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エホバは平安と真理を豊かに与えてくださるものみの塔 1996 | 1月1日
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エルサレムの城壁を打ち崩し,エホバの神殿を焼き払いました。こうしてイスラエルは,人間の組織に頼ることのむなしさを,苦い経験を通して学びました。国民は平安を得るどころか,バビロンへの流刑に処されて引いて行かれたのです。―歴代第二 36:17-21。
3 イスラエルは,エレミヤによって語られたエホバの言葉の成就として,歴史上のどんな出来事から平和に関する二度目の重要な教訓を学びましたか。
3 しかしエルサレムが倒壊する前から,エホバは,エジプトではなくご自分がイスラエルに真の平安をもたらす,ということを啓示しておられました。エレミヤを通して,こう約束なさいました。「わたしは彼らをいやし,豊かな平安と真理を啓示するであろう。そして,わたしはユダの捕らわれ人とイスラエルの捕らわれ人とを連れ戻し,始めの時と同じように彼らを建てる」。(エレミヤ 33:6,7)エホバの約束は,西暦前539年,バビロンが征服されて,流刑の身であったイスラエル人に自由が差し伸べられた時から,成就し始めました。(歴代第二 36:22,23)西暦前537年の後期にはすでに,一群のイスラエル人が,イスラエルの地で70年ぶりに仮小屋の祭りを祝ったのです。その祭りの後,彼らはエホバの神殿を再建することに取りかかりました。彼らはそのことをどう思ったでしょうか。記録には,「民(は),エホバの家の土台が据えられたことでエホバを賛美し,大声で喜び叫んだ」と述べられています。―エズラ 3:11。
4 エホバは,神殿建設の業を行なわせるために,イスラエル人をどのように奮起させましたか。そして,平和に関してどんな約束をなさいましたか。
4 そのように初めは良かったのですが,その後,イスラエル人は反対者たちに意気をくじかれ,神殿建設の業をやめてしまいました。それから何年か後に,エホバは,イスラエル人を奮起させて再建の業を完成させるために,預言者のハガイとゼカリヤを起こされました。イスラエル人にとって,ハガイの言葉を聞くのは,大いに胸の躍ることだったに違いありません。建てられることになっていた神殿に関して,ハガイはこう言ったのです。「『この,後の家の栄光は,先のものより大いなるものとなる』と,万軍のエホバは言われた。『そして,この所にわたしは平和を与える』」― ハガイ 2:9。
エホバは約束を果たされる
5 ゼカリヤ 8章について,どんな点が注目に値しますか。
5 聖書のゼカリヤ書には,西暦前6世紀の神の民を強めた,霊感による数多くの幻や預言が記されています。同じその預言から,わたしたちもエホバの支援を受けていることを確信できます。また,エホバが今日でもご自分の民に平和をお与えになる,と信じてよい十分の理由のあることが分かります。例えば,預言者ゼカリヤは,自分の名の付された書の第8章で,「エホバはこのように言われた」という言葉を10回述べています。どの回にも,その表現に続いて,神の民の平和に関係のある,神の宣言が述べられています。それらの約束の一部は,昔のゼカリヤの時代に成就しました。すべては,これまでに成就してきたか,今日,成就の途上にあります。
「わたしはシオンのために……しっとする」
6,7 エホバはどのように『シオンのために大いなる怒りをもってしっとされ』ましたか。
6 その表現は,まずゼカリヤ 8章2節に出てきます。そこにはこう記されています。「万軍のエホバはこのように言われた。『わたしはシオンのために大いなるしっとをもってしっとする。彼女のために大いなる怒りをもってしっとする』」。ご自分の民のためにしっとする,つまり大いなる熱心さを抱くというエホバの約束は,エホバが目覚めていてご自分の民の平和を回復させる,ということを意味しています。イスラエルが自分の土地に復帰し,神殿を再建したことは,その熱心さの証拠でした。
7 しかし,エホバの民に反対していた者たちについてはどうでしょうか。ご自分の民のためのエホバの熱心さは,それら敵たちに対する「大いなる怒り」と釣り合うことになります。忠実なユダヤ人たちは,再建された神殿で崇拝した際,すでに倒れていた強大なバビロンに生じた事柄を振り返って熟考することができました。また,神殿の再建を妨害しようとした敵たちの完全な失敗についても考えることができました。(エズラ 4:1-6; 6:3)そして,約束を果たしてくださったことをエホバに感謝することができました。エホバが熱心であられたからこそ,彼らは勝利を収めることができたのです。
