最も偉大な政府の「鍵」を用いる
「わたしはあなたに天の王国の鍵を与えます。なんでもあなたが地上で縛るものは天において縛られたものであり,なんでもあなたが地上で解くものは天において解かれたものです」― マタイ 16:19。
1,2 (イ)古代ローマ神話によると,天の門番の総元締めはだれでしたか。(ロ)歴史の上から見て,鍵を持つ者としてのイエス・キリストについては,どのように言うことができますか。
天には門番や守衛がいるでしょうか。古代ローマ神話の神々の中の神ヤヌスは,天と地の門番の総元締めでした。ヤヌスの神殿は,今でもクリア礼拝場に近いローマ公共広場の北側に建っていますが,ヤヌスの崇拝はもう行なわれていません。では現在,天において真に「神の神」たるエホバの右で栄光を受けておられる歴史上の人物,イエス・キリストについてはどうですか。(申命 10:17,新)栄光を受けたこのイエスは,西暦96年ごろ,小アジアのフィラデルフィア会衆に送る一通の手紙を口授されたとき,使徒ヨハネに次のように言われました。
2 「また,フィラデルフィアにある会衆の使いにこう書き送りなさい。聖なる者,真実なる者,ダビデの鍵を持つ者,開けてだれも閉じぬようにし,閉じてだれも開けぬようにする者がこう言う。『わたしはあなたの行ないを知っている ― 見よ,わたしはあなたの前に開かれた戸を置いた。それはだれも閉じることができない ― すなわち,あなたには少しの力があり,わたしのことばを守って,わたしの名に不実な者とはならなかった』」― 啓示 3:7,8。
3 (イ)イエス・キリストはダビデとどんな関係にありますか。(ロ)なぜエホバは,イエス・キリストに「ダビデの鍵」を与えたのですか。イエス・キリストはどのようにその鍵を用いますか。
3 イエス・キリストは,エルサレムを治めた最初のユダヤ人の王であるダビデから数えて,この有名な王の家系の43代目にあたります。イエス・キリストをもってこの王統は終わりを告げます。イエス・キリストはダビデの王国の永久相続者となられたからです。(ルカ 3:23-31)そういうわけでエホバ神は栄光を受けたみ子に「ダビデの鍵」をお与えになりました。ダビデの王国は予型的な神権政府であり,予型的な神の王国でした。(歴代上 29:23。歴代下 13:5,8)ダビデの子孫で栄光を受けたイエス・キリストの手によって,この王国は現実の,対型的な神の王国となります。「ダビデの鍵」の正当な保持者として,イエス・キリストは地上の人々に神の王国に関連した特権や機会の戸を開いたり,閉ざしたりされます。
4,5 カエサレア・フィリピ地方で,イエス・キリストは,忠実なペテロにどんな特権を与える,と言われましたか。
4 イエスはかつてご自分の忠実な使徒シモン・ペテロに奉仕の特権の戸を開こうとされた際,次のように述べられました。「あなたはペテロ[ギリシャ語ではペトロス,ラテン語ではペテルス]であり,この岩塊の上に[ギリシャ語ではタウテーイ テーイ ペトラーイ,ラテン語ではハンク ペトラム]わたしは自分の会衆を建てます。ハデスの門はそれに打ち勝たないでしょう。わたしはあなたに天の王国の鍵を与えます。なんでもあなたが地上で縛るものは天において縛られたものであり,なんでもあなたが地上で解くものは天において解かれたものです」― マタイ 16:18,19。
5 イエスが歴史に残るこれらの言葉を語られたのは,西暦32年の過ぎ越しの少し後,ヨルダン川の源流に近いカエサレア・フィリピ地方でのことでした。―マタイ 16:13-17。
いつ与えられ,いつ用いられたか
6 これらの「天の王国の鍵」とはどんなものですか。そしてその鍵は何を表わしますか。
