招まねかれたという自じ覚かくをエホバが本ほん人にんにはっきり持もたせるからです。(ヨハネ第だい一いち 2:20,27を読よむ。)もちろん,選えらばれたクリスチャンは他たの兄きょう弟だい姉し妹まいと同おなじように,会かい衆しゅうを通とおしてエホバに教おしえられる必ひつ要ようがあります。しかし,選えらばれたことを誰だれかに確たしかめないと不ふ安あんになる,ということはありません。エホバはその人ひとが選えらばれていることを,宇う宙ちゅうで最もっとも強つよい力ちからである聖せいなる力ちからによってはっきり示しめすからです。

天てんに行いくのは「再ふたたび生うまれ[た]」人ひと

9. エフェソス 1章しょう18節せつによると,エホバに選えらばれる人ひとは,考かんがえ方かたがどのように変かわりますか。

9 天てんに行いくよう選えらばれる人ひとは,どのようにそのことを知しるのでしょうか。今こん日にちエホバに仕つかえている人ひとの多おおくは,説せつ明めいされても分わかりにくいと感かんじます。選えらばれていない人ひとがそう感かんじるのは,当とう然ぜんの反はん応のうです。エホバは人にん間げんを造つくった時とき,天てんではなく地ち上じょうで永えい遠えんに生いきるように造つくりました。(創そう 1:28。詩し 37:29)しかしエホバは,一いち部ぶの人にん間げんを選えらび,天てんで生せい活かつするようにしました。聖せいなる力ちからによってエホバに選えらばれると,その人ひとの希き望ぼうや考かんがえ方かたは大おおきく変かわり,天てんでの生せい活かつを楽たのしみにするようになります。(エフェソス 1:18を読よむ。)

10. 「再ふたたび生うまれ[る]」とはどういうことですか。(脚きゃく注ちゅうを参さん照しょう。)

10 クリスチャンは聖せいなる力ちからによって選えらばれると,「再ふたたび生うまれ」ます。「上うえから生うまれ[る]」と訳やくすこともできます。d イエスは,「再ふたたび生うまれ[た]」人ひと,または「神かみの聖せいなる力ちからによって生うまれ[た]」人ひとがどのように感かんじるかは,選えらばれていない人ひとにはどう説せつ明めいしても理り解かいできない,ということを暗あんに語かたりました。(ヨハ 3:3-8,脚きゃく注ちゅう)

11. 神かみから選えらばれる時とき,考かんがえはどのように変かわりますか。

11 クリスチャンが神かみから選えらばれる時とき,考かんがえはどのように変かわりますか。エホバによって選えらばれる前まえは,地ち上じょうで永えい遠えんに生いきるという希き望ぼうを大たい切せつにしていました。エホバが悪あくを全すべて除のぞき,地ち上じょうを楽らく園えんにする時ときが来くるのを楽たのしみにしていました。生いき返かえる家か族ぞくや友ゆう人じんを自じ分ぶんが迎むかえるのを思おもい描えがいていたかもしれません。しかし,神かみから選えらばれた後あとは,考かんがえが変かわりました。地ち上じょうで生いき続つづけることに魅み力りょくを感かんじなくなったからではありません。ストレスや強つよいショックで気き持もちが変かわったわけでもありません。地ち上じょうでずっと生いきるのは退たい屈くつだ,と急きゅうに思おもうようになったのでもありません。エホバからの聖せいなる力ちからによって,その人ひとの考かんがえや大たい切せつにしている希き望ぼうが変かわったのです。

12. ペテロ第だい一いち 1章しょう3,4節せつによると,神かみから選えらばれたクリスチャンは自じ分ぶんが抱いだく希き望ぼうについてどう感かんじますか。

12 神かみから選えらばれた人ひとの中なかには,自じ分ぶんにこれほどの栄えい誉よが与あたえられてよいのだろうかと感かんじる人ひともいるでしょう。しかし,だからといって神かみから選えらばれたことを一いっ瞬しゅんたりとも疑うたがったりはしません。将しょう来らいの素す晴ばらしい機き会かいについて考かんがえ,深ふかい喜よろこびと感かん謝しゃの気き持もちに包つつまれます。(ペテロ第だい一いち 1:3,4を読よむ。)