「真実の都市」
8 ゼカリヤの時代のエルサレムは,それ以前の時代とは対照的に,どのように真実の都市となりましたか。
8 2回目にゼカリヤは,「エホバはこのように言われた」と書いています。この時のエホバの言葉はどのようなものでしょうか。「わたしはシオンに帰り,エルサレムの中に住む。エルサレムはまさしく真実の都市と呼ばれ,万軍のエホバの山は聖なる山と呼ばれるであろう」というものです。(ゼカリヤ 8:3)西暦前607年までのエルサレムは,決して真実の都市ではありませんでした。そこに住んでいた祭司や預言者たちは腐敗しており,民は不忠実でした。(エレミヤ 6:13; 7:29-34; 13:23-27)しかし今や,神の民は神殿を再建しつつあり,清い崇拝に対する強い関心を示していました。エホバはもう一度,霊においてエルサレムに住まわれました。そこでは再び清い崇拝に関する真実が語られるようになったので,エルサレムを「真実の都市」と呼ぶことができ,市内の特に高くなっている場所は,「エホバの山」と呼ぶことができました。
9 「神のイスラエル」は,1919年に,状態のどんな著しい変化を経験しましたか。
9 これら二つの宣言は,古代イスラエルにとって意味深いものでしたが,20世紀の終わりに臨んでいるわたしたちにとっても多くの意味を含んでいます。今から80年ほど前の第一次世界大戦中,当時「神のイスラエル」を代表していた数千人の油そそがれた者たちは,ちょうど古代イスラエルがバビロンに捕らわれたのと同じように,霊的な捕らわれの身になりました。(ガラテア 6:16)預言的に,それら油そそがれた者たちは,街路に横たわる遺体として描写されました。それでも,彼らは「霊と真理をもって」エホバを崇拝したいという誠実な願いを抱いていました。(ヨハネ 4:24)そのため,エホバは,1919年に彼らの捕らわれた状態を逆転させ,彼らを霊的に死んだ状態からよみがえらせました。(啓示 11:7-13)こうしてエホバは,「地が一日のうちに陣痛と共に産み出されるだろうか。あるいは,国民が一時に生まれるだろうか」というイザヤの預言的な質問に,鳴り響くような肯定の答えを出されたのです。(イザヤ 66:8)エホバの民は,1919年に,もう一度,自分たちの「地」,つまり地上の霊的地所に霊的な国民として存在するようになりました。
10 油そそがれたクリスチャンたちは,1919年以来,自分たちの「地」でどんな祝福を享受していますか。
10 油そそがれたクリスチャンたちはその地に安住し,エホバの偉大な霊的神殿で仕えました。彼らは「忠実で思慮深い奴隷」として任命され,イエスの地上の持ち物を管理する責任,すなわち20世紀が終わろうとする今もなおあずかっている特権を受け入れました。(マタイ 24:45-47)そして,エホバが『平和の神そのもの』であることを十分に知りました。―テサロニケ第一 5:23。
11 キリスト教世界の宗教指導者は,自分たちが神の民の敵であることを,どのように示してきましたか。
11 では,神のイスラエルの敵たちについてはどうでしょうか。ご自分の民のためのエホバの熱心さは,反対者たちに対する怒りと釣り合っています。第一次世界大戦中,キリスト教世界の宗教指導者たちは,真実を語るクリスチャンのその小さなグループを撲滅しようとして非常に大きな圧力を加えましたが,そうすることはできませんでした。第二次世界大戦の時も,キリスト教世界の牧師たちは,一つのことにおいては一致していました。すなわち,紛争のどちらの側でも,彼らは政府を駆り立ててエホバの証人の活動をやめさせようとしたのです。今日でも,多くの国や地域で,宗教指導者たちは政府に働きかけて,エホバの証人のクリスチャンとしての宣べ伝える業を制限もしくは禁止させようとしています。
12,13 エホバの怒りはキリスト教世界に対してどのように表明されますか。
12 こうしたことはエホバの注目を免れているわけではありません。第一次世界大戦後,キリスト教世界は,大いなるバビロンの残りの部分もろとも倒壊しました。(啓示 14:8)キリスト教世界倒壊の現実は,1922年以来,一連の象徴的な災厄が注ぎ出されて,同世界の霊的に死んだ状態が公に暴露され,来たるべき滅びについての警告が発せられたときに,広く一般に知れ渡りました。(啓示 8:7–9:21)そうした災厄の注ぎ出されることが続いている証拠として,1995年4月23日には全世界で,「偽りの宗教の終わりは近い」という講演が行なわれ,それに続いて特別号の「王国ニュース」が何億枚も配布されました。