6 「ダビデの鍵」と同じく,「天の王国の鍵」も地上で用いる文字通りの有形の鍵ではありませんでした。それらは霊的な鍵でした。つまり,天の王国に関連した情報や教えを与える計画や個人的にそれを行なう計画に着手する,もしくは道を開くための特権や栄誉,任命,権威などのことをさしています。天の王国を第一にすることを選んだ人々は,神がそのとき天の王国の相続者であるイエス・キリストを通して得られるようにしてくださった備えを,これによって活用することができました。こうして人々は,以前には閉ざされていた所へ入りました。
7 それより前,エルサレムで,イエスは神の天の王国に入るために不可欠とされる基本的な必要条件につき,ニコデモに何を明らかにされましたか。
7 それより2年前にイエスはエルサレムで,神の天の王国への入国許可を得るために信者が満たしていなければならないある基本的な必要条件を,ユダヤ人の一支配者でパリサイ派のニコデモという人に明らかにし,「きわめて真実にあなたがたに言いますが,再び生まれなければ,だれも神の王国を見ることはできません」,と述べられました。一体どういうことでしょう。自分の人間の母親から『再び生まれる』のですか。いいえ,そうではありません。イエスはニコデモに言われました。「きわめて真実にあなたに言いますが,水と霊から生まれなければ,だれも神の王国に入ることはできないのです。肉から生まれたものは肉であり,霊から生まれたものは霊です」― ヨハネ 3:1-6。
8 まだバプテスマを受けず,霊によって生み出されていないクリスチャンがこのような「鍵」を所有し使用することは道理に合ったことですか。この点でどんな実例がありますか。
8 では,まだ「水と霊から生まれ」ていない人,いまだにバプテスマを受けておらず,霊によって生み出されたクリスチャンではない人が,神の天の王国への道を人々に開く「鍵」を所持し使用することは可能だったでしょうか。それは筋の通ったことではありません。このようなわけで,ヨハネはイエスにバプテスマを施し,「悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです」という宣明の口火を切った人物ではありましたが,「天の王国の鍵」は与えられませんでした。―マタイ 3:1,2。
9 ペテロが第一の「鍵」を与えられた時に,霊によって生み出されていたかどうかは,どうすればわかりますか。使徒 8章27,28節に述べられている割礼を受けたエチオピアの改宗者の場合はどうですか。
9 そうすると,イエス・キリストが使徒ペテロに第一の「鍵」を用いるよう渡された時,ペテロは霊によって生み出されていたのですか。その通りです。西暦33年のペンテコステの日に,エホバ神は栄光を受けたイエスを用いて,エルサレムのとある二階の部屋で待っていたペテロを含む約120人の弟子たちに聖霊でバプテスマを施されました。ペテロはこうして神の聖霊によって生みだされた後,まず立ち上がって,ヨエル書 2章28,29節の預言が成就し始めた様子を目撃したユダヤ人と割礼を受けた改宗者3,000人に話をします。そのペンテコステの日にエルサレムに住んでいた「敬虔な人びと」の中に,使徒 8章27,28節に述べられている割礼を受けたエチオピア人の改宗者はいたかもしれませんが,神殿を離れてペテロの話を聞きには行きませんでした。(使徒 2:1-12)しかしこのエチオピア人には後日機会が開けます。
10 いつ,どのように,ペテロは第一の「鍵」を用いましたか。
10 そこにいた幾千人もの人々に対し,ペテロは彼らが52日前にイエスを杭につけて宗教的共同体としての罪を犯したことを率直に話します。すると良心の呵責を感じたこれら「敬虔な人びと」は,「皆さん,兄弟たち,わたしたちはどうしたらよいのですか」と質問します。ペテロは答えます。「悔い改めなさい。そしてあなたがたひとりびとりは,罪のゆるしのためにイエス・キリストの名においてバプテスマを受けなさい。そうすれば,無償の賜物として聖霊を受けるでしょう。この約束はあなたがたとあなたがたの子どもたち,また遠く離れたすべての人,わたしたちの神エホバがそのもとに召される人すべてに対するものなのです」。ペテロは語りつづけます。こう記されています。「そして彼は他の多くのことばで徹底的な証しをし,しきりに説き勧めて彼らに言った,『この曲がった世代から救われなさい』」。(使徒 2:14-40)こうして霊によって生み出されたペテロは第一の「鍵」を使いました。
