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「平和だ,安全だ」― それから「突然の滅び」ものみの塔 1982 | 5月15日
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「平和だ,安全だ」― それから「突然の滅び」
「人々が,『平和だ,安全だ』と言っているその時,突然の滅びが,……彼らに突如として臨みます」― テサロニケ第一 5:3。
1 世界情勢を観察する人の多くは,今どんなことを言っていますか。
人間社会の出来事を観察する人の多くは,世界情勢が近年悪化してきたということに同意します。カナダで開かれた,未来に関する世界会議の席上で,ローマ・クラブaの会長アウレリオ・ペッチェイはこう言明しました。「世界の状態は10年前よりも悪くなっており,しかも今なお悪化の一途をたどっている。災いから災いへとよろめき進む今日の世界は,地面に触れながら飛んで行く弾丸にますます似てきた」。フランスのパリの日刊紙ル・モンドの主幹アンドレ・フォンテーヌはこう述べています。「インフレ,失業などの大きな問題に対処できそうな人物は,西側諸国には存在しない。北と南の隔たりも広がりつつある。戦争は増える一方であり,軍備競争は人々を戦慄させる。したがって楽観すべき理由はどこにも見いだせない。……現代の世界には,この時代の大きな経済問題を克服できそうな政府は一つも存在しないと思う」。さらに南アフリカの一雑誌はこう伝えています。「人類は,残虐行為,不道徳,無責任,利己主義,貪欲の面で史上最悪の状態に達したかに見えるであろう」。
2 人間社会の状態は,ノアの時代の大洪水直前に存在した状態とどんな点で似通っていますか。
2 今日の人間社会の状態は,神が義人ノアとその家族だけを残し,古代の世を世界的な大洪水で滅ぼす直前に地上で生じた事柄に実によく似ています。この時代に関し聖書はこう述べています。「エホバは,人の悪が地にあふれ(る)……のをご覧になった。そして,地はまことの神の前に損なわれ,地は暴虐で満ちるようになった」。(創世記 6:5,11,新)イエス・キリストが予告されたように,現代という時代は「ちょうどノアの日のよう」です。(マタイ 24:37)「人の悪が」あふれたため,全地は再び「暴虐で満ち」ています。大洪水前のこのような状態は,古代のその事物の体制の終わりが差し迫っていたことの証拠となりました。同様に,現在聖書預言の成就となっている世界情勢は,この事物の体制がその「終わりの時」,その「終わりの日」にある事実を立証する証拠なのです。このことは西暦1914年以降について言えます。―ダニエル 12:4。マタイ 24:3-14。テモテ第二 3:1-5。
3 (イ)わたしたちが「終わりの日」の終わり近くにいるとどうして分かりますか。(ロ)聖書預言を確信できるのはなぜですか。
3 イエスの予告によると,「終わりの日」が始まった時に生きていた人々の一部は,生きてこの体制の終わりを見ることになります。1914年の「世代」がこれらの苦難の始まりを目撃してからすでに67年が経過しました。(マタイ 24:34)したがってこの「曲がってねじけた世代」に残されている時間はつきようとしています。(フィリピ 2:15)やがてわたしたちは,『この世が過ぎ去ること』に関する数多くの聖書預言の成就の目撃者となることでしょう。(ヨハネ第一 2:17)さらにわたしたちは,これらの預言が詳細な点に至るまで成就することを確信することができます。「終わりのことを初めから……告げる者」であられ,霊感によってこれらの預言を与えた方であるエホバは,「誓って,言われた,『まさしくわたしの図った通りに事は成り,わたしの計った通りの事が実現する』」― イザヤ 14:24;46:10,新。ペテロ第二 1:20,21。
エホバの「復しゅうの日」
4 この体制の終わりに関する預言の一つはどれですか。そのことからどんな質問が生じますか。
4 この事物の体制の終わりに関する数多くの聖書預言の一つが,テサロニケ第一 5章の2節と3節に記されています。その預言は次の通りです。「エホバの日がまさに夜の盗人のように来ることを,あなたがた自身がよく知っているからです。人々が,『平和だ,安全だ』と言っているその時,突然の滅びが,ちょうど妊娠している女に苦しみの劇痛が臨むように,彼らに突如として臨みます。彼らは決して逃れられません」。「平和だ,安全だ」と言うというのは一体何のことでしょうか。そう言うのはだれですか。そしてどんな滅びがその直後に臨むのでしょうか。
5 テサロニケ第一 5章2,3節はどんな出来事に関連していますか。