13 今日,キリスト教世界は哀れな状態にあります。その成員たちは,この20世紀の間ずっと,司祭や牧師の祝福する残虐な戦争で互いに殺し合ってきました。ある国や地域では,同世界の影響力は事実上すっかりなくなっています。同世界は大いなるバビロンの残りの部分と共に,滅びに定められているのです。―啓示 18:21。
エホバの民の平和
14 安らかな民に関してどんな預言的描写がなされていますか。
14 一方,エホバの民は,この1996年に,自分たちの回復された地にあって豊かな平和を楽しんでいます。この点は,エホバの3番目の宣言の中でこう描写されています。「万軍のエホバはこのように言われた。『今後エルサレムの公共広場には老いた男や老いた女が座るであろう。彼らは各々杖を手にしているが,それはその日数が非常に多いためである。また,その都市の公共広場は,その公共広場で遊ぶ男の子や女の子で満ちることになる』」― ゼカリヤ 8:4,5。
15 諸国民の間で戦争があったにもかかわらず,エホバの僕たちはどんな平和を楽しんできましたか。
15 この喜ばしい描写は,戦争で疲弊したこの世界における注目すべきもの ― 安らかな民 ― を表現しています。1919年以来,イザヤの預言の言葉が成就してきました。「『遠くにいる者にも近くにいる者にも長く続く平和があり,わたしは彼をいやす』と,エホバは言われた。『しかし,……邪悪な者たちに平和はない』」。(イザヤ 57:19-21)もちろん,エホバの民は世のものでないとはいえ,諸国民の騒乱に影響されずに済むわけではありません。(ヨハネ 17:15,16)一部の国や地域では,厳しい窮境を耐え忍んでおり,中には少数ながら殺された者さえいます。それでも,真のクリスチャンは二つの主要な点において平安を得ています。第一に,「[自分たちの]主イエス・キリストを通して神との平和」があります。(ローマ 5:1)第二に,自分たち自身の間に平和があります。彼らは,「まず第一に貞潔であり,次いで,平和を求め(る)」「上からの知恵」を培います。(ヤコブ 3:17。ガラテア 5:22-24)さらに,「柔和な者たち(が)地を所有し,豊かな平和にまさに無上の喜びを見いだす」時に最も完全な意味で平和を楽しむことを期待しています。―詩編 37:11。
16,17 (イ)「老いた男や老いた女」,それに「男の子や女の子」は,どのようにエホバの組織を強めてきましたか。(ロ)エホバの民の平和は,どんな点にはっきり見られますか。
16 エホバの民の間には今でも,エホバの組織の収めた初期の数々の勝利を覚えている油そそがれた者たちである「老いた男や老いた女」がいます。それらの人の示した忠実や忍耐は,大いに感謝されています。より若い油そそがれた者たちは,1930年代の火のような時代と第二次世界大戦中,またその後の胸を躍らせる発展の年月に指導の任に当たりました。さらに,特に1935年からは,「ほかの羊」の「大群衆」が姿を現わすようになりました。(ヨハネ 10:16。啓示 7:9)油そそがれたクリスチャンたちがいっそう年老いて,その人数が少なくなるにつれ,ほかの羊たちが宣べ伝える業を引き継いで,地上全域に推し進めてきました。ここ数年,ほかの羊は神の民の地に群を成して入って来ています。なんと,昨年だけでも33万8,491人が,エホバへの献身の象徴としてバプテスマを受けたのです。そのような新しい人たちは,霊的に言って,確かに非常に若い人です。その新鮮さや熱意は,彼らが「み座に座っておられるわたしたちの神と,子羊とに」対して感謝に満ちた賛美を歌う者たちの隊伍に連なるとき,高く評価されます。―啓示 7:10。
17 今日,『公共広場は男の子や女の子で』,すなわち若者のような活力を持つ証人たちで『満ちています』。1995奉仕年度には,232の国や海洋の島々からの報告が寄せられました。しかし,油そそがれた者たちやほかの羊の間に,国民間の対抗意識や,部族間の憎しみや,不穏当なねたみは全くありません。皆が愛によって結ばれ,共に霊的に成長しています。エホバの証人のこの世界的な兄弟関係は,世界の舞台にあって全く他に例を見ません。―コロサイ 3:14。ペテロ第一 2:17。
エホバにとって難しすぎる?
