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  • 塔研21 01月号 14–19ページ
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  • ほかの羊の大群衆は神とキリストをたたえる
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔(研究用)2021
塔研21 01月号 14–19ページ

研究記事3

ほかの羊ひつじの大だい群ぐん衆しゅうは神かみとキリストをたたえる

「私わたしたちが救すくわれたのは,王おう座ざに座すわっておられる私わたしたちの神かみと,子こ羊ひつじのおかげです」。啓けい示じ 7:10

14番ばんの歌うた 地ち球きゅうを治おさめる新あたらしい王おうをたたえる

何なにを学まなぶかa

1. 1935年ねんの大たい会かいで行おこなわれた話はなしは,1人ひとりの男だん性せいにどんな影えい響きょうを与あたえましたか。

1926年ねん,18歳さいの男だん性せいがバプテスマを受うけました。両りょう親しんは聖せい書しょ研けん究きゅう者しゃ(現げん在ざいのエホバの証しょう人にん)でした。2人ふたりには息子むすこが3人にんと娘むすめが2人ふたりいて,子こ供どもたちがエホバ神かみに仕つかえ,イエス・キリストに倣ならうよう教おしえました。この若わかい兄きょう弟だいは,当とう時じの聖せい書しょ研けん究きゅう者しゃが皆みなしていたように,毎まい年としの主しゅの晩ばん餐さんでパンを食たべ,ぶどう酒しゅを飲のんでいました。しかし,「大おおいなる群ぐん衆しゅう」と題だいする,歴れき史しに残のこる話はなしを聞きいた時とき,兄きょう弟だいの将しょう来らいの希き望ぼうは大おおきく変かわりました。その話はなしは,1935年ねんに米べい国こくワシントンDCで開ひらかれた大たい会かいで行おこなわれました。話はなしをしたのはJ・F・ラザフォードでした。その大たい会かいでどんなことが明あきらかになりましたか。

2. ラザフォード兄きょう弟だいの話はなしの中なかで,どんな素す晴ばらしいことが明あきらかにされましたか。

2 ラザフォード兄きょう弟だいは話はなしの中なかで,啓けい示じ 7章しょう9節せつに出でてくる「大おおいなる群ぐん衆しゅう」(「ジェームズ王おう欽きん定てい訳やく」[英えい語ご]),または「大だい群ぐん衆しゅう」は誰だれなのかを説せつ明めいしました。その時ときまで,大だい群ぐん衆しゅうは天てんに行いくものの,14万まん4000人にんほど忠ちゅう実じつではない人ひとたちだと考かんがえられていました。ラザフォード兄きょう弟だいが聖せい書しょを用もちいて説せつ明めいしたことによると,大だい群ぐん衆しゅうは天てんで生いきるよう選えらばれた人ひとではなく,キリストのほかの羊ひつじbのうち,「大だい患かん難なん」を生いき残のこって,地ち上じょうで永えい遠えんに生いきる人ひとたちのことです。(啓けい 7:14)イエスはこう予よ告こくしました。「私わたしにはほかの羊ひつじがいますが,この囲かこいのものではありません。私わたしはその羊ひつじたちも連つれてこなければならず,それらも私わたしの声こえを聞ききます。こうして,1つの群むれ,1人ひとりの羊ひつじ飼かいとなります」。(ヨハ 10:16)これらの羊ひつじのような人ひとたちは,地ち上じょうの楽らく園えんで永えい遠えんに生いきる希き望ぼうを持もっている忠ちゅう実じつなエホバの証しょう人にんのことです。(マタ 25:31-33,46)この新あらたな理り解かいは,冒ぼう頭とうの若わかい兄きょう弟だいを含ふくめ,たくさんのエホバの証しょう人にんに大おおきな変へん化かをもたらしました。(詩し 97:11。格かく 4:18)

新あらたな理り解かいによって大おおきな変へん化かがもたらされる

3-4. 1935年ねんの大たい会かいで,大おお勢ぜいの人ひとは自じ分ぶんの希き望ぼうについてどんなことを理り解かいしましたか。そう理り解かいできたのはなぜですか。