5 聖書のこの二つの節は,「突然の滅び」が最終的に生じる「エホバの日」のことを述べています。ですからこの預言は明らかに,エホバが,悪魔サタンの支配するこの邪悪な事物の体制に対して裁きを執行される「日」,つまり時期に関するものです。(コリント第二 4:4。啓示 12:9)これはエホバの「復しゅうの日」となります。(イザヤ 61:2,新)イエスはこの時期について,「その時,世のはじめから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難があ(りま)す」と述べておられます。(マタイ 24:21)使徒パウロが記しているところによると,この来たるべき裁きの執行は「主イエスがその強力な使いたちを伴い,燃える火のうちに天から表わし示される」ことを意味し,「彼はその際,神を知らない者と,わたしたちの主イエスについての良いたよりに従わない者に報復をするのです」。さらにパウロは,「この同じ者たちは,主のみ前から,またその力の栄光から離れて永遠の滅びという司法上の処罰を受けます」とつけ加えています。―テサロニケ第二 1:7-9。
6 「大患難」はどのように始まりどのように終わりますか。
6 来たるべき「大患難」,エホバの「復しゅうの日」は,現在の事物の体制全体,つまり経済・社会・政治上の諸制度はもちろん,偽りの宗教も巻き込みます。その「大患難」における出来事の順番は,聖書の啓示の書(黙示録)の預言の中に明示されています。これらの預言は,エホバの「復しゅうの日」があらゆる偽りの宗教の滅びから始まることを明らかにしています。それは,サタンの世の政治的分子や他の分子が,その支持者である「小なる者と大なるもの」もろとも最終的な滅びを被る時に終わります ― 啓示 17-19章。
「突然の滅び」
7 「平和だ,安全だ」と言う声は,何の直前に揚がりますか。
7 ですから「平和だ,安全だ」と言う声は,聖書預言の中で「大いなるバビロン」といわれている帝国,つまり偽りの宗教の世界帝国が「突然の滅び」を被る直前に揚がります。(啓示 17:5)この世界帝国は,『地の王たちが淫行を犯す大娼婦』とも語られています。(啓示 17:1,2)ところが皮肉なことに,以前はこの娼婦の“情夫”であった「地の王たち」の多くは,彼女に敵対します。こう述べられているからです。「これらは娼婦を憎み,荒れ廃れさせて裸にし,その肉を食いつくし,彼女を火で焼き尽くすであろう」― 啓示 17:16。
8 世の宗教にエホバが厳しい裁きを下されるのはなぜですか。
8 この世の宗教組織にこれほどの厳しい裁きが下されるのはなぜですか。神の言葉聖書が答えを与えています。「彼女の罪は重なり加わって天に達し……たのである」。(啓示 18:5)それらの罪の中には次のようなものもあります。「彼女の中には,預言者と聖なる者たちの血,そして地上でほふられたすべての者の血が見いだされた」。(啓示 18:24)世の宗教は,自らの追随者たちに神とその律法に関する真理を教えなかったばかりか,戦争に関与し,その結果幾世紀もの間に何億という人々の血を流してきました。さらに偽りの宗教は率先して,神の真の僕たちを迫害してきました。(ルカ 11:47-51。啓示 17:6)したがってエホバは,彼女がしてきたことやしてこなかったことに基づいて,「大いなるバビロン」を「地上でほふられたすべての者の」血に直接また間接に責任を持つものとみなされるのです。
9,10 (イ)現代に至るまで流血の罪の責任を偽りの宗教が負っていることを,幾人かの人々はどのように指摘していますか。(ロ)実際のところ,「大いなるバビロン」はだれに仕えてきましたか。
9 偽りの宗教は現代に至るまで流血の罪を重ねてきています。例えば,1981年5月18日付のニューヨーク・ポスト紙はこう報じました。「カーター元大統領は昨日,憎しみと暴力のために,『世界は気が狂ってしまった』かに見えると述べた」。同大統領はさらに,「人々を愛のうちに結び合わせるはずの深い宗教的信念は,往々にして狂気や殺人の部分となってしまうように思われる」とも語りました。同様に,マイク・ロイコによる同紙の二日前の社説には,カトリック教徒,プロテスタント信者,イスラム教徒,ユダヤ教徒などが「互いに殺し合うことによって[神への]献身を表明している」と述べられています。「片方の側が他方の側をぬぐい去れれば,そちらの側の崇拝の方式が正しい証拠になると彼らは考えているように思える」と同氏は述べ,ローマ・カトリック教会の法王は平和な人と言われているが,「その追随者たちは,怒り立つと数百万ガロンの血を流すことで知られてきた」と付け加えています。
10 そういうわけで,「大患難」が,神聖を汚す,偽善的な偽りの宗教の世界帝国の滅びから始まるのはふさわしいことです。世の宗教,「大いなるバビロン」が神に仕えると主張しながら実際には悪魔に仕えてきたのですから,それは義にかなった裁きと言えます。彼女の「心霊術の行ない」により,幾億という人々は欺かれ,悪魔の関心事のために仕えてきたのです。―啓示 17:3-6; 18:23。
11 偽りの宗教の滅びが驚くほど突然に臨むことを何が示していますか。