18,19 1919年以降これまでの年月の間に,エホバは,人間の見地からは難しすぎるように思えたかもしれない事柄を,どのように成し遂げてこられましたか。
18 油そそがれた残りの者たちが数千人しかおらず,しかも霊的な捕らわれの状態にあって気落ちしていた1918年に,その後の事の成り行きを予見できた者は一人もいませんでした。しかし,エホバは知っておられました。そのことは,4番目の預言的宣言によって証しされていたのです。「万軍のエホバはこのように言われた。『その日,この事はこの民の残っている者たちの目には難しすぎるように見えるとしても,それはわたしの目にも難しすぎる事に見えるであろうか』と,万軍のエホバはお告げになる」― ゼカリヤ 8:6。
19 1919年,エホバの霊は,前途の業のためにご自分の民を生き返らせました。それでも,エホバの崇拝者たちのこの小さな組織に堅く付くには信仰が必要でした。彼らは人数が少ないうえに,はっきり分からない事柄がたくさんあったのです。しかし,エホバは徐々に彼らを組織的に強め,彼らが良いたよりを宣べ伝えて弟子を作るというクリスチャンの業を行なえるようにされました。(イザヤ 60:17,19。マタイ 24:14; 28:19,20)また,漸進的に,中立や宇宙主権といった極めて重要な問題を識別するよう彼らを助けてゆかれました。エホバにとって,証人たちのその小さなグループによってご自分の意志を成し遂げるのは難しすぎることだったでしょうか。絶対そのようなことはない,というのが答えです。そのことは,この雑誌の12ページから15ページに示されています。そこには1995奉仕年度のエホバの証人の活動に関する表が載せられています。
『わたしは彼らの神となる』
20 神の民を集めることはどれほど広範囲に行なわれると預言されましたか。
20 5番目の宣言もまた,今日のエホバの証人の幸福な状態を示しています。「万軍のエホバはこのように言われた。『今わたしは,日の昇る土地から,また日の沈む土地から,わたしの民を救う。そしてわたしは彼らを必ず携えて来る。彼らはエルサレムの中に住むことになる。彼らはわたしの民となるのであり,わたしも真実と義とをもって彼らの神となる』」― ゼカリヤ 8:7,8。
21 エホバの民に見られる豊かな平安は,どのような方法で維持され,拡大されてきましたか。
21 1996年の今,わたしたちはためらうことなく,良いたよりは「日の昇る土地」から「日の沈む土地」まで世界中に宣べ伝えられてきたと言うことができます。あらゆる国民の中から人々が弟子になっており,それらの人は,「あなたの子らは皆エホバに教えられる者となり,あなたの子らの平安は豊かであろう」というエホバの約束が成就しているのを見てきました。(イザヤ 54:13)わたしたちが平安を得ているのは,エホバに教育されているからです。その目的のために,300以上の言語で文書が出版されています。昨年だけでも,新たに21の言語が追加されました。「ものみの塔」誌は,現在,111の言語で,「目ざめよ!」誌は54の言語で,同時発行になっています。全国大会や国際大会は,神の民の平和を公に明らかにするものとなっています。週ごとの集会は,わたしたちを一つに結び合わせると共に,確固とした立場を保つために必要な励ましを与えてくれます。(ヘブライ 10:23-25)そうです,エホバは「真実と義とをもって」ご自分の民を教育しておられるのです。エホバはご自分の民に平安を与えておられます。その豊かな平安にあずかるわたしたちは,なんと祝福されているのでしょう。
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『真実と平和とを愛しなさい』!ものみの塔 1996 | 1月1日
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『真実と平和とを愛しなさい』!
