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試みられ,ふるい分けられる時ものみの塔 1987 | 6月15日
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2:17; 3:5; 4:5,6)その時,イスラエルは全体的に,りっぱな実を生み出せなかった木のような組織として,ローマ人の手にかかって滅びることにより,「切り倒されて火に投げ込まれ」ました。(ルカ 3:3-14)それはすべて,『彼らが自分の検分されている時を見分けなかったからです』。―ルカ 19:44。
現代の成就
17 マラキの預言がさらに現代にも成就することを,何が指し示していますか。
17 しかし,マラキの預言に関する二番目の,現代の成就についてはどうですか。1世紀の場合,最初の成就は,イエスが聖霊によって油そそがれ,神の王国の指名された王になったあとに生じました。ですから,イエス・キリストが1914年に天で即位されたあとに預言がさらに成就すると考えるのは論理的なことです。その預言自体の中に,「エホバの大いなる,畏怖の念を抱かせる日の来る前に」預言の成就することが指し示されているからです。(マラキ 4:5)「エホバの日」は西暦70年にユダヤ人の体制に臨みましたが,聖書は将来の,キリストが「臨在」されるこの時における「エホバの日」を指し示しています。―マタイ 24:3。テサロニケ第二 2:1,2。ペテロ第二 3:10-13。
18 1922年,神の民はどのようにして裁きの時にいることに気づかされましたか。
18 エホバの民は早くも1922年に,自分たちがマラキの預言の成就する裁きの時にいることに気づかされました。「ものみの塔」誌の同年9月1日号はこのように述べました。「しかしマラキの預言は,わたしたちの主の最初の降臨における部分的な成就の先に目を向け,メシアが栄光と力のうちに到来し,ご自分の民の間で裁きを行なわれる時を展望している。……今,裁きの時が再び到来した。主の民であると称える人々はまたも火によるかのように試みられ,真実な心を持った,レビの子たちは奉仕のために寄せ集められている」。
19 現代的な成就の場合,「使者」は前もってどのような方法で遣わされましたか。
19 マラキ 3章1節に指摘されているように,前もって特別な使者が遣わされました。それはある個人ではなく,バプテスマを施す人ヨハネのように奉仕する一つの級でした。この級は1881年以降,顕著な聖書教育活動を行なうために,現在のものみの塔聖書冊子協会を用いてきました。その結果,聖書を愛する人々の心に多くの基本的な真理が回復されるようになりました。そのように明確にされた真理としては,人間に不滅の魂はなく,人間そのものが魂であること,火の燃える地獄は存在しないこと,イエス・キリストは肉体を着けて戻るのではないこと,エホバはひとりの神であられ,三位一体の神ではないこと,などが挙げられます。それは確かに神の裁きの業のために『エホバの前に道を整える』業でした。
20 (イ)エホバはいつ神殿に来られたと思われますか。(ロ)そのためにどんな質問が生じますか。
20 「まことの主」であられるエホバは突然にご自分の霊的な神殿に来られました。それはいつのことですか。1世紀に生じた成就にはその型が示されています。その当時,イエスはヨルダンで王として油そそがれてから3年半のちに来て,神殿を清められました。イエスは1914年の秋に王として即位させられたので,イエスがここに挙げた型に倣い,その3年半後に,「まことの主」エホバに伴って霊的な神殿に来られたと考えるのは道理にかなっているものと思われます。預言によれば,その時以降に何が起きることになっていましたか。それは,人々を試み,ふるい分けることです。しかしここで幾つかの重要な質問が生じます。この清める業が行なわれたことを示すどんな証拠がありますか。その業は現代まで続いているのでしょうか。さらに,そのすべてはあなた個人にどのような影響を与えますか。調べてみましょう。
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現代において,試みられ,ふるい分けられるものみの塔 1987 | 6月15日