11 「大いなるバビロン」の倒壊は極めて突然に,世の見地からは全く予測できない時に生じます。その滅びがあまりに突然なので,それは彼女を支えてきた政治支配者たちに衝撃を与えます。こう書かれています。「彼女の焼かれる煙を見る時,彼女と淫行を犯し,恥知らずのおごりのうちに暮らした地の王たちは,彼女のことで泣き,身を打ちたたいて悲しむであろう。また,彼女の受ける責め苦を恐れるあまり,遠く離れたところに立って,こう言うであろう。『気の毒だ,気の毒なことだ,大いなる都市よ,強力な都市ともあろうバビロンよ,あなたの裁きが一時のうちに到来したとは!』」他の人々 ― 彼女を支えてきた商業的分子である「旅商人たち」も同じように叫びます。「気の毒だ,気の毒なことだ……これほど多くの富が一時のうちに荒れ廃れてしまうとは!」と。―啓示 18:9-19。
12 滅びは予期せぬ時にどのように,痛みをもたらす仕方で到来しますか。
12 このことは,テサロニケ第一 5章2,3節の描写と一致します。そこには滅びが非常に突然に,予期せぬ時に到来することが示されています。「エホバの日」は「まさに夜の盗人のように」来るからです。それはどんな意味で「夜の盗人のように」来るのでしょうか。それは,人類の大部分が神のご意志の漸進的な啓示に対し目ざめていない時に来るという意味です。彼らは霊的に眠っています。彼らは予期せぬ時に盗人がやって来る夜に眠っている人のようです。こうした人々は気持ちを鈍らせて滅びに定められたこの事物の体制を支持するようになっています。ですから大いなるバビロンの滅びは彼らにとって予期せぬ時に到来するのです。確かに,サタンの体制を支持する分子すべてを滅ぼす「エホバの日」は,「まさに夜の盗人のように」来ます。滅びは神の敵の上に,「ちょうど妊娠している女に苦しみの劇通が臨むように」突然,痛みをもたらす仕方で到来します。「彼らは決して逃れられません」。―ペテロ第二 3:10もご覧ください。
「平和だ,安全だ」の声
13,14 (イ)諸国家は昔からどのように平和と安全について語ってきましたか。(ロ)このような平和への努力が,テサロニケ第一 5章2,3節の成就であり得ないのはなぜですか。
13 世界を揺るがす様々な出来事は,偽りの宗教とサタンの全体制の「突然の滅び」をしるし付けるものとなりますが,その滅びの直前に,「平和だ,安全だ」と言う声が揚がります。ですから,この「平和だ,安全だ」という叫びが何を意味するかをはっきり理解しておくのは非常に重大なことです。それはまず,平和を欲する諸国家の単なる普通の努力のことではないようです。諸国家はその問題について昔から語って来ました。例えば,第一次世界大戦後,諸国家はベルサイユで平和条約に署名し,その後ほとんどの国が1928年のケロッグ・ブリアン不戦条約に署名しています。第二次世界大戦も平和条約で終結しました。近年ではソ連とアメリカが平和について話し合い,軍備制限のための幾つかの協定に署名しています。中東の様々な国々は,時折互いの間で平和条約を締結します。
14 しかしこれらの努力はいずれも,テサロニケ第一 5章2,3節の描写には適合しません。なぜでしょうか。「大患難」,エホバの「復しゅうの日」がまだ始まっていないという事実によります。その滅びは「平和だ,安全だ」という叫びの後「突如として」,突然に生ずるとパウロが言っていることを忘れてはなりません。さらにその成就は,エホバの霊感を受けた特別の預言として記録されたのも当然と思えるほどに衝撃的なものでなければなりません。「平和だ,安全だ」と言う声は,その時まで行なわれてきた平和への数々の努力とは異なった,特別な進展でなければなりません。
15 「平和だ,安全だ」と言うのは当然だれですか。
15 また,終わりが来る直前に「平和だ,安全だ」と言う「人々」とはだれでしょうか。この世のどんな部分も,主要な政治強国の協力や支持がなければ,こうした事を宣言できるとは思われません。ですからこの預言の成就には,諸国家の支配者たちが重要な役割を果たすように思われます。平和をもたらすことに専心していると考えられている国際連合組織も,一役買うことでしょう。では宗教的な分子についてはどうですか。彼らはこの世に深くかかわっており,『地の王たちと淫行を犯している』ので,この方面での政治勢力の様々な努力を支援したり,積極的に促進したりすることでしょう。この点において彼らは,古代ユダの偽預言者に似た者となるでしょう。彼らは偽って,「エホバは,『あなたがたは平安を得るようになる』と語られた」と宣言したのです。しかし神は,真の預言者エレミヤの予告していたように,彼らに間もなく災いを臨ませようとしておられたのです。―エレミヤ 23:16-22,新。
16,17 (イ)諸国家は今何らかの『平和と安全』に向かっているように見えますか。(ロ)しかしこうしたことが生じるとなぜ確信できますか。