11 ペテロの話を聞いた幾千人もの人々は,どのように「再び生まれ」ましたか。つまりどのように「水と霊から生まれ」ましたか。
11 これら生来のユダヤ人たちのうち,エホバ神からヨエル 2章28,29節の約束を与えられた者の子孫として,今開かれたこのはいり道へ足を踏み入れた者がいたでしょうか。使徒 2章41,42節はその答えを与えています。「その結果,彼のことば[ペテロのことば]を心から受け入れた者たちはバプテスマを受け,その日におよそ三千の魂が加えられた。そして,彼らは使徒たちの教えと,互いに分かち合うこと,食事を取ることと祈りとにその後も専念した」。イエス・キリストの名による水のバプテスマを受け,そのあと聖霊の無償の賜物を与えられたことによって,彼らは「再び生まれ」,「水と霊から生まれ」ました。―ヨハネ 3:3,5。
第二の鍵はだれのために使われたか
12,13 (イ)ペテロが使う必要のあった鍵が一つだけだったとしたら,どんなことになりますか。(ロ)しかしこの点につきイエスは,ご自分が昇天する直前に弟子たちに何と言われましたか。
12 ペテロに約束されたのは一つの鍵ではなく,「天の王国の鍵(複数形)」でした。ですから鍵は少なくとも二つはあります。では第二の鍵はいつペテロに与えられたのでしょうか。そしてだれのために用いる鍵だったのでしょうか。もしペテロの必要としていた鍵が一つだけであるとすれば,霊によって生み出された完全な会衆として,イエスが,岩塊であるご自分の上に建てられる14万4,000人は,生来のユダヤ人と,割礼を受けてユダヤ教に改宗した人々だけによって構成されることになります。(マタイ 16:18。啓示 7:4-8; 14:1-3)しかし天的な救いは,ペテロがペンテコステの日に鍵を用いたとき入ることを許された人々だけに限られていましたか。イエスは,復活後40日目に昇天される直前に,何を言われましたか。その日イエスは,エルサレムに近いところで,弟子たちに次のことを話されました。
13 「こう書いてあります。すなわち,キリストは苦しみを受け,三日めに死人の中からよみがえり,その名によって罪のゆるしのための悔い改めがあらゆる国民の中で宣べ伝えられる ― エルサレムから始めて,あなたがたはこれらの事の証人となるのです。そして,見よ,わたしはあなたがたの上に,[ヨエル 2:28,29で]わたしの父から約束されているものを送ります。でもあなたがたは,高い所からの力を与えられるまでは,市内に滞在していなさい」― ルカ 24:46-49。
14,15 使徒 1章8節によれば,「あらゆる国民」に悔い改めを広く宣べ伝えることに関し,イエスはどんな区別を設けられましたか。
14 一方イエスは,使徒 1章8節の中で,ご自分の名に基づく悔い改めを宣べ伝える業がどのように「あらゆる国民」へ徐々に拡大してゆくかについて,さらに詳しく,次のように話されました。「しかし,聖霊があなたがたの上に到来するときにあなたがたは力を受け,エルサレムでも,ユダヤとサマリアの全土でも,また地の最も遠い所にまで,わたしの証人となるでしょう」。
15 ここでイエスは「ユダヤ全土」とサマリアを区別しています。この点について言えば,イエスは,地上での宣教期間中ずっと,割礼を受けた生来のユダヤ人と割礼を受けたサマリア人とを区別して考えておられたのです。
16 イエスがガリラヤへ戻る途中で,サマリアの町スカルの住民のところに二日間滞在されたいきさつを述べてください。