「万軍のエホバの言葉は引き続きわたしに臨んでこう言った。『……真実と平和とを愛せよ』」― ゼカリヤ 8:18,19。
1,2 (イ)平和に関する限り,人類の経歴はどのようなものですか。(ロ)現在の世界が今後も決して真の平和を経験しないのはなぜですか。
「世界が平和であったことは一度もない。どこかで ― しかも,多くの場合,一度に何か所かで ― 常に戦争が行なわれてきた」。米国マサチューセッツ大学のミルトン・メイヤー教授はそう述べました。人間性に関する,なんと嘆かわしい実態の説明でしょう! もちろん,人間は平和を望んできました。政治家たちは平和を維持しようとして,ローマ時代の“パックス・ロマーナ”から冷戦時代の“相互確証破壊”に至るまで,あらゆる種類の方法を試みてきました。しかし,結局,そうした努力はみな失敗しました。イザヤが何世紀も昔に述べたとおり,『平和の使者たちは激しく泣いた』のです。(イザヤ 33:7)どうしてこうなるのでしょうか。
2 なぜなら,永続的な平和は,憎しみや貪欲のない状態から生じるもので,真理に立脚していなければならないからです。平和は,うそや偽りを基盤とすることはできないのです。エホバが古代イスラエルに復興と平和を約束なさった時に,「いまわたしは,平和を川のように,諸国民の栄光をみなぎりあふれる奔流のように彼女に差し伸べる」と言われたのはそのためです。(イザヤ 66:12)この事物の体制の神,悪魔サタンは,「人殺し」,殺人者であり,「偽り者であって,偽りの父」です。(ヨハネ 8:44。コリント第二 4:4)そのような神をあがめる世界に,一体どうして平和があり得るでしょうか。
3 エホバは,ご自分の民が問題の多い世界に住んでいるにもかかわらず,彼らにどんな驚くべき賜物を与えてこられましたか。
3 しかし驚くべきことに,エホバは,ご自分の民が戦争の続くサタンの世に住んでいてさえ,彼らに平安を与えておられます。(ヨハネ 17:16)西暦前6世紀には,エレミヤを通して約束した事柄を果たし,ご自分の特別な国民を故国に復帰させたときに彼らに「平安と真理」をお与えになりました。(エレミヤ 33:6)そして,この終わりの日には,ご自分の民がこの世界のこれまでに経験した最も難しい時代を生きているにしても,ご自分の民の「地」,すなわち地上の霊的地所にいる彼らに「平安と真理」を与えてこられました。(イザヤ 66:8。マタイ 24:7-13。啓示 6:1-8)わたしたちはゼカリヤ 8章のこの討議を進めてゆくにつれ,神の与えてくださっているこの平安と真理に対する認識が深まると共に,これからもその平安と真理にあずかってゆくために何をしなければならないかが分かるでしょう。
「あなた方の手を強くせよ」
4 ゼカリヤは,平和を経験したいのであれば行動するよう,どのようにイスラエルを励ましましたか。
4 ゼカリヤ 8章には6番目に,エホバからの,興奮を誘うこのような宣言があります。「万軍のエホバはこのように言われた。『あなた方の手を強くせよ,今日このごろ預言者たちの口からこれらの言葉を聞いている者たちよ。神殿を建てるために,万軍のエホバの家の土台が据えられたこの日に。それらの日よりも前,人への報酬はなかったのである。家畜の報酬も一切なかった。敵対する者のゆえに,出て行く者にも入って来る者にも平和はなかった。わたしがすべての者を互いに突き当たらせていたからである』」― ゼカリヤ 8:9,10。
5,6 (イ)イスラエル人が意気をくじかれていたため,イスラエルの状況はどのようなものでしたか。(ロ)エホバはイスラエルに,彼らがエホバの崇拝を第一にするなら,どんな変化が生じると約束なさいましたか。
5 ゼカリヤはこれらの言葉を,エルサレムに神殿が再建されていた時に語りました。以前に,バビロンから帰還したイスラエル人は,意気をくじかれて神殿建設の業をやめたことがありました。彼らは自分自身の慰安のほうに注意を向けたため,エホバからの祝福や平安は何も得られませんでした。土地を耕し,ぶどう園の世話をしても,繁栄しませんでした。(ハガイ 1:3-6)それはあたかも,『報酬なしで』働いていたようなものでした。
6 しかし今や神殿は再建の途上にあり,ゼカリヤはユダヤ人を,『強くある』よう,つまり勇気をもってエホバの崇拝を第一にするよう励ましました。もし彼らがそうするなら,どうなったでしょうか。「『今,この民の残っている者たちに対してわたしは以前の日々のようにはしない』と,万軍のエホバはお告げになる。『平和の種がそこにあるからである。ぶどうの木がその実りを出し,地もその産物を出す。天もその露を与えるであろう。わたしは必ずこの民の残っている者たちにこのすべてを受け継がせる。そして,ユダの家とイスラエルの家よ,あなた方は諸国民の間で呪いとなったが,それと同じように,わたしはあなた方を救い,あなた方は必ず祝福となるのである。恐れてはいけない。あなた方の手は強くなるように』」。(ゼカリヤ 8:11-13)もしイスラエルが決意を抱いて行動するなら,繁栄することになっていました。以前であれば,諸国民は,呪いの例を挙げたいと思うとき,イスラエルを指し示すことができました。ところが,今やイスラエルは,祝福の例となるのです。『手を強くする』べき,なんと優れた理由なのでしょう!