16 しかし諸国家はその後何らかの『平和と安全』の方向へと動いて来たでしょうか。近年のニュースからすると,それとは正反対の方向に進んでいるように見えます。元駐ソ米国大使ジョージ・ケナンはこう語りました。「政治的な緊張が今日ほど危険な状況にまで達したことは過去30年間に1度もなかった。その間を通じて,誤解や疑念,当惑,純然たる軍事的恐れなどが[今日のように]これほど高じたことは1度もなかった」。トロントのスター紙の社説はさらにこう述べています。「それは将来に対する恐れではなく,もっと不吉なものである。つまり現在への恐れである」。
17 ここ何か月かの間,主要な国々は互いを非難また威嚇する言葉を語っています。内紛,革命,戦争などが世界のあちこちで生じています。世界経済は極めて不安定になり,犯罪と暴力は増加を続け,疫病的な様相を呈しています。確かに,「人々」がどのように「平和だ,安全だ」と言い得るのか理解しがたく思えるでしょう。しかし,エホバの言葉は決して成就せずに終わることはありません。(イザヤ 55:11。テサロニケ第一 5:3,今日の英語聖書。エルサレム聖書)「突然の滅び」がわたしたちを襲う直前にこのように事態が進展すると述べられているのですから,どんなにそれが今のところ起こりそうに見えなくても,それは必ず生じます。
18 古代バビロンに対する幾つかの預言から,預言の現代的成就にどのように信仰を抱く事ができますか。
18 神がご自分の僕たちに霊感を与え,古代のバビロンに対してふれ告げさせた預言のことを思い起こしてください。古代バビロンといえば,西暦紀元の数世紀前に存在した強大な世界強国です。ある著述家は,バビロンに対する聖書の重要な預言の数々が成就する確率を50億分の1と計算しました。古代の神の民の多くは,バビロンほど強力で堅固な世界強国に対するこれらの預言が果たして成就するのだろうか,と不思議に思ったに違いありません。しかしそれはどんな細かな点に至るまでも成就しました。ですから今日,「平和だ,安全だ」と言う声が揚がってから世の体制が滅びるのは,あり得ないことのように思えるかもしれません。しかし神の預言的な言葉は,そうなると宣言しているのです。
うわべに過ぎない
19 「平和だ,安全だ」と言う声は,何を意味するものではありませんか。
19 わたしたちは次のことを確信できます。「平和だ,安全だ」という叫びがどんな形で揚がろうと,それはこの世の根本を成している状態が逆転するという意味ではありません。また,諸国家が武装解除したり,敵意に満ちた態度を改めたりするという意味でもありません。「『邪悪な者たちに平和はない』と,わたしの神は言われた」のです。(イザヤ 57:21,新)それは,世の支配者たちが自暴自棄になるか,あるいは何らかの新しい政策の追求に利己的な利益があるのを見て取ったために,以前よりも明確に,一時の間「平和だ,安全だ」と叫ぶという意味に過ぎません。
20 (イ)世の状態がこれからも腐敗してゆくことをなぜ確信できますか。(ロ)人々の大多数は神の崇拝に関してどんなことを行なうと考えられますか。
20 この世がこれからも引き続き腐敗してゆくことをなぜこれほどまでに確信できるのでしょうか。テモテ第二 3章1,13節に,これらの「終わりの日には,……邪悪な者とかたりを働く者とはいよいよ悪に進(む)」と予告されているからです。ですから「平和だ,安全だ」と言う声はうわべだけに過ぎません。それは人類の真実の状態に言及したものではありません。サタンの支配下にあるこの世が行なう事はどれも,犯罪と暴力の激増に終止符を打ったり,家庭の崩壊をとどめたり,不道徳行為のまん延という流れを変えたり,毎年幾百万件にも上る,胎児の命を奪う堕胎を防いだり,人類の他の重要な諸問題を解決したりすることはありません。(エレミヤ 10:23)人々の大多数が突然神の真の崇拝に転ずることもありません。この時代の人々が「神を愛するより快楽を愛する者,敬神の専念という形を取りながらその力において実質のない者」となるという聖書預言は正しいのです。―テモテ第二 3:4,5。マタイ 7:13,14もご覧ください。
21 エホバの僕たちは,これから揚がる「平和だ,安全だ」という宣明を,どんな意味に取りますか。
21 それで,これから「平和だ,安全だ」という宣明がなされる時に,そのむなしい希望によってこの世は惑わされますが,エホバの僕たちはそうではありません。むしろ彼らは,これから成就しようとしているこの預言の真実の意味をつかみます。つまり,それは「大患難」がこれからまさに始まろうとする最終的なしるしなのです。彼らはまた,神の「復しゅうの日」の終わった後に,神の忠実な僕たちが義の満ちる新しい事物の体制に入り,パラダイスに変えられる清められた地上で,終わりのない命を享受するようになることも知っています。(ペテロ第二 3:13。啓示 7:9-17)これら胸の躍るような出来事すべてが間近に迫っているとき,わたしたちの態度はどうあるべきでしょうか。
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『目ざめていて,冷静さを保ちなさい』ものみの塔 1982 | 5月15日
