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  • 神の王国
    聖書に対する洞察,第1巻
    • しかし,その後,それら地上の臣民すべての忠誠と専心を試す最後の試験が行なわれます。サタンは底知れぬ深みに拘束された状態から解き放たれます。その敵対者の誘惑に屈する人たちは,エデンで提起されたのと同じ論争,つまり神の主権の正当性を巡る論争に関して誘惑に屈します。それは,敵対者たちが「聖なる者たちの宿営と愛されている都市」を攻撃することから分かります。その論争は天の法廷により,司法上解決され,決着がつけられたと宣せられているので,この件では反逆が長い間放置されることはありません。神の側に立って忠節を保たない者たちは,『なだめの助け手』であられるキリスト・イエスに訴えることができません。かえって,彼らにとってエホバ神は「すべてのもの」ですから,訴えることも執り成してもらうこともできません。霊者であれ人間であれ,反逆者はすべて,神からの滅びの宣告を受けて「第二の死」に陥ります。―啓 20:7-15。

  • 火の湖
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 火の湖が象徴的な性質のものであることは,「啓示」の書の中にその表現が出て来る箇所の文脈を見れば一層明らかになります。火の湖の中には,死が投げ込まれると言われています。(啓 19:20; 20:14)明らかに,死を文字通り燃やすことはできません。さらに,目に見えない霊の被造物である悪魔もその湖の中に投げ込まれます。悪魔は霊者ですから,文字通りの火によって害を受けることはあり得ません。―啓 20:10。出 3:2および裁 13:20と比較。

  • 火の湖
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 前述の幾つかの聖句から火の湖が象徴的な性質のものであることは明らかであるにもかかわらず,この表現を文字通りの火と責め苦の場所に関する信条の裏付けとして用いてきた人たちがいます。引き合いに出されるのは啓示 20章10節です。そこでは,悪魔と野獣と偽預言者が火の湖で「昼も夜も限りなく永久に責め苦に遭う」と言われているからです。しかし,これが実際に体で感じる責め苦を指しているはずはありません。火の湖に投げ込まれる者は「第二の死」を経験します。(啓 20:14)死においては,意識というものはなく,それゆえに苦痛や苦しみを感じることもありません。―伝 9:5。

      聖書の中で,火による責め苦は滅びや死と関連づけられています。例えば,ヘブライ語聖書のギリシャ語セプトゥアギンタ訳では,責め苦に相当する語(バサノス)が死による処罰を指して数回用いられています。(エゼ 3:20; 32:24,30)同様に「啓示」の書も大いなるバビロンに関し,「彼女の焼かれる煙を見る時,……地の王たちは,彼女のことで泣き,悲嘆して身を打ちたたくであろう。また,彼女の受ける責め苦[ギ語,バサニスムー]を恐れるあまり,遠く離れたところに立(つ)」と述べています。(啓 18:9,10)この責め苦の意味については,後にひとりのみ使いが,「大いなる都市バビロンはこのように,速い勢いで投げ落とされ,二度と見いだされることはない」と説明しています。(啓 18:21)ですから,ここで言う火による責め苦とは,滅びの同義語であり,大いなるバビロンの場合には永遠の滅びを指しています。―啓 17:16; 18:8,15-17,19と比較。

      したがって,火の湖で「永久に責め苦に遭う」(ギ語,バサニゾーに由来)者たちは,復活のない「第二の死」を経験します。それと関連のあるギリシャ語バサニステースは,マタイ 18章34節で「牢番」と訳されています。(改標,新世,ダイアグロット。マタ 18:30と比較。)それで,火の湖に投げ込まれる者たちはとこしえに死によって拘束される,つまり“牢に入れられる”ことになります。―「ゲヘナ」; 「責め苦」を参照。

  • 責め苦
    聖書に対する洞察,第2巻
    • マタイ 18章34節に出て来るギリシャ語の名詞バサニステースは,翻訳によって「牢番」(聖ア,フェントン,新世。マタ 18:30と比較)と訳されたり,「責め苦に遭わせる者たち」また「拷問者たち」と訳されたりしています。(ア標,欽定,エルサレム)獄では情報を得るために時々拷問が用いられたので(使徒 22:24,29と比較。そこでは,バサニゾーが用いられてはいないが,拷問が行なわれたことが示されている),バサニステースは牢番を指して用いられるようになりました。国際標準聖書百科事典はマタイ 18章34節におけるこの語の用法について次のように述べています。「恐らく,投獄自体が『責め苦』とみなされた(実際にそうであったに違いない)のであろう。したがって,『責め苦に遭わせる者』が牢番以上のものを意味したと見る必要はない」。(J・オア編,1960年,第5巻,2999ページ)ですから,「昼も夜も限りなく永久に責め苦に遭う」者たちについて述べた啓示 20章10節の言葉は,彼らが拘束された状態に置かれることを示しているようです。拘束された状態を「責め苦」と言い得ることは,マタイ 8章29節とルカ 8章31節の並行記述によっても示唆されています。―「火の湖」を参照。

      ある注解者たちは聖書の中で「責め苦」という言葉が出ている箇所を,火によるとこしえの責め苦の教理の裏付けとして指摘してきました。しかし,すでに示されたように,啓示 20章10節にそのような意味はないと考えるべき聖書的な理由があります。事実,14節を見ると,責め苦が起きる「火の湖」は実際には「第二の死」を意味していることが分かります。また,イエスは富んだ人が『責め苦のうちにある』ことについて話されましたが(ルカ 16:23,28),「ラザロ」(2項)の記事が示しているように,イエスは実在の人物の文字通りの経験を描写したのではなく,例えを述べておられたのです。「啓示」の書には,文脈から見て「責め苦」が明らかに例証的もしくは象徴的な意味で用いられているとはっきり分かる例がほかにも幾つかあります。―啓 9:5; 11:10; 18:7,10。

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