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現代において,試みられ,ふるい分けられる
「彼の来る日にだれが忍べるであろうか。その現われる時に立っていられるのはだれであろうか」― マラキ 3:2。
1 現代においてエホバが霊的神殿に来られた時,エホバは何を見いだされましたか。そのことからどんな質問が生じますか。
王国が1914年に天で設立されてまもなく,「まことの主」エホバは「契約の使者」を伴って霊的な神殿に来られた時,何を見いだされましたか。神の民は精錬され,清められる必要がありました。彼らはそれに従い,自分たちの組織,活動,教理,振る舞いに関して必要とされるどんな清めをも耐え忍ぶでしょうか。その点についてマラキは,「彼の来る日にだれが忍べるであろうか。その現われる時に立っていられるのはだれであろうか」と述べました。―マラキ 3:1,2。
2 現代の場合,マラキ 3章3節にある「レビの子ら」とはだれですか。
2 エホバは「レビの子ら」を清めて精錬する責任を担われます。(マラキ 3:3)古代イスラエルでは,レビ族が祭司と神殿の補佐役を務めました。そのような「レビの子ら」は,今日,大祭司イエスのもとで奉仕している,集合体としての油そそがれた者たちに相当します。(ペテロ第一 2:7-9。ヘブライ 3:1)エホバが「契約の使者」を伴って霊的神殿に来られた時,最初に試みを経験したのはそれらの人たちでした。では,この精錬が,第一次世界大戦の末期以降に行なわれたことを示すどんな証拠がありますか。
火のような試練の時
3 1918年の春までに,神の証人たちはどのような状況に陥っていましたか。
3 エホバは「契約の使者」を伴って霊的神殿に来られた時,残りの者が精錬と清めを必要としていることに気づかれました。例えば,「ものみの塔」誌は1918年5月30日を,米国議会とウィルソン大統領の要請に従って,民主主義勢力の勝利を祝う祈りの日として取り分けることを読者に奨励しました。それはクリスチャンの中立に違反する行為でした。―ヨハネ 17:14,16。
4 エホバの僕たちの迫害に関して,どのような進展が見られましたか。
4 僧職者も諸政府も,エホバの油そそがれた僕たちに大きな圧力を加えました。油そそがれた残りの者は扇動罪という偽りの告発を受けたため,身の潔白を公に明らかにしようとしました。ところが,1918年5月7日には,ものみの塔聖書冊子協会の運営と編集の業務に携わる8人の職員に対する逮捕状が出されました。その中には,会長のJ・F・ラザフォードも含まれていました。裁判は6月3日の月曜日に始まり,陪審員は6月20日に四つの訴因に関して有罪の評決を下しました。次いで,1918年7月4日に,それら献身したクリスチャンの男子は米国ジョージア州アトランタの刑務所に列車で移されました。
5 神に仕える人々をふるい分ける必要があったことは,どのように明らかになりましたか。実際にふるい分けられたことは,どんなことに示されていますか。
5 エホバの王国を公に宣べ伝えるために,かつて油そそがれた者たちから組織的に発せられていた強い声も,1918年の夏には声量が著しく落ちていました。その状況は,彼らがあたかも公の活動に関して『殺された』かのようでした。(啓示 11:3,7)その夏に協会が主催した大会の際には,ある背教者たちが離れ去り,敵対的な独自の宗教団体を結成しました。彼らは「よこしまな奴隷」の特性を表わし,「もみがら」のように「あおり分け」られて,エホバの忠実な残りの者たちから切り離されました。(マタイ 3:12; 24:48-51)キリストの死の記念式は1919年4月13日の日曜日に祝われ,多くの国で合計1万7,961人の人々が出席しましたが,1917年の部分的な報告と比べると,記念式の出席者は3,000人以上減少しました。ふるい分けられたことの結果がこの数字に表われています。
6 エホバは,ご自分の民の最終的な祝福を考えてそうした試練を許されたとどうして言えますか。