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『目ざめていて,冷静さを保ちなさい』
「わたしたちは,ほかの人々のように眠ったままでいないようにしましょう。むしろ目ざめており,冷静さを保ちましょう」― テサロニケ第一 5:6。
1 聖書預言のどんな成就が間もなく見られると考えられますか。
イエスはご自分の世代のうちに臨むエルサレムの滅びについて予告した際,こう言われました。「これは処罰の日であり,それによって,書かれていることのすべてが成就するのです」。(ルカ 21:22)西暦70年,神の義にかなった裁きの執行が,神のみ名を汚し,その律法を破り,その僕たちを迫害した人々の上に臨みました。同様に,現在の邪悪な事物の体制に対する神の義にかなった裁きの執行は間もなく到来し,聖書預言に記されている事柄はすべて確かに成就するということが再度示されます。しかもその裁きは,必要な準備のできていない人々にとっては驚くほど突然に生じます。聖書は「人々が,『平和だ,安全だ』と言っているその時,突然の滅びが……彼らに突如として臨みます」と述べているのです。―テサロニケ第一 5:2,3。
2 わたしたちが近い将来に適用できるどんな諭しを,神の言葉聖書は示していますか。
2 今から,神の最終的な裁きが下されるまでの間,エホバの僕たちは目ざめていることと献身的に目的を果たすことに関して高い意識を保つように命じられています。テサロニケ第一 5章2,3節の霊感による預言を書き記した使徒パウロは,次のようにも述べています。「ですからわたしたちは,ほかの人びとのように眠ったままでいないようにしましょう。むしろ目ざめており,冷静さを保ちましょう」。(テサロニケ第一 5:6)イエスは,「それで,起きることが定まっているこれらのすべての事を逃れ,かつ人の子の前に立つことができるよう,常に祈願をしつつ,いつも目ざめていなさい」と諭されました。(ルカ 21:36)使徒ペテロも同様の事柄を次のように記しています。「これらのものはこうしてことごとく溶解するのですから,あなたがたは,聖なる行状と敬神の専念……[を保つ]者となるべきではありませんか」― ペテロ第二 3:11,12。
今エホバのもとに来る
3 生き残って神の新秩序に入るには,だれでも何をしなければなりませんか。
3 生き残って神の新秩序に入ることを願う人々はすべて,エホバとの,またその地上の組織との正しい関係を今緊急に築く必要があります。「エホバのみ名は強固な塔。義なる者はその中に走り込んで保護される」。(箴言 18:10,新)「末の日に,エホバの家の山はもろもろの山の頂より上に堅く立てられ,もろもろの丘より上に必ず高められ,すべての国の民は必ず流れのようにそこに向かう」。(イザヤ 2:2,新)どんな国の人々でも,パラダイスのような神の新秩序で生きることを願うなら今,エホバの山,その真の崇拝に流れてゆかなければなりません。その崇拝は堅く立てられ,他のどんな形の崇拝よりも高く上げられています。
4 イエスは,エホバのもとに来るのをひどく延ばすことは命取りになりかねないということをどのように示しておられますか。
4 エホバの真の崇拝のもとに今来ることがこれほど急を要するのはなぜでしょうか。誠実な人柄であれば,実際にエホバの裁きの執行が始まるのを見,それから直ちに神の側に付いてもよいのではありませんか。それは一部の人にとって良い考えに思えるかもしれませんが,その時にエホバとの正しい関係を築く十分の時間があるでしょうか。聖書の証拠から見るとその時間はありません。イエスはこう警告されました。「食べ過ぎや飲み過ぎまた生活上の思い煩いなどのためにあなたがたの心が押しひしがれ,その日が突然,わなのように急にあなたがたに臨むことがないよう,自分自身に注意を払いなさい。それは,全地の表に住むすべての者に臨むからです」。(ルカ 21:34,35)霊的に目ざめていない人が不意を襲われるということに注目しましょう。その「日」は,「平和だ,安全だ」と言っている人々に「突然の滅びが……突如として」臨むのと全く同じように,「突然」,「急に」臨むのです。
5 人々は滅びの前にエホバについて学ぶ必要があるということを示すどんな聖書的な例がありますか。
5 イエスはこうした人々を,知らずにわなにはまり込んでしまう動物になぞらえています。さらに『洪水が彼らすべてを流し去るまで注意しなかった』ノアの時代の,霊的に不注意な人々にもなぞらえています。大洪水が始まった後,その人々がエホバについて学び,その保護の下に来る時間は少しでもあったでしょうか。いいえ,ありませんでした。洪水が起きた時,それは『彼らすべてを流し去った』とイエスは明言しておられるからです。彼らはすでに,ノアやその家族と共に保護の箱船の中にいたわけではありません。同様に,ソドムとゴモラに対する神の裁きが臨んだ折,火による滅びが天から降り始めた後に逃れた人がだれかいたでしょうか。いませんでした。その地域からすでに出ていたロトとその娘たち以外の人はみな滅ぼされたからです。そこからいったん出かけてそれからためらったロトの妻も,破壊的な力によって打ち滅ぼされました。イエスは「ロトの妻のことを思い出しなさい」と言われましたが,それには十分の理由があったのです。―マタイ 24:37-39。ルカ 17:32。