16 イエスは,公の宣教活動を始めた最初の年である西暦30年の過ぎ越しの後に,ユダヤからガリラヤに向かう途中でサマリアを通らなければなりませんでした。その時のことについて,「ユダヤ人はサマリア人と交渉を持たない」という説明が加えられています。(ヨハネ 4:9)ところがイエスは,スカルの町に近いヤコブの泉のところで,わざわざサマリア人の女に話しかけられます。この女は事実上,イエスがご自分のことをメシアつまりキリストであると明かされた最初の者となりました。それはこの女がユダヤ人ではなかったからでしょうか。(マタイ 16:20)そのうえ,イエスと使徒たちは,スカルに住むサマリア人たちの勧めに応じて,そこに二日間滞在し,サマリア人たちに話をしました。その中の大勢の者は信じるようになり,自分たちに証言してくれたその女に向かってこう言いました。「わたしたちはもう,あなたの話で信じているのではない。自分で聞いたのであり,この人こそ確かに世の救い主だとわかるのだ」― ヨハネ 4:39-43。
17 イエスはこれら信者になったサマリア人と水のバプテスマに対してどんな立場をとられましたか。
17 ところが,サマリア人の中にイエスに対する信仰を抱いた者たちがいたにもかかわらず,イエスはこのことがあった後も,ユダヤ人とサマリア人を区別しておられます。イエスは信仰を抱いたサマリア人のだれかに対して,ヨハネの名による水のバプテスマを受けるよう求められたことがあるでしょうか。そのようなことはありませんでした。それには意味がありました。イエスがサマリアのスカルを訪れる直前のことが次のように記されているからです。「さて,イエスがヨハネよりたくさんの弟子を作ってバプテスマを施していることがパリサイ人たちの耳にはいったが,そのことにお気づきになった時 ― だが実際のところ,イエスご自身はバプテスマを施さず,その弟子たちが施していたのであるが ― 主はユダヤを去って再びガリラヤに向かわれた。しかし,サマリアを通って行かねばならなかった。その結果,ヤコブがその子ヨセフに与えた野に近い,スカルと呼ばれるサマリアの都市に来られた。事実,ヤコブの泉がそこにあった」― ヨハネ 4:1-6。
18 二年後,イエスがエルサレムへ行く途中でサマリアを通った時,サマリアの村人たちはどんな態度を示しましたか。
18 二年後,物事はイエスに有利に運んだでしょうか。イエスと弟子たちは,エルサレムで行なわれるユダヤ人の仮小屋の祭りに出席するため,今度は逆の方向へ旅をしていました。聖書には,それからイエスの使者は「出かけて行ってサマリア人の村に入った。彼のために準備をしようとしてであった。しかし人びとは彼を迎えなかった。その顔が[どこへ?]エルサレムへ行くことに向けられていたからであった。これを見て,弟子のヤコブとヨハネは言った。『主よ,天から下って彼らを滅ぼしつくすようわたしたちが火に命ずることをお望みですか』。しかしイエスはふり向いて彼らをおしかりになった。そこで彼らは別の村に行った」と述べられています。(ルカ 9:51-56)もしイエスがヤコブとヨハネの気性の激しさに屈してしまっていたとしたら,サマリア人はキリスト教に対して偏見を抱いてしまったことでしょう。
19 (イ)イエスが十二使徒を二人ずつ派遣した時,イエスはサマリアに関し,どんな指示をお与えになりましたか。(ロ)ヨハネ 8章47,48節によれば,ユダヤ人たちは一般に,サマリア人についてどんな見方をしていましたか。
19 その一年前,西暦32年の過ぎ越しの前にイエスが使徒たちを二人ずつ宣べ伝える業をさせるべく送り出した時でさえ,イエスは使徒たちに言われました。「諸国民の道に行ってはならず,またサマリア人の都市に入ってはなりません。そうではなく,いつもイスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。行って,『天の王国は近づいた』と宣べ伝えなさい」。(マタイ 10:5-7。ルカ 9:1-6)西暦32年の仮小屋の祭りから何か月かたって,イエスは70人の福音宣明者を遣わし,十二使徒に与えたのと同じ指示をお与えになりました。