6 しかし,ご自分の民にそうした火のような試練が降り懸かるのを許されたエホバは,民の最終的な祝福を考えておられたのです。エホバは彼らを完全に見捨てるようなことは決してされませんでした。1919年3月25日の火曜日,J・F・ラザフォードとその7人の仲間たちは保釈されて刑務所から出ました。そののち彼らの完全な無罪が証明されました。この試みの期間を生き残った清められた人々に,束縛からの自由が突如としてもたらされました! そうです,「神からの命の霊が彼らに入り,彼らは[活動に備えて]自分の足で立ち上がった」のです。―啓示 11:11。
7 (イ)それら回復された証人たちは,それから何を行ないましたか。(ロ)精錬し,清めるこの業から,どんな結果が生じましたか。
7 彼らはそれから何をしたでしょうか。残りの者たちは回復されたクリスチャンの共同体として,自分自身を注意深く吟味しました。どんな妥協の罪に関してもエホバの許しを祈り求めました。(詩編 106:6; イザヤ 42:24と比較してください。)そして彼らは,清められた民として出て行きました。精錬された結果,忠節な心を持った残りの者は,『エホバのため義にそって供え物をささげる民となりました』。(マラキ 3:3)彼らがささげた霊的な賛美の犠牲は神に喜ばれるようになりました。(ヘブライ 13:15)彼らはエホバが不興を示された短い期間が終わったことを歓び,その後の奉仕がエホバに受け入れられることを確信していました。(イザヤ 12:1)1919年9月1日から8日まで,米国オハイオ州シーダー・ポイントで喜ばしい大会が開かれ,7,000人が出席して200人がバプテスマを受けました。このすべては,宣べ伝えるというエホバの業を成し遂げるために回復がもたらされたことと,その業を成し遂げるための意欲とを示していました。
8 (イ)精錬と清めの過程は,今日のわたしたちにどのような影響を及ぼしますか。(ロ)現代の「レビの子ら」に加えて,ほかのだれが,試みられ,ふるい分けられる時期を経験しなければなりませんか。
8 このすべては,いま生きている神の民にどのような影響を及ぼしますか。預言によれば,エホバはご自分の使者を伴って来られ,それから『精錬する者また清める者として座す』ことになっていました。(マラキ 3:3)そうです,精錬と清めの過程はその後も続き,エホバは『座して』注意深く見守られるのです。忠節な残りの者が今世紀の早い時期に火のような試練の時を切り抜けたという事実は,偉大な精錬者が彼らに対する清めをすでに終えられたことを意味していません。試み,ふるい分けることは,わたしたちの時代まで続いてきました。エホバは今なおご自分の神殿におられ,裁きのために座しておられます。エホバは「レビの子ら」,つまり油そそがれた残りの者だけを純化してこられたのではありません。マラキの預言は,地上での命の見込みを持つ「大群衆」に相当する「外人居留者」にもエホバが気遣いを表わされることを示しています。(マラキ 3:5。啓示 7:9,10)確かにエホバの民は過去69年の間,大きく分けて四つの面で継続的に純化されてきました。
組織に関する精錬
9 1919年以降,組織の機構は漸進的な発展を遂げましたが,そうした発展の例を幾つか挙げてください。
9 まず最初に,清めは,新しく理解された聖書の原則に世界的な会衆を漸進的に調和させることによって行なわれました。会衆の事柄を扱う際の民主的な方法を徐々になくしてゆかなければなりませんでした。その線に沿って漸進的に進展してきた事柄の例を幾つか考慮してみましょう。
1919年: 会衆ごとに野外奉仕活動を監督する,常任の奉仕の主事が,ものみの塔協会の本部から指名され,統治体による任命が始まる。
1932年: 毎年行なわれていた長老と執事の選出が中止され,それらの立場に就く男子を会衆が選出するという方法に代わって,協会の任命した奉仕の主事を補佐する(かつ,含む)奉仕委員を選出することになる。
1937年: 「ヨナダブ級」[地的希望を持つ人々]も会衆内で責任ある立場についてよいことが認められる。
1938年: 監督とその補佐はすべて,神権的な方法で協会から任命されることになる。
1972年: 各会衆を治める聖書的な方法とは,一人の円熟したクリスチャンの男子によるものではなく,協会から任命された長老たちの一団によるものであることが明確にされる。
1975年: 種々の責任を担うため,統治体のさまざまな委員会が設立される。一人の人が種々の事柄を指揮するのではなく,委員会内の全員に同等の発言権がある。全員が一致してキリスト・イエスの指導を仰ぐ。