6 聖書中の証拠はどんな考え方を支持していませんか。
6 では偽りの宗教の世界帝国である「大いなるバビロン」が倒壊した後に,霊的に目ざめてエホバを尋ね求める機会を人々が持てるような時期があるでしょうか。聖書中の証拠はこの見解を支持しません。前述の例に加えて,西暦1世紀のユダヤ人国家の例もあります。宗教的なこれらのユダヤ人は,自分たちは神を申し分なく崇拝しており,イエスやその追随者たちの宣べ伝えることに耳を傾ける必要はないと考えました。ところがイエスはこう警告しておられたのです。「エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら,その時,その荒廃が近づいたことを知りなさい。その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。都の中にいる者はそこを出なさい。町外れにいる者は都の中に入ってはなりません」。(ルカ 21:20-22)ところがエルサレムを包囲していたローマ軍が西暦66年に撤退した時,自信過剰のユダヤ人たちは『逃げはじめる』ことをしませんでした。撤退するローマ軍の後衛を攻撃して,同軍を敗走させたので,逃げる必要はないとユダヤ人は考えました。彼らは,神が自分たちと共におられると信じ,“聖なるエルサレム”という銘を彫り込んだ新しい銀貨を鋳造することさえしました。しかし霊感によるイエスの預言は,エルサレムがもはやエホバにとって神聖なものでないことを明らかにしていました。
7 イエスの諭しとは逆のことを行なったユダヤ人たちの上に,どんな運命が臨みましたか。
7 ユダヤ人は偽りの宗教に欺かれていたので,エルサレムやユダヤから出る機会があった時にも出ませんでした。それどころか,西暦70年の春には逆のことを行ないました。彼らは宗教上の祝祭のためエルサレムに集まりました。しかしちょうどその時,ティツス将軍の率いる強力なローマ軍が引き返してきてエルサレムを包囲し,その人々を全部閉じ込めてしまいました。彼らはさながらわなに掛かった動物でした。短期間の攻囲の後,エルサレムは滅びました。これらの出来事の目撃証人であった歴史家フラビウス・ヨセフスはこう記しています。「この戦争全体を通じ捕虜として連れ去られた人々の数は総計9万7,000人に達した。一方この攻囲の全期間中に命を失った人の数は110万人におよび,その大部分は[エルサレムの市民と]同国人であったが,その都市そのものの住人ではなかった。彼らは種入れぬパンの祭りを行なうために全国からやって来ていて,突如軍隊により閉じ込められたのである。……国民全体が今やろう獄にいるかのように運命に閉じ込められた。そしてローマ軍はその都市を取り巻いた」。「ユダヤ戦記」,第6巻,第9章,3,4節。ウィリアム・ウィストンの英訳による。
8 イエスに聞き従ったクリスチャンたちは,最後の瞬間に逃れようとした人々の結末と対照的に,どんな結果を迎えましたか。
8 しかし,目ざめていて冷静さを保っていたクリスチャンたちは,西暦66年後に逃げる機会が訪れた時に安全な場所へ逃れていたので,すでにエルサレムとユダヤ全土から出ていました。イエスの預言的な言葉を信じ,それに従って行動することにより,彼らは生き延びたのです。しかし,西暦70年にあの「大患難」がユダヤ人の上に到来した時,もはや彼らには逃れる時間は残されていませんでした。ローマ人の攻囲を突破してその都市から脱出しようとした数千の人々は兵士たちに捕らえられてしまいました。兵士たちはそれらのユダヤ人の多くが飲み込んでいた金を得ようとして幾人かのユダヤ人を切り裂くことさえしました。
より厳しい「患難」に生き残る
9,10 (イ)「大患難」はどれほど厳しいものとなりますか。(ロ)「大いなるバビロン」の滅びの後,平穏な時期が多少あると考えられないのはなぜですか。
9 それは確かに,イエスの予告された通りの,ユダヤ人に臨んだ厳しい「患難」でした。(ルカ 19:43,44)しかしながらイエスの言葉は,より大きな「患難」が現代のエホバの「復しゅうの日」の間に生ずることを指摘していました。ご自分の「臨在」の「しるし」についての質問に答えるに当たってキリストはこう明言されました。「その時,世のはじめから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難があるからです」。(マタイ 24:3,21)この「患難」は「大いなるバビロン」だけではなく,政治・社会・経済制度を含むサタンの組織全体の上に臨みます。