13. 神かみから選えらばれたクリスチャンは,地ち上じょうでの今いまの生せい活かつについてどう考かんがえていますか。

13 では,神かみから選えらばれたクリスチャンは地ち上じょうでの命いのちを早はやく終おわらせたいと思おもっているのでしょうか。パウロは,人にん間げんの体からだを天てん幕まくに例たとえて,次つぎのように答こたえています。「この天てん幕まくにいる私わたしたちは,重じゅう圧あつを感かんじてうめいています。これを脱ぬぎたいわけではありませんが,別べつのものを身みに着つけたいと思おもっています。そのようにして,死しんでいくものが命いのちにのみ込こまれるのです」。(コリ二に 5:4)神かみから選えらばれたクリスチャンは,生いきる意い欲よくを失うしなって早はやく死しにたいと思おもっているわけではありません。生いきることを喜よろこび,家か族ぞくや友ゆう人じんと共ともに日ひ々びエホバに仕つかえたいと考かんがえています。しかし,何なにをしていても,将しょう来らいの素す晴ばらしい希き望ぼうを片かた時ときも忘わすれません。(コリ一いち 15:53。ペテ二に 1:4。ヨハ一いち 3:2,3。啓けい 20:6)

自じ分ぶんは神かみから選えらばれたのだろうか

14. どんな事こと柄がらは,自じ分ぶんが聖せいなる力ちからによって選えらばれた証しょう拠こにはなりませんか。

14 自じ分ぶんが聖せいなる力ちからによって選えらばれたのかよく分わからない,という場ば合あいはどうですか。その場ば合あい,次つぎの大たい切せつな点てんを考かんがえてみてください。あなたは,エホバの望のぞむことを行おこなおうとする意い欲よくにあふれていますか。伝でん道どうに際きわ立だって熱ねっ心しんだと感かんじていますか。聖せい書しょを意い欲よく的てきに学まなび,「神かみの奥おく深ぶかい事こと柄がら」を掘ほり下さげて考かんがえるのが好すきですか。(コリ一いち 2:10)伝でん道どうでエホバが大おおきな成せい果かを与あたえてくださったと感かんじていますか。神かみと親したしくなれるよう人ひと々びとを助たすける責せき務むを強つよく意い識しきしていますか。エホバが生せい活かつの多おおくの面めんで助たすけてくださっている証しょう拠こを目めにしていますか。全すべての質しつ問もんに,はいとはっきり答こたえることができるなら,天てんに招まねかれていることになりますか。そうではありません。なぜなら,神かみに仕つかえる人ひとは皆みな,聖せいなる力ちからで選えらばれていてもいなくても,このように感かんじることがあるからです。しかも,エホバはご自じ分ぶんに仕つかえる人ひとには誰だれにでも同おなじ聖せいなる力ちからを与あたえます。もし,自じ分ぶんが聖せいなる力ちからによって選えらばれたのか確かく信しんを持もてないなら,あなたは選えらばれてはいません。神かみによって招まねかれた人ひとは,自じ分ぶんが選えらばれたのかどうか思おもい悩なやんだりはしません。誰だれに言いわれなくても分わかります。

大勢の人が地上で生きることを楽しみにしている。1. ダビデ。2. 刑務所に入れられている兄弟。3. アブラハム。4. サラ。5. バプテストのヨハネ。6. 夫婦。7. いろいろな年齢の人たち。8. 聖書を開いている兄弟。

アブラハム,サラ,ダビデ,バプテストのヨハネは,エホバから聖せいなる力ちからを与あたえられて目め覚ざましい働はたらきをした。しかし,エホバはその人ひとたちに天てんに行いく希き望ぼうを与あたえるために聖せいなる力ちからを送おくり出だす,ということはしなかった。(15-16節せつを参さん照しょう。)e

15. エホバから聖せいなる力ちからを受うけた人ひとが皆みな天てんに行いくわけではありません。なぜそういえますか。

15 聖せい書しょには,聖せいなる力ちからを受うけて信しん仰こうを示しめしながらも,天てんに行いく希き望ぼうを抱いだかなかった人ひとの例れいがたくさん挙あげられています。例たとえば,ダビデは聖せいなる力ちからに導みちびかれていました。(サム一いち 16:13)そのおかげで,エホバに関かんする奥おく深ぶかい事こと柄がらを理り解かいし,聖せい書しょの一いち部ぶを書かきました。(マル 12:36)それでも使し徒とペテロが述のべた通とおり,ダビデは「天てんに昇のぼりませんでした」。(使し徒と 2:34)バプテストのヨハネも「聖せいなる力ちからに満みたされ」ました。(ルカ 1:13-16)イエスは,ヨハネより偉い大だいな人ひとはいないと言いいましたが,ヨハネは天てんの王おう国こくに入はいらない,とも述のべました。(マタ 11:10,11)これらの人ひとはエホバから聖せいなる力ちからを与あたえられ,目め覚ざましい働はたらきをしました。しかし,エホバはその人ひとたちに天てんに行いく希き望ぼうを与あたえるために聖せいなる力ちからを送おくり出だす,ということはしませんでした。では,その人ひとたちは,天てんに行いく人ひとほど忠ちゅう実じつではなかったのでしょうか。そういうことではありません。エホバはその人ひとたちを楽らく園えんとなるこの地ち球きゅうに生いき返かえらせることにしたのです。(ヨハ 5:28,29。使し徒と 24:15)