10 (イ)そのような精錬からどんな結果が生じましたか。(ロ)そのような調整すべてについて,あなたはどのように感じますか。
10 そのような調整が施された結果,どうなりましたか。確かにエホバの祝福は豊かでした。エホバの崇拝者たちが霊的な面と数の面で成長してきたことがその点を裏づけています。(使徒 6:7; 16:5と比較してください。)神の指示された方法に忠節な態度で従おうとしなかったために,一部の監督たちや他の人たちがふるい分けられたのは事実です。しかし,エホバの民の圧倒的大多数は,組織上の改善に従順に服する者であることを示してきました。(ヘブライ 13:17)彼らは,偉大な精錬者がそのような調整を施すことにより,自分たちが会衆に関する聖書的な方法に一層よく調和できるようにしてくださったことを感謝しています。
野外宣教
11 この数十年間に,どのように宣べ伝える業は漸進的に推し進められましたか。
11 第二に,清めは,野外奉仕に参加することに関する試みを通して行なわれました。
1922年: 会衆と交わるすべての人に,家から家の野外奉仕に参加することが勧められた。奉仕に関する指示を含む月刊の「会報」(現在の「わたしたちの王国宣教」)が入手できるようになる。
1927年: 毎週日曜日,定期的に家から家に宣べ伝える活動が始まる。書籍や小冊子が寄付と引き換えに配布される。
1937年: 家庭聖書研究で用いる最初の「模範研究」の小冊子が出る。
1939年: 「ものみの塔」誌の1年間の予約運動が初めて行なわれる。9万3,000件を超える新予約が得られる。
1940年: 街路での雑誌活動が始まる。
公に宣べ伝えるこの業はさらに漸進的に推し進められ,再訪問や家庭聖書研究の司会が行なわれるようになりました。
12 (イ)野外宣教に関してそうした精錬が行なわれたため,どんな結果が生じてきましたか。(ロ)わたしたちは,エホバがご自分の民を精錬してこられた方法に対する忠節をどのように実証できますか。
12 その結果はどうでしたか。何年もの間に一部の人々は,実を結ぶクリスチャンになることを嫌ったため,ふるい分けられました。(ヨハネ 15:5)しかし,エホバの民の大部分は,王国の伝道者を求める呼びかけに確かにこたえ応じてきました。1919年当時には8,000人にも満たない小さな一団だったのが,1986年の王国伝道者は最高で322万9,022人を数えるまでになりました。全時間宣教についてはどうでしょうか。1919年の春には150人の活発な聖書文書頒布者<コルポーター>(開拓者)がいましたが,昨年は毎月平均39万1,000人を上回る活発な開拓伝道者を見るに至りました。これは,現代のエホバの証人の歴史上,最高の数字です! わたしたちは良いたよりを宣べ伝える業に活発に参加することにより,エホバがご自分の民を清め続けてこられた方法を忠節に支持していることを実証します。―コリント第一 9:16。
増し加わる光
13 エホバがご自分の民を啓発してこられたことを示す例を幾つか挙げてください。
13 第三に,清めは,聖書からの漸進的な霊的啓発を受け入れることに関して神の民が試みられたときに行なわれました。(箴言 4:18)1919年から現在に至るまで,新しく理解された真理は,まさしく洪水のように流れています。
1925年: 別箇の,また互いに敵対する二つの組織,つまりエホバの組織とサタンの組織の存在することが明確に識別された。
1931年: エホバの証人という新しい名称が採用された。
1935年: 啓示 7章9節から15節の「大群衆」が,地上に住むよう定められた級であることが明らかになる。
1941年: エホバの宇宙主権の正当性が,サタンの挑戦によって提起された主要な問題であることが示される。
1962年: ローマ 13章1節の「上位の権威」が世俗の政府の権威であって,クリスチャンはこの権威に相対的な服従を示すべきであることが正しく示される。
1986年: イエスと結びつくため,残りの者と「大群衆」の双方が,イエスの犠牲を受け入れることによってその肉と血に比喩的にあずかるべきことが理解される。―ヨハネ 6:53-56。