10 この滅びはまず偽りの宗教から「突然に」始まりますが,容赦なくその終極へと進みます。(テサロニケ第一 5:3)聖書預言は,「大いなるバビロン」が覆された後に平穏な時期があるとの考えを退け,その世界帝国を滅ぼす神に反対する勢力は,献身したエホバの証人たちにも何ら好意を示さないということを明らかにしています。逆にこれら神に反対する勢力は神の民を憎み,今度は彼らに刃向かってきます。聖書の示すところによると,「大いなるバビロン」を荒廃させたこの同じ「十本の角がある……野獣」は,追随者たちを代理として地上に持っておられるイエス・キリスト,つまり「子羊と戦う」こともします。(啓示 13:1; 17:12-14,16; 19:19)偽りの宗教に勝利を得て意気盛んな征服者たちは,神の僕たちのことも似たりよったりの宗教で,自分たちが世界支配を行なう上で障害が残らないように取り除かなければならないものと考えるに違いありません。―エゼキエル 38:14-16。
11 どのように「大患難」はその頂点に達しますか。
11 しかし神の僕たちに対するこの攻撃は,神を攻撃するようなものです。神は,「あなた方に触れる者はわたしの目の玉に触れているのである」と語っておられます。(ゼカリヤ 2:8,新。エゼキエル 38:18,19)それは直ちに,エホバの反応を誘います。それは攻撃者たちの上にエホバのハルマゲドンの激怒を呼び起こします。(啓示 16:14,16)神はご自分の王なるみ子キリスト・イエスとその天の軍勢に,攻撃に出るよう命令されます。キリストとその天の軍勢は圧倒的な力をもって,地の王たち,この不敬虔な体制の残りの他のあらゆる分子,それを支持する人々すべてを打ち倒します。ひとりのみ使いは大声で叫び,天の鳥たちを招きます。「さあ来なさい,神の大きな晩さんに集まれ。王たちの肉,軍司令官たちの肉,強い者たちの肉,馬とそれに乗る者たちの肉,そしてすべての者,すなわち自由人ならびに奴隷および小なる者と大なる者の肉を食べるためである」。(啓示 19:17,18)こうして「大患難」はその頂点に達します。このサタン的な事物の体制に対する神の義にかなった「復しゅうの日」は,その終わりに至るのです。
12 誠実な人々が『エホバを尋ね求める』べきなのはいつですか。
12 「大いなるバビロン」の荒廃を皮切りに「突然の滅び」が始まった時から,諸国家によるエホバの僕たちの攻撃を経て神の戦争ハルマゲドンに至るまでの間,「大患難」にはどんな休止期間もないものと考えられます。したがって,偽りの宗教が滅んだ後に神に立ち返れる十分な時間があると結論づけてよい聖書的な理由は一つもありません。むしろ,生きて神の新秩序に逃れることを願う人々は,今エホバに立ち返るべきです。「あなたがたは見いだせるうちにエホバを尋ね求めよ。近くにおられるうちに呼びかけよ」。(イザヤ 55:6,新)今こそ,誠実な人々が,信仰,勇気,愛,奉仕の生活を始めるべき時なのです。今こそ,急速に近づきつつある「大患難」の際に神の民に加えられる圧力に耐えられるよう,備えをすべき時なのです。
13 神の忠実な僕たちは何になぞらえられていますか。どのようにですか。
13 神の言葉聖書は,神の忠実な僕たちを,訓練の行き届いた兵士になぞらえています。それは注意深く,防御用の武具を身に着けた,そして指導者から与えられるどんな命令にも従う準備のできている兵士たちです。彼らは,危険で緊急な時に兵舎で眠りこけている準備のできていない軍隊のようではありません。パウロはこう述べています。「ですからわたしたちは,ほかの人びとのように眠ったままでいないようにしましょう。むしろ目ざめており,冷静さを保ちましょう。眠る者は夜眠るのが常であり,酔う者は夜酔うのが普通だからです。しかし昼に属するわたしたちは,冷静さを保ち,信仰と愛の胸当てを,また,かぶととして救いの希望を身に着けていましょう。神はわたしたちを,憤りにではなく,わたしたちの主イエス・キリストを通して救いを得ることに定めてくださったからです」― テサロニケ第一 5:6-9。
14 神の僕たちが神のご意志を行なえるよう,正しい情報が確かに与えられるということは何から分かりますか。
14 それに神の僕たちは,生き残るための適切な措置を講じることができるよう,神がその組織を情報に通じたものとされるということに一点の疑念も抱きません。わたしたちはこのことを確信できます。なぜなら霊感によって書かれた啓示 7章の預言には,「すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆が……大患難から出て来(て)」,生きて神の新秩序に入ると述べられているからです。(啓示 7:9,14)ではなぜ「大群衆」は生き残るのでしょうか。『彼らは昼も夜も神に神聖な奉仕をささげている』ので,神は『彼らの上にご自分の保護の天幕を広げられる』のです。(啓示 7:15)正しい情報を与えられているので,彼らは神に受け入れられる奉仕の仕方をわきまえています。受け身の姿勢で待ち,これから生ずることを見るのではありません。「神のご意志を行なう」者が「永久にとどまる」者であることを彼らは知っています。―ヨハネ第一 2:17。
