あなたはエホバの知恵の益にあずかれます
『いまだ神を見し者なし』。(ヨハネ 1:18)19世紀ほど前に語られたこのことばは,依然として否定することのできない真理です。エホバ神は人間の目に見えません。
しかし,この見えない神の特質は,『造られた物を通して認められ,世界の創造以来明らかに見えます。それゆえに彼らは言いわけができません』。(ロマ 1:20,新)その特質のひとつは知恵です。というのは,エホバ神は「ただひとり賢い」かた,すなわち完全な意味で賢いかただからです。(ロマ 16:27,新)そうであれば,エホバの知恵の証拠を見ることができるはずです。事実,あなたはエホバの知恵から益を受けています。そのことをご存じでしたか。
あなたが生きているという事実自体,あなたが神の創造のわざに反映されている神の知恵から益を受けていることを証明するものです。この地球は生物の成育に最適の状態にあります。光と熱は,確かな源から十分に,また絶えず供給されています。地軸を中心とした地球の自転速度や,太陽の回りの軌道上の公転運動の速度は,地上に太陽エネルギーが最もよい仕方で分布するようになっています。ちょどよい割合いの混合気体でできている,地球にとって非常に重要な大気は,重力のおかげで地球から離脱することはありません。しかも,重力の作用は行動の自由を妨げるほど強くはありません。地球上で生物が生き続けるのに絶対不可欠な種々の特性を備えた水も,大量に貯えられています。また,土壌の中には水と容易に結合する,そして植物が吸収しやすい滋養分が豊富にあります。
次のことも考えてみてください。地球からちょうどよい距離のところに熱と光の十分の供給源が置かれたのは,単なる偶然だったのでしょうか。地球が非常に適切な速度で地軸を中心に自転し,太陽の回りを動くようになったのは偶然でしょうか。適切な割合いの混合気体で成っている恒久的な大気が地球に備えられたのは偶然でしょうか。生物が生き続けるのに必要な食物と水を地球は偶然手にするようになったのでしょうか。そうでないことは明らかです。生命の維持に必要なすべての循環が働くようにしたのは,計り知れない知恵の源であるエホバ神です。
生物がさまざまな環境のもとで生活できることは確かに驚きに値します。わたしたち人間は高地や熱帯の低地,また寒い北極地方にでも住むことができます。普通の健康体であれば,季節の変化,あるいは世界の他の場所の全く異なった気候に順応することができます。
気持ちよく生活できる「限界」にはかなりの幅があります。人間の無分別な,不潔な物事のやり方は何百万もの人びとに死をもたらしました。しかし,それにもかかわらず,生命は幾千年もの間存続してきました。今日では有毒なばい煙が大気を汚染し,大小の河川,湖,海には有害な廃棄物が流れ込んでいます。人間の不注意,どん欲,無知などのために,広範囲の土地がそこなわれています。しかしそれでも,生物は生き続けることができます。
確かに,人間の失敗はみずからを破局に,生存の限界のぎりぎりの線にいっそう近づけています。しかし,それにもかかわらず,エホバ神はこの事態に対処する知恵と力を持っておられます。神は,『地を滅ぼす者を滅ぼし』,地球を従順な人類のすみかにすることを意図しておられます。―黙示 11:18; 21:3-5。
人間の良心と聖書に見られる神の知恵
地を滅ぼす者すべてが滅ぼされた後も引き続き神の知恵から益を得るためには,わたしたち自身が,神のことば聖書の中に書かれている賢明な戒めに導かれたいと願っていることを明らかにしなければなりません。聖書は次のように述べています。『世と世の欲とは過ぎゆく,されど神の〔意志〕を行なう者は永遠にとどまるなり』。(ヨハネ第1 2:17〔新〕)あなたは神の意志をよく知り,それを行なっていますか。
善良な生き方をしていればそれで十分である。またそういう生活には聖書は必要ではないと考えている人は,今日少なくありません。物事を処理するさいに正しい判断を働かせ,隣人を正しく扱い,また法律を良く守る市民となるために聖書を知る必要はないと言う人もいます。聖書の知識がないにもかかわらず,比較的「善良」な生き方をする人がいることは少しも驚くにはおよびません。なぜでしょうか。なぜなら,人間には,神から賦与された良心という機能,すなわち内的な自覚もしくは善悪の感覚があるからです。聖書が次のように述べているとおりです。『律法を持たぬ異邦人,もし生まれつきのまま律法に載せたる所を行なう時は,律法を持たずともおのずから己が律法たるなり。すなわち律法の命ずる所のその心に録されたるをあらわし,おのが良心もこれが証をなして,その念,互いにあるいは訴えあるいは弁明す』― ロマ 2:14,15。
良心の機能を人間に賦与した神の知恵がなかったなら犯罪や不法行為はずっと昔に,人間の生存を事実上不可能にするほどの状態に達していたことでしょう。幸いなことに,良心の働きが強いため,犯罪や暴力の増加しているこの20世紀においてさえ,多くの人はだいたいにおいて礼儀にかなった行動をしており,仲間の人間の福祉や幸福に少なくともある程度貢献しています。受け継いだ良心にそれが可能であるのなら,神のことば聖書に示されている神の戒めに固く従うことは,さらにすぐれた結果をもたらすのではないでしょうか。確かにそうです!
聖書の導きを望む別の理由は,訓練や環境がその人の良心に悪い影響を与え,良心を信頼の置けない導き手にしてしまうおそれがあるという点にあります。たとえば,今世紀においても,人びとは権力者の命令のもとに行動していると言っては,男女子どもを拷問にかけたり,残忍な方法で殺害することなどを正当化しました。それでわたしたちは,自分自身や他の人をそこなうような悪行を正当化し始めることがないように,神のことば聖書の中に示されている知恵から益を得たいと望むべきではないでしょうか。
エホバのクリスチャン証人は,聖書に一致した生活を送ることが生活を意義あるものにし,良心に安全な導きを与えることに気づきました。毎日の生活に神のことば聖書を適用することによって,証人たちはより良い夫,父,母,妻,息子あるいは娘となりました。何かの問題が生じる時,彼らは信頼の置ける解決策を,確信を持って神のことば聖書に求めます。では,この次にエホバの証人がお宅を訪問する時,聖書の中に見い出される知恵からどのようにして益を受けたかを彼らに説明させてはいかがですか。現在および将来において,神の知恵から十分に益を得られるよう,エホバの証人といっしょに無償の家庭聖書研究を毎週行なわれるようにお勧めします。