これらの弟子たちが神の王国を宣べ伝えたのは,サマリアにあった村や町ではなく,ユダヤの村や町だったようです。(ルカ 10:1-24)彼らはサマリア人の土地を訪れたとは報告していません。弟子たちは「イスラエルの家の失われた羊のところ」に行きました。なぜでしょうか。なぜなら,これらの福音宣明者には,使徒たちの持っていた以上の権威は与えられていなかったからです。ユダヤ人のサマリア人に対する一般的な態度は,イエスが不信仰なユダヤ人たちに,あなたがたは神からの者ではないと言ったとき,ユダヤ人たちが「あなたはサマリア人で,悪霊につかれている」と応酬した言葉に表われています。―ヨハネ 8:47,48。
20 ペテロはペンテコステの時,エルサレムで第一の「王国の鍵」を用いましたが,なぜサマリア人はこのことから何も益を得なかったのですか。それでどんな質問が生じますか。
20 イエスがサマリアの女に,「あなたがたは自分の知らないものを崇拝しています。わたしたちは自分の知っているものを崇拝しています。救いはユダヤ人から起こるからです」と話されたときにも,イエスはサマリア人とユダヤ人とを区別しておられます。(ヨハネ 4:22)イエスはサマリア人を「他国の人」,字義通りには「他民族の人」として類別されました。(ルカ 17:16-18。王国行間訳の逐語訳をご覧ください)a ゲリジム山で崇拝していたサマリア人は,西暦33年にエルサレムで行なわれたペンテコステには参加しませんでした。ですから,ペテロが「天の王国」の第一の「鍵」を用いたことからは益を受けませんでした。(使徒 2:5-11)では,使徒 1章8節にある,イエスが予告された業にあずかれるようエルサレムで聖霊を注がれたあと,十二使徒はいつサマリアに注意を向けたのでしょうか。
21 福音宣明者フィリポはどんないきさつからサマリアに行きましたか。フィリポがいたことによって大きな喜びが生じたのはなぜですか。
21 ペンテコステ以後,エルサレムのクリスチャン会衆には,さまざまな事が起きました。ステファノの殉教に次いで起こった迫害で,同会衆の成員は十二使徒を除いて全員が散らされました。(使徒 8:1-5)ステファノと一緒に働いたフィリポや他のユダヤ人のクリスチャンたちは,十二使徒の命令や指示があったからではなく,迫害が起こったために,北方のサマリア地区に逃れました。(使徒 6:1-6; 21:8)神の霊によって奇跡を行なう賜物を授けられていたフィリポは,その地で,復活して栄光を受けたイエス・キリストについての良いたよりを宣べ伝え,いやしという形で,数多くの奇跡のしるしを行ないました。「こうしてその都市には非常な喜びが生じ」ました。―使徒 8:8。
22 フィリポの手によって大勢のサマリア人の男女がバプテスマを受けたことから,どんな質問が生じますか。
22 それはどんな結果をもたらしましたか。「神の王国とイエス・キリストの名についての良いたよりを宣明していたフィリポのことばを信じた時,彼らはついで,男も女もバプテスマを受け」ました。その中には,「それまで魔術を行なってサマリア国民を驚嘆させ」ていたシモンという名の魔術師も含まれていました。(使徒 8:9,12,13)ここで生ずる疑問は,これら信仰を持ったサマリア人は「水と霊から」生まれたのだろうか,ということです。では,ここにバプテスマの水は登場していますが,霊についてはどうでしょうか。サマリア人が水のバプテスマを受けてから霊によって生み出されたのなら,サマリア人というこの新しい集団に,「天の王国」に入る道を開いたのはフィリポだったことになります。フィリポは十二使徒の一人ではなかったにもかかわらず本当にこのようなことを行なったのでしょうか。霊感による記録は何を示していますか。
23 イエスの名によるバプテスマを希望したサマリア人たちに,フィリポが聖霊についての約束をしたという記録がどこにも見当たらないのはなぜですか。