エホバがご自分の民を啓発してこられた幾十年かの間に,血の神聖さに敬意を払う組織,清さと中立の立場を維持する組織に会衆として注意を払う必要のあることが明らかになりました。―コリント第一 5:11-13。ヨハネ 17:14,16。使徒 15:28,29。
14 (イ)エホバの民はそのような漸進的な啓発にどのようにこたえ応じましたか。(ロ)エホバの伝達の経路について,あなたはどのような決意を抱いていますか。
14 神の民はそうした漸進的な啓発にどのようにこたえ応じましたか。いつの時もそうですが,少数ながら,特定の調整を受け入れることのできなかった人々がいました。そのような人々は「あおり分け」られました。(マタイ 3:12)一方,エホバの忠節な僕たちはそのような霊的啓発を受けて深い喜びを味わっています。キリスト教世界が霊的な暗闇の中で模索している時代に,エホバの民の道筋はいよいよ明るさを増しているのです。わたしたちは,それらの漸進的な啓発すべてを『時に応じた食物』として受け入れ,エホバが用いておられる伝達の経路にしっかり付いて行く決意を抱くべきではないでしょうか。―マタイ 24:45。
汚れた習わしを捨て去る
15 汚れた,もしくはバビロン的な習わしについて,エホバはどのようにご自分の民を徐々に精錬されましたか。
15 第四に,清めは,汚れた,もしくはバビロン的な習わしを捨て去る義務が生じた時に行なわれました。1920年代に神の民は,クリスマスや,異教に起源のあることが分かった他の祝祭を祝わなくなりました。1945年には輸血に関するクリスチャンの立場が説明されました。「ものみの塔」誌は,世界の道徳的な風潮が堕落の一途をたどっていた1960年代と1970年代に,異性間の正しい振る舞い,たばこや他の麻薬の習慣を断つ必要性などの問題について,神の民に的確な助言を与え続けました。
16 汚れた習わしに関するそのような調整をどのように見るべきですか。
16 もちろん,汚れた習わしに関するそのような調整は,神の民にとってしばしば忠節の試みとなりました。しかし,必要な調整を行なった人々は,そのような変化を,汚れた衣を捨て去るための助けとみなしました。(コロサイ 3:9,10)ある種の祝祭に関連した習慣が害のないものに思えても,わたしたちが関心を持つべきなのはエホバの見方であることを彼らは理解しました。エホバはそのような祝祭の起源となっている異教の宗教的な習わしを直接ご覧になったのです。彼らは神の道徳的なご要求を制限としてではなく,保護と見たので,清くなることに関してエホバから祝福されました。神の民は,調整が理解しにくく思えても,エホバは『自分たちを益することを教える方』であられるという信頼を抱いていました。―イザヤ 48:17。
17,18 (イ)わたしたち個人個人はどのように偉大な精錬者から試みられていますか。(ロ)エホバの日を待ちながら,わたしたちはどのような決意を抱くべきですか。
17 エホバは年々,ご自分の民を精錬し,清めてゆかれます。神の民は全体として,自分たちの組織,活動,教理,道徳的な清さなどに関する精錬の過程に従ってきました。では,わたしたち個人としてはどうでしょうか。エホバはご自分の組織を通して,心を精錬する導きとなる「固い食物」を分配し続けておられます。わたしたちの動機は試みられ,調べられています。(ヘブライ 4:12; 5:14)偉大な精錬者による精錬と清めの過程にこたえ応じることによって,わたしたちは「エホバの大いなる,畏怖の念を抱かせる日の来る」のを待ちながら,清さを保てます。―マラキ 4:5。
18 試みられ,ふるい分けられるこの時に,わたしたちを精錬し,汚れから解放してくださる「まことの主」エホバとその「契約の使者」であるキリスト・イエスに感謝がささげられますように。わたしたちすべてが,「平和の君」なるキリスト・イエスのもとに,エホバの清い平和の道筋を歩み続ける決意をし,そのようにしてエホバとの幸福な関係を保ち続けることができますように。―イザヤ 9:6。詩編 72:7。
エホバは次の点に関して,ご自分の民をどのように精錬されましたか
□ 組織上の調整
□ 野外奉仕に参加すること
□ 漸進的な啓発を受け入れること
□ 汚れた習わしを捨て去ること
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