16. 今こん日にちエホバに仕つかえている人ひとの大だい多た数すうは,どんな報むくいを与あたえられることを楽たのしみにしていますか。

16 今こん日にちエホバに仕つかえている人ひとの大だい多た数すうは,天てんで生いきる希き望ぼうを持もっていません。アブラハム,サラ,ダビデ,バプテストのヨハネをはじめとする聖せい書しょ時じ代だいの大おお勢ぜいの人ひとのように,神かみの王おう国こくが治おさめる時ときに地ち上じょうで生いきることを楽たのしみにしています。(ヘブ 11:10)

17. 次つぎの記き事じでどんな点てんを考かんがえますか。

17 とはいえ今こん日にち,天てんに行いく希き望ぼうを持もっている人ひとたちもいます。(啓けい 12:17)そのため次つぎのような疑ぎ問もんが生しょうじます。天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとは自じ分ぶんのことをどう見みるべきですか。会かい衆しゅうの誰だれかが記き念ねん式しきでパンを食たべぶどう酒しゅを飲のむようになったら,その人ひとにどう接せっするべきですか。天てんに行いく希き望ぼうを持もつと言いう人ひとが増ふえていることを心しん配ぱいする必ひつ要ようがありますか。次つぎの記き事じで考かんがえましょう。

a 西せい暦れき33年ねんのペンテコステの日ひ以い来らい,エホバは一いち部ぶのクリスチャンに驚おどろくような希き望ぼうを与あたえました。神かみの子こイエスと共ともに天てんで統とう治ちするという希き望ぼうです。それらのクリスチャンは,選えらばれて天てんで統とう治ちするという素す晴ばらしい機き会かいを得えたことをどのように知しるのでしょうか。天てんに行いくよう招まねかれると,本ほん人にんにはどんなことが起おきますか。興きょう味みを引ひくこれらの質しつ問もんについて考かんがえます。この記き事じは,「ものみの塔とう」2016年ねん1月がつ号ごうの記き事じから取とられています。

b 語ご句くの説せつ明めい: 聖せいなる力ちからによって選えらばれる。エホバは聖せいなる力ちからを使つかって人ひとを選えらび,イエスと共ともに天てんで統とう治ちできるようにします。聖せいなる力ちからによって将しょう来らいに関かんする約やく束そく,もしくは「前まえもって保ほ証しょうするしるし」を人ひとに与あたえます。(エフェ 1:13,14)それらのクリスチャンが天てんで報むくいを得えるということを聖せいなる力ちからは「証しょう明めい」する,つまり明あきらかにします。(ロマ 8:16)

c 語ご句くの説せつ明めい: 証しょう印いんを押おされる。この時じ点てんで押おされる証しょう印いんは仮かりのものです。最さい終しゅう的てきな証しょう印いんが押おされるのは,本ほん人にんが神かみに忠ちゅう実じつを保たもって亡なくなる前まえのある時じ点てんか,大だい患かん難なんが始はじまる前まえのある時じ点てんでのことです。(エフェ 4:30。啓けい 7:2-4。「ものみの塔とう」2016年ねん4月がつ号ごう「読どく者しゃからの質しつ問もん」を参さん照しょう。)

d 「再ふたたび生うまれ[る]」とはどういうことか,詳くわしくは「ものみの塔とう」2009年ねん4月がつ1日ついたち号ごう3-12ページを参さん照しょう。

どのように答こたえますか

  • 聖せいなる力ちからによって選えらばれた人ひとは,そのことをどのように知しりますか。

  • クリスチャンが神かみから選えらばれる時とき,考かんがえはどのように変かわりますか。

  • 神かみから選えらばれた人ひとは,地ち上じょうでの生せい活かつについてどう考かんがえていますか。

27番ばんの歌うた 神かみの子こたちが明あきらかにされる

e 写しゃ真しんや挿さし絵え: エホバに仕つかえる人ひとの中なかには,投とう獄ごくされている人ひとも,自じ由ゆうに伝でん道どうし真しん理りを教おしえることができる人ひともいる。いずれにしても,私わたしたちは神かみの王おう国こくが治おさめる時ときに地ち上じょうで生いきることを楽たのしみにしている。

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