23 イエスは使徒たちに向かって,「なんでもあなたがたが地上で縛るものは天において縛られたものであり,なんでもあなたがたが地上で解くものは,天において解かれたものです」と言われましたが,フィリポはその使徒の一人ではありませんでした。(マタイ 18:18; 16:19; 10:2-4。ヨハネ 1:43-48)ですから,フィリポが水のバプテスマに関連して聖霊の賜物をサマリア人に約束したという記録はどこにも残されていません。ペンテコステの日に,「悔い改めなさい。そしてあなたがたひとりびとりは,罪のゆるしのためにイエス・キリストの名においてバプテスマを受けなさい。そうすれば無償の賜物として聖霊を受けるでしょう」と,ユダヤ人に語ったペテロのような権威は,フィリポにはありませんでした。―使徒 2:38。
24 (イ)サマリア人たちは,割礼を受け,モーセ五書に示されている祭りを守り行なうことによって,モーセの律法契約の中に入れられましたか。(ロ)イエスの名によるバプテスマを受けた後,彼らはただちに「水と霊から」生まれましたか。
24 サマリア人はモーセ五書を神の言葉とみなし,サマリア地区のゲリジム山で過ぎ越しやペンテコステの祭りを守り行なっていましたが,シナイ山でモーセがイスラエル人のために仲介をつとめて結ばれた律法契約の下にはありませんでした。(列王下 17:29,30。ヨハネ 4:19,20)そのため,サマリア人の肉の割礼それ自体は,彼らをユダヤ教への改宗者とはしませんでした。サマリア人はイエスの磔刑に関与しませんでしたから,悔い改めるべきそのような重罪を許されるために,水のバプテスマを受ける必要はなかったのです。しかしサマリア人は,メシア(キリスト)及び「世の救い主」としてのイエス・キリストの名において,フィリポの手によるバプテスマを受けました。(ヨハネ 4:25,26,28,29,42)そのために,彼らは「水と霊から生まれ」たと言えるでしょうか。いいえ言えません。彼らはその時聖霊を受けなかったからです。
25 バプテスマを受けたサマリア人が,まだ水と霊から生まれていなかった理由を,使徒 8章14-17節はどのように示していますか。
25 それはなぜでしたか。使徒 8章14-17節には次のように記されています。「サマリアが神のことばを受け入れたことを聞くと,エルサレムにいる使徒たちはペテロとヨハネを彼らのもとに派遣した。それでふたりは下って行き,彼らが聖霊を受けるようにと祈った。それは彼らのうちのだれにもまだ下っておらず,彼らはただ主イエスの名においてバプテスマを受けていただけだったからである。それからふたり[使徒としてのペテロとヨハネ]が彼らの上に手を置いてゆくと,彼ら[バプテスマを受けたサマリア人]は聖霊を受けるようになった」。これは単に奇跡的な,霊的な賜物を受けたと言うだけのことではありません。
26 このようにバプテスマを受けたサマリア人にはどんな特権を得る資格が備えられましたか。ペテロはヨハネのいるところで,どんなものを用いましたか。
26 この時に初めて,バプテスマを受けたサマリア人は水から,そして霊から「生まれ」,神の天の王国に入る資格を備えました。(ヨハネ 3:5)この場合の霊の働きは,のちほどの使徒 10章44-46節,および11章15-17節に記述されている働きに似ていました。そういうわけで,使徒ペテロは第二の「天の王国の鍵」を,信仰を持ち,バプテスマを受けたサマリア人のために用いました。そのとき,使徒ヨハネがペテロに同行していたのは確かですが,その前のペンテコステの日には,他の11人の使徒たちが鍵の所有者ペテロと共にいました。―マタイ 18:1,18もご覧ください。
27 元魔術師のシモンについてペテロが指導的立場にある者として行動したことは,使徒 8章18-23節にどのように示されていますか。