3 ラザフォード兄きょう弟だいが次つぎのように言いった時とき,この大たい会かいのクライマックスが訪おとずれました。「地ち上じょうで永えい遠えんに生いきる希き望ぼうを抱いだいておられる皆みなさんは,ご起き立りついただけますか」。その場ばにいた人ひとによると,約やく2万まん人にんの出しゅっ席せき者しゃのうち,半はん分ぶん以い上じょうが立たち上あがったのです。その時とき,ラザフォード兄きょう弟だいは,「ご覧らんください! 大おおいなる群ぐん衆しゅうです!」と言いいました。すると,聴ちょう衆しゅうから大おおきな歓かん声せいが湧わき起おこりました。起き立りつした人ひとたちは,自じ分ぶんが天てんで生いきるよう選えらばれてはいないことを理り解かいしました。自じ分ぶんが神かみの聖せいなる力ちからで選えらばれてはいないことを理り解かいしたのです。次つぎの日ひ,840人にんがバプテスマを受うけ,エホバの証しょう人にんになりました。そのほとんどは,ほかの羊ひつじの人ひとたちでした。

4 先さきほどの若わかい兄きょう弟だいをはじめ,大おお勢ぜいの人ひとがこの話はなしを聞きいて,主しゅの晩ばん餐さんでパンを食たべることもぶどう酒しゅを飲のむこともしなくなりました。1人ひとりの兄きょう弟だいは謙けん遜そんにこう語かたりました。「私わたしが記き念ねん式しきでパンを食たべ,ぶどう酒しゅを飲のんだのは,1935年ねんが最さい後ごでした。天てんで生いきる希き望ぼうは,エホバが聖せいなる力ちからによって与あたえるものですが,自じ分ぶんにはそれが与あたえられていないと気き付づいたからです。私わたしが持もっていたのは,地ち上じょうで生せい活かつし,地ち球きゅうをパラダイスに変かえていく,という希き望ぼうだったのです」。多おおくの人ひとも同おなじように感かんじていました。(ロマ 8:16,17。コリ二に 1:21,22)その時とき以い降こう,大だい群ぐん衆しゅうは増ふえ続つづけています。そして,天てんに行いくクリスチャンのうち地ち上じょうに残のこっている人ひとたちと共ともにエホバに仕つかえています。

5. 記き念ねん式しきでパンを食たべることやぶどう酒しゅを飲のむことをやめた人ひとたちのことを,エホバはどう見みていますか。

5 1936年ねんからは記き念ねん式しきでパンを食たべることもぶどう酒しゅを飲のむこともしなくなった人ひとたちのことを,エホバはどう見みているでしょうか。自じ分ぶんは天てんに行いくと考かんがえて,主しゅの晩ばん餐さんでパンを食たべ,ぶどう酒しゅを飲のんでいた人ひとが,後あとになって,自じ分ぶんは天てんに行いくよう選えらばれてはいないということに気き付づいた場ば合あいはどうでしょうか。(コリ一いち 11:28)そうした人ひとは自じ分ぶんの希き望ぼうを正ただしく理り解かいしていなかったのかもしれません。それでも,自じ分ぶんの間ま違ちがいを認みとめ,記き念ねん式しきでパンを食たべることやぶどう酒しゅを飲のむことをやめ,エホバに忠ちゅう実じつに仕つかえ続つづけるなら,エホバはその人ひとをほかの羊ひつじの1人ひとりと見みてくださるでしょう。そうした人ひとたちは,記き念ねん式しきでパンを食たべることやぶどう酒しゅを飲のむことはもうしませんが,記き念ねん式しきに出しゅっ席せきすることはやめません。それは,エホバとイエスがしてくださったことに深ふかく感かん謝しゃしているからです。

特とく別べつな希き望ぼう

6. イエスは天てん使したちにどんなことを命めいじていますか。

6 大だい患かん難なんが近ちかづいている今いま,啓けい示じ 7章しょうの内ない容ようを振ふり返かえると,励はげみが得えられます。そこからは,天てんに行いくクリスチャンとほかの羊ひつじの大だい群ぐん衆しゅうについて,さらに知しることができます。イエスは,滅ほろびをもたらす四し方ほうの風かぜをしっかり押おさえておくよう天てん使したちに命めいじます。天てん使したちは,天てんに行いくクリスチャン全ぜん員いんが証しょう印いんを押おされるまで,つまり忠ちゅう実じつを保たもったとエホバに認みとめられるまで,地ち上じょうにこの風かぜが吹ふき付つけないようにします。(啓けい 7:1-4)天てんに行いくよう選えらばれたキリストの兄きょう弟だいたちは,忠ちゅう実じつを保たもった報むくいとして天てんでキリストと共ともに王おうまた祭さい司しとなります。(啓けい 20:6)エホバもイエスも天てん使したちも,14万まん4000人にんが天てんでの報むくいを受うけるのをぜひ見みたいと思おもっています。

