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エホバの清い崇拝 ついに回復される!
清 第12章 129–136ページ
バビロンで捕囚にされているユダヤ人たちの前で,エゼキエルが2本の棒を掲げている。

第12章

「私わたしは彼かれらを1つの国こく民みんと」する

エゼキエル 37:22

ポイント: 2本ほんの棒ぼうの預よ言げんにより,エホバはご自じ分ぶんの民たみを集あつめることを約やく束そくする

1,2. (ア)捕ほ囚しゅうにされていた人ひとたちがどきっとしたと考かんがえられるのはなぜですか。(イ)人ひと々びとが予よ想そうを裏うら切ぎられることになったのはなぜですか。(ウ)これからどんな点てんを調しらべますか。

神かみに導みちびかれたエゼキエルは,バビロンで捕ほ囚しゅうにされている人ひとたちにしるしを見みせることにより,幾いくつもの預よ言げんを伝つたえてきました。エゼキエルが演えんじてみせた最さい初しょの預よ言げんには,処しょ罰ばつに関かんするメッセージが含ふくまれていました。2つ目めも3つ目めも,それ以い降こうもそうです。(エゼ 3:24-26; 4:1-7; 5:1; 12:3-6)エゼキエルが演えんじてみせた預よ言げんはどれも,ユダヤ人じんに対たいする厳きびしい処しょ罰ばつについて伝つたえるものでした。

2 ですから,エゼキエルがまた預よ言げんを演えんじようとした時とき,人ひと々びとはどきっとしたことでしょう。「今こん度ども痛つう烈れつなことを言いわれるのか」と思おもったに違ちがいありません。ところが,彼かれらは良よい意い味みで予よ想そうを裏うら切ぎられることになります。このたびエゼキエルが演えんじ始はじめた預よ言げんは,これまでとはかなり違ちがいます。処しょ罰ばつに関かんする暗くらい内ない容ようではなく,明あかるい約やく束そくに関かんするものです。(エゼ 37:23)エゼキエルは捕ほ囚しゅうにされている人ひとたちにどんなメッセージを伝つたえたのでしょうか。それにはどんな意い味みがありましたか。現げん代だいの神かみの民たみにはどう関かん係けいするでしょうか。調しらべてみましょう。

「それらは私わたしの手ての中なかで1つになる」

エゼキエルの預言に出てくる2本の棒

囲かこみ 12A: 2本ほんの棒ぼうを1つにする

3. (ア)「ユダ……のため」の棒ぼうは何なにを表あらわしていましたか。(イ)10部ぶ族ぞく王おう国こくを表あらわす棒ぼうが「エフライムの棒ぼう」と呼よばれているのはなぜですか。

3 エホバはエゼキエルに,2本ほんの棒ぼうを手てに取とり,1本ぽんには「ユダ……のために」と書かき,もう1本ぽんには「エフライムの棒ぼう。ヨセフ……のために」と書かくよう指し示じしました。(エゼキエル 37:15,16を読よむ。)この2本ほんの棒ぼうは何なにを表あらわしていたのでしょうか。「ユダ……のため」の棒ぼうは,ユダとベニヤミンから成なる2部ぶ族ぞく王おう国こくを表あらわしていました。ユダの家か系けいの王おうたちがその2部ぶ族ぞくを治おさめていました。また,祭さい司し職しょくも2部ぶ族ぞくと結むすび付ついていました。祭さい司したちはエルサレムの神しん殿でんで仕つかえていたからです。(代だい二に 11:13,14; 34:30)ですから,ユダ王おう国こくには,ダビデの王おう統とうの王おうたちとレビ族ぞくの祭さい司したちがいました。一いっ方ぽう,「エフライムの棒ぼう」は,イスラエルの10部ぶ族ぞく王おう国こくを表あらわしていました。その棒ぼうはなぜエフライムと関かん連れん付づけられたのでしょうか。10部ぶ族ぞく王おう国こくの最さい初しょの王おうはヤラベアムで,エフライム族ぞくの人ひとでした。そして,エフライムはイスラエルの主しゅ要ような部ぶ族ぞくになりました。(申しん 33:17。王おう一いち 11:26)ユダ王おう国こくとは違ちがい,イスラエルの10部ぶ族ぞく王おう国こくにはダビデの王おう統とうの王おうもレビ族ぞくの祭さい司しもいませんでした。

