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エホバの喜ばれることは栄えるものみの塔 1972 | 7月1日
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はこれらの預言の最終的な成就を伴う活動の最高潮を見,またそれにあずかる特権に恵まれています。現代の『残れる者』とはクリスチャン会衆の成員の残っている人たちであることが明らかにされています。彼らを形造ったかたとしてのエホバはそれらの人たちを集める予備的なわざを,1914年の何年も前に開始されました。それとともに,彼らを買い戻すかたとなってこられました。彼らは『神ご自身のみ子の血をもって買い取られた』だけでなく,第一次世界大戦の期間にさらに救出される必要が生じたときにも買い戻されました。彼らは『大いなるバビロン』に捕われたのです。彼らはほとんどキリスト教世界の諸教会から出て来てはいたものの,人間に対する恐れや被造物崇拝などの,ある種のバビロン的な特徴をなおも保持していました。そして,そのために神の不興を招き,懲らしめられ,清められなければなりませんでした。心の真実な人たちはそのことを感謝し,より大いなるクロス,イエス・キリストによって救出されたとき,歓喜して神のみ名をほめたたえ,恐れることなく王国の音信をふれ告げました。彼らの経験と感慨はいみじくもこう予告されていました。「エホバよわれなんぢに感謝すべし 汝さきに我をいかり給ひしかどその怒はやみて我をなぐさめたまへり 視よ神はわが救なり……エホバに感謝せよ その名をよべ その行為をもろもろの民の中につたへよその名のあがむべきことを語りつげよと エホバを頌うたへ そのみわざは高くすぐれたればなり これを全地につたへよ」。―使行 20:28,新。黙示 17:5。イザヤ 12:1-5。
19 (イ)これはどんなすぐれた拡大をもたらしましたか。(ロ)わたしたちはどこに喜びと成功とを見ることができますか。
19 このことは全地に知らされ,その結果,霊的イスラエル人ではない大勢の他の人びとが良いたよりに答え応じてきました。これらの人びとはみな,つまり残れる者も『大いなる群衆』もともに買い戻され,「ひとりの牧者」キリスト・イエスのもとにある「一つの群」として形造られてきました。(ヨハネ 10:16)これはエホバの証人の幸福な経験です。わたしたちは創造者の目的がまさにわたしたちの眼前で成し遂げられて全き成功を収めつつあるさまを見ることができます。それは創造者に大いなる喜びをもたらすとともに,統治している神の王キリスト・イエスに集められて結ばれている人たちにも喜びと慰めをもたらしています。エホバが約束されたとおりです。「わが…言もむなしくは我にかへらずわが喜ぶところを成し わが命じ遣りし事をはたさん」― イザヤ 55:11。
20 どんな問題がわたしたちの注意を促しますか。
20 自分自身の人生の目的が創造者のそれと同一であることをどうすれば見きわめられるか,またどうすれば同様の成功の保証にあずかれるかをさらに考慮する前に,イザヤの預言の中で問題となるある箇所をもっと詳しく調べてみたいと思います。それは苦しむことに関する事がらですが,しかも同時に,それは喜びとして述べられているのです。
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