7 (イ)エホバの民は,1995奉仕年度を過去最大とする,胸の躍るどんな変化を経験してきましたか。(ロ)年次報告を見ると,どの国が伝道者,開拓者,平均時間の記録の点で著しいことが分かりますか。
7 今日についてはどうでしょうか。実のところ,1919年以前の数年の間,エホバの民は幾らか熱心さに欠けていました。彼らは第一次世界大戦の際に完全な中立の立場を取りませんでしたし,彼らには自分たちの王イエス・キリストよりむしろ一人の人間に追従する傾向がありました。その結果,一部の人たちは組織の内外からの反対によって意気をくじかれました。その後,1919年に,エホバの助けにより,彼らは自分たちの手を強くしました。(ゼカリヤ 4:6)エホバは彼らに平安をお与えになり,彼らは大いに繁栄しました。このことは,1995奉仕年度の記録が最大のものとなった,彼らの過去75年間の記録から明らかです。一つの民であるエホバの証人は,国家主義,部族主義,偏見,その他あらゆる憎しみの元になるものを避けます。(ヨハネ第一 3:14-18)そして,エホバの霊的な神殿で真の熱心さを抱いてエホバに仕えます。(ヘブライ 13:15。啓示 7:15)彼らは自分たちの天の父について他の人に話すのに,昨年だけでも,なんと10億時間余りを費やしました。毎月,486万5,060件の聖書研究が司会されました。また,月に平均66万3,521人が開拓奉仕にあずかりました。キリスト教世界の牧師たちは,崇拝に関して本当の熱意を抱いている人々の例を挙げたいと思うとき,エホバの証人に注意を向けることがあります。
8 クリスチャン各人は,どうすれば「平和の種」から益を得られますか。
8 エホバは,ご自分の民の熱心さゆえに,彼らに「平和の種」を与えておられます。その種を育む人は各々,心の中,また生活の中に平安が増し加わってゆくのを見るでしょう。信仰を抱いているクリスチャンで,エホバとの,また仲間のクリスチャンとの平和を追い求める人は皆,エホバのみ名の民が持つ真理と平和にあずかっているのです。(ペテロ第一 3:11。ヤコブ 3:18と比較してください。)すばらしいことではないでしょうか。
「恐れてはいけない」
9 エホバはご自分の民に対する扱いをどのように変えると約束なさいましたか。
9 さて今度は,エホバからの7番目の宣言を読みます。どんな宣言でしょうか。「万軍のエホバはこのように言われた……。『「あなた方の父祖たちがわたしを憤らせたゆえにわたしはあなた方に対して災いとなる事柄を思い定めて悔やまなかったが」と,万軍のエホバは言った,「それと同じように,わたしはこれらの日に再びエルサレムに対し,またユダの家に対して良い事柄を思い定めるのである。恐れてはいけない」』」― ゼカリヤ 8:14,15。
10 エホバの証人に関するどんな記録は,彼らが恐れなかったことを示していますか。
10 エホバの民は,第一次世界大戦中,霊的な意味で散らされていましたが,心の中では正しいことを行ないたいと思っていました。そのためエホバは,幾らかの懲らしめを施した後,彼らに対する扱い方を変えられました。(マラキ 3:2-4)今日,わたしたちはこれまでのことを振り返り,エホバがしてくださった事柄に心から深く感謝します。確かに,わたしたちは「あらゆる国民の憎しみの的」になってきました。(マタイ 24:9)多くの人が投獄され,中には自分の信仰のゆえに死んだ人さえいます。わたしたちはしばしば,無関心な人や敵がい心を示す人に直面します。しかし,恐れません。わたしたちは,反対が目に見えるものにせよ見えないものにせよ,エホバのほうが強いことを知っています。(イザヤ 40:15。エフェソス 6:10-13)わたしたちは,「エホバを待ち望め。勇気を出し,あなたの心を強くせよ」という言葉に留意することをやめません。―詩編 27:14。
『互いに対して真実を語りなさい』
11,12 わたしたちは,エホバがご自分の民にお与えになる祝福に十分あずかりたいのであれば,個人としてどんなことを覚えておくべきですか。
11 エホバからの祝福に十分あずかるためには,覚えておかなければならない事柄があります。ゼカリヤはこう述べています。「『あなた方はこれらの事をすべきである。すなわち,互いに対して真実を語れ。真実と平和の裁きとをもってあなた方の門の内で裁きを行なえ。また,互いに対し心の中で災いをたくらんではいけない。どんなことにせよ偽りの誓いを愛してはいけない。これらはすべてわたしの憎んだ事柄なのである』と,エホバはお告げになる」― ゼカリヤ 8:16,17。