27 ペテロが優先権を持っていたことは,使徒 8章18-23節の次の記述からわかります。「さて,使徒たちが手を置くことによって霊が与えられるのを見た時,シモン[魔術師]は彼らに金を差し出して,こう言った。『わたしにもその権威を与えて,だれでもわたしが手を置く者が聖霊を受けられるようにしてください』。しかしペテロは彼に言った,『あなたの銀はあなたとともに滅びてしまうように。あなたは神の無償の賜物を金銭によって手に入れようなどと考えたからです。この事においてあなたにはあずかる分も割り当てられる分もありません。あなたの心は神から見てまっすぐではないからです。それゆえ,あなたのこの悪を悔い改め,もし可能ならあなたの心の企てがゆるされるようにとエホバに祈願をしなさい。わたしは,あなたが有毒な胆汁,また不義のほだしであるのがわかるのです』」。この場合にペテロは,キリストの第一の代理として指導的立場にあったことがこの記録からわかります。王国の鍵を委ねられた者として,ペテロは語りました。
28 その時,王国への道は,ほかのだれに開かれましたか。霊によって生み出されたサマリア人たちは,どこで崇拝を始めましたか。
28 その時以来,サマリア地方のほかの人々にも同様の機会が開けました。ですから使徒 8章25節には,「こうして,徹底的に証しをしてエホバのことばを語ってから,彼ら[ペテロとヨハネ]はエルサレムに引き返したが,サマリア人の多くの村に良いたよりを宣明していった」と述べられているのです。今やバプテスマを受け,霊によって生み出されたサマリア人たちは,ゲリジム山やエルサレムではなく,その偉大な霊的な神殿で,天の父エホバを崇拝するようになりました。―ヨハネ 4:21。b
29 サウロがキリスト教に改宗した後,ユダヤ,ガリラヤ,サマリアの,霊によって生み出された会衆はどうなりましたか。フィリポはどこに落ち着きましたか。
29 フィリポや他のユダヤ人のクリスチャンがサマリアに逃亡することを余儀なくされたのは,タルソスのサウロというパリサイ人の扇動による迫害が原因でした。しかしサウロ自身がキリスト教に改宗した後,パレスチナの会衆の事情は一変します。使徒 9章31節にはこのように記述されています。「こうして,会衆は実に,ユダヤ,ガリラヤ,サマリアの全域にわたって平和な時期に入り,しだいに築き上げられていった。そして,エホバへの恐れと聖霊の慰めのうちに歩みつつ,人数を増していったのである」。一方フィリポは,カエサレアという海港都市に落ち着きました。そこは,ユダヤ州を治めるローマの知事の本部施設があり,イタリア隊の兵士が駐屯していたところでした。―使徒 8:40; 21:8; 10:1; 23:23-35。
[脚注]
a 新約聖書神学辞典第一巻,266ページ,アロゲネースの項参照。
b このすべてはダニエル 9章24-27節(前半)に予告されていた「70週」年の最後の週の後半に生じました。エホバ神はその70「週」年目の間,アブラハム契約を引き続き生来のイスラエル人にあてはめられました。イスラエル人はアブラハムの生来の子孫だったので,その契約に入っていました。(創世 12:1-3; 22:18)迫害の影響でサマリアへ逃れたフィリポと対照して,使徒 11章19節にはこう記されています。「ステファノのことで起こった患難のために散らされた者たちは,フェニキア,キプロス[島],[シリアの]アンティオキアにまで進んで行ったが,ユダヤ人のほかにはだれにもみことばを話さなかった」。アブラハム契約によって生来のユダヤ人に特恵が差し伸べられた70「週」年目は,西暦36年の初秋に終わりました。その週は西暦29年のイエスのバプテスマと油そそぎで始まりました。ですからバプテスマを受けたサマリア人たちが天の王国に入る特権を得たからといって,「地の最も遠い所に」いる他のすべての非ユダヤ人たちに道が開かれたわけでも,またそれを契機に,そのような無割礼の異邦人が,霊によって生み出されたクリスチャン会衆にどっと流れ込むようになったわけでもありませんでした。
[17ページの図版]
ダビデの鍵