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愛の神は魂を責めさいなむでしょうかものみの塔 1973 | 7月1日
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値しない者であることを明らかに示すのです。
しかし,永遠の責め苦は意味のある事がらといえるでしょうか。もしエホバ神が人間を永遠の責め苦に遭わせるようなことがあるとしたら,責めさいなまれる者たちは果たして益を受けられるのでしょうか。そうでないことは明らかです。たとえそれらの人が益を得たいと願ったところで,より良い人間になって自分たちの境遇を改善できるものではありません。それに,彼らを永遠に責めさいなんだところで,創造者は何も得るところがありません。たとえそうしたところで,ご自分が望んでもいないこと,すなわち人間が絶え間なく苦しむさまを,それも苦痛を和らげられる見込みもなく苦しむ人のことを考えれば,何らもっともな目的もないまま人びとが絶えず苦しむさまを見るよう強制されるにすぎないのです。預言者ハバククは神についてこう書きました。『汝は目清くしてあえて悪を見たまわざる者 あえて不義を見たまわざる者な(り)』。(ハバクク 1:13)であれば,神はご自分の律法を犯した者たちの苦悶するさまをどうして永遠に見つづけることができるでしょうか。
愛の神がご自分の本性や意向また物事の取り扱い方に完全に反することを行なうなどとは確かに考えられません。
しかしながら,次のように問えるかもしれません。永遠の責め苦に関する教えを非とする証拠はただそれだけなのでしょうか。肉体の死後にも何かが生き残っていることを示す証拠があるのでありませんか。人間は死後も意識ある存在を続けているのではありませんか。したがって,肉体の死後も生き続けている何ものかが責めさいなまれるのではありませんか。次の記事をお読みになって,こうした疑問に対する答えを得てください。
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あなたの魂とは何ですかものみの塔 1973 | 7月1日
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あなたの魂とは何ですか
人間には肉体とは明らかに異なった別個の魂があると信じている人は少なくありません。人間が死ぬと,魂は肉体を去ると考えられています。生前に正しい生活を送ったかどうかによって異なりますが,魂は地獄に行って責め苦を受けるか,あるいは天に行って神とともに永遠の幸福を享受するかそのどちらかになると言われています。
このようなわけで,火の燃える地獄に関する信仰は,人間には肉体の死後も生存する魂があるという教えに基づいていることがわかります。しかし,そのような教えは聖書と調和していますか。
聖書巻頭の書,創世記は人間の魂の性格を明らかにしています。最初の人間の創造について述べた創世記 2章7節にはこうしるされています。「〔エホバ〕なる神は土のちりで人を造り,命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた〔魂: ヘブル語ネフェシュ〕となった」(口語,〔新〕)。聖書は,『人は魂を受けた』とは述べずに,『人は生きた魂となった』と述べている点に注目してください。
コリント人にあてて霊感を受けて著わした手紙の中で使徒パウロは,魂に関するキリスト教の教えが創世記に述べられている事がらと異なってはいないことを示しています。彼は創世記 2章7節を引用して次のように述べました。『しるして始めの人アダムは,生ける〔魂〕となれりとあるがごとし』。(コリント前 15:45〔新〕)パウロは魂を意味するギリシア語プシュケーを用いているので,これは,ヘブル語ネフェシュと同様プシュケー
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