大だい群ぐん衆しゅうが白しろくて長ながい衣い服ふくを着きて,ヤシの枝えだを手てに持もち,神かみの輝かがやく王おう座ざと子こ羊ひつじの前まえに立たっている。(7節せつを参さん照しょう。)

7. 啓けい示じ 7章しょう9,10節せつによると,ヨハネは幻まぼろしの中なかで誰だれを見みましたか。その人ひとたちは何なにをしていましたか。(表ひょう紙しの挿さし絵えを参さん照しょう。)

7 ヨハネは,王おうまた祭さい司しである14万まん4000人にんについて述のべた後あと,何なにを見みたでしょうか。ハルマゲドンを生いき残のこった「大だい群ぐん衆しゅう」です。大だい群ぐん衆しゅうは,天てんに行いく人ひとたちよりもはるかに多おおく,何なん人にんになるかは述のべられていません。(啓けい示じ 7:9,10を読よむ。)また,「白しろくて長ながい衣い服ふくを着きて」います。それは,大だい群ぐん衆しゅうが「自じ分ぶんを[サタンの]世よに汚けがされないように守まも」り,神かみとキリストへの忠ちゅう実じつを保たもってきたことを表あらわしています。(ヤコ 1:27)さらに大だい群ぐん衆しゅうは,自じ分ぶんたちが救すくわれたのはエホバと神かみの子こ羊ひつじであるイエスがしてくださったことのおかげだ,と叫さけびます。その時とき,彼かれらはヤシの枝えだを手てに持もっています。それは,イエスをエホバから任にん命めいされた王おうとして心こころから受うけ入いれていることを示しめしています。(ヨハネ 12:12,13と比ひ較かく。)

8. 啓けい示じ 7章しょう11,12節せつから,天てんの様よう子すについてどんなことが分わかりますか。

8 啓けい示じ 7:11,12を読よむ。大だい群ぐん衆しゅうが現あらわれる時とき,天てんでは何なにが起おきますか。ヨハネは,イエスや天てん使しや天てんに復ふっ活かつした者ものたちが喜よろこびにあふれ,神かみをたたえているのを見みます。大だい群ぐん衆しゅうが大だい患かん難なんを生いき残のこり,この幻まぼろしが実じつ現げんする時とき,天てんには大おおきな喜よろこびがあるのです。

9. 啓けい示じ 7章しょう13-15節せつによると,大だい群ぐん衆しゅうはいま何なにを行おこなっていますか。

9 啓けい示じ 7:13-15を読よむ。ヨハネの記き録ろくによると,大だい群ぐん衆しゅうは「自じ分ぶんの長ながい衣い服ふくを子こ羊ひつじの血ちで洗あらって白しろくしました」。これは,大だい群ぐん衆しゅうがやましいところのない良りょう心しんを持もち,エホバから正ただしい人ひとと見みなされていることを意い味みしています。(イザ 1:18)大だい群ぐん衆しゅうは,献けん身しんし,バプテスマを受うけたクリスチャンです。イエスの犠ぎ牲せいに強つよい信しん仰こうを持もち,エホバとの良よい関かん係けいを築きずいています。(ヨハ 3:36。ペテ一いち 3:21)それで,神かみの王おう座ざの前まえに立たち,比ひ喩ゆ的てき神しん殿でんの地ち上じょうの庭にわで「昼ひるも夜よるも神かみに神しん聖せいな奉ほう仕しを[する]」ことができています。大だい群ぐん衆しゅうによって,王おう国こくについて伝つたえて人ひと々びとを弟で子しとする活かつ動どうの大だい部ぶ分ぶんが行おこなわれています。彼かれらは神かみの王おう国こくをいつも第だい一いちにしているのです。(マタ 6:33; 24:14; 28:19,20)

ほかの羊ひつじの大だい群ぐん衆しゅうが大だい患かん難なんを生いき残のこり,喜よろこびにあふれている。(10節せつを参さん照しょう。)