4. エゼキエルが2本ほんの棒ぼうを使つかって次つぎに行おこなったことは何なにを表あらわしていますか。(冒ぼう頭とうの挿さし絵えを参さん照しょう。)

4 エゼキエルはさらに,指し示じ通どおり2本ほんの棒ぼうを一いっ緒しょに持もって「1本ぽんの棒ぼうになるように」しました。人ひと々びとは不ふ安あんそうにエゼキエルを見みながら,「これらのことが何なにを意い味みするか教おしえてほしい」と言いいます。エゼキエルの答こたえによれば,これはエホバがこれから行おこなうことを表あらわしていました。エホバは2本ほんの棒ぼうについてこう言いいます。「私わたしは[それらを]1本ぽんの棒ぼうとする。それらは私わたしの手ての中なかで1つになる」。(エゼ 37:17-19)

5. エゼキエルが演えんじたことは何なにを意い味みしていましたか。(「2本ほんの棒ぼうを1つにする」という囲かこみを参さん照しょう。)

5 次ついでエホバは,2本ほんの棒ぼうを1つにすることの意い味みを説せつ明めいします。(エゼキエル 37:21,22を読よむ。)ユダの2部ぶ族ぞく王おう国こくとイスラエルの10部ぶ族ぞく王おう国こく(エフライム)から捕ほ囚しゅうにされた人ひとたちは,イスラエルの土と地ちに連つれていかれ,「1つの国こく民みん」になるのです。(エレ 30:1-3; 31:2-9; 33:7)

6. エゼキエル 37章しょうには,関かん連れんするどんな2つの預よ言げんが記しるされていますか。

6 エゼキエル 37章しょうには,回かい復ふくに関かんする素す晴ばらしい預よ言げんが2つ記しるされています。エホバ神かみは命いのちを回かい復ふくさせるだけでなく(1-14節せつ),一いっ致ちも回かい復ふくさせます(15-28節せつ)。関かん連れんするこの2つの預よ言げんは励はげみになるメッセージを伝つたえています。死しも分ぶん裂れつもなくなり,元もとの状じょう態たいに戻もどるのです。

エホバはどのように人ひと々びとを「集あつめ」たか

7. 歴れき代だい第だい一いち 9章しょう2,3節せつの記き録ろくから,「神かみには全すべてのことが可か能のう」だということが分わかります。なぜですか。

7 人にん間げんの観かん点てんからは,捕ほ囚しゅうにされている人ひとたちを解かい放ほうして1つにするのは不ふ可か能のうに思おもえました。a しかし,「神かみには全すべてのことが可か能のうです」。(マタ 19:26)エホバは預よ言げんを実じつ現げんさせました。バビロン捕ほ囚しゅうは紀き元げん前ぜん537年ねんに終おわり,その後ご,2つの王おう国こくの人ひとたちがエルサレムに戻もどって正ただしい崇すう拝はいの回かい復ふくを手て伝つだいました。神かみの聖せいなる力ちからの導みちびきにより記しるされた記き録ろくにこうあります。「エルサレムには,ユダとベニヤミンとエフライムとマナセの子し孫そんの一いち部ぶが住すんだ」。(代だい一いち 9:2,3。エズ 6:17)エホバが予よ告こくした通とおり,イスラエルの10部ぶ族ぞく王おう国こくの人ひとたちとユダの2部ぶ族ぞく王おう国こくの人ひとたちは1つになりました。

8. (ア)イザヤはどんなことを預よ言げんしましたか。(イ)エゼキエル 37章しょう21節せつにはどんな2つの重じゅう要ような点てんが示しめされていますか。

8 その200年ねんほど前まえに預よ言げん者しゃイザヤは,捕とらわれたイスラエルとユダがその後ごどうなるかを預よ言げんしていました。イザヤによると,エホバは「イスラエルの追おいやられた人ひとたち」と「ユダの散ちらされた人ひとたちを地ち上じょうの四し方ほうから」,「アッシリアから」も集あつめることになっていました。(イザ 11:12,13,16)そして,エホバは予よ告こく通どおり「イスラエル人じんを……国くに々ぐにから」連つれ出だしました。(エゼ 37:21)2つの重じゅう要ような点てんに注ちゅう目もくしてください。この時じ点てんで,エホバは捕ほ囚しゅうにされていた人ひとたちを「ユダ」や「エフライム」とではなく,1つのグループとして「イスラエル人じん」と呼よんでいます。さらに,イスラエル人じんはバビロンという1つの国くにからではなく,幾いくつもの国くに々ぐにから,実じつに「あらゆる方ほう向こうから」来くると言いわれています。