12 エホバはわたしたちに,真実を語るよう強く勧めておられます。(エフェソス 4:15,25)エホバは,有害な事柄をたくらむ者や,個人的な利益のために真実を隠す者,あるいは偽りの誓いを述べる者の祈りはお聞きになりません。(箴言 28:9)エホバは背教を憎まれるので,わたしたちが聖書の真理に固く付くことを望んでおられます。(詩編 25:5。ヨハネ第二 9-11)さらに,審理問題を扱う長老たちは,イスラエルの都市の門にいた年長者たちと同じように,助言や決定を自分個人の意見にではなく,聖書の真理に基づいたものにすべきです。(ヨハネ 17:17)エホバは,長老たちがクリスチャンの牧者として,相争う当事者の間に平和を回復させるよう努力したり,神との平和を取り戻すよう罪を悔い改めた人を助けたりして,「平和の裁き」を求めることを望んでおられます。(ヤコブ 5:14,15。ユダ 23)同時に,長老たちは,故意に悪行を続けることによって会衆の平和を乱す者を勇敢に追放し,会衆の平和を守ります。―コリント第一 6:9,10。
「歓喜と歓び」
13 (イ)ゼカリヤは断食に関してどんな変化が生じると預言しましたか。(ロ)イスラエルではどんな断食が守り行なわれていましたか。
13 さて今度は,8番目の厳粛な宣言が聞こえてきます。「万軍のエホバはこのように言われた。『第四の月の断食,第五の月の断食,第七の月の断食,第十の月の断食は,ユダの家にとって,歓喜と歓び,また良い祭りの時節となるであろう。ゆえに,真実と平和とを愛せよ』」。(ゼカリヤ 8:19)モーセの律法下にあったイスラエル人は,自分たちの罪に対する悲しみを表明するために,贖罪の日に断食を行ないました。(レビ記 16:29-31)ゼカリヤが述べている四つの断食は,エルサレムが征服されて滅ぼされたことに関連した出来事を嘆き悲しむために守り行なわれていたようです。(列王第二 25:1-4,8,9,22-26)しかし,今や神殿は再建されつつあり,エルサレムには再び人が住むようになっていました。嘆きは歓びに変わろうとしており,断食の時が祭りの時節となっても不思議ではなかったのです。
14,15 (イ)記念式の祝いはどのように歓びの大きないわれとなりましたか。そのことから当然わたしたちは何を思い起こしますか。(ロ)年次報告によると,記念式の出席者が特に多かったのはどの国ですか。
14 今日,わたしたちはゼカリヤの述べた断食や律法の規定による断食を守り行なってはいません。イエスがわたしたちの罪のためにご自分の命をささげてくださったので,わたしたちは大いなる贖罪の日の祝福を享受しています。わたしたちの罪は,単なるしるしとしてではなく,完全に覆われているのです。(ヘブライ 9:6-14)わたしたちは,天の大祭司イエス・キリストの命令に従って,クリスチャンの用いる暦の上で唯一の厳粛な祝いとして,イエスの死の記念式を守り行ないます。(ルカ 22:19,20)わたしたちは毎年その祝いのために集まり合うとき,「歓喜と歓び」を経験するのではありませんか。
15 昨年は,その記念式を祝うために,1994年よりも85万8,284人多い,1,314万7,201人が集まり合いました。なんと大勢の人でしょう。その祝いのために普段より大勢の人が続々と王国会館にやって来た時の,エホバの証人の7万8,620の会衆の歓びを想像してみてください。きっと出席者は皆,「道であり,真理であり,命」であり,エホバの偉大な「平和の君」として今統治しておられる方の死を思い出しながら,『真実と平和を愛する』よう動かされたことでしょう。(ヨハネ 14:6。イザヤ 9:6)騒乱や戦争に苦しむ国や地域で記念式を守り行なった人たちにとって,その祝いには特別な意味がありました。わたしたちの兄弟たちの中には,1995年中に筆舌に尽くし難い恐ろしい事件を目撃した人もいます。それでも,『一切の考えに勝る神の平和が,彼らの心と知力を,キリスト・イエスによって守りました』。―フィリピ 4:7。
『エホバの顔を和めようではないか』
16,17 諸国の人々は,どのようにして『エホバの顔を和める』ことができますか。
16 それにしても,記念式に出席したそれら千数百万という人たちすべてはどこから来たのでしょうか。エホバの発せられた9番目の言葉は,こう説明しています。「万軍のエホバはこのように言われた。『今後,もろもろの民また多くの都市の住民がやって来るであろう。一つの都市の住民が必ず別の都市の住民のところに行って,こう言う。「さあ,真剣な気持ちで行ってエホバの顔を和め,万軍のエホバを求めようではないか。わたし自身も一緒に行く」。こうして多くの民また強大な国民がまさにやって来て,エルサレムで万軍のエホバを求め,エホバの顔を和めようとするであろう』」― ゼカリヤ 8:20-22。