10. 大だい群ぐん衆しゅうは誰だれの世せ話わを受うけることができますか。どんな約やく束そくが実じつ現げんしますか。

10 大だい患かん難なんから出でてくる大だい群ぐん衆しゅうは,引ひき続つづき神かみからの世せ話わを受うけることができます。そう言いえるのは,「王おう座ざに座すわっておられる方かたは,この人ひとたちをご自じ分ぶんの天てん幕まくで覆おおいます」とあるからです。次つぎの約やく束そくが実じつ現げんします。「神かみは人ひと々びとの目めから全すべての涙なみだを拭ぬぐい去さります。もはや死しはなくなり,悲かなしみも嘆なげきも苦く痛つうもなくなります」。ほかの羊ひつじの願ねがいがついにかなうのです。(啓けい 21:3,4)

11-12. (ア)啓けい示じ 7章しょう16,17節せつからすると,大だい群ぐん衆しゅうはどんな祝しゅく福ふくを与あたえられますか。(イ)ほかの羊ひつじが主しゅの晩ばん餐さんに出しゅっ席せきするのはなぜですか。

11 啓けい示じ 7:16,17を読よむ。今いまはエホバの証しょう人にんの中なかにも,十じゅう分ぶんなお金かねがないことや暴ぼう動どうや戦せん争そうなどのせいで,必ひつ要ような食たべ物ものが手てに入はいらない人ひとがいます。信しん仰こうを貫つらぬいているために投とう獄ごくされている人ひともいます。しかし,この邪じゃ悪あくな体たい制せいの滅ほろびを生いき残のこるなら,食たべる物ものやエホバからの教おしえを本ほん当とうにたくさん得えることができます。大だい群ぐん衆しゅうはその時ときを楽たのしみにしています。サタンの体たい制せいが終おわりを迎むかえる時とき,大だい群ぐん衆しゅうはエホバの怒いかりから守まもられます。人ひと々びとが感かんじる「焼やけ付つくような暑あつさ」に襲おそわれることはありません。大だい患かん難なんが終おわると,イエスは地ち上じょうに生いき残のこった大だい群ぐん衆しゅうを「[永えい遠えんの]命いのちの水みずの泉いずみ」に導みちびきます。大だい群ぐん衆しゅうには特とく別べつな希き望ぼうがあります。これまで地ち上じょうで生いきた人ひとは何なん十じゅう億おく人にんもいますが,その中なかで死しを経けい験けんしないのは大だい群ぐん衆しゅうだけなのです。(ヨハ 11:26)

12 ほかの羊ひつじは本ほん当とうに素す晴ばらしい希き望ぼうを与あたえられています。そのことをエホバとイエスに感かん謝しゃできます。天てんに行いくよう選えらばれてはいませんが,天てんに行いく人ひとたちと同おなじようにエホバに大たい切せつにされています。天てんに行いく人ひとも地ち上じょうで生いきる人ひとも,神かみとキリストをたたえることができます。そうする1つの方ほう法ほうは,主しゅの晩ばん餐さんに出しゅっ席せきすることです。

記き念ねん式しきで神かみとキリストを心こころからたたえる

1人の兄弟が,グラスに入ったぶどう酒を隣の兄弟に回している。

イエスは私わたしたちのために死しに,私わたしたちが永えい遠えんに生いきられるようにした。記き念ねん式しきで回まわされるパンとぶどう酒しゅは,そのことを思おもい起おこさせる。(13-15節せつを参さん照しょう。)

13-14. 天てんに行いく希き望ぼうを持もっていない人ひともキリストの死しの記き念ねん式しきに出しゅっ席せきするのはなぜですか。

13 最さい近きんでは,記き念ねん式しきに出しゅっ席せきする人ひとのうち,パンを食たべ,ぶどう酒しゅを飲のむ人ひとは,およそ1000人にんに1人ひとりです。ほとんどの会かい衆しゅうには,記き念ねん式しきでパンを食たべ,ぶどう酒しゅを飲のむ人ひとが1人ひとりもいません。つまり,記き念ねん式しきに出しゅっ席せきする人ひとの大たい半はんは,地ち上じょうで生いきる希き望ぼうを持もっている人ひとです。それでも主しゅの晩ばん餐さんに出しゅっ席せきするのはなぜでしょうか。例たとえで考かんがえてみましょう。友とも達だちの結けっ婚こん式しきに出しゅっ席せきする人ひとは,結けっ婚こんする2人ふたりへの愛あいや気き遣づかいを示しめすためにそうします。同おなじように,ほかの羊ひつじが記き念ねん式しきに出しゅっ席せきするのは,キリストと天てんに行いく人ひとたちを愛あいし,助たすけになりたいと思おもっているからです。また,人ひとが地ち上じょうで永えい遠えんに生いきることを可か能のうにするイエスの犠ぎ牲せいに感かん謝しゃを示しめすためでもあります。