9. エホバは,イスラエルに帰き還かんした人ひとたちが1つになるよう,どのように助たすけましたか。

9 捕ほ囚しゅうにされていた人ひとたちがイスラエルに帰き還かんした後あと,エホバは彼かれらが1つになるようどのように助たすけたでしょうか。ゼルバベル,大だい祭さい司しヨシュア,エズラ,ネヘミヤといった人ひとたちをイスラエル国こく民みんの牧ぼく者しゃとしました。また,ハガイ,ゼカリヤ,マラキを預よ言げん者しゃとして任にん命めいしました。これらの忠ちゅう実じつな人ひとたちは,神かみの指し示じに従したがうよう国こく民みんを励はげますために奮ふん闘とうしました。(ネヘ 8:2,3)エホバはさらに,ご自じ分ぶんの民たみの敵てきたちの陰いん謀ぼうをくじくことにより,イスラエル国こく民みんを守まもりました。(エス 9:24,25。ゼカ 4:6)

エズラや他の人たちが民にエホバの律法を教えている。

エホバは牧ぼく者しゃたちを任にん命めいして,ご自じ分ぶんの民たみが1つになるのを助たすけた。(9節せつを参さん照しょう)

10. サタンはどんなことに成せい功こうしましたか。

10 ところが,エホバが愛あい情じょう深ぶかく世せ話わをしたにもかかわらず,ほとんどのイスラエル人じんは清きよい崇すう拝はいを行おこない続つづけませんでした。彼かれらの行こう動どうは,聖せい書しょの中なかでイスラエルへの帰き還かん後ごに書かかれた書しょに記き録ろくされています。(エズ 9:1-3。ネヘ 13:1,2,15)実じっ際さい,イスラエル人じんたちは帰き還かん後ご100年ねんもたたないうちに清きよい崇すう拝はいから遠とおく離はなれてしまったため,エホバは彼かれらに「私わたしのもとに戻もどってきなさい」と言いわなければなりませんでした。(マラ 3:7)イエスが地ち上じょうに来きた頃ころには,ユダヤ教きょうは不ふ忠ちゅう実じつな牧ぼく者しゃたちが指し導どうする幾いくつかの派はに分ぶん裂れつしていました。(マタ 16:6。マル 7:5-8)サタンは神かみの民たみの一いっ致ちを妨さまたげることに成せい功こうしていたのです。それでも,民たみが1つになるというエホバの預よ言げんは必かならず実じつ現げんします。どのようにでしょうか。

「私わたしに仕つかえるダビデが彼かれらの王おうとな」る

11. (ア)エホバは民たみが一いっ致ちするという預よ言げんについてどんなことを明あきらかにしましたか。(イ)サタンは天てんから追つい放ほうされた後あと,再ふたたび何なにをしようとしましたか。

11 エゼキエル 37:24を読よむ。エホバが明あきらかにしたところによると,民たみが一いっ致ちするという預よ言げんが完かん全ぜんに実じつ現げんするのは,エホバに「仕つかえるダビデ」つまりイエスが王おうとして治おさめ始はじめてからのことです。その統とう治ちは1914年ねんに始はじまりました。b(サム二に 7:16。ルカ 1:32)その時ときまでに,生せい来らいのイスラエル国こく民みんの代かわりに,天てんに行いくよう選えらばれた「神かみのイスラエル」が神かみの民たみとなっていました。(ガラ 3:29; 6:16。エレ 31:33)サタンは再ふたたび神かみの民たみの一いっ致ちを損そこなおうとし,天てんから追つい放ほうされた後あとはますます躍やっ起きになりました。(啓けい 12:7-10)例たとえば,1916年ねんのラッセル兄きょう弟だいの死し後ご,背はい教きょう者しゃたちを使つかって,天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとたちを分ぶん裂れつさせようとしました。しかし,程ほどなくして背はい教きょう者しゃたちは組そ織しきを去さります。サタンはさらに,中ちゅう心しん的てきな役やく割わりを担になっていた兄きょう弟だいたちが投とう獄ごくされるようにしましたが,それでもエホバの民たみが終おわりを迎むかえることはありませんでした。天てんに行いく兄きょう弟だいたちはエホバに忠ちゅう実じつであり続つづけ,一いっ致ちを保たもちました。