17 記念式に出席した人々は「万軍のエホバを求め」たいと思った人々です。そのうちの多くは,エホバの献身してバプテスマを受けた僕たちでした。出席した他の幾百万という人々は,まだその段階に達していませんでした。国や地域によっては,記念式に出席した人の数が王国伝道者の数の4倍ないし5倍という所もありました。関心を示しているこれら多くの人は,進歩し続けるための助けを必要としています。わたしたちはそれらの人に,イエスがわたしたちの罪のために死んでくださり,今や神の王国において統治しておられるという知識に歓喜するよう教えましょう。(コリント第一 5:7,8。啓示 11:15)そして,それらの人を,エホバ神に献身し,エホバの任命された王に服するよう励ましましょう。彼らはそのようにして『エホバの顔を和める』のです。―詩編 116:18,19。フィリピ 2:12,13。
「諸国のあらゆる言語から来た十人の者」
18,19 (イ)ゼカリヤ 8章23節の成就において,今日,「ユダヤ人」に相当するのはだれですか。(ロ)今日,『ユダヤ人である一人の者のすそをとらえる』「十人の者」とはだれですか。
18 ゼカリヤ 8章には最後に,「万軍のエホバはこのように言われた」と記されています。エホバの最後の布告は何でしょうか。「その日には,諸国のあらゆる言語から来た十人の者が,ユダヤ人である一人の者のすそをとらえ,まさしくとらえてこう言う。『わたしたちはあなた方と共に行きます。神があなた方と共におられることを聞いたからです』」。(ゼカリヤ 8:23)ゼカリヤの時代の生来のイスラエルは,神の選ばれた国民でした。しかし,西暦1世紀のイスラエルはエホバのメシアを退けました。そのため,わたしたちの神は,ご自分の特別な民として「ユダヤ人」― 新しいイスラエル ― を,すなわち霊的ユダヤ人から成る「神のイスラエル」をお選びになりました。(ガラテア 6:16。ヨハネ 1:11。ローマ 2:28,29)それらの人の最終的な数は14万4,000人になることになっていました。それだけの数の人が人類の中から選ばれて,天の王国でイエスと共に統治するのです。―啓示 14:1,4。
19 それら14万4,000人のほとんどは,すでに忠実を全うして死に,天での報いを受けています。(コリント第一 15:51,52。啓示 6:9-11)地上には少数の者が残っており,これらの人は,「ユダヤ人」と共に行くことを選んだ「十人の者」が確かに「すべての国民と部族と民と国語の中から来た……大群衆」となっているのを見て歓んでいます。―啓示 7:9。イザヤ 2:2,3; 60:4-10,22。
20,21 この世の終わりが近づいている今,わたしたちはどうすればエホバとの平和な関係を保てますか。
20 この世界の終わりが刻一刻と近づいている今,キリスト教世界はエレミヤの時代のエルサレムに似ています。「平安を待ち望んでいたのに,何も良いことは来ませんでした。いやしの時を待ち望んだのに,何と,ご覧ください,恐怖が来ました!」(エレミヤ 14:19)その恐怖は,諸国家が偽りの宗教に襲いかかって激烈な終わりをもたらす時,極みに達するでしょう。そしてそのすぐ後に,今度は諸国家が神の最後の戦争,ハルマゲドンにおいて滅びを被ります。(マタイ 24:29,30。啓示 16:14,16; 17:16-18; 19:11-21)なんとすさまじい動乱の時となるのでしょう。
21 その期間中ずっと,エホバは,真理を愛して「平和の種」を育んでいる者たちを保護されます。(ゼカリヤ 8:12。ゼパニヤ 2:3)ですから,わたしたちはエホバの民の地の境界内に安全な状態でとどまって,熱心な態度でエホバを公に賛美し,『エホバの顔を和める』よう,できるだけ多くの人を助けましょう。そうすれば,わたしたちは常にエホバの平和を味わえます。そうです,「エホバご自身がその民に力をお与えにな(ります)。エホバご自身が平和をもってその民を祝福される」のです。―詩編 29:11。
説明できますか
□ 神の民はゼカリヤの時代に,また今日,どのように『自分たちの手を強め』ましたか
□ わたしたちは迫害や敵がい心や無関心にどのように対応しますか
□ 『互いに対して真理を語る』ことには,何が関係していますか
□ 人はどのようにして『エホバの顔を和める』ことができますか
□ ゼカリヤ 8章23節の成就には,歓ぶべきどんな大きな理由が見られますか
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