増し加わる活動
15 エホバの証人は,『神の王国の良いたよりを人の住む全地で宣べ伝えなさい』という命令にどのように従ってきましたか。
15 わたしたちの時代に関する神のご意志の一部には,次のイエスの預言の成就が含まれています。「王国のこの良いたよりは,あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです」。(マタイ 24:14)真のクリスチャンにとってこの預言的な言葉は,つまるところ神の王国と来たるべき新秩序の良いたよりを他の人々に告げなさいという命令です。そしてエホバの証人は確かに,この「終わりの日」に,その命令を行なってきました。(テモテ第二 3:1。マタイ 28:19,20と比較してください。)彼らは,この地に対する神のすばらしい目的を他の人に教えるべく自分たちの時間や資産を利他的に用いてきました。こうして大いに労苦した結果,昨年の4月,全世界で500万を上回る人々がキリストの死の記念式を祝うために共に集まり,神の新秩序とイエス・キリストによる救いの備えに関心を持っていることを表わしました。
16,17 (イ)神がエリコを滅ぼす前に,イスラエル国民はどんな指示を与えられましたか。(ロ)これらの指示はどのように実行されましたか。
16 エホバの前進する組織が,この世に対する伝道活動の歳月の終わりに近づくにつれ,この業の規模が広がってゆくことは間違いないでしょう。神がエリコを滅ぼされる直前にイスラエル人がどんな指示を受けたか思い起こすとよいでしょう。まず彼らは,六日にわたり日に1度都市の周りを行進するよう命じられました。しかしその時にこう告げられました。「七日目にはその都市の周りを七回行進し祭司たちは角笛を吹く。そして彼らが雄羊の角笛を鳴らし,あなた方がその角笛の音を聞く時に,民全員は大きなときの声を上げるように。そうすれば,その都市の城壁は必ず崩れ落ちる」― ヨシュア 6:2-5,新。
17 最後の日である七日目には,イスラエル人はその活動を7倍に増やし,それから「大きなときの声を上げ」ることになっていました。指示されていた通りに彼らはこれを行ないました。「七日目になり,彼らは早く,夜が明けるとすぐに起き,これまでのようにして都市の周りを七回行進していった。……そしてその七回目のこと,祭司たちが角笛を吹くと,ヨシュアは民に向かってこう言った。『叫べ。エホバはこの都市をあなた方にお与えになったのだ』。……そして民が角笛の音を聞き,民が大きなときの声を上げはじめるや,すぐに城壁は崩れ落ちていった」― ヨシュア 6:15,16,20,新。
18 この体制がその終わりに至る前の宣べ伝える活動の機会や方法に関し,わたしたちは何を予期しますか。
18 わたしたちは,時代の頂点となるこの時期に,宣べ伝える業が同じように拡大することを期待できます。明らかに,「大患難」が終わる前に,わたしたちは神のみ名とその王国に関する,この世の歴史上最大規模の証しが行なわれるのを見るでしょう。そして現在その証しにはまだ救いのためエホバの組織の下へ来るようにとの招待が含まれていますが,その音信が,「大きなときの声」のようなより厳しい調子を帯びる時が必ず来ます。啓示 16章21節には次のように記されています。「それぞれの重さが一タラント[約45㌔]ほどもある大きな雹が天から人びとの上に降り,人びとは雹の災厄のために神を冒とくした。その災厄が異常に大きかったからである」。雹は水が凍って固まったものです。ですからこれは,不従順な人類に送られるエホバの裁きの音信が,最後にはどのように強力な雹の集中攻撃のようになるかを示すものです。雹の災いが「異常に大きい」と語られている事実は,最後の最後には,エホバの僕たちがエホバの「復しゅうの日」の厳しい宣明を行なうことを示唆しています。
19 間近い将来のことを考え,『わたしたちはどんな種類の人になるべきですか』。
19 そのわけで,その時わたしたちがペテロに倣って,「これらのものはこうしてことごとく溶解するのですから,あなたがたは,聖なる行状と敬神の専念……[を保つ]者となるべきではありませんか」と言うのは良いことです。(ペテロ第二 3:11,12)確かにわたしたちは,「互いに慰め,互いに築き上げる」必要があります。「互いに対し,……常に善を追い求め」なければなりません。(テサロニケ第一 5:11,15)「ですから,時に恵まれているかぎり,すべての人,ことに信仰において結ばれている人たちに対して,良いことを行なおうではありませんか」。(ガラテア 6:10)こうしたことを目標に,『目ざめており,冷静さを保つ』ようにしましょう。―テサロニケ第一 5:6。
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