12. 「神かみのイスラエル」を分ぶん裂れつさせようとするサタンの企くわだてがうまくいっていないのはなぜですか。

12 ですから,生せい来らいのイスラエル国こく民みんとは違ちがい,「神かみのイスラエル」は,分ぶん裂れつさせようとするサタンの策さく略りゃくに負まけませんでした。サタンの企くわだてがうまくいっていないのはなぜでしょうか。それは,天てんに行いくよう選えらばれた人ひとたちがエホバの基き準じゅんを固こ守しゅするよう最さい善ぜんを尽つくしてきたからです。その結けっ果か,彼かれらは王おうイエス・キリストに守まもられてきました。イエスは今いまもサタンを征せい服ふくするために行こう動どうしています。(啓けい 6:2)

エホバはご自じ分ぶんを崇すう拝はいする人ひとたちが「1つになる」ようにする

13. 2本ほんの棒ぼうが1つになるという預よ言げんから,どんな重じゅう要ような点てんを学まなべますか。

13 2本ほんの棒ぼうが1つになるという預よ言げんは,現げん代だいにはどういう意い味みを持もつのでしょうか。預よ言げんの要よう点てんは,2つのグループが1つになるということでした。何なによりも,その一いっ致ちをもたらすのはエホバであるということが強きょう調ちょうされています。では,この預よ言げんは,清きよい崇すう拝はいに関かんするどんな重じゅう要ような点てんを際きわ立だたせているでしょうか。一ひと言ことで言いうと,エホバはご自じ分ぶんを崇すう拝はいする人ひとたちが「1つになる」ようにする,ということです。(エゼ 37:19)

14. 1919年ねん以い来らい,2本ほんの棒ぼうが1つになるという預よ言げんはもっと大だい規き模ぼに実じつ現げんしてきました。なぜそう言いえますか。

14 神かみの民たみがクリスチャンとして清きよめられ,比ひ喩ゆ的てきなパラダイスに入はいった1919年ねん以い来らい,2本ほんの棒ぼうが1つになるという預よ言げんはもっと大だい規き模ぼに実じつ現げんしてきました。1919年ねん当とう時じは,集あつめられて一いっ致ちした人ひとたちの大たい半はんが,天てんで王おうおよび祭さい司しになるという希き望ぼうを持もっていました。(啓けい 20:6)天てんに行いくよう選えらばれたその人ひとたちは,象しょう徴ちょう的てきな意い味みで「ユダ……のため」の棒ぼうのようでした。ユダ王おう国こくにはダビデの王おう統とうの王おうたちとレビ族ぞくの祭さい司したちがいたからです。しかし,時ときが経けい過かするにつれ,天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとたちに,地ち上じょうで生いきる希き望ぼうを持もつ人ひとたちがどんどん加くわわっていきました。その人ひとたちは「エフライムの棒ぼう」のようです。エフライムにはダビデの王おう統とうの王おうもレビ族ぞくの祭さい司しもいなかったからです。別べつ々べつの希き望ぼうを持もつこの2つのグループの人ひとたちは,ひとりの王おうイエス・キリストの下もとで,エホバの民たみとして一いっ致ちして仕つかえています。(エゼ 37:24)

「彼かれらは私わたしの民たみとなる」

15. エゼキエル 37章しょう26,27節せつの預よ言げんは,現げん在ざいどのように実じつ現げんしていますか。

15 エゼキエルの預よ言げんから,天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとたちに多おおくの人ひとが加くわわって清きよい崇すう拝はいを行おこなうようになることが分わかります。エホバはご自じ分ぶんの民たみについて,「私わたしは彼かれらを……増ふやし」,「私わたしの天てん幕まくが彼かれらの上うえに」あるようになる,と言いいました。(エゼ 37:26,27,脚きゃく注ちゅう)この言こと葉ばは,エゼキエルの時じ代だいの約やく700年ねん後ごに使し徒とヨハネに与あたえられた預よ言げんを思おもい起おこさせます。「王おう座ざに座すわっておられる方かたは,[大だい群ぐん衆しゅう]をご自じ分ぶんの天てん幕まくで覆おお」う,という預よ言げんです。(啓けい 7:9,15)現げん在ざい,天てんに行いくよう選えらばれた人ひとたちと大だい群ぐん衆しゅうは,1つの国こく民みんつまり神かみの民たみとして,いわば神かみの天てん幕まくの下したに住すみ,守まもられています。