14 ほかの羊ひつじが記き念ねん式しきに出しゅっ席せきするのは,イエスがそうするよう命めいじているからでもあります。イエスは,初はじめて主しゅの晩ばん餐さんを行おこなった時とき,忠ちゅう実じつな使し徒とたちにこう言いいました。「このことを行おこなっていき,私わたしのことを思おもい起おこしなさい」。(コリ一いち 11:23-26)ですからほかの羊ひつじは,天てんに行いくよう選えらばれた人ひとたちが地ち上じょうにいる間あいだは,主しゅの晩ばん餐さんに出しゅっ席せきし続つづけます。そして,一いっ緒しょに記き念ねん式しきに出しゅっ席せきするよう,できるだけ多おおくの人ひとを招しょう待たいします。

15. 私わたしたちはどのようにして,記き念ねん式しきで神かみとキリストをたたえることができますか。

15 記き念ねん式しきでは,歌うたと祈いのりで神かみとキリストをたたえることができます。今こ年としの記き念ねん式しきの話はなしの主しゅ題だいは,「神かみとキリストがしてくださったことに感かん謝しゃしましょう」です。この話はなしを聞きくと,エホバとキリストへの感かん謝しゃが深ふかまるでしょう。パンとぶどう酒しゅが回まわされる時とき,私わたしたちはそれがイエスの体からだと血ちを表あらわしていることを思おもい起おこします。エホバは,イエスが私わたしたちのために死しぬようにして,私わたしたちが永えい遠えんに生いきられるようにしてくださいました。そのことも思おもい起おこします。(マタ 20:28)天てんのお父とうさんエホバと独ひとり子ごイエスを愛あいしている人ひとは皆みな,記き念ねん式しきに出しゅっ席せきしたいと思おもうことでしょう。

希き望ぼうを与あたえてくださったエホバに感かん謝しゃする

16. 天てんに行いく人ひとたちとほかの羊ひつじには,どんな共きょう通つう点てんがありますか。

16 神かみが天てんに行いく人ひとたちをほかの羊ひつじよりも高たかく評ひょう価かしている,ということはありません。神かみにとってはどちらも大たい切せつな存そん在ざいです。天てんに行いく人ひとたちもほかの羊ひつじも,イエスの命いのちという同おなじ代だい価かで買かい取とられたからです。2つのグループの違ちがいは,どんな希き望ぼうを持もっているか,ということです。とはいえ,どちらのグループも神かみとキリストに忠ちゅう実じつを保たもつ必ひつ要ようがあります。(詩し 31:23)別べつの点てんとして,神かみの聖せいなる力ちからは私わたしたち全すべてに同おなじように働はたらきます。エホバはどちらのグループの人ひとにも,それぞれの必ひつ要ように応おうじて聖せいなる力ちからを与あたえてくださるのです。

17. 天てんに行いくクリスチャンのうち地ち上じょうに残のこっている人ひとたちは,どんなことを心こころ待まちにしていますか。

17 天てんに行いくクリスチャンは,生うまれつきその希き望ぼうを持もっているわけではありません。それは,神かみから与あたえられるものです。天てんに行いく人ひとたちは,自じ分ぶんの希き望ぼうについて考かんがえ,祈いのり,天てんでの報むくいを受うけることを心こころから願ねがっています。とはいえ,天てんでの体からだがどのようなものかは想そう像ぞうすることもできません。(フィリ 3:20,21。ヨハ一いち 3:2)それでも,エホバやイエスや天てん使したちや天てんに復ふっ活かつした者ものたちと会あい,天てんで共ともに働はたらくことを心こころ待まちにしています。

18. ほかの羊ひつじはどんなことを楽たのしみにしていますか。

18 ほかの羊ひつじは地ち上じょうで永えい遠えんに生いきることを楽たのしみにしています。これは,人にん間げんがごく自し然ぜんに願ねがうことです。(伝でん 3:11)地ち球きゅう全ぜん体たいをパラダイスに変かえていく活かつ動どうに加くわわることも楽たのしみにしています。その時ときには,自じ分ぶんの家いえを建たて,庭にわを造つくり,病びょう気きの心しん配ぱいをすることなく子こ供どもを育そだてることができます。(イザ 65:21-23)地ち球きゅうを旅たびして,山やまや森もりや海うみを見みて回まわり,エホバが創そう造ぞうしたあらゆるものを研けん究きゅうすることもできます。そして何なによりも,エホバとの絆きずながますます強つよくなっていくのを実じっ感かんできるのです。

19. 私わたしたちは記き念ねん式しきに出しゅっ席せきすることで,何なにを行おこなえますか。今こ年としの記き念ねん式しきはいつですか。

19 エホバは,ご自じ分ぶんに仕つかえる人ひとたちそれぞれに素す晴ばらしい将しょう来らいの希き望ぼうを与あたえています。(エレ 29:11)キリストの死しの記き念ねん式しきは,私わたしたち一人ひとり一人ひとりにとって特とく別べつな時ときとなります。私わたしたちが終おわりのない命いのちを得えられるように素す晴ばらしいことをしてくださった,神かみとキリストをたたえることができるからです。記き念ねん式しきは確たしかに,真しんのクリスチャンにとって一いち番ばん重じゅう要ような集しゅう会かいです。この集あつまりは,2021年ねん3月がつ27日にち土ど曜よう日びの日にち没ぼつ後ごに行おこなわれます。多おおくの人ひとが比ひ較かく的てき自じ由ゆうにこの重じゅう要ような集あつまりに出しゅっ席せきできる一いっ方ぽうで,反はん対たいの中なかで出しゅっ席せきする人ひともいるでしょう。中なかには,刑けい務む所しょで記き念ねん式しきを祝いわわなければならない人ひともいるでしょう。会かい衆しゅうやグループで集あつまって行おこなうとしても,1人ひとりで行おこなうとしても,エホバやイエスや天てん使したちや天てんに復ふっ活かつした者ものたちが見み守まもる中なかで祝いわわれる今こ年としの記き念ねん式しきが,素す晴ばらしいものとなりますように。

2021年ねんのように,土ど曜よう日びに記き念ねん式しきが行おこなわれる場ば合あい,週しゅう末まつの集しゅう会かいはありません。そのため,来らい週しゅうの研けん究きゅう記き事じは用よう意いされていません。

どのように答こたえますか

  • 1935年ねんに,「大だい群ぐん衆しゅう」についてどんなことが明あきらかにされましたか。

  • 大だい群ぐん衆しゅうは,大だい患かん難なんの後のちにどんなことが起おきるのを楽たのしみにしていますか。

  • 私わたしたちはどのようにして,記き念ねん式しきで神かみとキリストをたたえることができますか。

150番ばんの歌うた 救すくいのために神かみに頼たよる

a 2021年ねん3月がつ27日にちは,エホバの証しょう人にんにとって特とく別べつな日ひです。その日ひの晩ばんにキリストの死しの記き念ねん式しきを行おこなうからです。出しゅっ席せき者しゃのほとんどは,イエスが「ほかの羊ひつじ」と呼よんだグループの人ひとたちです。そのグループについて,1935年ねんにどんな素す晴ばらしいことが明あきらかになりましたか。ほかの羊ひつじは,大だい患かん難なんの後あとにどんなことが起おきるのを楽たのしみにしていますか。また,記き念ねん式しきに出しゅっ席せきする時ときには,どのように神かみとキリストをたたえることができますか。

b 語ご句くの説せつ明めい: ほかの羊ひつじとは,キリストに従したがい,地ち上じょうで永えい遠えんに生いきる希き望ぼうを持もつ人ひとたちのことです。終おわりの時じ代だいにエホバに仕つかえるようになった人ひとも含ふくまれます。大だい群ぐん衆しゅうとは,ほかの羊ひつじの一いち部ぶで,大だい患かん難なんでキリストが人じん類るいを裁さばく時ときに生いきていて,ハルマゲドンを生いき残のこる人ひとたちのことです。

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