16. 天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとたちと地ち上じょうで生いきる希き望ぼうを持もつ人ひとたちが1つになることについて,ゼカリヤはどんな預よ言げんを述のべましたか。

16 天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとたちと地ち上じょうで生いきる希き望ぼうを持もつ人ひとたちが1つになるということを,バビロン捕ほ囚しゅうから帰き還かんしたゼカリヤも預よ言げんしていました。ゼカリヤによると,「国くに々ぐにから来きた10人にんの人ひとが,1人ひとりのユダヤ人じんの長ながい服ふくを……しっかりつかんで,『あなたたちと一いっ緒しょに行いかせてほしい。神かみがあなたたちと共ともにいる,と聞きいたからだ』と言い」います。(ゼカ 8:23)「1人ひとりのユダヤ人じん」というのは一いち個こ人じんではなく,「あなたたち」と呼よばれている一いち団だんのことで,現げん代だいでは「真しんのユダヤ人じん」すなわち天てんに行いくクリスチャンのうち地ち上じょうに残のこっている人ひとたちを指さしています。(ロマ 2:28,29)「10人にんの人ひと」は,地ち上じょうで生いきる希き望ぼうを持もつ人ひとたちを指さしており,天てんに行いくクリスチャンを「しっかりつかんで」,「一いっ緒しょに行い」きます。(イザ 2:2,3。マタ 25:40)「しっかりつか[む]」とか「一いっ緒しょに行い[く]」という表ひょう現げんは,2つのグループが完かん全ぜんに1つになっていることを強きょう調ちょうしています。

17. 私わたしたちが現げん在ざい経けい験けんしている一いっ致ちについて,イエスはどんなことを言いいましたか。

17 イエスは,羊ひつじ飼かいである自じ分ぶんの指し導どうの下もとで自じ分ぶんの羊ひつじ(天てんに行いく希き望ぼうを持もつ人ひとたち)と「ほかの羊ひつじ」(地ち上じょうで生いきる希き望ぼうを持もつ人ひとたち)が「1つの群むれ」になる,と言いいました。一いっ致ちに関かんするエゼキエルの預よ言げんを念ねん頭とうに置おいていたのかもしれません。(ヨハ 10:16。エゼ 34:23; 37:24,25)イエスや古こ代だいの預よ言げん者しゃたちの言こと葉ばが見み事ごとに描びょう写しゃしているように,私わたしたちは将しょう来らい天てんに行いくか地ち上じょうで生いきるかにかかわりなく,クリスチャンとして素す晴ばらしい一いっ致ちを経けい験けんしています。間ま違ちがった宗しゅう教きょうは無む数すうのグループに分ぶん裂れつしていますが,私わたしたちの間あいだには奇き跡せき的てきな一いっ致ちが見みられます。

現代の神の民の会衆が,集会で少女のコメントに耳を傾けている。天に行くよう選ばれた兄弟もいる。

現げん在ざい,天てんに行いくよう選えらばれた人ひとたちと「ほかの羊ひつじ」が「1つの群むれ」となり,一いっ致ちしてエホバを崇すう拝はいしている。(17節せつを参さん照しょう)

「私わたしの聖せいなる所ところが永えい遠えんに彼かれらの中なかにある」

18. エゼキエル 37章しょう28節せつからすると,神かみの民たみが「世よの人ひと々びとのようでは」ないことが非ひ常じょうに重じゅう要ようなのはなぜですか。

18 一いっ致ちに関かんするエゼキエルの預よ言げんの最さい後ごの言こと葉ばから,私わたしたちの一いっ致ちが決けっして損そこなわれないのはなぜかが分わかります。(エゼキエル 37:28を読よむ。)エホバの民たみが一いっ致ちしているのは,清きよい崇すう拝はいを表あらわすエホバの聖せいなる所ところが「彼かれらの中なかにある」からです。民たみが自みずからを神しん聖せいなものとし,サタンの世よから取とり分わけられた状じょう態たいを保たもつ限かぎり,エホバの聖せいなる所ところは民たみの中なかにあり続つづけます。(コリ一いち 6:11。啓けい 7:14)イエスも,世よから離はなれていることの重じゅう要よう性せいを強きょう調ちょうして,弟で子したちのために心こころからこう祈いのりました。「聖せいなる父ちちよ,……この人ひとたちを見み守まもってください。……彼かれらも一ひとつになるためです。……彼かれらも世よの人ひと々びとのようではありません。真しん理りによって彼かれらを神しん聖せいなものとしてください」。(ヨハ 17:11,16,17)イエスは「一ひとつになる」ことと「世よの人ひと々びとのようでは」ないことを結むすび付つけています。

19. (ア)「神かみに倣ならって」いることをどうすれば示しめせますか。(イ)イエスは亡なくなる前まえの最さい後ごの晩ばんに,一いっ致ちに関かんしてどんな重じゅう要ようなことを強きょう調ちょうしましたか。

19 聖せい書しょの中なかでイエスが神かみを「聖せいなる父ちち」と呼よんでいるのはここだけです。エホバは完かん全ぜんに清きよく正ただしい方かたであり,古こ代だいイスラエルにこう命めいじました。「私わたしは聖せいなる者ものなのだから,あなたたちも聖せいなる人ひとでなければならない」。(レビ 11:45)「神かみに倣ならって」いる私わたしたちも,あらゆる面めんでその命めい令れいに従したがいたいと思おもいます。(エフェ 5:1。ペテ一いち 1:14,15)「聖せいなる」という言こと葉ばは,人にん間げんについて使つかわれる場ば合あい,「取とり分わけられた」という意い味みになります。イエスが亡なくなる前まえの最さい後ごの晩ばんに強きょう調ちょうした通とおり,弟で子したちは世よから離はなれて分ぶん裂れつや不ふ和わを避さけているなら,一いっ致ちを保たもつことができます。

「この人ひとたちを……邪じゃ悪あくな者ものから守まもってくださるようお願ねがいします」

20,21. (ア)どんなことを知しると,エホバが守まもってくださるという確かく信しんが深ふかまりますか。(イ)あなたはどんなことを決けつ意いしていますか。

20 現げん在ざい,世せ界かい中じゅうのエホバの証しょう人にんの間あいだではっきり見みられる類るい例れいのない一いっ致ちは,「この人ひとたちを……邪じゃ悪あくな者ものから守まもってくださるようお願ねがいします」というイエスの請せい願がんにエホバが答こたえたことの証しょう拠こです。(ヨハネ 17:14,15を読よむ。)サタンが神かみの民たみの一いっ致ちを損そこなう点てんで失しっ敗ぱいしてきたことを知しると,神かみが守まもってくださるという確かく信しんが深ふかまります。エゼキエルの預よ言げんの中なかで,エホバは2本ほんの棒ぼうがご自じ分ぶんの手ての中なかで1つになると述のべました。ですから,エホバご自じ身しんが,民たみにサタンの影えい響きょうが及およばないようにご自じ分ぶんの手ての中なかで民たみを守まもり,奇き跡せき的てきに1つにしたのです。

21 では,私わたしたちはどんなことを決けつ意いしているべきでしょうか。味あじわっている素す晴ばらしい一いっ致ちに貢こう献けんできるよう,一いっ生しょう懸けん命めいに自じ分ぶんの分ぶんを果はたしていくことです。そのために一人ひとり一人ひとりがどんな重じゅう要ようなことを行おこなう必ひつ要ようがありますか。エホバの比ひ喩ゆ的てきな神しん殿でんで清きよい崇すう拝はいをいつも行おこなわなければなりません。続つづく2つの章しょうで,清きよい崇すう拝はいには何なにが関かん係けいしているかを考かんがえます。

a エゼキエルがこの預よ言げんを与あたえられる200年ねんほど前まえに,10部ぶ族ぞく王おう国こく(「エフライムの棒ぼう」)の人ひと々びとはアッシリアにより捕ほ囚しゅうにされていました。(王おう二に 17:23)

b この預よ言げんについては,この本ほんの第だい8章しょうで詳くわしく取とり上あげています。

清きよい崇すう拝はいとあなた

  1. 2本ほんの棒ぼうについての預よ言げんは,清きよい崇すう拝はいに関かんするどんな重じゅう要ような点てんを際きわ立だたせていますか。(エゼ 37:19)

  2. 一いっ致ちに関かんするこの預よ言げんが1914年ねん以い降こうにもっと大だい規き模ぼに実じつ現げんすると言いえるのはなぜですか。(エゼ 37:24)

  3. 私わたしたちがいま味あじわっている素す晴ばらしい一いっ致ちに貢こう献けんするために,あなたには何なにができますか。(ペテ一いち 1:14,15)

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